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追放された獣人少女は魔導書を食べるヤギと旅をする





 

 魔法を使うには、魔導書が必要である。

 

 魔導書を読んで理論を理解し、それを手に持って魔力を込めると、魔法が発動する。

 すぐに理解できる才能ある人もいるが、何度読んでも分からない人もいる。


 魔法を使うには、紋章も必要である。


 生まれつき利き手の甲に浮かぶ紋章。

 それが魔法が使える人の証だ。

 人間の100人に1人が紋章を持っているそうだが、その才能と熟練度によって使える魔法にはばらつきがある。


 魔法は、獣人には使えない。


 理由は分からないが、これまで紋章が発現した人が1人もいないのだ。

 魔法が使えないことと、獣に近い姿が原因で、獣人は人間に迫害されてきた。反動で、獣人達も魔法と人間を忌み嫌っている。


 ――そして私は、人間からも、獣人からも嫌われている。



「やっと手に入れた……【瞬間移動】の魔導書……!」



 私はノラ、17歳。狼のような獣耳と尻尾を持つ女の獣人だ。

 右手の甲に、紋章を宿している。

 私はおそらくとても珍しい、魔法が使える獣人なのだ。生まれた里で読んだ本によれば。


「これで、『ふん、残像だ……』ができる……!」


 そして今、超楽しい……!!



 公園のベンチに腰掛け、【瞬間移動】の魔導書を横に置き、バンザイのように伸びをする。


 深くかぶったフードがずれ、隠していた自分の獣耳が自由になる。


「おっとっと」


 慌ててフードを戻す。ここは人間の街。獣人だとバレる訳にはいかない。


「ンメェー」


 私の隣には、ヤギのジョーンがいる。昔からの相棒だ。追放されてからずっと。



『わーいありがとう! おかあさんだいすき!』



 時刻は昼過ぎ。ギルドから受けたモンスター討伐の依頼をこなし、報酬にずっと欲しかった魔導書をもらって、私は今自分でも分かるくらい上機嫌だ。


 ちょっと奮発して良いご飯でも食べようかな、と思っていると、隣からモシャモシャと音がすることに気がついた。


「モシャモシャ……ンメェーィ! モシャ!」


「あー! ジョーン! また勝手に魔導書食べてる!」


 油断した。ジョーンは、魔導書を食べるヤギなのだ。

 ――正確に言えば、魔導書しか食べられないヤギ。

 

「ちょっ……これだけは本当に……今朝も勝手に魔導書食べたくせに!」


「メ!」


「メ! じゃない!」


 ジョーンから魔導書を取り返そうと引っ張るが、がっつり咥えているのでびくともしない。口をバシバシ叩くと、よだれで手がびっちょりと濡れた。


「汚い! おま……表紙だけ残すな! どうせなら全部食べろ!」


 ジョーンのお尻をペーンと叩こうとした瞬間、お尻が視界から消える。否、ジョーンが姿を消す。

 気配を感じて振り返ると、ドヤリフェイスの満腹ヤギが背後でふふん、と鼻を鳴らしていた。


「『ふん、残像だ……』じゃなーい! さっそく瞬間移動使って!」


 ジョーンは特別なヤギだった。

 高度な魔導書ともなると一生かかっても使えない人がいるというのに。

 ジョーンは、どんな魔導書も食べるだけで使いこなしてしまう。しかも1度食べた魔導書の魔法はずっと使える。普通の人間のように、使いたい魔法の数だけ魔導書をどっさり抱えるといった労力も必要としないのである。


 頭に来たので体当たりをかます。天才ヤギジョーンの口から「ヴェッ!」という何とも言えない声が漏れた。





  *  *  *  *





 私には前世の記憶がある。いわゆる異世界転生者だ。

 前世はオタクの女子高生で、交通事故で死んだと思ったら獣人の赤ちゃん、つまり現在のノラとして生を受けていた。

 生まれたのは獣人の里で、物心ついた頃は「ファンタジーの世界だ!」「ケモ耳だ!」とそれはもうウキウキしたものだった。

 

 しかしすぐに、周囲の目が冷たいことに気がついた。魔法が使える証である紋章が、手の甲に浮かんでいたからである。

 獣人を迫害する人間が生み出した、魔法。それを身に宿した子供は、憎悪の対象となった。


 獣人の母に5歳まで育ててもらえたのは奇跡だった。

 さすがに我が子、紋章を宿していても情があったのだろう。

 私はずっと家から出してもらえなかったので、本棚にある本を繰り返し読んでいた。「人間による差別と魔法の脅威」という本でこの世界の魔導書や魔法の基礎を学んだと同時に、人間と獣人の間にある深い隔たりを思い知った。


 本を読む以外の時間は、全て母に嫌われないように振る舞うことに必死だった。当時の自分にとって、母は命綱であり、世界の全てだったから。


 が、父親をはじめとする周囲の獣人からの仕打ちに、ある日母はとうとう耐えられなくなってしまった。



『お前がいるから。好きでお前なんか――』



 料理道具を手にした母から、私は命からがら逃げ出した。

 追放だ! 悪魔め!

