初恋を捨てた王子と一抜け公女
「エリザベート・ランゼル!貴様の様な意地悪な令嬢は、婚約を破棄してやるっ!私の隣に相応しいのは、可愛らしくて優しい、モエ・マミタス伯爵令嬢だっ」
カルロス王子に指をびしいっと突き付けられて、エリザベートは目をまあるくした。
「わかりました殿下。王命でございましたけれど、よろしゅうございます!では引継ぎをさせて頂きますね」
園遊会で、貴族子女達が騒めく中エリザベートは淡々と語り始める。
カルロスは鼻を膨らませて、得たり顔をしているし、その隣に立つモエは勝ち誇った顔。
「マミタス伯爵家に殿下がお泊りに来た時の作法から参りますね。まず、朝は令嬢自ら起こさねばなりません。優しく御名をお呼びして、殿下がお返事なさってから鎧戸を開けさせて、部屋を明るくしてくださいませ。順番が逆になりますと、眩しいと仰せになって、癇癪を起こしますので」
「えっ……私が起こすの?」
「左様です。続けて宜しくて?」
「えっ、あぁ……はい」
モエの疑問の声にも、エリザベートは淡々と答える。
「お顔を洗うお水は、冷たくても熱くてもいけません。ちょっと温かめのぬるま湯を用意して、すぐに顔を拭けるように傍で待機をしてください。洗い終わったらすぐに顔を拭って、手も拭いてさしあげるのです」
「えっ??……それも私が?侍女とか…そういう人ではなく?」
「ええ。婚約者になるのですからきちんとやってくださいましね」
モエは流石に隣に立つ美しい顔の王子を見るが、視線を向けられたカルロスは特に疑問を持っていない様子でにこにこしている。
自分達も侍女や小間使いの手伝いがあって身支度をしているが、何故婚約者が?と思うものの、しなければならないらしい。
「あと、粗相に関してですが…」
「おい!それはいい!」
いきなり顔を赤くしたカルロスが止めに入るが、エリザベートは素知らぬ顔で続ける。
「お片づけは小間使いに任せて構いませんが、殿下が怒ったり泣いたりした場合、お慰めするのは貴女のお仕事です。十二歳までは大丈夫、と励ましてあげてくださいまし」
「……あ、はい……」
五歳なのにまだおねしょしてるんだ、と周囲のまあるい目にカルロスは真っ赤な顔で足を踏み鳴らした。
「そ、そんな事はないっ、断じてないっ」
「あった場合の話ですよ、殿下。確か三日ほど前も…」
「もういいっ!」
別に泊りに来てはいないが、王城でのカルロスの話はエリザベートにも伝わってくる。
遮るようにカルロスが言うので、エリザベートは返事の代わりに膝をちょこんと屈した。
「では続きまして、朝食に関してです。献立は王妃様に確認の上、最善の給仕でおもてなしすること。婚約者の貴女のお仕事は、苦手なお野菜を殿下が食べるのを励ます事です」
「……えぇ……?た、食べなくて良いのでは……」
「そうだろう?食べたくない物など要らぬ!」
モエの言葉に、勢いよくカルロスは頷くが、エリザベートは首を横に振った。
「お野菜を食べないとどうなるか、ご存知でございますか?ああなりますよ」
びしりとエリザベートが指さした先には、でっぷりと肥えたマミタス伯爵が腹肉を揺らして誰かと談笑している。
「お、お父様を悪く言わないでっ!」
「悪くは言っていません。見本をお見せしただけです。良かったですね、殿下。将来ああなっても、マミタス嬢は今の様に庇って下さるでしょう」
「……え……あ、……あぁ」
確定した未来の様に言われて、カルロスはマミタス伯爵を残念そうな目で見る。
「ちなみに、お野菜もきちんと食べ、運動をしていると、ああなります」
次にびしりとエリザベートが指さしたのは、父親のランゼル公爵である。
娘のエリザベートと同じ銀の髪を後ろに撫でつけた、美丈夫である。
すらりと背も高く、程よく筋肉ものっている均整の取れた体つきは結婚しているご婦人方も見惚れるほど。
「殿下はお野菜を食べないと仰るので、あちら」
もう一度駄目押しに、マミタス伯爵を指さすエリザベート。
「……食べる……食べればいいんだろうっ?!」
「ただでさえ好き嫌いが多いのですから、絶対に食べられないという物以外は努力なさいまし」
「そん、そんな事は分かっている!」
「注意をするたびに意地悪だとか言ってくるので、マミタス嬢は励ますか、放置するかお好きな方をお選びくださいまし。あちらか、あちら」
