ロウソクと泣き顔
「そういえば、君の番だね。」
ひまわりは、また何を言われたのかがわからなかった。
「私の番?…あっ質問か。」
あれから、二人とも靴を脱いで完全にベットに上がった。ひまわりは壁にもたれかかって体育座り。アーマは長座座り。お互い同じ壁にもたれていないので、ひまわりから見たらアーマが横を向いているように見えた。
「うーん、そうだ。ここでは姓って珍しいの?」
アーマは先ほど、私に姓があることに驚いていた。
「そうだねぇ、ぼ…私たちがいるところには珍しいねぇ。基本みんな名前ないから。わかりやすいように自分でつけるんだ。でも、姓は家系が続いて残ってきた証だから、途中で作ることは躊躇っちゃうよねえ」
ほとんどの奴らは姓までつけるのが面倒なだけなんだけどね、と言いながらアーマは大きな欠伸をした。
「ごめん、もう眠いや。もちろん泊まってくでしょ?」
ひまわりは少し考え、少し迷った。
ひまわりは聞きたいことを抱えている。だが、眠いと言っている家主の手前、わがままを言って無理はされられないという結論にいたり、言葉に従うことにした。
髪をほどき、二人でベットの上に横になる。自然と向き合う形になったが、ひまわりはアーマよりも背が低いので顔が彼女の胸あたりにきた。ゆっくりと部屋が暗くなる。
(指を鳴らすのは必要ないのか…毎回ぱっちんぱっちんするのも大変か)
妙な結論に至った。
「あー、そういえば何で君を連れ出したか言ってなかったねぇ〜。」
アーマが思い出したように口を開いた。
「私が外から来た人間だからでしょ?」
「違う違う。私のテーブルに勝手に相席していた奴らねぇ。君のこと襲おうとしていたの〜」
眠気による無自覚か。それとも単なる天然か。意識の途切れる直前に落として行った言葉により、ひまわりはしばらく眠れない時間を過ごした。
物音が聞こえて目を覚ました。ひまわりはいつのまにか寝てしまっていたようだ。
ふと、首だけ横に動かしてみる、アーマがベットと壁の隙間で窮屈そうに身支度をしていた。
「ごめん、起こしちゃったか。」
アーマは笑顔でそう言った。少しだけ部屋が明るくなる。
(あれから何時間寝ていただろうか)
時計もない、窓もないこの部屋にいると、時間の概念が丸ごと喪失したような気分になる。元々眠りが浅く、時計の秒針を刻む音や、日がさすとすぐ目が覚めるようなひまわりにとって、相性がいい寝所だった。
「…どこに行くの?」
「仕事だよ、採掘場の警備をするんだ。多分また夜まで帰ってこないと思うけど、絶対に部屋の外に出ないでね。はいこれ。」
そういってマントの内ポケットから何かを取り出してひまわりに差し出してきた。上半身を起こして受け取る。受け取ったのは、皮でできた小さい巾着と、瓢箪みたいな形の硬いもの。ちゃぷちゃぷと中で音を立てているから、おそらく水筒だろう。
「干し肉とお水ね、お腹空いたらこれ食べて。」
ありがとう。とひまわりは言ってアーマの顔をみると、何やらまた期待に満ちた目をしてひまわりを見ている。
そして、宙に浮かんでいるとんがり帽子を、当たり前のように手に取り、被りながら口を開いた。
「帰ってきたら、外の世界の話を聞かせてね!」
ひまわりは、己の口角が下がるのがわかった。ひまわりがいた世界とアーマが求めている世界が同じ保証はないから。でも、それを言ったところで仕方がない。
だから私は、卑怯な手を使った。
「いってらっしゃい、アーマ。」
肯定も否定しない。事実どちらでもないから。
がちゃん、こつん、こつん、こつん、_____。
アーマが部屋に残した最後の音を聞き、そのまま起こしていた卑怯な体をシーツに叩きつけるように元の体勢に戻る。白い、いや、薄黄色の天井が視界を覆う。胴元にあった薄い掛け布団を胸まであげて指を組む。側から見れば、神に祈っているようにも見えるだろう。
アーマが出て行った時、扉の向こうが少しだけ見えた。ひまわりが転びかけて掴んだ照明。蝋燭の光で狭い通路の形を照らしていた。
蝋燭は芯についた火が蝋を蒸発させて酸素と結びつき、さらに火を灯し続ける。つまり使うと減るのだ。
ひまわりが最初に見た時はおよそ二十センチ弱の長さでほぼ新品のようだった。アーマの外出時に見た時の長さは六センチ強。
ひまわりが父親の葬式で寝ずの番を務めた際に調べた記憶が確かであれば、一般的な蝋燭はおよそ百七十五ミリで4時間、二百五ミリで4時間半持つ。
その中間の長さの蝋燭が燃え尽きていないのであれば、アーマはこの部屋に来てから4時間も眠らずに仕事に行ったということになる。
ここは足音がよく響く、もし蝋燭を交換した者がいるとすれば、眠りの浅いひまわりが気づかないわけがない。
アーマは先ほど、また夜に帰ってくると言っていた。つまりは常習的に朝から晩まで働いて、たった数時間の睡眠をとりにこの狭い部屋に帰ってくる。低賃金と長時間労働。おまけに家賃は高いときた。
アーマが外に出たい理由がようやくわかった気がした。意味もなく体を捻って横を向き目を瞑る。解いた髪の毛がさらさらとシーツに落ちる感覚。胎児のような体勢、時間の感覚を取り戻した感覚は最悪だった
(なぜ出られないんだろう?)
