34:男装の麗人
日曜日の朝5時。
欠伸をかみ殺し起き上がるがふと思い出す。
あれ勉強道具持ってきてねえな?
「ぐうううううう!!!」
ぎりぎりと歯を食いしばっていると扉が叩かれる。
「はい」
「お嬢様」
「入っていいよ」
「はい」
冷淡なメイドは入ってきてこちらを見て、お辞儀をする。
「お勉強はよろしいのですか?」
「持ってくるのを忘れたの」
「お勉強嫌いですものね」
冷淡な目にはっとしてぼさぼさの頭でベッドの上のまま慌てて手を振る。
「ち、違うわ!勉強が嫌でおいてきたんじゃなくって!単純に忘れてたというか!」
「そうですか」
冷淡なメイドは冷淡に言い、私の手を引く。
「そんなことはどうでもいいので着替えましょう」
「うん」
鏡台で髪を梳かれ、綺麗に梳かれると立ち上がる。
コルセットを装着しドレスを着る。
今日は治療院に行くから地味目なものだ。
「まだ朝食は早いよね」
「シェフはもう準備をしているので早められますよ」
「ううん。家族で食べたいし」
「そうですか」
「アレックスは?」
「中庭でエルリシア様と一緒に訓練を」
「そうなの?」
「はい」
部屋から出てメイドの案内で中庭に出ると一角に的の案山子が立っている。
いつの間に。
近づくとアレックスが重りのついた木剣を振っているし、エルリシアは魔法を案山子に撃っている。
アレックスが先にこちらに気付き、柔らかに微笑んだ。
エルリシアはこちらに気付くと走ってこちらに来る。
「お姉様」
「はい、お姉様ですよ」
エルリシアは私をぎゅうぎゅう抱きしめ満足した後で離れる。
「見に来てくれたんですか?」
「うん。勉強の道具を忘れてきちゃって。手持ち無沙汰なの。見学してもいい?」
「勿論です」
エルリシアの魔法の腕前は目を見張るものがある。学園でも問題なくやっていけるだろう。
私とは違って。悲しいなあ。何で得意なはずの水魔法でさえ足止め程度の威力しか出ないんだろうか。やっぱ魔力が足りないんだろうな。
魔力上げる方法とかないのかな?
エルリシアが魔法を撃っているのを見ながらうーんと考えているとメイドが話しかけてくる。
「どうかなさいましたか」
「私って魔力ないでしょ?」
「はい?」
私の言葉に目を見開いて珍しくぎょっとしたような顔を見せる。
「どこがですか?」
「え?何が?」
「魔力ですよ。9時から18時までひっきりなしにやってくる患者相手に魔法を唱え続けて傷や病を治しておいて魔力がない?」
「うん?誰でもできるでしょう?」
はーと呆れたような溜息が吐かれる。
うん?うん?だって治癒師だっているし。いや。そう言えば治癒師は傷を治せても魔力がすぐ切れてしまっていたな。それに完全には傷を癒せない。
「……あれ?」
「勿論、レリンサお嬢様レベルで治癒を行える方はいらっしゃいますよ」
「あ!ほらいるじゃない」
「皆さま聖女とか聖者とかと呼ばれますけどね」
「ぐう」
ううううう!!
「じゃあなんで水魔法が使えないの?」
「多分相性ですかね」
「相性はいいって言われたわよ?」
「ましなだけで、完全に使えるものじゃないんですよ。光魔法を使える弊害ですかね」
「でもでも、ヘレナ様は水魔法使ってるわよ!威力も十分!」
私とは違って魔力があるということだろうか?
「相性もありますがそもそも、魔力の有無ではなく、魔力操作の精度の問題です」
「……それって私の魔法の使い方が下手くそってこと?」
「まあ、ありていに言って」
「ぐ」
でもどれだけ特訓をしても上手くならなかった!!何故だ!!
光魔法は上級まで使えるのに!
「諦めてください。お嬢様の魔法は光魔法だけで十分ではありませんか」
「自分の身は自分で守りたい」
「それこそ向き不向きがあります。暴漢相手にでも殴り掛からなかった方が攻撃魔法を撃てるとは思いません」
「……むう」
誰かを傷つけるのが怖い。そう言う感情が、攻撃魔法を撃たせないのだろうか?甘い!甘いぞ!自分!自分の身は自分で守りたい!