もう一度、両方を指さして見せて、子供達の視線が父親達の間を行ったり来たりする。
子供達の視線に気付いたマミタス伯爵はお腹を揺らしながら笑顔で大きく手を振り返し、ランゼル公爵は洗練された動作で小さく手を挙げた。
「マミタス嬢。貴女のお父様はお父様で魅力的だとわたくしは思いますよ?笑顔が素敵ですわね」
「あ、あ……ありがとう、ございます」
エリザベートの笑顔もにっこりと愛らしく、嫌味ではないと察してモエも恥ずかしそうに礼を言う。
見た目的にどちらがいいかはさて置くとして、人の崇敬を集める王家の人間としてどちらが相応しいかは皆にも分かり切っていた。
「さて、お勉強に関してですけれど。お泊りになると家庭教師がいないので、殿下はすぐにさぼろうとなさいますが、きちんと宿題を持っていらっしゃるので、予定表通りに熟すようにきちんと励ましてくださいまし。せっかく外に出たのだからと羽を伸ばそうとなさるのは良いですが、目を離して好き放題させていたら、絶対にやりませんので」
「それは、だって……たまには休みたいのだ」
「ですから、そう思うのでしたら全て終わらせてから好きなだけお休みなさいませ」
ぴしゃりと言ってのけるエリザベートに、しゅん、とカルロスの勢いが無くなる。
「もし、将来的に王になりたくないのであれば、そのように国王陛下や王妃殿下に申し上げるのです。そうすればお勉強に関しても最低限で済ませて下さるでしょう」
「むう……」
「ですが、それは将来を閉ざすのと同じ事ですの。幾ら後でやはり王になりたいと思い直したとして、失った時間は返って参りません。今遊んだ分を後程倍の努力と時間をかけて取り戻すか、諦めるかどちらかです。でも、わたくしは殿下のお陰で解放されましたので、これからは好きなお勉強をいたします」
「???」
分かっていない顔を向けるカルロスに、笑顔でエリザベートは答えた。
「殿下が婚約を破棄して下さったので、今後大変な王子妃教育を受けるのはマミタス嬢になるのです。殿下の苦手な分野を中心に学ぶ事になるので頑張ってくださいませ」
「………え……」
モエは顔色を失くし、カルロスとエリザベートを交互に見る。
「大丈夫です、マミタス嬢も殿下と一緒に学べば、将来は安泰ですから、頑張ってくださいましね」
「……一緒に、頑張ろう……」
「は、……はい」
「殿下も、苦手な分野などと逃げたりせずにマミタス嬢の負担を軽くするためにもきちんと学ばれませ」
「……わ、分かった」
頷いたカルロスを見て、エリザベートは他の子供達にも目を向ける。
「我こそは王子妃に、と目指したい方はきっと教育を授けて頂けると思うので、選ばれるかどうかはさておき、殿下やマミタス嬢と共に授業を受けるのも良いかもしれません」
そうやってエリザベートはさっさと他の子供達に教育を押し付けて、自身は本当に王城から退いたのである。
元々、王家の方から願って婚約しただけの間柄というのもあって、公爵は婚約の解消を推し進めた。
子供の言う事だからと弁明する王室に、その後は頑として応じなかったのである。
けれど、一番文句を言っていたのは婚約破棄を行った当の本人だった。
「なぜ、エリザベートが茶会に来ない?!」
癇癪を起こしたカルロスに、困った様に侍従が告げる。
「それは殿下が婚約破棄をなさったからです」
「だからって、……その、茶会に出るな、とは言ってない……」
指摘されて苦しい言い訳をするが、侍従は冷たい目でカルロスを見る。
「お茶会は婚約者同士の交流を兼ねるものでございますれば、他のご令嬢とお楽しみください。殿下が勝手に婚約を破棄なさったことで陛下も頭を悩ませ、再度婚約の話をもちかけたようですが、公爵家からはお断りの返事があったそうにございます」
「………え……だって、エリザベートから婚約したかったんだろう?だったらすぐに戻る筈だ」
「いいえ。そもそも国王陛下が公爵家との縁を望んで成立した婚約でございますれば、エリザベート様のご意志ではございませんでした。そして、今後は二度と殿下のお側に侍る事はないでしょう」
侍従の言葉に愕然として、カルロスは凛としたエリザベートの美しい姿を思い出す。
口うるさいと思っていたし、強気な女の子だった。
でも、それは引継ぎをされたモエも同じだ。
