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学院生活が始まって三ヶ月もしないうちにマールの周りをピンク髪のご令嬢がうろちょろしていると噂になっていた。その豊かな胸を武器に一部の男性に媚を売っているらしい。そしてエシャロットの前にはまさにそのご令嬢を伴ったマールの姿が見えた。しかしマールは纏わりつくご令嬢に興味がないのか作り笑いで躱している。
「あら、彼女は男爵家の娘さんだわ」
エシャロットはピンク髪の令嬢を知っていた。スュドヴァン国から来ている男爵家の娘ポワトリンだ。直接親交はないものの男爵家は綿花の栽培が盛んであると記憶している。それにしても小柄なポワトリンの胸には一体何が詰まっているのかと思うほど豊かな胸を揺らしている。マールの取り巻きの男は鼻の下を伸ばしチラチラとポワトリンを見ていた。
エシャロットも例に洩れずポワトリンの胸を見ていると、こちらに気付いたマールが意地悪な笑みを浮かべてやってきた。
「おお玉葱女じゃないか」
そう言って私の二の腕の辺りをトンと押す。今日はセリユーズが不在なのを認めるとマールは笑みを深めてもう一度小突いてきた。エシャロットの白い二の腕にマールの指が食い込む。
しかしエシャロットは無表情のまま何も言わずにされるがままだった。
「なんだ面白くないな」
何の感情も表さないエシャロットを見てマールが去ろうとすると、エシャロットは頬に手を当てて呟いた。
「もしかしてマール様は私に触りたいのですか?」
それを聞いて慌てたのはマールだ。
「ハァ!?俺がお前を!?そんなわけないだろう!!」
“ドンッ!”
珍しく取り乱し怒ったマールが振り回した腕は、運悪く横にいたポワトリンに強く当たってしまった。
「痛ぁい…」
尻もちをついたポワトリンを見た周りの男子生徒たちはギョッとしている。ポワトリンを起こそうとしたマールの取り巻きの男もポワトリンの胸を見て驚愕の表情で固まっていた。
「む…胸が…」
ポワトリンの胸の一つが無くなって腹の辺りに妙な膨らみができている。胸の詰め物がズレたのだ。エシャロットを含む女子生徒たちはなんとなく詰め物だと分かってはいたが、多くの目がある中で晒し者になってしまった彼女に同情し顔を青くした。
皆の視線を辿って自分の胸を見たポワトリンは青くなったと思ったら赤くなってわなわなと震え出した。
そんな中でもマールだけはまだエシャロットを見て怒っている。
「君、腕が当たって悪かった。
エシャロット!言っておくが俺がお前を愛することなどない!お前のような玉葱に…」
「きっも!!!!」
お座なりに謝り、まだエシャロットに詰め寄ろうとするマールの言葉を制し暴言を吐いたのはポワトリンだった。
マールの取り巻きの男が慌ててポワトリンに上着をかけ起こしてあげる。上着で胸と腹を隠しスカートの裾を払ったポワトリンはキッとした目つきでマールを見た。
「“婚約者のことが嫌いな王子”って聞いたから擦り寄ったのに蓋を開けたら“婚約者が好きすぎて触りたいけど素直になれないから虐めてついでに触る超絶キモい男”じゃない!擦り寄って損したわ!やってること幼稚すぎて相手にされていないところが悲惨でいい気味ね!」
ポワトリンは悪党のような笑みを浮かべてマールに楯突く。マールは真っ赤になって怒り出した。
「な…!そ、そんなわけないっ!俺がこんな奴を好きなわけがないっ!おい!お前、不敬だぞ!」
「本当のことを言っただけじゃない!私が不敬だと言うのなら我が国の王女を小突く貴方だって不敬だわ!」
その王女の婚約者に粉をかけておいてよく言うなと皆が思っているとマールは得意げに反論した。
「ははは。いいか、エスト国とスュドヴァン国は対等じゃない。エスト国の王子である俺をスュドヴァン国の者は裁けない。常識だ」
ここら辺でやめておかないと収集がつかなくなるだけではなく今後の計画に支障がでると判断したエシャロットは声をかける。
「マール様、我が国の者が失礼しました」
そうして白い腕を伸ばしポワトリンを庇うように前へ出る。しかし気の強いポワトリンは黙っていなかった。エシャロットの腕を持ち上げて脇の間から顔を出す。
「はーん?農作物の多くをスュドヴァン国からの輸入で賄っているエスト国の方が偉いと?はーん?
ご存知ですか?美食の国エスト国で国民食と呼ばれる料理はどれもスュドヴァン国の作物がないと作れないことを。特に多くの料理に使われる玉葱は我がスュドヴァン国産の物が九割ですよ?我が領の綿花もそうです。質の良いオーガニックコットンを求めておられるのはエスト国の女性方ですよ?
農作物、輸出止めたろかいっ!!」
「貴女にそんな権限はないわよ」
腕がプルプルしてきたエシャロットが思わず呟く。この学院に入学できただけあってポワトリンは勉強ができるらしい。
対するマールも黙っていない。宥める取り巻きの男を振り払ってポワトリンの言葉をハンッと鼻で笑った。
「止められるものなら止めてみろ!スュドヴァン国から輸入している農作物がシェアを誇っているのは事実だ。しかしそれはスュドヴァン国が買って欲しいからだろう?どうせお前たちは輸出を止められない!」
「残念でした!我が国では大規模な貯蔵しせt…もがっ!」
エシャロットは手のひらでポワトリンの口を抑え込む。彼女は喋りすぎた。エシャロットは尚も喋ろうとしているポワトリンの鳩尾に素早くアッパーを喰らわせる。ポワトリンはウボッ!と言い膝から崩れ落ちた。
「あら、彼女は体調が悪いようですわ。では私たちはこのへんで失礼しますわ」
呻いているポワトリンの腕を引っ張って退場しようとするエシャロットにマールは言葉を投げかけた。
「俺がエシャロットのことをす、好きだと言っていたな。それは絶対にない!なんなら婚約破棄してやってもいいんだぞ?泣きついてくるのはお前の方だ!
