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後日、エシャロットはスュドヴァン国に帰国し緊急会議を開いていた。宰相と農業ユニオンと関係省庁の担当者が集まっている。
「報告は聞いているよ。エスト国の王子との関係は改善されず、と」
宰相に話を振られたエシャロットは騒動の詳細を説明する。
「婚姻について、ご期待に応えられず申し訳ありません」
最後に深々と頭を下げたエシャロットに宰相は顔を上げるよう促す。そしてエシャロットと目が合うとお互いにニヤリと笑った。
「ですから皆様、計画通りお願いいたします」
方向性が決まったことで出席者たちは意気揚々と今後の動きについて意見を交わした。
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その後、予想通りエスト国から婚約破棄を仄めかす書簡が届けられた。しかしスュドヴァン国がどうしてもと言うのであれば考えないことはないという。平たく言えば『婚約破棄して関税を上げてもいいのか?輸出しないと困るのはそちらだろう?泣きついてきたら許してやるから、これからも我が国に優先的に食料を供給せよ』というなんともこちらを舐めきった内容だった。本当に婚約破棄して輸出入を制限したいわけではなく、スュドヴァン国よりエスト国の方が上だと知らしめ有利に事を運びたいという思惑が透けて見えた。
「婚約破棄を受け入れるのだな。その心は?」
国王に承諾を得るため宰相とエシャロットが謁見している。
「まずエスト国からの提案で結ばれたマール王子とエシャロット王女の婚約に関して、我が国が得られるだろうメリットは我が国からの安定的な食料の輸出を条件に領事裁判権撤廃の交渉の場に上がることでした。しかしエスト国は安定的な食料の供給は交渉カードにはなり得ないという考えです。それがマール王子本人だけの考えではないことは届いた書簡からも読み取れます。つまりお二人の婚姻が結ばれたところで領事裁判権撤廃の交渉の場にすら立てない可能性が高い。それだけではなく我が国を見下す態度から農作物盗難の件についてもエスト国からの協力は得られないでしょう」
「婚姻に関して我が国の旨みが少ないことは分かった。婚約破棄後の準備は出来ているのだな?」
「ええ、農作物盗難の課題も、領事裁判権撤廃も、我が国の今後の経済活動の発展も、段階的に進めて参ります。そのための協力体勢も順次整えております」
「よかろう。後ほど各省庁から具体的な計画を聞こう」
威厳ある態度で宰相の話を聞いていた国王はフッと表情を緩めてエシャロットを見る。
「エシャロット、お前の心はどうなのだ」
国王の瞳に父としての優しさを感じたエシャロットは父へ笑顔を向けた。
「この計画には多くの犠牲を伴います。我が国からは一時的に多くの予算を、そしてエスト国の者には混乱と不便さを。それを分かっていてなお、私はこの計画を進めることを厭わない。その覚悟ですわ、お父様」
「そうか。お前はこの国の為政者であったか」
その言葉を聞いて国王は娘の行く末を案じ、静かに目を閉じた。
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婚約破棄を受け入れる旨、スュドヴァン国からの書簡を受け取ったエスト国中枢では慌てる者、鼻で笑う者が入り乱れていた。書簡にはエスト国からの婚約破棄を受け入れること、一方的な婚約破棄への慰謝料を請求しない代わりに一部の農作物の輸出を止めること、また領事裁判権の撤廃について協議の場を持つ事が記されていた。
「ははは、スュドヴァン国は考えがあまいな。自国の首を絞める気か?」
宰相の言葉に農業を管轄する大臣が焦ったように発言する。
「しかし我が国の食料自給率は極めて少なく特に野菜はスュドヴァン国からの輸入に頼っています。一部とはいえ輸出を止められたら国内市場は混乱に陥ります」
「なに、スュドヴァン国とて我が国へ輸出できないとなるとすぐに需要と供給のバランスが崩れ、値崩れを起こすだろう。どうせ買ってくれと泣きついてくるのはあちらの国だ。なんならそれをもっと安く買い叩いても良い。スュドヴァン国が粘ったとて他の国から輸入すれば良いのだ」
「しかし…」
力を持たない大臣の声を遮って他の大臣が宰相に尋ねる。
「領事裁判権についてはいかがしますか」