 母の後ろにいた里の人々が、口々に叫んでいた。


 ――母が、泣いていたように見えた。



『おかあさん、どこいくの? わたしもいく』


『だめよ、いい子で待っててね』





  *  *  *  *





「ジョーン! 魔法使って! 早く!」


「……ンメ」


「またお腹すいたの!?」


 私とジョーンは洞窟の中にいた。ただいまネズミコウモリの群れから絶賛逃走中である。

 奴らは暗闇を好むモンスターで、獲物の血を……アレする。怖すぎる。


 1年暮らした街から離れ、新たな街に向かう途中。

 近道だから、と踏み入ったのが間違いだった。


「ほら! 【水魔法】の魔導書!」


「メー?」


「好き嫌いしない! 1番安いんだから! 飽きたとか言わないでよ!?」


 ジョーンは食べた魔導書の魔法が使えるが、魔力を消費する代わりにお腹が空くようだった。

 現在空腹。魔力切れの状態だ。


 走りながら渋々【水魔法】の魔導書をモシャって、お腹を満たすジョーン。足を止めて、ネズミコウモリ達の方をくるりと振り返る。


「ジョーン! 【蛍の光(ファイアーフライ)】!」


「ヴェー」


 ジョーンの体の周囲に、無数の蛍のような淡い光が灯る。

 ふわふわと浮いたそれは、ネズミコウモリ達の方に漂っていく。光のうち1つが、パチリ、と鳴った。


 先頭の1匹が光に触れた、その瞬間。


 バシンッッ! バリバリバリッッッ!!!!


 全ての光から、雷撃が迸る。

 雷の網に全てのネズミコウモリが捕えられ、黒い灰となって地面に降り積もった。


「ありがと、ジョーン」


「メ」


 お礼には足りないが、頭を撫でる。ジョーンは、大したことじゃないと言わんばかりに軽く鳴いて、トコトコと歩き始めた。


 【蛍の光(ファイアーフライ)】は雷魔法の一種である。値段が高く、攻撃範囲が無駄に広く、高難易度。おまけに本が分厚くて重いのだが、私は


(蛍の光のような無数の玉から電撃が?

 ……おしゃれすぎる)


 と思って衝動買いした。手持ちの魔導書を売ってお金を工面してまで買った。

 1度も使わない内に翌朝ジョーンがそれを食べているところを発見し、絶叫したのは言うまでもない。


 洞窟を抜けると、外は夜だった。体がぶるりと震える。先ほど走ってかいた汗が夜風で冷えたのだろう。

 のども渇いている。危機を脱して、自分が疲れていることを認識した。

 立ち止まり、ふっとため息をつく。


 すると、足にジョーンがぴたりとくっついてきた。


 こういう時、ジョーンは私が求めるまでもなく体を寄せてくれる。

 しゃがんで体を撫でてやる。高い体温を感じ、何だか心まで温まった気がした。

 

 ふいに魔力の気配を感じると同時に、顔の前に小さな水の玉が現れた。形を変えながら浮遊している。ジョーンが水魔法で作ってくれたのだ。続けて自分の分も出している。


「ありがと、気が効くね。いただきます」


 私達は同じタイミングでぱくりと食べた。アメ玉のようなそれは口の中でぱちんと弾け、渇きを潤して――くれるはずだったが。

 私だけ「ブーッ!」と吐き出してしまった。


「からい!」


 私の水だけ辛かった。ジョーンがニヤニヤしている。





 鬼の形相で追いかけながら、私はジョーンとの出会いを思い出していた。


 追放された後、私は森をさまよった末に人里に降りてきていた。日も暮れて、家々には暖かそうな火が灯っている。獣やモンスターから身を隠しながら、ようやく見つけた村だった。


 獣人とはいえ、自分は子供だ。助けてくれるはず。

 そんな元日本の女子高生の希望は、願望に過ぎなかった。


 石。言葉。


 身も心も傷つけられて、私はまたしても逃げざるを得なかった。

 力を振り絞り、どさくさに紛れて店に並ぶ【水魔法】の魔導書と【炎魔法】の魔導書を盗んだ。懐に突っ込んで抱える。里で読んだ本のおかげで見覚えがあったのだ。この2つがあれば、何とか死なずに済むはず。


 ごめんなさい。



『ごめんなさい』



 もはや何に謝っているかも分からなかった。

 夢中で走り、森の中で力尽きた。5歳の体にしてはよく走ったほうだろう。


 獣人の身体能力のおかげで里や村の人達から逃げて来れたが、それももう限界だった。

 口から肺にかけて、まるで火で焼かれているようだった。全身が、灼熱と極寒を同時に受けたように痛い。


 仰向けに寝転がり、空を見上げたが、暗闇で何も見えなかった。


 諦めて目を閉じた。足音が聞こえた。体が痙攣するように震える。食べられてしまう。すぐ死ねるだろうか。痛いだろうか。



『むかえにきてね』



 温もりがあった。

 硬いようで柔らかい、毛の感触。

 うっすらと目を開けると、可哀想なほど痩せ細ったヤギがいた。仰向けの自分を温めるように、寄り添ってうずくまっている。


「…………あなたも?」


「…………ェ」


 ヤギの方も限界のようだった。

 悔しいね。何が悪かったんだろう。嫌われないように頑張ったのにな。


 服を少しめくり、懐に抱えていた魔導書に手を置く。反応なし。体力も魔力も尽きているようだ。


 しかし、ヤギが反応する。魔導書を食べ始めた。

 くしゃ、くしゃ、と音をたて、少しずつ。少しずつ。


 ヤギって本当に紙を食べるんだ、と呑気に思った。

 無理やり上体だけを起こし、ヤギに本のページをちぎって食べさせてあげた。


 月明かりが、【水魔法】の魔導書の表紙をわずかに照らした。それをぼんやり見ていると。

 

 ――ぷるん。


 目の前に、小さな水の玉が現れた。


「これ……」


 ヤギと目が合う。

 

