5:自己紹介
窓際の一番前の生徒が立って話す。
「ルロヴェネーゼ・インドミタブル。この国の王太子だ。趣味は読書」
ルロヴェネーゼ・インドミタブル。黒髪黒目のこのイラストリアス王国の王太子にして品行方正。
他者にも自分にも厳しく、勤勉。魔法の腕前も高く、“白の聖女”と呼ばれる王妃の子どもだ。
ただ、自身が癒しの力を持っていないことに酷い劣等感を感じていて、癒しの力を持つ主人公にも冷たい態度をとってしまう。
ツンデレキャラだ。
ちらりと隣を覗く。王太子ルートか?気になる?気になる?このイケメン気になる?
ちらちらと覗いていると愛想笑いを返された。
見すぎた。恥ずかしい。
「レリンサ」
「あ、すみません」
ディラン先生に名前を呼ばれて席を立つ。
「レリンサ・アルジェリーです。趣味は……読書?」
うーんこれと言って趣味はない。
法の整備が気になって仕方ないが、今は学生の身分だし父も一人で回せるだろう。
それは趣味とは言えないだろうし、治療院で治療をするのも趣味じゃない。
善行を積み、断罪死刑を避けるための唾棄すべき自己欺瞞である。
なので読書と一応言っておく。
隣のヘレナが席を立ち可愛らしく微笑む。
「ヘレナ・オーリックです。趣味は散歩です」
「桃の聖女様?」
何処からか上がった声にかあとヘレナは顔を赤くして顔を俯かせる。
「私など白の聖女様や赤の聖女様の足元にも及びません!」
「レリンサ様はご立派だから」
どよめく教室内に乾いた音が響く。
「次」
ディランは手を叩き教室の空気を換えると次の生徒の自己紹介に移させる。
◆
一通り自己紹介が終わって全員が一息つく。
ディラン先生って精悍なイケメンだなーとにこにこしながら見ていると視線がかち合う。
ふっと彼は少し笑ったように見える。
手を振るとせき込まれた。
やりすぎたな。
なれなれしいのは嫌われる自重しよう。
「学園は見ての通り城だ。迷路が多いから知らない道は通らないように」
はーいと皆で元気よく返事してプリントが配られる。
この1か月の予定表とでかい城の地図。
学校見学は先日行ったし。
「学級委員長を決めたいんだが、自薦でも他薦でも誰かいるか」
一斉にこちらに目が向けられ。嫌な予感がして何かを言われる前に手を挙げる。
おほほほこちらにはゲームの知識があるんですのよ!
ゲームではルロヴェネーゼが学級委員長だった!
「ルロヴェネーゼ様はいかがでしょうか。お忙しくて無理でしょうか」
「私は構わないが……」
どこか訝し気な目を無視して微笑む。
ディラン先生もどこか釈然としないような顔を見せつつ頷く。
「なら殿下に」
1拍置いて拍手が巻き起こる。
それが落ち着いた頃にディラン先生がつらつらと話し始めた。
「昼まで城の散歩でもしてろ。昼は12時に大食堂で全生徒でとるからな、遅刻するなよ」
そう言ってディラン先生は教室から出ていきクラスの視線がちらちらとこちらに向いている。
ぼーとしているとユリウスがこちらに来ようとしてティニアシアがそれを阻止。
「なんだよ!」
「ひとりでふらついてろ」
「何してるんだ?」
ルロヴェネーゼがそれに割って入って、2人を見る。
さっすが学級委員長!