「協議の場だけを持てばよい。撤廃の承認をしなければ良いだけのことだ。そもそもスュドヴァン国と婚姻を結ぶ利点は何も無かったのだ。マール殿下は婚約破棄を受け入れられるとはつゆにも思っていなかったようだが良い機会ではないか。殿下にはもっと我が国に利益のある大国との架け橋になってもらわねば。殿下に“絶対に縋りついてくるだろうから立場を分からせるために婚約破棄を仄めかしてみては”と発破をかけて正解だったな」
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条件付きの婚約破棄の手続きが整ったと聞かされたマールは驚きのあまり会議中の宰相に詰め寄った。
「婚約破棄が承認されただと!?私は聞いていないぞ!」
その場にいた宰相ほか各多くの大臣は愛想笑いを浮かべながらマールを見る。
「これはマール殿下。まさに今、これからの政策について会議をしておりました。お辛い気持ちは分かりますが全てはこの国のため。なに、スュドヴァン国からの輸出制限も領事裁判権の件もすぐに我が国の思い通りになりますよ。それよりも殿下、大国の姫君の姿絵をご覧になられましたか。妖精のように美しい方ですよ」
「そんなの関係ない!姿絵も見る気はない!すぐにエシャロットとの婚約を結び直せ!」
この発言に眉を顰めたのは宰相以外の大臣たちだ。宰相は笑みを貼り付けたままマールに問う。
「殿下にとって国益とご自身の願望、どちらが大切だとお考えですか?」
「それは…」
マールとて王族、国益を差し置いて自身の願望だけが叶えられるはずがないことは理解している。しかしマールはエシャロットと結ばれない未来は考えられなかった。
「で、ではエシャロットとの婚姻が我が国にとってメリットとなるのであれば再度婚約を結ぶことができるのだな?」
この発言に周りの者は面白いものを見るようにマールを見る。
「ええ、もちろんでございますよ殿下」
その言葉を聞いたマールは会議室を飛び出して行った。
「殿下は一体どんな利益を生み出してくださるのでしょうね。まぁ期待せずに待ちましょう。しばらく殿下の次の婚約については保留で」
宰相を含め多くの大臣がハハハと可笑しそうに笑った。農業を管轄する大臣を含む数人だけがこの国の未来を案じ青い顔をしていた。
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学院に復帰したエシャロットは数人の護衛を伴い積極的に他国の生徒と交流を深めていた。
ポワトリンは“消えたオッパイ事件”から暫くは「もうお嫁にいけない」と嘆いていたが、エシャロットの助言で持ち前のパワフルさを取り戻していた。
「これを商機と捉えてみては。良くも悪くも注目の的となった貴女が広告塔となり商売を始めるのです。ちょうど今セリユーズが他国の製造業を学びに短期留学へ行っているから次に会ったら助言を貰いましょう。婿は…おいおい探しましょう」
「私が商売…。悪くないわね」
元々頭は良いのだ。エシャロットとセリユーズの助言を参考に自領の婦人たちと商品開発に取り掛かり試作品を作った。オーガニックコットンを使った下着である。人の目が気になる思春期に成長期を迎えた少女たちにとって補正下着で胸を寄せて上げるのはなかなか辛いものだ。ポワトリンが作ったのは胸を締め付けず、通気性の良い綿のパッドを固定した“盛り下着”だ。吹っ切れたポワトリンは皆の好奇に満ちた視線をものともせずむしろ積極的にアピールした。
「ほぅら、見てくださいな。自然で素敵なラインでしょう?一切締め付けていませんのよ。もちろん寄せてもいない。ふふ、気になります?今度の休日に商品説明会を兼ねたお茶会を行いますの。是非ご友人をお誘いの上いらしてくださいな。ご心配なさらないで。我が国の王女様も認める健全なお茶会ですわ」
ちゃっかりエシャロットの名を利用するあたりが流石である。しかしエシャロットも負けてはいない。
「ご機嫌よう。少しお話ししても良いかしら」
エシャロットは、エスト国への農作物の輸出がスュドヴァン国に次いで多い国の女子生徒に話しかけている。彼女の親はその国の宰相だ。
普通、学院内とはいえ話したこともない他国の王族から急に話しかけられたら身構えるものだ。実際に女子生徒も身構えたがエシャロットが小声で言った一言によって一気に肩の力が抜ける。
