悪辣の真打ち登場
翌日の夜、ひまわりはまた歌っている。
今度はステージ上ではない、広場の短い草が生えた地面の上である。
観客達は、ひまわりを中心に円を作って座りながら聞いている。それらはただ鑑賞するのみではなく、ひまわりの腕の動きに合わせて自らの体も揺れ動かしている。
ステージ上で歌っていた時よりもずっと互い同士の距離が近い。
そこにはアーマとミモアの姿はなく、獣人達の姿も見えない。
ひまわりは、ただ一人でこの場に立っていた。彼女は、観客一人一人の顔を見ようとまるでプリマの遊戯のように、優雅に足を動かしてファンの輪っかを見渡した。
視線は下。
一人の笑顔が目に入る。きらきらと光るように、赤く染まっていた。
そして、その後ろ。
酒場の向かいのあの別棟。そこに張り付いている小窓から、光が漏れ出していた。
話は、前日の夜に遡る。
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ひまわりは、机の上できらきら光る古風なランタンを見ていた。
「…んで。主催っつうのは、顔は良いが、プライド高くて性格が悪い。奴隷には基本的に情がなく、学生時代に熱心に研究していたらしい、社会学?っていうのに未だ拘っている。っていうことがわかっているが…っておい、聞いてんのか?」
「っ!あぁ、ごめんなさい!」
狼がひまわりに話しかけた。もう夜も更けている、ひまわりは無自覚の耐え難い睡魔から生還し、途切れ途切れの言葉の羅列から興味深い文言を引っ張りだした。
「…その、社会学って具体的にどのような?えっと、例えばテーマとか…」
「サァ?わかんねー」
狼がそう匙を投げ、体を緩めた。その様子を見たアーマが口を出す。
「…昔、異文化コミュニティと経済の発展とか言ってたような…ほら、ここは結構いろんな国から来た人がいるでしょう?そこで形成される、変則的な文化生活の中で一番経済効果があるものは何か…とかなんとか。」
「随分詳しいね、慈鳥ちゃん。…あー!ほらリオン!動かない!」
獅子の立髪を弄ぶミモアが答えた。アーマはその様子に呆れながら返答する。
「前に呼び出されて、この事を聞かされたの。あっ、それで言えば!アイツは新しい技術に目がないって言えるね、まあ。お金になるもの限定だけど…」
「新しい技術…例えば?」
ひまわりが答える。
「私の時は魔法だったよ。まぁ、結局はここの結界もあるし、そんな大した魔法は使えないから、理不尽に怒られちゃったけど。めぼしい者がいたらすぐに呼び出して一応話を聞くらしい。他の人は…器用な技術とか…あっ、絵が得意な人とかも!まぁ…みんなダメだったらしいけど…」
「それは…主催が審美眼を持ってないだけじゃない…?」
「それは言えてるね、ひまわり。他人よりも優れている技術があったりしたらすぐに呼び出して、話を聞くらしいけど、私の時は、なんかよくわかんない自慢話だったしなぁ…本当に学校言ってたのかな、あの人」
優れている技術があったら、すぐに呼び出す。その言葉にひまわりは広がりを感じる。
そして、思った疑問を即座にぶつけた。
「正直に言って欲しい。みんなは主催が怖いって思う?」
ランタンに閉ざされた光が揺れる。最初に答えたのは、ミモアに急かされた獅子だった。
「…怖かった。怖かったよ。アイツが振るう暴力は何が沸点かわからないし、一度暴れたら防御することもできずに痛めつけらる。子供の頃からそうだった。………でも、今は違う!」
獅子が張り切って答える。隣に座ったミモアはその様子に不満げな顔をする。
「今はあの忌々しい魔術紋がないんだ!それがなきゃぁ、あのへっぽこヒョロガリ何でワンパンだっ……ちょっ!ミモアさんっいたいいたい。」
立髪という遊び道具を再び取り寄せたミモアは、獅子の決意表明を台無しにした。それを無視して狼が答える。
「ここにいる奴らは大体同じだ。…俺も怖かった。だが、今は一語一句違わずリオンと同じだよ。…後半抜きで。」