突然、その疑問が脳裏に浮かんだ。
アーマは古代魔術とやらの存在を語っていた。身支度の時や部屋の電気などでアーマも魔法は使っている
(単に力が足りないのだろうか?本当にここを出たかったら身一つでこの部屋を出ていく選択肢だってある。…何かに縛られてる?一体何に、雇用主?それとも物理的に出られないとか…いや、情報が少なすぎる。考えるのは余計なことかな。)
ひまわりは天井を見上げた。
(とにかく、今は最大限に時間を有効活用しよう。このまま眠っていたって時間の無駄だ。何がどうだろうとそれでいい。できるだけできることをしよう。)
気づけば身を起こし、ベットに腰をかける自分がいた。眠気はすっかり覚めて、今は意思に満ちている。
ひまわりは睡眠時間がアーマと同じくらいになったことに気が付かなかった。
ひまわりなアイドル衣装を引っ張り出した。そのものに興味はなく、ポケットの中身に興味があった。
テーブルがないので中身を一つ一つ整えたベットの上に置く。
一つ目、香水(ミニ詰め替えアトマイザー)
二つ目、スマホ(充電85%)
三つ目、ハンカチ(ひまわり柄)ポケットティッシュ(ひまわり柄)
四つ目、チョコ(カカオ80%)飴( いちごミルク )ガム(キシリトール配合)
五つ目、ミニ化粧ポーチ(チェック柄)(ひまわりのチャーム付き)
「禄なものがない…!」
ひまわりは片手で額を抑えてわざとらしくがっくりした。
お菓子などはひまわりの小さい妹達が勝手に入れたものであるが、ここまでくると情けなくなる。
(飴とチョコは暑いと溶けるし、ガムとチョコは一緒に食べたら溶ける。溶けるお菓子しか入っていない…!)
一応ポーチの中身も確認したが、化粧直しに必要になる最低限のものと、ペン、メモ帳が入っていた。
「こんなことになるんだったら、刺された瞬間ダッシュでバック取りに行けばよかったかな…」
ふふふ、と一人で小さく笑う。刺された瞬間に真っ赤な血を大量に出しながら、青い顔で走って楽屋に向かうアイドルを想像したら、くだらないコメディ番組のような、小さな平穏を感じた。
目頭が熱くなっていることがわかる。頬に何かが伝っているのも。
熱い、熱い。お腹を刺された時よりずっと熱い。くだらない平穏。くだらない雑貨類。
今この世界で、元の日常を繋いでいるのは、こんな、くだらないものだけで。
(はやく家に帰りたい。家族に会いたい。みんなに会って、無事だよって、生きているんだよって、伝えたい。)
「う…うぁあっ」
座っていたはずなのに、気づけば手足がシーツに付いている。嗚咽が漏れるほど泣いている。
(理屈とか、論理とかどうでもいい。帰りたい。元の世界に帰りたい!
数時間前までは私は東京ドームにいて夢を叶えていたのに、どうして今は誰もいないの!
息が荒くなっていく。刺されたことが悔しい。もう帰れないかもしれないのが悲しい。一人が怖い。)
…声が、出てくる。
「…あっ、っま、ひっ、…一人にっ、しない、でっ」
頭に浮かぶよりも前に、無意識に、排除した言葉。
この世界に対するひまわりの抵抗は、引いていたシーツをくしゃくしゃに握りしめるという細やかなものだった。