 ふふん。


 そう言っている気がした。





  *  *  *  *





「……迷った」


「……ヴェ」


 夜の森で追いかけっこなんかしたから。

 めちゃくちゃ迷ってしまった。ここはどこ。私は美少女(願望)。


 もういいか、ここで野宿しよう。疲れたし。


 そう思って相棒の方を見る。ジョーンも察した。

 ジョーンが少しスペースがある場所に向かって魔力を放つ。すると、地面がゴゴゴゴ、と唸り、土製のかまくらのようなものがせり上がってきた。昔はよく使っていた、野宿用のテント代わりだ。慣れた今では窓や扉まで備えている。


「土魔法便利すぎる」


「メェ」


 かまくらの近くに焚き火の準備をして、ジョーンがそれに火をつける。もう慣れたものだ。私は保存食を、ジョーンは魔導書を食べる。


 前の街に留まって1年経った。獣耳を隠すために暑い時も寒い時も年中フードや帽子をかぶって、尻尾を隠すために外套を脱がない生活だったので、よく接する人にはいつ獣人だと気付かれてもおかしくなかったのだ。


 これまでも定期的に生活の拠点を移してきた。新たな街に行っては、ジョーンと大道芸をしたりギルドの依頼をこなしてお金を稼いだ。


 そして今回、慣れてきて次の街への道のりを適当にしか調べず、ショートカットできるかも、と別のルートを通ってしまった。おかげでこのザマである。


「え? 獣人?」


 突然女の人の声がした。驚いて体がびくんと跳ねる。声のした方を振り向く。


「……ん?」


「……ヴァ?」


 木の陰から獣人がこちらの様子を伺っていた。

 え? 獣人? あ、今私フードしてない。


「やっぱり獣人だ! 久しぶりに外で同族に会ったよ!」


 ぴょんと木陰から飛び出し、赤い髪の獣人が近づいてくる。小柄だが歳上な気がする。そしてたぶん陽キャだ。


「ど、どどど、どうも」


「1人? どうしたの? そのヤギは非常食?」


「ヴメェェーーー!!」


 ジョーンが怒った。そりゃそうだ。





  *  *  *  *





「ここがアタシ達の村、ユート村だよ」


「ほぉー……」


 彼女の名前はアンナというらしい。迷子の私達を自分の村に案内してくれた。

 アンナ達の村はなんと。

 獣人と人間が協力して暮らしているらしい。

 理想郷。そんなありきたりな言葉が浮かんだ。


 村に入ると、確かに異なる2つの種族が共に生活していた。獣人が耳も尻尾も隠していない。獣人と人間の夫婦もいて、もちろんその子供も。


 皆質素な暮らしぶりだが、共通して穏やかな顔をしている。

 畑があって、鶏がいて、あちこちから美味しそうな匂いがして。

 色んな感情が込み上げてきて、少し涙が出た。


 恐る恐る魔法が使えることを打ち明けてみたが、逆に歓迎された。特に村長さんは


「奇跡じゃ……ちょっと紋章のある方の手で引っぱたいてくれんか……」


 と言って感動していた。2回引っぱたいた。



 そうだ。こういうところを探せばよかったのだ。

 幼い頃の体験のせいなのか、考えもしなかった。


 その日はアンナの家にお邪魔させてもらうことになった。なんと空き箱で作った簡易ベッドまで用意してくれて。アンナさん好き。


「ノラとジョーンにその気があるなら、ここに住んじゃえば? ノラは変わってるけど、いい子そうだし」


「え、私変わってる?」


「うん」


 え? 私変わってるの? 助けを求めてジョーンを見ると、え、知らなかったの? という顔で見つめ返された。


「まぁゆっくり考えてよ。アタシもみんなも逃げてきたクチだから。ノラにはノラにしか分からない傷があると思うけど、分かり合える部分もちょっとはあるんじゃないかな。みんな支え合いながら頑張ってるよ」


「……ありがとう。考えてみる」


 アンナの口振りからは、ここに辿り着くまでに味わった苦しみが滲んでいる気がした。

 自分にしか分からない「傷」と言った。確かに傷だな、と腑に落ちた。


 見た目よりはるかに寝心地の良いベッドに潜り込む。

 明日、村の人達ともっと話をしよう。ジョーンはどう思っているだろうか。ベッド横に敷いた毛布の上ですでに寝ている。あの頃よりずいぶん逞しくなった背中を撫でながら、私はいつの間にか眠っていた。





  *  *  *  *





「ノラ! 起きて!」


 翌朝、アンナの鋭い声で目が覚めた。ひどく焦っている。ジョーンはすでに起きているようだ。


「何かあったの?」


「……ゴブリンの群れが、村に向かってきてるって。逃げるから急いで支度して」


 ゴブリン? なぜ?


「か、数は分かってるの?」


「100匹はいるって。多分キングゴブリンが率いてる」


 多すぎる。普通なら10匹で多いのだ。それ以上は内輪揉めのように争いが起こって群れとしての体をなさない。

 しかし、キングゴブリンがいれば話は別だ。キングは下位のゴブリンを統率する能力を持っている。しかも単体でも強い。ギルドでも目撃情報があれば最優先で討伐隊が組まれるほどだ。

 それにしても、100匹は聞いたことがない。せいぜい50だ。


「今戦える人達が時間を稼いでるけど、長くは持たないだろうから。

 ……アタシが連れて来なければ、こんな危ない状況に巻き込まれることもなかったのに……ごめんね」



『ごめんね』



 アンナの罪悪感に満ちた自虐的な笑みが、私の心臓を縛り上げる。()()に見た顔が脳裏をよぎった。


「――謝らないで」


 身支度をしながら、悲しみと怒りが腹の底で渦巻くのを感じた。

 逃げて、隠れて、這いつくばって。それでもようやく、自分が居てもいい場所を見つけたと思ったのに。

 


「ふざけんな……」


 ――奪わせない。


「ノラ……」


 もう奪わせない。立ち向かわなくては。

 私の居場所を。みんなの居場所を守る。

 もう、世界の端で息を殺してうずくまるのは嫌だ。


 1人では怖くて、逃げる以外の選択肢は持てなかっただろう。でも今は――ジョーンがいる。頼もしい、私の相棒が。

 いるかも分からない神に向かって、私は叫んだ。私達は叫んだ。


「ふざけんな!!」


「ヴメーーー!!」


 ジョーンと同時に走り出す。扉を開ける。


「私達も戦う! いつまでも逃げてやるもんか!

