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【一章開演】異世界転移、魔女との出会い。

もう、次なんてない。


もう、未来なんてない。


もう、何も見えない。


もう、何も聞こえない。


「…えっ?」


ひまわりはふと、自分の周りが騒がしいことに気がついた。そして、自分が目を瞑っていることも。

ゆっくりと目を開く。 

意外にも、目の前にあったのは古びた紙が貼られた掲示板だった。古い紙には絵のような、日本語ではない文字のようなものが(ひしめ)きあっていた。その周りには乱雑に、埃っぽい荷物が所狭しと置かれていた。喧騒は続いている。体を捻って後ろを見ると、明らかに人間ではないもの達と目が合った。


あるものは大型の獣。

あるものは二足歩行の大型の爬虫類。 

あるものは絵本から出て来たような魔女。


例を出すとキリが無いが、それぞれ大きな武器を持ってベンチテーブルに木皿を広げ腰をかけている。

依然寒い。だが、嫌な汗が垂れる。


(夢か…?)


ひまわりは、人ではなさそうなもの達から目を逸らすため、或いは目を合ったことを誤魔化すために奥を見る。

ピントをずらしたことで視野が広がり、全体がよく見える。木製シャンデリアに付いている蝋燭の火は、直火の特有の暖かい光で部屋を包み込んでいた。まず目に飛び込んだのは夜空。扉や壁がなく外がよく見えるため、すぐにここが2階である事がわかる。そしてベンチテーブルは一つではなく複数あることがわかる。だが、その全ての席に腰かけている全ての者の背格好は、向日葵が人生で身につけた常識の範疇から逸脱していた。


だが、今自分に意識を向けているのは、ひまわりがいる場所から一番近い席に座っている最初に目が合ったもの達だけだとも気づいた。

他のテーブルは、まるでドラマに出て来そうな木樽ジョッキで乾杯していたり、ボードゲームようなもので遊んでいた。聞こえている喧騒は彼らのものだ。


(じゃあ、なぜこの者たちだけが私を見ている?ここはおそらく酒場。そして、私がいるところはその酒場の角だろう。)


ひまわりは目を瞑って息を深く吸い込み、混乱する脳を宥めた。じんわりと汗ばんでいる。


(まてよ?私、この人たちにどう見えている?さっき言った通りここは酒場の角。入り口はここから一番遠い。私は、ここにいきなり出現したのか?)


ひまわりも、意味がわからない。冷たい手が、震えている。


(私は、東京で、ライブして、握手して、それで、)



「あ……」


ひまわりは思わず自分の腹を見る。そこには一部赤黒く染まった衣装が見えていた。


服の破けた隙間から覗かせる。恐ろしい傷跡とともに。






ひまわりは自身の格好を把握して、精一杯の状況は把握できた。


刺されたはずのお腹は傷を残しながらも治癒している。


刺されて死んだはずなのに、なぜか生きている。


刺されてしまったため、赤黒い血液が腹部にでっぷりついた格好をしている。


よくわからない世界の酒場にいる。


そして、極一部の人(?)には不審者に見えている。


それでもわからない。状況は理解できても至った経緯が解読できない。

とりあえず、ひまわりは目の前のもの達が目を逸らしグループ内で会話をし始めたことに気づき、後ろ向く。


(ここはベットの上ではない。それだけで今までの出来事が悪夢でないことを裏付ける証拠になる。

じゃあなんだ?この状況は。少なからずとも私が生きて来た現実ではない。)


ひまわりはわずかに顔を動かし、子供のように辺りを見回す。


(もしかしたら、ここは死後の世界ではないか?とも考えたが、私はあんな珍妙な生物達を見た事がない。あの世はこの世に生きていたものたちがいくものだ。であれば、存在しない生物があの世にいるわけがない。それこそ私が地球の全生物の名前と特徴を知り尽くしているわけではないが、あんなものが蔓延ってはいなかったことは知っている。)


ひまわりは、この世界を仮死状態の脳が作り上げた妄想か?とも考えた。

だけど、お腹にある忌々しいものがそれを否定する根拠になる。

ひまわりが例え瀕死の状態で、まともな判断がつかない状態だったとしても、妄想で腹の傷を残す事は絶対にない。ありえない。ひまわり自身、そんなこと絶対に許せないから。


ひまわりだって、いつまでもこんなところで悩み続けるべきではないことはわかっている。

じゃあここが本当に現実で、俗によく言う異世界だと仮定してみよう。


ひまわりは、おそらく突然出現した血だらけの不審者。傷は塞がっているので…いや、そこまではいい。

警察のような機関がこの場所にあるのならば、後ろで確実に日本語ではない言語を使って会話をしている彼らが通報する確率が高い。最悪な状況だ。


(異世界で言葉の通じない警察。それも最初からこちらを危ぶんでいる警察。なにをされるかわからない。だったら、服をまともにしてからジェスチャーなどで自分から助けを求めた方がいいのではないか?