「この間の騒動、見られましたか?ほら、女子生徒の胸がズレたアレです」
「ああ…!見ましたわ!本当に気の毒で見ていられなくって…!」
「そうでしたでしょう。実は我が国出身の者でしてね」
そうして静かなテラスへ彼女を誘導し自然と隣に座り、しばらく“消えたオッパイ事件”についてヒソヒソと話す。そうして相手の緊張が解けたところで本題に入るのだ。もちろん離れたところに護衛はついている。
「ところで私の元婚約者であるエスト国の王子の発言もお聞きになられましたか?」
「ええ、まぁ…。あの、元、ということは…」
「ええ、実は婚約破棄されましたの…」
「まぁ…!おいたわしい…」
「私の国も貴女様の国もエスト国に農作物を輸出しておりますでしょう?そんなことは当たり前だと、買ってやっているだけで何の価値もない、そういうお考え故に私との婚姻に価値なしと婚約を破棄されたのです」
「まぁ…!許せませんわ!」
エシャロットたちの計画は他国の動きによって左右される。エシャロットはこうしてエスト国へ農作物を輸出している、あるいは輸出しようとしている国の生徒たちと接触を重ねていた。
するとそこへ息を切らしたマールがやってきた。取り巻きの男は連れていない。急いで来たのか珍しく髪も息も乱れている。エシャロットは嫌なタイミングで会ってしまったと内心焦る。今まさに他国の生徒にエスト国への不信感を植え付けていたのだ。印象をひっくり返されて計画に支障が出てしまっては困る。
エシャロットは離れた場所にいた護衛がすぐ近くまで移動してきたことを確認し努めて冷静に対応した。
「何か私に御用でしょうか」
息を整えたマールの目は血走っている。
「探したぞエシャロット!聞いてくれ、俺とエシャロットの婚約を再度結ぶ方法を考えたんだ!」
まさかのマールの発言にエシャロットだけではなく他国の女子生徒も驚いた様子だった。そちらから婚約を破棄しておいて今更何故、である。
エシャロットとしてはこのまま婚約を結び直すことがスュドヴァン国にとって最も悪手だと考えているが、もしかしたらマールを含むエスト国の者たちがスュドヴァン国からの安定的な食料の供給に価値を見出し、領事裁判権撤廃を土産に婚約の結び直しを提案してきたのなら…その時は…
「スュドヴァン国を我がエスト国の属国にしてはどうだろうか!」
前言撤回。何も変わっていないどころか悪化している。エシャロットの冷たい目を見てマールは焦ったように提案する。
「それが無理ならエシャロットの輿入れの際に領土の一部の権利を持参できないか?もちろんエスト国にとって利益のある土地を…」
「殿下、それはできません。婚約を結び直すことは不可能です」
冷たい表情のままキッパリと言ったエシャロットにマールは怒り出した。
「お前と俺が結婚するために提案しているのに不可能とはなんだ!少しは歩み寄ったらどうだ!そうでもしないと俺たちは結ばれない。それはお前も困るだろう、エシャロット」
マールにはエシャロットの隣にいる他国の女子生徒が目に入らないのだろうか。とことん呆れた表情の彼女を見れば自分が如何におかしなことを言っているか分かりそうなものなのに。エシャロットは手を頬に当て、心底不思議そうな表情で答える。
「殿下、先ほどから何を仰っているのですか。私がいつ婚約の結び直しを望んだというのでしょう。殿下、私は貴方様との婚約をこれっぽっちも望んでおりません。では失礼します」
「なっ…!」
そのまま固まって絶望するマールを置いて女子生徒の腕を引っ張りスタコラサッサと逃げた。
安全な場所まで逃げ切るとエシャロットはフゥと息をついた。そんなエシャロットを他国の女子生徒が気遣う。
「とんだ災難でございましたね」
エシャロットはお礼をいいつつも真顔で女子生徒をジッと見つめた。
「でも…貴女の国も他人事ではありませんのよ。我がスュドヴァン国がだめなら次は…貴女の国かもしれませんわ。どうかお気をつけくださいまし」
エシャロットの言葉に女子生徒は青い顔をして「お父様に報告しなければ…」と去っていった。
“消えたオッパイ事件”
詳細は違えど現実に起きた事件。
固定されたパッドはズレないが乾きにくく調整できない。固定されていないパッドは別洗いできて調整も効くが“消える”可能性がある。その他にも“ひっくり返った”状態で気が付かず使用した事例もあるようだ。
「なんか胸がお皿みたいになってた」
これは知人の名言である。合掌。