【開幕】東京公演、終わりの日。
この先、流血表現、残酷な描写があります。
ああ。
きっとわたしは、誰よりも偶像なんだ。
「みんなぁー!!盛り上がってるぅー!?」
そう言って、暗闇と光の星が交互に煌めく箱のステージをを小さく歩くのは、桃色の髪を二つ結びにした可憐な少女。
この「百色フラワーズ」の永久不滅のセンターであり、モチーフは太陽の花「ひまわり」。
花をモチーフにした4人のアイドルユニットで、最初こそわだがまりやグループ内での優劣により人が抜け、ファンが離れ、不安定な時期が続いていた。
繰り返し起こるトラブルや、事務所の経営不振。13人いたメンバーは4人に減り、苦しかった時期もあっただろう。
だが、彼女らを初期から応援していたファンは言う。
「小輪瀬向日葵は変わらない」
なにも変わっていない。自分から湧き上がる勇気や希望も、今ここに立つだけためにあった。世界が変わって、たとえ転生したとしても、今ここでの記憶は忘れられない。
最高の味。目の前の大勢の人がもつ光も、私たちから漏れた一つ一つの色。私たちが今この場で一番の光なんだ。
ずっと憧れていた。ずっと煌めいて見えた。
初めてマイクを持ったその日から、ここが自分の居場所だった。
樹脂から鉄へ。ずっしりとしたマイクは、今浮き立つ自分の心をステージに留める武器だった。
人はここを、東京ドームと呼ぶ。
先程とは打って変わり、机と椅子が並んだ白い部屋の隅に彼女は不貞腐れて座っていた。
その右斜後ろにはスーツ姿で茶髪の髪を一括りにした女性が、彼女の顔色を鏡越しに伺っていた。
「シャワー入るぐらい良いじゃん!体洗うだけだよ!」
「だめです。時間が足りません。今ですらギリギリです。この後、握手会場まで車で移動する時間も入れると、確実に間に合いません」
気配を消していたメイク係の方が手を早める。
流れ弾を喰らわしたみたいで申し訳ない、マネージャーの女性は心の中で謝罪した。
「諦めなよー、メイクした後にシャワーとか不可能だよー。」
間の抜けた口調で話し、白い髪を肩まで伸ばした少女は、また鏡越しに彼女と会話をする。首から下げたアクセサリーから予測するに、おそらく桜モチーフ。ひまわりモチーフの彼女とは違ったタイプの端正
な顔立ちをしている。
「櫻子は黙ってて、2対1だと不利すぎる」
「向日葵ってそゆーとこあるよねぇ、」
容姿端麗な少女達が、やいのやいのと喋っている姿は大変映える。
だが、このピンクバーサーカーをどうにかしないとあとの予定が狂ってしまう。マネージャーはひどく心配した。
すると、メイク直しが終わったメンバーの一人が、向日葵の座っている椅子に体をつけて話しかけた。
「どうしてそんなにシャワーに入りたいのさ?」
ばっちり良い匂いだよ。付け加えながらに、人よりも少し背が高い、短髪青髪の少女が笑う。
スカートの柄は藤。
「そうだよぉ、それにぃここで時間を割いたら握手会を待ち望んでるファンの方々に失礼かもだよぉ、」
ぬるり、と効果音がつきそうな口調でグループ内1小柄な少女が賛同した。菊の花を綺麗な緑髪につけている。
「失礼?逆にシャワーに入らず私たちに人間味を持たせる方が、ファンに失礼じゃない」
「昭和かよ」
藤の花は鋭く指摘する。
やや優勢だぞ、とマネージャーは思った。いくら本人が気にしないと明言しているとはいえ、向日葵はこのグループ最古参だ。加入から一年たってはいるが、櫻子は新入りであり、向日葵に意見を通す力はもっていない。だが、グループ全体からいろんな角度で宥められれば、流石に折れざるをえなかった。
「……わかったよ、松崎さん。香水とって」
むすり、とわざとらしく顔に出す。
よかった。松崎マネージャーは心の中で呟く。向日葵はあからさまに気持ちを顔に出す時は、さして心は乱れていない。わからない時が恐ろしい。
香水を取り、自身の顔が反射する。
予定通りに事が進んでいたら、時間はあったのだ。元はと言えば私たち事務所の見通しが甘かった責任で、完全なる落ち度である。
本来なら私たちに苦言を呈しても良いはずなのに、みんなそれぞれ少し文句を言って落ち着いてくれた。
それに、誰よりも「アイドル」を愛している向日葵に、このような我慢を敷いてしまうのは本に心が痛む。自責の念を加えながら、松崎は向日葵の左手首に香水を振りかけた。
「………。」
ひまわりの手首を見る。少し擦れば紅く傷つきそうな、透き通った白い肌。淡く浮き出た血管。