 ゴブリンでも何でも来いちくしょう……ボテクソに追い散らかしてやる!」


「――野蛮だけど頼もしい!」


 アンナの目が輝く。私はジョーンの角を掴んで振り回し、ジョーンから反撃のかみつきを喰らった。



『――ちゃん、今日から私達や施設のみんなが、――ちゃんの家族だよ。これからよろしくね』





  *  *  *  *





 アンナの家を出てすぐ、ジョーンの土魔法で村の周囲を囲い、要塞化した。野宿しようとした夜に作った土のかまくらの応用だ。ただし、材質は鉄にしてある。


 村の村長達がポカンとしてそれを見上げていたのが何だか申し訳なかった。

 すごいのはジョーンだからね。私はこんなことできないからね。

 

 そして村からかなり離れたところで、私とジョーンは敵を待ち構えることにした。アンナはいない。私達のことを心配してくれたが、村人の避難を優先してもらった。老人や子供など、自力で逃げられない人も多いからだ。


 村の周囲は深い森に囲まれているが、村から離れるほどに木はまばらになり、ここはもはや「四捨五入して林」くらいの場所と言っていい。視界はかなり開けている。

 遠くから獣人と人間が逃げてくるのが見えた。時間稼ぎをしてくれた村人だろう。

 その奥には……ゴブリンの大群。地響きのような足音。


「……ジョーン、逃げたかったら逃げてもいいんだよ」


 ジョーンにかけた声が震えている。足は村から出た時からずっと震えている。やはり怖い。でももう、決めたことだ。

 ジョーンは前足で地面を掻いて、ブフフンッと鼻を鳴らした。やる気だ。ちくしょう頼もしい。

 

「……行くぞ!!」


「メェー!!」


 右手の【水魔法】の魔導書に魔力を込める。村人達の奥、ゴブリン達の足元にだけ、巨大な水溜まりを作り出す。ゴブリンの足首から下が水に浸かった。


「ジョーン! サンダーボルト!」


「ヴメ!」


 ジョーンの体が魔力に包まれる。そして、ゴブリンの頭上に黒雲が現れたかと思うと。


 ドゴォォォォォォォン!!!!


 次の瞬間、大地に雷が突き刺さった。轟音が鳴り響き、ゴブリンの断末魔と共に森に反響する。

 

 雷はゴブリンの足元の水溜まりによって威力を増しつつ、広範囲に広がった。私とジョーンの合わせ技である。


 しかしまだまだ全滅には程遠い。


 ゴブリンを食い止めていた村人達とすれ違う。みんな怪我をしているようだが、走っているし大丈夫そうだ。


「嬢ちゃんと……ヤギ!? すげえな、ありがとう!」

 

「助かった! もっとやれ!」


「どういたしまして! 村まで避難してください! ここは任せて!」

 

 敵の被害を確認しながら背中で見送る。村人達の安全は確保した。これで戦いやすくなる。


「ジョーン、後ろに超横長のバリケードを作って。回り込んでも村に行けないように」


「メェッ」


 ジョーンが後ろを向いて魔力を発すると、地面から鉄製の壁が生えてきた。端が見えない。村を要塞化したのと同じ壁だ。

 下準備良し。ここからは手数が大事だ。


「ゲギャギャ!」


 ゴブリン達が近づいてくる。その足元に、再び水溜りを作る。


「ジョーン! もっかいサンダーボルト!」

「ヴメ!」 ドゴォォォォン!!

「サンダーボルト!」

「メ!」 ドォゴォォォン!!

「ボルト!」

「メエェ……」 ドゴゴゴォォン……

「はい魔導書!」

「ンメェ!」 モシャモシャ!


 

 ――威力と手数で制圧した。

 ジョーンだから出来る芸当である。これで、ほぼ全てのゴブリンを駆逐したはず。



 ――と、思った時。近くの木から魔力の気配を感じた。

 そちらを見ると、何もない空間から突然現れた。


 今回の原因と思われる――キングゴブリン。

 しかも1体ではない。2体もいる。


 2体とも4〜5メートルはある。血走った目。正気を失っているのだろうか。獰猛な息を吐く口元からよだれが出ている。軽装だが金属製の鎧を身に纏い、木の幹のように太い棍棒を持っている。


 だがある意味、キングゴブリンよりも驚くべき存在が2体の間にいた。

 人間の男だ。見た目は30代前半。魔導書を手に持ち、腰に剣をさげている。どういう状況なのか。


「――やってくれたなぁ、おい」


 パサついた金髪をかき上げながら首を斜めに傾け、男はぼそりとつぶやいた。

 声色に、圧倒的な蔑みと少しの苛立ちが含まれている。私達の敵であることだけは確かだ。

 