どうにも締まりがない獣人達が決意を表す中、ただ一人、アーマだけが俯き、押し黙っていた。
弱い自分。
その言葉が脳裏をよぎったひまわりは、机の上にあるアーマの手を握る。
その体温を感じ取ったのか、アーマは頭を上げてひまわりを見た。
「アーマは、私が在るから怖くないもんね。」
アーマがくしゃりと笑った。
少女達の交流。顔に張り付く、暖かい火の光。ひまわりはその裏側で、言葉と予測が反芻し飛び交っていた。
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新しい技術。お金になること。
あおい芝生が目に入る。まだひまわりは歌っていた。観客の盛り上がりは黎明を迎え、奴隷達の広場はひまわりのソロコンサートホールになった。
東に指をさせば、間の手が響いた。
西に笑顔を振り撒けば、黄色い悲鳴が飛び交う。
南に歩けば、自ずと道が作られる。
ただ、ひまわりが指を動かすだけ、それだけでも会場が沸いた。
初めは嫌われていた歌姫が、その身一つでここまで成り上がった。
北の窓が、揺れ動く。
ひまわりはそれを見逃さない。
窓から見ている筈の、名前も知らないこの小さな舞台の主催者さん。
あなたが、私の育てた観客達を脇役として見る事を、一度だけ許しましょう。
あなたが、私のステージに汚いお金を持ち出す事を、一度だけ許しましょう。
誘われた羽虫のように、うつけを抜かした鳩のように、足音が近づいてくる。
歌が終わり、ひまわりの周りには雷鳴のように弾けた歓声が飛んだ。
その円の中、腕を高く上げ、汗ばむ顔を伏せた。彼女の顔に笑顔はない。
歓喜の雷が静っても歌姫が続く様子はない。周囲の奴隷達は、もうお開きなのか、と顔を見合わせた。
その疑問の森閑の最中。突如として、野太く大きな拍手が遠くから響き飛んだ。
その音を確認した観客達は青い顔して立ち上がり、場違いな拍手の持ち主の道先から逃げる。
敬意の皮を被った逃亡劇。観客の顔はもう、哀れな奴隷になってしまった。
その一連の動作で、ひまわりが作り上げた観客の輪っかが破損して、自ずと道が出来上がってしまった。
その破損の真ん中には、飄々とした男スーツ姿のが立っていた。
「君、名前は?」
その男はひまわりと向かい合い、花の名前を聞いた。
夜空を背景に白い髪が浮き上がり、鋭い犬歯を見せびらかす。目は赤く爛爛と光っている。
「…ひまわり、と呼ばれています。」
名前を聞かれてフルネームで答えなかったのは、せめて彼女の意地である。
その答えに男はニタリと笑って、早歩きでひまわりに近づいた。
そして、ひまわりの服を乱暴に捲り上げ、奴隷達が見ている前で彼女の腹部を露わにした。
ギリギリ胸当てが見えるか見えないか。男はひまわりの服を上げたまま彼女の肌を覗き込む。
ここにアーマがいなくて助かった。きっと私を助けてしまう。
ひまわりは外気を腹部から感じながら、余裕綽々とそう考えている。
「ん?見たことがない顔だから、てっきり心配になってしまったが、大丈夫のようだな。」
男はそう言って、ひまわりの腹部の傷跡を指でさすった。
大丈夫、というは傷跡の隣に在る魔術紋のことなのだろう。いつかのカモフラージュのおかげでひまわりは命広いしたと実感する。男の顔がすぐ近くにくる。ひまわりはそれに抵抗もせず、ただ人形のように気味の悪さを心の底へ押し込めた。
「ひまわりくん。君の歌声は素晴らしいね。ぜひお話しを聞かせて欲しい、一緒に来てくれるかい?」
柔和な笑み。育ちの良い言葉。そんなものじゃ到底隠し切れない男の残酷さを、ひまわりはひしひしと感じとる。その恐怖を押し込めて、彼女はマニュアル通りに言葉を紡ぐ。
「はい!喜んで。」
ひまわりは男の笑みを反射したように、顔に貼り付けた。
男は笑顔でひまわりの服から手を下ろし、着いてきなさいと指図した。
男の後ろを着いて歩く。擦れ違うは観客だった人たち、同情のような、憐憫のような眼差しが歌姫を囲う。
彼女はその眼差しの中から、たまたま手に取った一つを見合わせ、偶像の微笑みを処方した。