この結婚を機に領事裁判権の撤廃について進めたいのだろう。そんなことできるわけないのに馬鹿な奴らだ。エシャロットのような玉葱女が嫁いできたくらいでエスト国に何の得がある?安定的な食料の輸入か?そんなもの、買ってやっているのはこちらの方だ。ははは、本当に婚約破棄して泣きついてくるエシャロットを見るのも一興かもしれんな」
この発言にはエシャロットだけではなく周りの者も眉を顰めた。照れ隠しとしては内容が酷すぎる。この学院には近隣国の優秀な者たちが集まっている。その中にはエスト国へ食料を輸出している国の者もいるだろう。マールの発言はそんな彼らをも侮辱するものだった。
この瞬間、エシャロットはマールを切り捨てることにした。元々マールに対して何の感情もなかったエシャロットは、自分の尊厳よりも我が国の面子、そして近隣諸国の者たちに良い印象を与えるために言い返すことにした。
「マール様、発言を撤回してくださいませ」
厳かにマールの目を見て言ったエシャロットを見てマールは一瞬驚いたものの次の瞬間にはニヤリと笑った。
「なんだ、婚約破棄してほしくないともう泣きつくつもりか」
何故か嬉しそうなマールをエシャロットは無表情で切り捨てる。
「いいえ。そうではありません。“買ってやっている”という発言について撤回してくださいと申しております。出輸入は需要と供給によって成り立っています。買う方が上、などというのは思い上がりです。生産国を見下すような態度はやめていただきたい」
いつも決して楯突かずホンワカしているエシャロットの威厳のある態度にマールを含め周りの者も息を呑む。
しかしマールはエシャロットに無下にされたことが悔しかったのか、
「ふん、お望みのとおり婚約破棄してやるからな」
と捨て台詞を吐いて去ってしまった。取り巻きの男はエシャロットとポワトリンに小さく会釈してから慌ててマールを追いかけて行った。
「玉葱を笑う者は玉葱に泣くのよ」
マールに聞こえないような声でエシャロットは呟いた。
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その後、ポワトリンを医務室へ連れて行き回復したポワトリンから事情を聞く。因みにポワトリンが余計なことを言う前にエシャロットが男性校医に説明した。
「補正下着の締め付けで気分が悪くなったそうです。ね?貴女、そうよね?ですから先生、席を外してくださいませんか?補正下着を緩めてあげたいので」
そうして校医を追い出したエシャロットをポワトリンはジト目で見る。
「エシャロット様、なかなかいい性格してますよね」
「あら、なかなかいい性格をしている貴女にそう言われるなんて光栄だわ。アッパーしてごめんなさいね。なんとかして止めないとと思ったのよ」
「前半は完全に嫌味ですね?まぁ、エシャロット様の婚約者を狙ったのは私ですし…未遂でしたが。申し訳ありませんでした。なんとか金持ちをゲットしようと思って視野が狭くなっていました」
「貴女の家のオーガニックコットンは高値で取り引きされていると聞くわ。どうしてお金持ちと結婚する必要があるの?」
「我が領はこれまでも綿花を栽培してきましたがオーガニックに変えたのは父の代からなんです。ご存知ですか?オーガニック栽培はとにかく時間もコストもかかるんですよ。今は目新しいオーガニックコットンへの需要が高く供給が追いついていませんが私にはこの状態が長く続くとは思えません。農業には様々なリスクがあります。父はオーガニックコットンこそが全てだとリスク分散しようとしません。何かあると困るのは私たち家族だけじゃない。領民が一番困るんです。だから私が勉強を頑張ってこの学院で太いパイプを持った金持ちをゲットしておけば…そう思ったのですが人選を間違えました。あんな天邪鬼野郎だとは思いませんでした…あ、すみません人の婚約者のことをムッツリ天邪鬼クソ野郎だなんて」
「うん、謝る気ないわね。悪口が増えているものね。…いいのよ。マール様は啖呵を切った以上、本当に婚約破棄なさるでしょう。上げた手を下ろせない人なの。エスト国はスュドヴァン国を、ひいては生産者を見下している。それでも領事裁判権撤廃の一助になればと思っていたけれど、どうやらそれも譲る気はないようね。我が国からの食料の安定的な供給がメリットだとは考えていないようだもの。…ならなぜ我が国と婚姻を結ぼうと思ったのかしら。本当に不思議な人たちね」
『それはあの男がエシャロット様のことを好きだからですよ。婚約破棄だってエシャロット様に縋りついて欲しいからするだけですよ』とポワトリンは言いたかったが、言ってもエシャロットとマールの仲は好転しないだろうと判断し心の中に留めることにした。
玉葱頭=黒柳○子大先生を想像している皆様へ。
“玉葱ヘアー”と検索してみてください。出ましたか?それが今時の玉葱ヘアーだそうです。
想像した髪型で年代が分かってしまう…なんて恐ろしい玉葱頭、もとい玉葱ヘアー。
もちろん作者は前者です。大先生に扮する満島ひ○り様のイメージです。
え?ちび○子ちゃんの永沢くんのイメージで読み進めていた猛者もいらっしゃる?