 なぜキングゴブリンと一緒にいる? あの魔導書は……【瞬間移動】の魔導書だ。あれでキング2体を連れて現れたのか。

 2体はまるで操られているようにゆらゆらと立ち尽くしている。


「ンヴェェェ!!」


 横にいるジョーンが、急に後ろ足で立ち上がって威嚇のポーズを取った。こんなことは滅多にしない。キングゴブリンを警戒しているのだろうか。無理もないが。


「せっかく大量に集めたのによぉ……楽しめなくなっちまったじゃねえか……」


 男が気だるそうに言った。楽しむ? 理解が追いつかない。男だけが、ゆっくりと近づいてくる。


「どういうこと? あなた誰?」


「……俺は勇者サマだよ……女神に選ばれたんだ。今日は世界平和のために害獣駆除をしに来てやったのさ。

 ……あ? お前害獣じゃん。魔法使ってなかったか?」


「ゆ、勇者? 害獣駆除って……」


 こんな、前世なら絶対に関わりたくないタイプの人が、勇者? とても信じられない。

 それよりも、害獣駆除という言葉と目の前の状況から、ある仮説が浮かんだ。


「まさかあなた……ゴブリンをけしかけて、ユート村を襲うつもり……?」


 男の口の両端が吊り上がる。笑っている。ニタニタと。嫌悪感が込み上げる。


「へー、ユート村っていうのか。少し前に、この辺に人間と害獣が一緒に暮らしてる集落があるって情報が入ってね。人数も多いってことだったから、ゴブリンどもで逃げられないようにして遊ぼうと思ってさ。

 

 ……害獣と、害獣を庇う人間をぶっ殺すと国王が喜ぶんだよー。楽しめる上に報酬までもらえるから、俺害獣駆除が気に入っちゃってさー……」


「クズ……」


 思わず口から出てしまった。こんな邪悪な人がなぜ勇者なのか。私の言葉を聞いて、男の雰囲気が刺すような殺気に変わった。


「……俺に言ってる? 俺勇者だよ? 駆除しちゃうよ?」


「……」


 男が偉そうにため息を吐いた。


「……ったく、やっぱ人間も害獣も女はクソだな。馬鹿みてえに貢いでりゃいいのに、あなたのために借金しただのガキができただの……知らねえっつうんだよ。挙げ句刺して来やがって……」


 男は首を掻きながらブツブツと何かつぶやく。意味が分からないが、ロクでもない人間だということは伝わってくる。というかこの男、まさか……


「まーおかげで異世界転生? 出来たから別にいいけど。横領バレそうだったし。コンビニがあればもっと良かったかな」


「ッ!」


 やはり、こいつも転生者だ。自分以外にもいたのか。

 もっとも、私もそうだ、などと教えてやるつもりはない。今はそれよりも確認しなければならないことがある。


「あなた……キングゴブリンをどうやって従えてるの……?」


 男は【瞬間移動】の魔導書しか手にしていない。ただ、背負っているバックパックには別の魔導書が入っているはずだ。


「あぁこれ? 【魔法が使えない動物やモンスターを操る能力】だよ、女神にもらった【ギフト】。転生者はみんな1つギフトがもらえるんだと」


「操る……? ギフト……?」


 モンスターを操る。つまり、キングゴブリンを操って、ゴブリン達を操らせている……もしくは、どちらも自ら操っている、ということか。


 そして私も転生者なんだけど、ギフトなんて初耳である。もしかして獣人なのに魔法が使えるのって……実はギフトだった?

 私の混乱などお構いなしに男が続ける。


「人間とかは操れないのが終わってんだけどなー。モンスターとか動物……例えばそこにいるヤギ相手なら、かなり色々できるんだぜ。

 行動を操るだけじゃなくて、()()()()()()()()()()したりもできるんだ。これがまた楽しくてさー」


 男がまたニンマリと笑う。体の構造?


「昔は色々遊んだなー。街の外にいたヤギで剣の試し斬りしてたら、群れのボスみたいなやつが突っかかって来た時があってさ。


 ムカついたから、【操る能力】でそのヤギの体を『魔導書しか食えない体』に変えてやったんだ」


「――ッ!! なっ……!!」


 耳を疑った。まさかこの男が。

 ジョーンを魔導書しか食べられない体に変えた……?


 思わずジョーンを見る。先ほどから威嚇しているのはキングゴブリンに対してではなかった。この男に向けたものだったのだ。


「クックック……魔導書しか食えないとどうなると思う? まず群れから追放されるんだ。野生のヤギは人間と関わりたくなんかないのに、そのヤギは人間に近づいて魔導書をもらわないといけないからな」


 心底楽しそうに語る男。こいつ……操作した後、ずっとジョーンを観察していたのか。性格が捻じ曲がっている。


「水も飲めないんだぜ! 魔法で出した水しか飲めないようにしたんだ! ははっ!

 しかも、魔導書はタダじゃない……人間からしたら魔導書を食わせるってことは、札束を食わせるのと同じだ。人間が野生のヤギにそんなことするわけがない。野菜ならくれるお人好しもいたかもしれないのになぁ!


 ……つまり、そのヤギが生きるためには、人間を襲って魔導書を奪うしかない。それこそ害獣だ……!

