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頼み


上からガタガタと弾く音が聞こえる。狼はあの部屋の中、南窓から赴く月光に照らされて、ただ無機質に男を押さえ付けていた。だが、顔には光が宿り、アーマが戦う姿をまじまじと見つめている。


何かを叫んでいる男、その劈く様な怒号すら心に沁み入る余地はない。何も知らない狼は、今までに感じたことがない感覚に全身を支配されていた。


その感覚の名前を知るため、ひまわりの行動一つ一つの意味を、確かめる様に頭の中で繰り返し再生していた。



最初の感情は焦り。


小さな獣に、アーマが押されている様子。そして曇るアーマの瞳を見て芽生えた。


その次は絶望。


小さな焦りのその先。向かいの酒場よりも遥か遠くの景色。大勢を乗せているであろう馬車が、こちらに向かってきた。狼はひまわりにその事を伝え、漏れ出た情報を後ろに放置されていた男が勝手に拾って補足した。


それは俺の護衛達だと。


男は卑しく笑い、狼は逃げる算段を頭の中で弾いた。おそらくはここの奴隷達と同じ数百人の敵が一斉に襲いかかってくる。こちらの戦力はアーマと自分、そして詳細不明のひまわりだけであり、逆立ちをしても勝利を収めることは出来はしない。


逃げよう、という声を狼が隣に居るひまわりに投げかけた寸前、口が止まった。

閉ざした理由は彼女の横顔。


一瞬だけ、歪んでいた。


意図はわからない、だが。怒りが、憎しみが、彼女をそうさせたのであろう。

そして、ひまわりは狼にまともに考える隙も与えず、いつもの様な礼儀正しさで狼に問いを投げかけた。


ここの解放されていない奴隷は、どれだけ戦えますか。


と。圧巻と言えるほど強く真の通った眼差しで見つめられた。狼は自分の知り得る情報を全て使い、「ある程度は」と今思えば生ぬるい返事を返した。


ひまわりはその返事を聞いて、部屋の隅に放置されたままの契約書を掴んだ。

そのままこちらへ移動して、崩壊した窓枠を器用に足場として使い、上へ上がろうとする。

そこで狼はやっと目の前の異変に指摘をした。

狼の指摘にひまわりは無表情に、されども鋭い光を目に入れながら、力強く宣言した。


ここのみんなを救います。



その言葉が、後に続いた言葉を追い抜かして、狼の頭に響き続けている。


男が言うに、契約書は被契約者自身にしか破れない。だから、ひまわりは契約書を持ち出したのだろう。ここまではわかる。


その後の行動が奇怪だ。


ただ奴隷達を解放して戦力にするだけならば、上に出て目立つのは無駄だ。彼女の天性のカリスマ性による茶番だったのかとも一瞬考えた。本当に一瞬。アーマが意気揚々と、明るい目を使いながら戦っている姿を見て、新しい考えが浮かんできたのだ。


後に続いたひまわりの言葉を思い出す。

小さな声で、一度だけ男に自由な発言をさせろ。と言った。狼はそれに従い男に発言を許し、結果的にひまわりは店主に命を狙われるよう仕向けられた。


男は先の行動、発言を顧みても、あまり頭が切れる方ではなく、短絡的で激情家、たとえ最も厄介な敵が後一歩で排除できるとしても、その後起こった問題に感情が上書きされて優先順位を見失う。


それがあの命令の本質。


ひまわりは戦力増強よりも先に、最も重要な友達を優先させた。

無理やり店主の殺意をひまわりに変えて、店主の力を分散させた。幾ら力の差があろうと、本気のアーマが、本気でぶつかってこない相手に惨敗する訳がない。


それに加えてあの演説。あの場では、狼だけが内容の違和感に気がついていた。

ひまわりは最初に歌姫として、感謝とも取れる甘い言葉を酒場に逃げ仰た奴隷達にかけた。



私を独りぼっちじゃなくしてくれたあなた達に感謝している、だから勇気を見せてください。

だが、勇気を見せない人には感謝をしない。たった一つの希望すらも打ち砕いてやる。



人格破綻者と蔑まれても仕方がないほどの矛盾と暴論。勝手に救われて、勝手に絶望しているイカれた女。だが、それは演説の対象者が関わりのない奴隷達だったからではないだろうか。