______ 渇いて、渇いて、仕方がないの。
鼓膜の奥にこびりついて離れない言葉。甘く、優しい。溶けるような声で彼女が初めて吐露した本音。
ひまわりは生まれてからずっと、自分の心が渇いて欠けた何かを探していたという。
「ねぇ、ひまわり。」
「何?松崎サン。またお説教?」
「満たされた?」
そうして、ひまわりは見つけた。自分渇いた心を満たしてくれるものを。
ただの職業というには生ぬるい、まるで神のように崇め奉られる異常を。
ひまわりは、優しく、されども、誰にも見せないであろう笑みを鏡越しに、私にだけ見せた。
また景色が変わる。白い部屋から車で移動し再び会場へ、ライブの後は握手会になる。時間は予定通り。
それぞれが持ち場につき、ファンの対応をする。流石に東京ドームに来た人全員を相手するわけにもいかないため、抽選で当たった人のみであろう。それでも多い。東京ドームから、運営に指定された握手会場へと移動する手間もある。いっそ別日に分けてもよかった。
いや、分けるべきだった。
向日葵がファンを相手にする。中高年の女の子に男の子。成人男性に女性。たくさんの人が向日葵の手を握る。
微笑みを返す。言葉を交わす。色々なこと、好きなものや支援の言葉。もしくは憧れの存在に会えた高揚感から、つい言葉が詰まってしまう人もいた。そんな人にはこちらから話を振る。
いつも通り、変わらずに。
そんな特別な言葉も考えないほど純粋に、向日葵はファンと共有する数十秒を楽しんでいた。
今日のために地方から来てくれたと言う男子中学生と握手した。
初めてアイドルを好きになったと言ってくれた男性と握手した。
目の前で、涙を溜めながら感嘆の声を漏らした女子高校生と握手した。
ファンも向日葵も忘れらない、この時間が大好きなのだ。
終わってくれるな、と。いくら願っても秒針は止まらない。列に並んだファン達は心を満たしていなくなり、がらんとした会場と、後片付けの慌ただしさが彼女の耳に残った。
終わりの時間がきた。
だが、アイドル活動はまだ終わっていない、次の握手会はどんな人が来るのだろう。どんなことをいってくれるのだろう。自然と頬が熱くなった。
「すみません~、こっち手伝ってください!あっ!ちょっとぉ!」
係員が男に声をかける。こちらに向かっているのは大柄な男性だった。ただ黙って向日葵に近づいてくる。男は、色褪せた水色のスタッフ専用制服を着ていて、ズボンのポケットに手を深く入れていた。向日葵は何も知らないまま、ただ向かってくる男に労いの言葉をかけようと言葉を探した。
その瞬間だった。
ずぶり。
腹に響く、嫌な音がした。
「………は?」
おなか、痛い。なんで?痛い?
男は加速して向日葵の体に近付き、その手は彼を反射的に押し除けようとした向日葵の腕の、さらにその下に進んでいた。向日葵は何が起きたか確かめるために、己の腕を少し退ける。
男は何かを握り締めていた。ちょうど、握手をしているような形で。
握りしめているものは、向日葵の腹部にグッサリと刺さっていて、きらきらと、少しだけ光っている。血が、じんわりと衣装の周りについているレースやフリルに染み込んでいた。
ぐりん、
ぐじゅ、ちゅぷ、
「あぁ…ああぁあっ!いったぁっ…!!」
最後の人押しをするかのように、鋭い痛みが中を掻き乱す。足に力が入らなくなり、膝から崩れ落ちる今まで見たことない量の血が見える。ナイフのようなもので刺されたことを、今、自覚した。
「おいっ!何やってんだっ!!!」
「ひまわりが刺されたっ!!!!はやく救急車呼んで!!あんたらは避難して!!」
甲高い、悲鳴が聞こえる。
視界に誰かの足が見える。私、今。倒れている?起き上がれない。お腹に力が入らない。
ずきん、ずきん、ずきん、ずきんずきんずきんずきんずきんずきんずきんずきん!
ああっ!!熱い、熱い、熱い。熱い。刺さってる?抜かれた?何か、何か出てる!!
肺が熱い。息できない、抑えなきゃ、なんだこれ、お湯?熱いの?痛いの?これもしかして痛いのか?
さっき痛い思ってたじゃん。息できない。痛い、痛い!寒い、熱い。震えが止まらない!
「こばっ!げほっ、けほっ!」
なにか吐き出てくる。血?見られたくない。困ったなぁ、次のライブも近いんだから、早く治さなきゃいけないじゃん、
次のリハーサルまでに治せるかなぁ、もう、次は不審だと思ったらはやく逃げなきゃ、
つぎは、もう、握手会はなくなっちゃうのかな。
つぎは、
あれ、
これ
次なんて、
ないんじゃ。