 俺に楯突いた罰さ、人間に袋叩きにあって苦しんで死ぬのがお似合いだ」


 何を楽しそうに話しているんだ。こいつは人間じゃない。――悪魔だ。


「……ま、3日観察しても襲わなかったから、飽きてもうその後は知らんけど。根性なしでガッカリしたわ」


「……」


「でも! その後すぐに害獣の集落を見つけたんだ! なんか近くで害獣が出たって噂を聞いたから探してみたら、本当にあったんだよ! ……記念すべき最初の駆除、楽しかったなー」


 上を向いてうっとりしている。もう言葉が出ない。しかし今、1つの予感がある。


 ジョーンが飲まず食わずで何日も移動出来るとは思えない。つまり、私とジョーンが出会った時、この男は近くにいたのだ。そして、獣人の噂……。きっと、私だ。その近くにあった獣人の集落といえば……


「……その集落は、もしかして、シレクの里……?」


 男がわずかに目を見開く。


「……あー、確か害獣の1人がそんなこと言ってたかも。……何? もしかして生き残り? アッハッハ!」


 ――めまいがした。未練があった訳ではない。ないが、私は迫害に耐えながら5年も育ててくれた獣人の母を想った。

 最後に見た涙。あの意味を、もう知ることができない。その事実が、全身の力を奪っていく。


 体がふわふわと浮いている気がした。

 まずい、しっかりしなきゃ……。



 不意に、後ろの方から声が聞こえた。


「――――ぉーぃ! ノラーー!」


 ――この声は。アンナ?


「――ノラーー! 助けに来たよーー!」


「嬢ちゃん無事かー! 結婚してくれー!」


「なんだこの壁! ええい登るぞ!」


 はっとして振り返る。土魔法で作った鉄のバリケード。その向こうから、アンナやユート村のみんなの声が聞こえる。足音も。駆けつけてくれたのか。


 バリケードの向こうで「俺の背中に乗れ!」だの「肩車するから登れ!」だのと言っている。バリケードを乗り越えようとしているようだ。

 少しして、上からぴょこっとアンナが顔を出した。


「ノラ! 無事!? 一緒に戦おう!

 ……うわぁ! キングゴブリン! と、人間? なんで?」


「アンナ、それにみんなも……どうして来たの!?」


「どうしてって……仲間だから! 昨日言ったでしょ? 村のみんなは支え合いながら頑張ってるって! 昨日来たばかりのノラが命をかけて頑張ってるんだもん、それなら私達もノラを支えなくちゃ!」



『ただいまー』


『お、――ちゃん、おかえり』



 鼻の奥がツンとした。目が熱い。


「避難は終わったから大丈夫! 武器もある! 

 守ろう! 私達の村を!」


 気付けば、大勢の村人達がバリケードの上に横並びに立ち、武器を掲げて雄叫びをあげていた。視界いっぱいに映る、勇敢な戦士達。

 ぼやけてにじむ。私は村に招かれた時と同じように、また泣いていた。


「メェ!」


 ガブッッ!!!!!


 突然、ジョーンが私のお尻に噛み付いた。


「いだーーーーーッッ!!!!」


「ヴンメェェェーー!!」


 ジョーンが叫ぶ。これは――鼓舞だ。立ち向かおうと言っているんだ。

 ジョーンはこの男に人生をめちゃくちゃにされ、私は故郷を奪われた。そして今、ようやく辿り着いた理想郷が破壊されようとしている。

 

 負けたくない。みんなも来てくれた。

 負けたくない。負けたくない。


「……よっしゃテメェら! ついてこい!」


「「「「おおぉぉぉーーーー!!!!」」」」



「死ね」



 ――氷の針を首筋に刺されたような気がした。

 そんな声。あの男から発された。



 ギシギシギシィッッ!!



「ッ!?」


 男から魔力が放たれる。バリケードに向かって。これは、土魔法? いつの間にか魔導書を持ち替えている。


 バリケードはジョーンが作ったものだったが、男がより強い魔力で主導権を上書きし、自分の物のように操作し始めたのだ。


 バリケードが気の狂った鉄格子のように形を歪ませる。あちこちがバキバキとへし折れ、その切先は禍々しく尖った。


「うわぁー!」


「危ない! 離れろ!」


 バリケードだった物の上にいた村人達はたまらず向こう側の地面に飛び降りた。その間にもそれは邪悪さを増し、(いばら)の津波のように形を変えて村人達に狙いを定めた。


「ジョーン! バリケードの主導権を取り返して!」


「メェ!」


 ジョーンがバリケードに魔力を放つ。


「私はあいつを――!」


 男を止め――ようとした。その時。地響き。

 キングゴブリンが2体同時に、私に突っ込んで来た。


「くっ!」


 私は咄嗟に【風魔法】の魔導書を取り出し、体を覆うほど大きな風の盾を形成する。

 間一髪、振り下ろされる2本の棍棒を受け止める。

 重い。怖い。少しでも気を抜けば、あっという間に盾を破られて潰されるだろう。身動きが取れない。


 ちらりと後ろを確認するが、男の魔力は相当強いらしく、ジョーンも動く余裕が無いようだ。


 私とジョーンは、一瞬にして窮地に陥ってしまった。

 ジョーンは後ろを向いて、男とバリケードの主導権を奪い合っている。

 私は前を向いて、キングゴブリン2体の攻撃に耐えている。

 背中合わせですぐそこにいるのに、お互いに助けに入ることができない。


 村人達は距離を取って体勢を立て直している。それでいい。無理に突っ込んでも無駄死にしてしまう。


 男はというと、【土魔法】の魔導書と【操る能力】を同時に駆使している。動く余裕まではないようだが、勇者という肩書きもあながち嘘ではないらしい。


「駆除の時間だ! 害獣共!」


 男が嬉しそうに叫ぶ。悔しいが、バリケードを利用するのは効率がいい。1から鉄を作るよりはすでにある物を使う方が楽だし、同時にこちらの防御壁を奪える。一石二鳥だ。


「生意気にも魔法使いやがってこのクソヤギ……もしかしてあの時の根性なしか?