「友達のところに行こうとしたら阻止されました」
「友達なら会ってもいいだろう」
何か言いたげにティニアシアがこちらを見ている。
婚約者であることは学校内では内緒にしてほしいと頼んでいたのだ。
どうせ、主人公にメロメロになって婚約破棄するんだし。
にしてもゲームならユリウスはクラスの女子に声をかけて回っているはずなのだが。
ちらっとヘレナの方を見ると愛想笑いをされた。
「私が聖女なんて烏滸がましいですよね」
そんな風に言われてきょとんとする。
「努力の結果でしょう?烏滸がましいなんてことはないですよ。ご両親も鼻が高いのでは?」
「両親は家が助かるとだけ。無理しないようにとも」
「良いご両親ですね」
「はい。本当は学校にも通うお金をねん出するのも難しいかと思っていたんですが」
「まあ、良かったらオーリック男爵領の特産品を教えてくださる?」
「綿です」
「海沿いなんですね」
「はい」
「なら漁も?」
「はい」
「漁課税は?お試しに?」
「いいえ。好きに漁をしていいという方針で」
うーん。特産品が綿ということは食料に困ることもあるだろう。漁に課税すると餓死させかねない。
なら貿易してみればいい。
「オーリック男爵領で大麦の生産を開始してみては?」
「大麦ですか?」
「はい。ほかにもトマトも塩害に強く、問題なく育つかと。トマトは特に甘みが増します。良い特産品のひとつになるかと。労力は大きいですが」
「すぐに父に手紙を送ろうかと思います。失礼します」
「はい」
問題ないかな?トマトは小ぶりに育っちゃうけどその分美味しく育つ。高級食材としてよく売れるはずだ。
貴族はそう言うのに目がないからな。キャッチフレーズを今のうちに考えておこう。
オーリック男爵領の王国で一番美味しいトマトちゃんなんてどうだろうか。
間違いないな。
ネーミングセンスの良さにひとり悦に入っていると話しかけられる。
「よかったら昼まで散歩でも」
ティニアシアがにこやかな笑みでそう言うとその後ろからティニアシアが押しのけられる。
「僕といっしょがいいよね」
いやあどうしようかな。主人公は手紙を出しに行っちゃったし。
あんまり攻略対象と話したくないな。
「うーんひとりで……」
「私と散策を楽しんでもらえないだろうか」
突然の言葉に口を噤んでしまう。
ルロヴェネーゼは何を考えているんだ?
「ど、どうしてでしょうか」
「話があるんだ」
「ルヴェネ」
とティニアシアが咎めるような声を出したがちょっとそちらを見て、首を傾げた。
「婚約者という訳でもあるまいに。アルジェリー嬢が男子といたところでティニアには関係ないだろう」
「……」
「……」
「……」
あーこの空間イケメンだらけだわー
現実逃避をしようともルロヴェネーゼの意思は強いように思う。
何か興味を引くような態度をとっただろうか。
あれか、学級委員長に推薦したのを地味に嫌がっていたのか?
そう言う恨みは強いからな。
やだな。
どうしようか。
「図書館に行きたいので、これで失礼しますわ。おほほほ……」
「それならいっしょに行けるな」
あらやだ。どうしても来るつもりらしい。
攻略対象人気度トップ2についてこられると主人公にあらぬ疑惑を抱かれかれない。
そうだ!悪役令嬢であることを存分にいかんなく発揮すればいいんだ!
するり、とルロヴェネーゼの少年のわりに鍛えられた手に手を重ねる。
「殿下にお誘いいただけるなんてありがたいですわ!」
すっと手を離されて顔を赤らめられた。
怒ったかな。
手を握っただけで顔を赤くするほど怒るなんて、嫌われたものね!この調子よ!
アルジェリー侯爵家が権力を持つようになって王家としてはきっと嫌なものだろう。
いや、王太子に嫌われるのはまずいか?
ちょっとひやひやしながら上背のあるルロヴェネーゼの顔をのぞき込む。
顔を真っ赤にしたままの彼をそっとそのまま置いて教室を出るとかつかつと革靴の音が後ろからついてくる。
振り返るとルロヴェネーゼが付いてきていてその後ろからティニアシアとユリウスがそろそろとついてきている。
「ちょっと待ってくれないか。アルジェリー侯爵領の生活保護の仕組みについて詳しく聞きたいんだ」
「ああなるほど。それなら」
図書館に向かって歩きながらルロヴェネーゼの隣を確保する。
「財源を知りたいんだ」
「簡単ですよ。そのひとつは消費税です」
「消費税?」
「はい。例えば魚を1匹買う時に100オシアであるところに5オシア追加で払ってもらうんです」
「105オシアになるな。そんな小さな金額で?」
甘い甘い。塵も積もればだ。
それに勘違いをしている。
金本位制度じゃないため、ピンとくるのは難しいかもしれない。
「塵も積もれば山となるですよ。それに商人からも消費税をとってます」
「ふむ?」
「例えば、絹を千枚交易してくると当然冒険者などの護衛もついてきます。その人たちは滞在期間に金を落としてくれます」