けれどモエは言うなと言ったら黙り、その後は責めるような眼で見て来るだけになった。
言いたい事があるなら言えと言っても、モエは困った様に首を振るだけで、もう王城には来たくないと来なくなってしまったのである。
でも別に、カルロスはモエが明るくて優しいから好きになっただけで、そうではないならどうでも良かった。
それよりもエリザベートが居ない方が問題だ。
二度と側に戻る事はない、なんて、そんな事があって良いはずが無い。
「謝れば、いいのか?」
「……いいえ。事態はそこまで単純ではございません。まだ殿下のお側に侍りたいという令嬢が残っておりますから、そちらから新しくお選びください。どちらのご令嬢も美しく優秀でございますよ」
「エリザベートよりもか?」
「……いいえ。エリザベート様は更に優秀でございました。でも、二度と戻りません」
恨みでもあるのかと聞き返したくなる位に二度とを強調されて、カルロスはため息を吐く。
王子だから何を言っても許される訳ではないし、望みが全て叶う訳でもないことを漸く知ったのである。
それから十年。
婚約者も決まらないまま、カルロスは学園に通い始めた。
昔、授業を受けに王城へ通った令嬢達も、すっかり大人になり見違えるように美しく育っていたのである。
けれど、一番気になったのは、カルロスが幼い日に婚約破棄をしてしまったエリザベートだ。
その後どんなお茶会にも宴にも参加している所を見たことがない。
歴史や貴族について学んできて分かった事は、エリザベート・ランゼル公爵令嬢が得難い女性だったという事だ。
美しいから、優秀だから、だけではない。
隣国の王族の血が流れる公爵令嬢を母として、この王国の王族の血が流れる公爵を父として生まれて来た娘だからだ。
血も程よく遠く、ランゼル家には二人の兄が居て、娘は一人だけ。
学園に通うようになれば会える、と勝手に思い込んでいた。
けれど。
幼い頃から仕えていた侍従が、残念そうに首を振った。
「二度と、と申し上げました筈です、殿下」
「……え?だが、この国の者はこの学園に通うだろう?」
決まりではないが、ある一定水準の学力を示す為に貴族は殆ど通うのが王立学園だ。
侍従はふるふる、と首を横に振る。
「ランゼル嬢は既に隣国の王子と婚約し、隣国の王宮にお住まいにございます」
「えっ」
今度こそ驚いたカルロスに、困った様に侍従が目礼した。
「……いつの話だ」
「殿下と婚約を解消されてから、数週間後の話にございます」
ちょうど茶会に来ないことで癇癪を起こしていた時期だと思い当たる。
あの頃にはもう、彼女は。
「だから残された方からお選びするよう申し上げていたのでございます」
幼き日のほんのささいな過ちだと。
成長して振り返り、笑い話に変える事が出来るのだと思っていた。
共に笑って、真摯に謝罪すれば受け入れて貰えるのではないかという仄かな期待さえ胸に抱いていたのだ。
けれど。
「……そう、か」
カルロスの呟きに、侍従は静かに会釈を返す。
「もう、会う事は出来ぬのか……?」
「先方の結婚式の祝いの席などであれば、或いは」
復縁などはしようもないけれど、会う事くらいは出来るだろう。
侍従の言葉に頷くが、今更会ってどうしたいのか、自分でも分からなかった。
けれども、彼女への幻想を抱いたままでは足を踏み出せないような、そんな気がしていたのだ。
「そんな昔の事を覚えていてくださったんですか」
目の前にいる成長したエリザベートはほんの少し驚いたように目を見開いた。
そして、くすくすと控えめに笑う。
外遊に訪れた父に付いて、カルロスも隣国に来ることが出来たので面会を取り付けたのだ。
エリザベートは応じてくれたのである。
「あの時は、君に済まない事をしたと思っている」
「お気になさらないでくださいませ。幼い頃の過ちでございますもの。それに、今の殿下を拝見すれば、大変努力をされたのだと、そう思いますわ」
安堵と失望を感じながら、カルロスは穏やかに微笑んだ。
怒ったり嫌ったりしている態度でない事には、安心した。
けれど、離れた年月分思いを募らせたカルロスに対して、エリザベートにとって既にカルロスは過去の事。
思い出の中のほんの少ししか占めていなかった事に、悲しさと失望を覚えた。
それでも、カルロスが自分の過ちに気づけたのが幼い内で良かった、と思う。