 ハハッ! まだ【操作】に慣れてなかったから余計な能力与えちまったか!?やっぱあの時殺しとくんだったなぁ! クソ害獣がぁ!」


「……じゃない……」




『ねぇ、――、いつもそのぬいぐるみカバンに入れてんの?』


『え? いや、まぁ。……変、だよね。はは……』


『変わってるけど別に良いんじゃない?

 ちなみになんで? それ、ヤギのぬいぐるみ?』




「あぁ?」


「害獣じゃない……!」




『小さい時、お母さんが唯一買ってくれた物だから……これを大事にしてれば、いつか迎えに来てくれるかもーみたいな……はは……まぁこれ、100均なんだけどね……』




「ジョーンは……たとえ自分が餓死することになっても、人を襲おうとはしなかった……!

 そして、魂も干からびる孤独と渇きの中で、やっと手に入れた水を! 自分で飲むより先に!

 出会ったばかりの私にくれたんだ!」




『昔はそんな理由で大事にしてたんだけど……

 辛い時とか寂しい時、このヤギを見てると、なんだか勇気が湧いてくるんだ』




「お前なんか勇者じゃない……!」




『叩かれた時も、置いていかれた時も、いつも一緒にいたから。


 この子と励まし合いながら乗り越えて来たから、今度もきっと大丈夫だって思えるんだ。


 ――この子が私に、勇気をくれるの』




「私にとっての勇者は……ジョーン……!


 この――気高い獣だッッ!!」


 


「うるっせえんだよ! 潰れちまえぇぇ!!」


 男が2体のキングゴブリン両方に魔力を放つ。すると、2体の体が光に包まれ、1つに重なる。光はみるみる大きくなり、一際強く光った。

 そこに現れたのは、見上げるほど大きな、ゴブリンの巨人――。


「【操作】して合体させた! インペリアルゴブリンだぁ! 害獣2匹、まとめて死ねぇ!!」


 モンスター2体を合体とは、もはや狂気の沙汰である。巨人ゴブリンが、私達を踏み潰さんと片足を上げた。


「命で……遊んでんじゃねぇ!」


 残った魔力を全て魔導書に込める。風の大砲をイメージして、巨人ゴブリンに撃ち込む。それは竜巻のような唸りを上げて足に命中し、敵のバランスを崩した。

 これで私は魔力切れ。スッカラカンだ。でも構わない。


「――ジョーン、おやつの時間だ。表紙も食べるんだよ」


 腰に手を当て、振り返らずに背後へと魔導書を放る。

 ジョーンがジャンプし、かぶりつく音がした。ジョーンの切れかかっていた魔力が補給される。


「ンメェェェェ!!」


 私は首だけ後ろを振り返る。村人達に襲い掛かろうとしていたバリケードが輝き――1本の巨大な槍に形を変えた。男から主導権を奪い返したのだ。

 ふわりと宙に浮き、切先が巨人ゴブリンへと向けられる。そして。


 ザシュゥゥゥゥッッ!!


 槍が空を駆け、巨人ゴブリンの体を貫いた。

 ――が、しぶとい。倒れ込みながらも私達に掴み掛かろうとしている。


 やば、と思ったその時。ジョーンが私の服を咥えた。

 瞬きすると、私とジョーンは空中にいた。ジョーンの【瞬間移動】で巨人ゴブリンの頭の上に飛んだのだ。


 ジョーンが空中で体を捻り、お尻を下に向ける。巨人ゴブリンが下からお尻を見上げている。あ、これはもしかして――。


「メ」


 ゴオォォォォォォォッッ!!


 ジョーンの、()()から、紅蓮の炎が、吹き出した――。


「グギャアァァァ!!」


「な、なにぃぃぃぃ!?」


 男が驚愕している。無理もない。なぜかジョーンは、炎魔法だけはお尻から出るのだ。厳密にはお尻辺りの空間から発生しているのだが。

 巨人ゴブリンは一瞬にして、灰のようにボロボロと崩れ落ちた。色々と申し訳ないが、自分や周りの人の命がかかっているので仕方ないと割り切る。

 私とジョーンが綺麗に着地する。10点。


「ふざけやがって……! クソがぁぁぁ!」


 とうとう男が自ら剣を抜き、鬼の形相で突っ込んできた。かなり速い。私はジョーンに離れるよう促す。素直に従うジョーン。


 男は片手に魔導書を持ったまま、突きの構えを取った。

 鋭い踏み込み。私の眼前に、銀の刃が迫る――。


 ――が。かき消える。


 一瞬にして、男と剣が姿を消した。背後に殺気と、勝ち誇った呟き。





「――ふん、残ぞ」

「残像でしょ?」





 軽く落とした腰を軸に、反時計回りに体を捻って反転。背後を振り返る。

 眼前に銀の刃。体をわずかに左に倒す。右頬を凶刃が掠める。

 左足を強く踏み込む。腰を捻る。右足で地面を蹴る。驚いた顔の男。その顎に、硬く握った右拳を――ブチ込む。



 ゴシャッ。


 クロスカウンター。



「――がはっ……」





 どさり、と、糸が切れた人形のように崩れ落ちる男。

 私は見おろす。前を向く。歩き出す。


「獣人の身体能力舐めんな。

 ……『ふん、残像だ』とか、今時古いんだよ」


 ジョーンが「お前が言うな」という顔でジトっと見ていた。


「…………か、勝ったぁーー!」


「すげぇー! ゴブリンの大群とキングゴブリン、それにやばい男まで! 全部やっつけちまったー!」


「ノラー!」


 アンナが泣き笑いのよく分からない表情で抱きついてきた。その衝撃に耐えられず、2人して倒れ込んでしまう。


「ノラ! 大丈夫? 怪我は?」


「い、いまさら腰が抜けたくらいかな、はは」


「……ありがとう。村を守ってくれて。ノラとジョーンのおかげだよ」

 