「ああ」
「絹の加工にも金がかかる。そこにも消費税がかかってくるんですよ。これを10年続けています。安い金額じゃありません」
「そう言えば、アルジェリー侯爵領は大きな商会が拠点にしているな」
「はい。所得税や商会税を安く抑えているんです」
「何故?高くしてしまえばいいのでは?」
ふふと少し笑うとルロヴェネーゼを見上げる。
「金を産む鶏を絞めるのは良くありません。売上によって課税を変えているんですよ。税務官が細かく計算してその都度割合を変えています。人件費も馬鹿になりませんが、これも健全な収入のためです」
廊下を曲がり次の角も曲がる。方向音痴ではないので地図を一度見れば目的地にはつく。
「何より、アルジェリー侯爵領は人口を増やす施策を打ち出しています。生活保護はその一部」
「ふむ?ノブレス・オブリージュではなのか」
「まさか。いえ、もちろんそう言う面を見てもらうというつもりではありますが、生活保護から抜け出すための計画はちゃんとあります」
「なるほど?」
「農民として農村に向かってもらうか、魔法の適正を調べる、軍人になってもらう、肉体労働や生地の生成。職業の斡旋も常に行っています。でも精神的な病気で働くのが難しいなら生活保護はそのまま」
「性善説を信じすぎでは?」
その疑問に微笑んで返す。
「まさか。とんでもない。生活保護を受けようと思ったら住んでいる家の隅々まで調べます。そして週に1度、援助金を手渡すついでに監視員が家の状態を調べ、家族の様子を調べます」
「援助金をギャンブルに使ったりとか」
「その場合、生活保護は解除。子供がいる場合は子供は問答無用で孤児院へ。両親は労役奴隷です」
「厳しいんだな」
「はい。図書館です」
そう言って扉を開き、ぞろぞろと入ると司書に変な顔をされた。
だが眼鏡をした青い髪の青年はこちらをその赤い目をこちらに向けて質問する。
「新入生の方ですか」
「はい。失礼します、閣下」
「……はい?」
キョトンとした顔を司書にされ訝し気な目を後ろからひしひしと感じる。
違うんだ間違えたんだ。彼は少将の一人なんだ。立派な軍人なんだ。
ただしその事実は学生には伝えられないし、先生の中でも知っているのはごく一部。
イルトヴェガーナ・シマカゼ。
青髪赤目の180cmを超える長身のすらっとしたモデル体型の軍人。生粋の軍人。そう生まれた家から違う。
シマカゼ公爵家の長男。26歳。
何を隠そう隠れ攻略対象である。図書館にくるイベントはあるが司書が出てくるイベントは少ない。そんな中で学園魔物襲撃イベントの際、図書館を選べるのは数少ないイベントでイルトヴェガーナの好感度を上げておかないといけないのだ。
そう私はイルトヴェガーナの厄介オタクである。大好きなキャラが目の前にいて倒れそうだ。泣きそうだ。
この切れ長の目がたまらなく美しい。胡乱げな顔をした美貌もたまらない。座っているため長い髪が綺麗に清掃された床についている。
美しい!
顔を覆ってずしゃっとその場に膝をついた私をルロヴェネーゼが戸惑い気味に肩に手を置いて叩く。
「ここは図書館だから」
「お見苦しい所を……失礼しました」
震える足を叱咤激励して、何とか立ち上がると颯爽と去る。
多分。
図書館の本を一冊手に取って席に着くとルロヴェネーゼがひそひそと話してくる。
閣下と言ってしまったことへの尋問かと思って身を引き締めたが内容は違った。
「精神的な病気はどう判断しているんだ?」
「精神的な病気は基本的に医者の診断書が必要です。診断書はただではないですが、あとで申請すれば返金します」
「だが、狂言出来るだろう」
この世界は中世ヨーロッパ風である。
たとえば、魔石に魔法を込めて、水道に使用することやコンロの様なものには火の魔法を込めた魔石が組み込まれていて安全に楽に使えたりと一部現代的な要素があるが、基本的に精神的な病気に理解がない。
「その時はその時です。一応治癒の魔法で脳を治すことはできます」
「脳?精神的な病気だろ?」
「心のありかは不明瞭ですが、基本的に精神的な病気は脳の病気です」
「ほう」
「ですが」
たとえば、たとえばだが。目を閉じて凄惨な光景を頭から振り払う。
「記憶は弄れません」
「……?」
「記憶による病気は治せないんです。これは甘えじゃないんです。精神的な病気は甘えではない。甘えられなかったからなる病気なんです」
自律神経失調症は治癒魔法で治せた。
だがPTSDは治せなかった。彼女はパニックになったまま何もわからず自分の喉を掻き切って死んでいった。
つまり記憶由来の物は記憶自体をいじらざるを得ない。
震える両手を眺めて能面のような顔になってしまう。
血にまみれた手を幻視する。
“聖女”だなんて笑わせる。何もできなかった。彼女は、どうやったら救えたんだろうか。
震える手をそっとティニアシアが横から握ってくれた。