狼は、壊された南窓の残骸、大きく取り込む月光を身に包みながら考えた。


狼は、アーマとひまわりの出会いを知らない。どんな気持ちで、二人の間をどんな言葉が紡いだのか知りない。思うに、あの演説は全てアーマのために開いたのだ。


ひまわりは、もたもたしていると私が死んでしまうぞ、と。アーマに発破をかけた。


アーマの顔を見る。

その発破は成功した。


狼はアーマから目を移し、向かいの酒場に立つひまわりの後ろ姿を見た。紙一枚を残して酒場の奴隷達に契約書を手渡す。奴隷達の怯えた表情は消えて、独特な明るさがひまわりを中心に作られている。不意にひまわりの後ろ姿が変わり、こちらを見た。


ひまわりは、あまりにも健やかに、まるでただの少女のような目をしている。


狼は包み込む感覚の正体にやっと気がついた。言葉でしか知り得ない、知識として薄い表面を撫でていた言葉。


この人に任せておけば大丈夫。


必ず自分達を救ってくれる。


ただの、安心感。










ひまわりは、不安定な柵の上。酒場の奥に沈む奴隷を見据えている。

はじめに声を出したのは、周りよりも少し幼さが残る猿の獣人だった。


「このクソ女…!お前の策略になんて、乗らないからな!」


まだ何も会話もしていないのにも関わらず、ひまわりは奴隷達のおおよその心根と、自分の今の立場を理解した。それでも構わずにひまわりは声を出そうとする。それを民衆が遮った。


「歌が上手いってだけで調子に乗りやがって!何様のつもりだ!」


「黙って外の世界に帰りやがれよ!」


ひまわりは、後にも先にも、異質を跳ね除ける悪意ではなく、本心からの奴隷の恐怖が伝わった。

奴隷達は、恐怖の火を絶やさないように、沈黙の隙を与えないように、ひまわりへ叫びかける。

その叫びは、悪辣よりも強く、希望よりも真っ直ぐであり、苛立ちよりも暗かった。

腹に鈍く響く歓声。


身動ぎ一つもせず、カカシのように立っていたひまわりが、ぴくりと足を動かして手すりから降りた。

奴隷達もそれに合わせて波の様に、小さな悲鳴をあげる。


その反応も構わずに、ひまわりは頭を下げて手に持つ紙束を差し出した。


目の前の奴隷達は唖然としている。


冷静の機会を待てる状況ではない。ひまわりは、言葉をかけることを諦めて、行動に移すことにした。

沈黙を無理やりに作った。


「…ごめんなさい、先ほどの呼びかけはあなた達に向けてではありません。全ては、広場で戦っている二人の友達のための言葉でした。」


しと、と初めて聞いたひまわりの暗い声色。頭を下げ続けながらひまわりは言う。


「あなた達を怖がらせたとしても、あのままにしてはおきたくなかった。二人の私の友人に、命令なんてちんけな武器で一生の残る傷を負わせたくなかった…!これは、歌姫でも、奴隷でもない私の本心です。」


頭を上げ、ひまわりは奴隷達に近づいた。彼らは、怯える様子はもう見せずむしろ、ゆったりとひまわりに歩み寄る。


「被契約者自身が契約書を破ることで奴隷契約が破棄されます。どうか、受け取ってください。」


奴隷達は顔を見合わせる。ただ、一人の男が歩み寄り手を差し出す。あの猿の獣人だった。


「…お前は、なんでこんなことをするんだ。」


「一つは先ほどの失礼のお詫びのため。そして、お願いがしたいんです。

今、ここにはあの男の護衛が迫ってきています。すぐに逃げられればいいんですが、ここには魔術紋を刻まれで逃げられない人もいる。私たちが守り切れる保証もない。だから、戦って欲しいんです。少しの間、耐えていてほしい。」


奴隷達がどよめく。目の前にいる猿の奴隷は少し目を揺らがせて、後ろを見た。

ひまわりが口を出す余地もない。アーマが獣人達を仲間と認識していた様に、絆というのは見えない形に芋づる式に繋がっている。この様子ならば、なんとかなるだろう。


ひまわりは一番上の紙一枚を抜き出し、猿の目を見た。


「私は二人を止めます。どうか、お願いします。」

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