 村のみんなも集まってきた。勝ち鬨をあげたり抱き合ったりして喜びを分かち合っている。


「……私はただ、むかついたっていうか……もう逃げ隠れするのは嫌だって思ったから……それだけだよ」


 ジョーンが近づいてきて、小さな水の玉を出してくれた。私と、自分と、アンナの分。


「ね、ジョーン」


 ジョーンの背を撫でる。尻尾をパタパタと振っているので、ご機嫌のようだ。


「それでもありがとう。ノラ、ジョーン」


 3人同時に水の玉をぱくっと食べる。今度は私のだけゲロ甘かった。





  *  *  *  *





「なんと! 村ごと瞬間移動できるとな!?」


 その日のユート村は宴会となった。大きな篝火を囲んで、どんちゃん騒ぎである。

 私は少し端の方で、村長と今後の防備について話していた。横ではジョーンが座って魔導書をモシャモシャしている。


 ちなみに、勇者と名乗った男はというと。

 結論から言うと、異世界転生する前にいた世界、日本に還った。

 あの後目を覚ました勇者のもとに、女神が来たらしい。「らしい」と表現したのは、勇者にしかその姿が見えなかったからだ。


 はたから見れば勇者の独り言のようだった会話から推理するに、女神は勇者を「前世と今世で悪事を働きすぎたので、特例としてこの異世界から追放し、前世で生き返らせる」らしい。

 時間軸は死んだ直後で、無傷で蘇生する。つまり、前世を無理やり継続させる訳だ。

 「横領がバレそう」とか「詐欺容疑で取り調べ」とか「闇金の返済期限が」とかごちゃごちゃ言っていたので、それらをしっかりと償うことになりそうだ。改めてロクでもない男だった。


「はい。ジョーンの【瞬間移動】は、触れていれば建物も一緒に移動できます。一度行った場所なら長距離移動も可能です。

 なので、私とジョーンで良い場所を見つけて、瞬間移動で何度も往復すれば全ての村人と家を新天地に移せます。獣人に友好的な国や土地があれば、隠れて暮らす必要もありません。

 ……まぁ、そんな都合の良い所があるかは分かりませんけど……」


「いや、充分希望になる話じゃ。もう1回紋章がある方の手で引っぱたいてくれんか」


 3回引っぱたいた。


「ありがとうございます!」


 なんだこいつ。


「……大したお礼も出来んが、村にある魔導書は好きに使ってもらって構わん。数は少ないが、変わったものもあるでな」


「え! ありがとうございます!」


 村長が後ろにある大きな木箱3つに目をやった。素直に嬉しい。ジョーンに食べられないようにしなくては。


 そこに、大きな骨付き肉を両手に持ったアンナが飛び込んで来た。


「ノラー! 一緒に食べよー!」


「食べる!!」


 勇気を出して戦って本当に良かった。私は肉にかぶりつく。肉汁が溢れ出し、口の周りを汚す。それが気にならないほど、美味しかった。村長が羨ましそうに見ている。やらん。


「……ノラとジョーンは、魔導書が要らない魔法を使ったんだね」


 アンナが空に向かってつぶやいた。そんなもの使っただろうか。身に覚えがない。


 魔法を使うには、魔導書が必要である。

 例外があるとすれば、ジョーンと、転生者がもらえるギフトくらいだろう。


「私達、そんなの使ったっけ?」


「うん……【勇気】って魔法だよ。勝った後ノラに抱きついた時、ノラ震えてたよ。怖かったんだね。でも、勇気を振り絞って立ち向かった」


「……なるほど」


 なんだか恥ずかしい。顔が熱くなっていくのが分かった。どう答えていいか分からず、何となくジョーンを見る。が、いない。


「あれ、ジョーン?」


 近くからモシャモシャと音が聞こえる。村長が用意した木箱の方からだ。もしかして。


「あー! ジョーン! また勝手に魔導書食べて!」


「ウメー!」


「おや、その魔導書は……」


 ジョーンの口から魔導書を引っぺがそうとしていると、村長がこちらを覗き込んで来た。


「珍しい魔導書に目をつけたもんじゃ」


 何やら関心している。何だろう。どうせ食べられるとしても、せめて私が1回くらい使ってからにしてほしい。


「それは、【どんな種族とも5秒間テレパシーで会話出来る】魔導書じゃな。」


「…………え?」


「使う言語が違おうが、相手が動物だろうが、5秒間だけ会話出来るんじゃ。まぁ1度しか使えん欠陥品じゃがのう」


「へー素敵」


 アンナが呑気に関心している。でも私はそれどころじゃない。ジョーンが5秒間私と会話できるとすれば、何を言われるか分からないのだ。


 いつも安物の【水魔法】の魔導書ばかり食べさせている。

 暑い日は風魔法を出させて扇風機代わりにしている。

 ギルドのモンスター討伐ではジョーンに頼りきりだ。


 文句を言われる心当たりしかない。こんなことなら、もっと日頃から労わっておくんだった――!


 両手で頭を抱える私に、魔力を帯びたジョーンがトコトコと近づいて来る。


 何だ。何を言うつもりだ……!





 ジョーンが顔を上げ、私の顔を見た。









『いつもありがと』







「…………ふふっ。


 こちらこそ。これからもよろしくね」







 読んでいただき本当にありがとうございます。

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