そうでなければ、もっと酷い事態になっていたかもしれない。
「その、今、君は幸せなのか?」
「……ええ、殿下。リアイス殿下はとても大事にしてくださっておりますし、この国の方々にも良くして頂いております。もう既に、王国で暮らした日々の方が短いくらい、ですものね」
ちくり、とカルロスの胸が痛む。
彼女が国を出る切っ掛けは、カルロスが作ったようなものだ。
「その様な顔をなさらないでくださいませ。殿下は……それはやんちゃであらせられましたけれど、元々こちらに嫁ぐ予定はあったのです。ですから、もう、お気になさいませんよう」
優しく微笑まれて、不意に目の奥が熱くなる。
いつか会えたら、もう一度、と願わない日は無かった。
けれど、もうそれは叶わない夢なのだと。
エリザベートが気負うことなく、しっかりと幸せだと言った。
だとしたらもう、カルロスに出来る事は無い。
あるとすれば。
「ああ、……君にまた怒られないよう立派な王になるよ」
「まあ、酷いですわ、殿下。……でも、ええ、見守っておりますからね」
ふわりと微笑んだエリザベートは美しくて優しくて。
もう届かないけれど、何処かで見ていてくれるという言葉が、しっかりと心の支えになった。
こうしてカルロスの初恋は終わったのである。
〇〇〇
ずっと便りも無かったカルロス王子が、外遊の際に面会を申し出て来たのでエリザベートは若干警戒していた。
当然ながら、母国の状況は兄との手紙のやり取りで王子の近況も含め、把握している。
カルロスも幼い頃の癇癪は鳴りを潜め、立派に成長しているらしいと聞いていたのである。
エリザベートはかつて、長く苦しい夢を見た。
未来の王妃候補として持て囃される一方で、王子には毛嫌いされる婚約者。
学園を卒業する頃になると、可愛らしく甘い女性に恋をする王子。
そして婚約破棄。
婚約破棄された後は、隣国の王子と再会して王妃として迎えられる。
ところが、執務もろくに出来ない元婚約者が側妃にしてやると持ちかけ、それを断り。
結局、彼は廃嫡となって臣籍降下される。
そんな夢を見た後で、エリザベートはこれから始まるかもしれない辛い運命に殉じるのを止めた。
もしかしたらそうはならなかったかもしれない。
けれど、幼い王子の失言と片付けて、唯々諾々と従い続けていたら訪れたかもしれない未来である。
再会したカルロスは兄の手紙の通り、きちんと成長していた。
手に入らない物があると、妄執を抱く人もいる。
自分がその相手を好きなのだと思い込み、他を拒絶してまで。
その気持ちを全部まやかしだと否定するつもりはないけれど、失ってから初めて気が付くのか、それとも失ったからこそ取り戻したいと思うのか、その違いは小さいように見えて、大きい。
前者は手に入れた後も大事にするけれど、後者は手に入れたらまた見向きもしなくなる。
どちらにしても、エリザベートとの婚約解消はカルロスにとっては良い方に作用して、彼は成長を遂げたのだ。
元々、罪があるとするならば、甘やかして我儘にさせた国王夫妻なのだと思う。
憎まれ役を婚約者が一手に引き受けたからこそ、他の人間に被害が及ばなかっただけ。
そしてそれが更に傲慢さに拍車をかける事になって婚約者を追い詰めたのだろう。
もう道を別った、あり得たかもしれない未来の二人の話だけれど。
どちらにしても、エリザベートがリアイスと結婚するのが運命なのだとしたら、最初からそちらでいいじゃない、と遠ざかったのだ。
結果は良好。
リアイスとエリザベートは相思相愛で、何の問題も障害もなく。
カルロスも話してみたら、変な拗らせ方もしていない大人の対応だった。
だから、これで良かったのだ。
誰も苦しむ事はなく、落ちぶれることも無い。
改めて、成長したカルロスが幸せを手に入れられるように、とエリザベートは短い祈りを捧げた。
相性とタイミングってあると思うんですよ。物語だからっていうのもあるけれど、やらかす男女が居ないとドラマが起きない事が多いのですが。変わらない人より状況で変わっていく人の方が多いと思ってます。うまく成長出来るかは、本人もだけど周囲の影響も大きいです。
コメディの筈だったのにシリアスに……物語だって書いてる内に変わったりするんですぅぅ。
書いてる本人にも先が分からない系ひよこ。