そうと決まれば、まずここから出て__。)


「君、大丈夫?」


向日葵が振り返ろうとした途端に、魔女の格好をした女性に突然声をかけられた。



魔女の影が私の体に覆い被さる。影が予想外に大きく見えたのは魔女が自分のマントを脱いで手で広げているからだった。あまりにも突然で、しかも自分の予想から大きく外れた行動をとられ、しかも日本語で話しかけられ心底びっくりして声が出なかった。

声のする向きにおずおずと体を向ける。暗い茶色の強い癖のついた髪の毛を肩まで伸ばし、独特の模様が描かれている胸当てをつけている。彼女は自分の羽織っているマントをひまわりにかけて、素早く手首を取って口を開いた。


「多分、大変だったでしょ?ここじゃちょと環境悪いから、別のとこ行こっか」


そのままされるがままに手を引かれる。ひまわりは、混乱がおさまらない。


(環境?別のところ?)


握る力ががあまりに強くて、思わず女性の顔を見る。

整った顔立ち。右の頬から鼻筋にかけて大きな傷跡。いや、それよりも童話に出てきそうな魔女の格好。星を散らしたとんがり帽子。あのテーブルにいたうちの一人だと気づいた。

思わず、ひまわりがさっきのテーブルに目をやると、残っていた人ならざるものは皆机に突っ伏していた。


「あの、すみません。あの人?達は大丈夫なんですか?」


ようやく声が出せた。


「気にしなくていいよ。それと私の名前はアーマ。よろしく」


会計はあのバカどもにつけておいて、とアーマさんは爬虫類型の店員に言って店を出た。

名前を返す気にはなれなかった。





騒がしい店を抜けて夜の道を歩く。依然手首を掴まれたまま。


「あの!アーマさん。」


ひまわりが声を出したときに、ちょうど階下で騒ぎが起こり声がかき消された。木製の柵越しに、吹き抜けの穴へ横目をやると、ちょうど真下に見える広場に露店が出ている。中心には簡素なステージがあり、騒ぎの元凶であろう太鼓や弦楽器での演奏が見られた。当然のように参加者に人間はいない。


「アーマさん!」


「うん?なんだい?」


予備動作もなく急に立ち止まられて、転びそうになった。

体勢を立て直してアーマさんの顔を見据えたが、ひまわり自身、自分でもなにを聞きたいのかわからなかった。

振り向いたアーマさんの顔は笑顔だったが、ひまわりがしっかりと目を合わせたまま沈黙をしているのを見ると違和感を感じたのか、次第に当惑したような顔を浮かべた。



「あっ、あの、えっと。なんで私を連れ出したんですか?」


なにも考えずに発した言葉、もっと聞くべきことはあったのに。

ひまわりが彼女の顔を見ていると、ひまわりを目の前にした時の内気なファンの表情と何かが重なり勝手に口が動いた。


なにかしらは話さないといけない。

 

彼女は魔女の象徴のような帽子の広い鍔の先端を人差し指で小さく弾き、もっと困った顔をした。

どうしようもなくなって、ひまわりはもう一つ質問をした。


「どこへ行くつもりですか?」


アーマさんは、ひまわりの手首から手を離し当惑の表情を打ち消して、こわばって口を開いた。


「ちっ違うよ!君に危害を加えるとか、そんな気持ちは毛頭ない!服!服を変えてあげようと思って!」


ファンと面影を重ねてしまった故に、できる限りの笑顔を向けたが、彼女には逆効果だったようで少なからずショックを受けた。おそらくひまわりがアーマさんを警戒した、と感じたのだろう。それと同時に彼女がマントを貸してくれた理由を理解した。庇ってくれたのだ。


「その、さっきの質問だけれども!私の部屋!悪いところではないよ?!えっと…それと、」


「連れ出した理由?」


「そう!そう!そこで話してもいいかな!?別に深い理由はない、いやあるけど!ここで話すようなことじゃない…というか…」


後半に向けて赤面しながら勢いが失速していく彼女の声色を見ると、さっきの余計な思考が混じる。

ここにきて初めて、ひまわりは安心とわずかな既視感に似た何かを感じた。

既視感というにはあまりに甘い、なにか。

腹部外傷によるトラウマは、彼女の悪性(きぼう)を切り落とすには至らなかった。


「わかりました。じゃあ、お願いします。」


他人に物事を頼む正しい態度、差し出した血液不足の手の冷たい指先とは裏腹に、ひまわりは幸福で満たされたわずかな満足を感じ取っていた。


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