そんな感情を見透かしたメイドが冷淡に告げる。
「諦めてください」
「むう」
そんなこんなで7時まで木陰で眺めていると父と母が中庭に現れた。
「やあおはよう」
「おはようございます!」
慌てて立ち上がりお辞儀をする。
アレックスもエルリシアも訓練をやめてこちらに来る。
「おはようございます、父上母上」
「お父様お母様、おはようございます」
にこにこと父と母は微笑み、3人に話しかける。
「そろそろ朝食にしないか」
「はい」
汗をかいていたアレックスとエルリシアをメイドが洗浄魔法で綺麗にし、皆で食堂に向かう。
◆
朝食をとり、両親と弟と挨拶を交わし、アレックスと共に馬車に乗る。
治療院に向かう中でアレックスに手を取られる。
「辛かったらすぐ帰ろう」
「大丈夫!私気にしてないから!」
にこにこ明るく笑うと苦笑いが返って来た。
「そうか」
治療院に着き、馬車から降りて治療院に入ろうとすると話しかけられる。
「レリンサ・アルジェリー様ですか?」
「はい」
「ああ、良かった。私はライザ・ニンハイです」
ぎこちない笑みを浮かべるライザは美しい緑色の髪で赤の瞳が本当に驚くほど煌めいていた。
きっと真面目な人なんだろうなと思わせるほどきっちりとした男装をしている。
「ニンハイ大佐ですか?」
「はい。アルジェリー侯爵閣下の要請で赤の聖女様をお守りいたします。お任せください」
慌ててカーテシーをする。相手は目上の人だ。地位も上。
「敬語じゃなくて大丈夫ですよ。私は聖女と呼ばれるほど高潔な人間じゃないので」
「そんな!!赤の聖女様がどれほど国に貢献しているか誰もが知るところです!」
え?何かしたっけ。前世の知識で貿易、法の整備、商売と手を広げていたが国が目をつけていたとは知らなかった。
あ、それでルロヴェネーゼの態度が硬化したのかな?なるほど納得。今の私、目の上のたん瘤だよな。
立場を理解していなくて調子に乗っていたから軍にも狙われたのかな?いや、暴走したのは軍じゃなくて桃の聖女派閥だけど。
「光の聖女に選ばれるともっぱらの噂ですよ」
そう崇拝するように言われて、眩暈を覚え一歩下がると心配そうなアレックスに肩を支えられる。
いやだ。それだけはだめだ。
ゲームだと光の聖女に選ばれるのは桃の聖女。ヘレナだ。
光の聖女は聖女の中でも最も癒しの力を持つ者が神殿に選ばれる。各国にひとりいるかいないか。大半の国はいない。
「私なんかが烏滸がましいですよ」
「そんなことはありません!」
熱心にこちらの手を取り、きらきらした目で私を見てくる。
「と、兎に角私はただの治癒師ですから!」
「そうですか……」
しょんぼりとしているライザが手を離し、お辞儀をした。
「先走ったようで申し訳ございません」
「敬語はやめてください」
「……いいのかな?」
彼女は柔らかに微笑み、こちらを伺う。
力強く頷いた。
「はい。大佐」
「赤の聖女様も敬語辞めていいよ」
「いいんですか?だって大佐……」
偉い人なんだけどなと思いつつ見上げるとにこやかに言われる。
「姉妹みたいに話してくれていいからね」
「姉妹……」
きらきらと目が光ってしまう。姉妹!!年上のお姉ちゃんって素晴らしいわよね!
「ニンハイ大佐」
「ライザって呼んで」
「ライザさん」
「呼び捨てでいいよ」
「ライザ!」
「はーい。レリンサ」
きゃあきゃあと抱き合っていると後ろから話しかけられる。
「レリンサ様」
体をライザから離し、くるりと振り返るとアレックスの向こうにヘレナが青ざめた顔でこちらを見ている。
ヘレナは私の方に近寄り、ライザを見上げる。
「ど、どなたですか!?」
「ライザ・ニンハイと申します。大佐として軍に奉職しております」
「あ、ヘレナ・オーリックと申します、ニンハイ大佐」
カーテシーをするヘレナをライザは睥睨する。
「桃の聖女様はどうしてこちらに?」
ちり、と空気が凍ったような燃え上がったような。温度が変わった。
ライザの目は眇められヘレナを冷たく見下ろす。
「あ、レリンサ様が襲われないように守ろうかと思って」
「私がいるので問題ありません。どうぞ、お帰りください」
冷たいいいようにぎょっとした。
「アレックスもライザもいるし、大丈夫ですよ。ヘレナ様を危険な目には合わせられません」
「あ、はい……でも」
「はい?」
「一緒にいてもいいですか?お友達として」
良い響きだ!友達!
ヘレナと仲良くなっておけば断罪死刑も遠のくだろうし。なによりヘレナはいい子だ。断るのは心が痛む。
「はい。じゃあ、一緒にいてくれますか?」
「はい!」
治療院に4人で入って専用の治療室に入る。
椅子が持ってこられ、ヘレナは椅子に座る。
◆
「今日は危険なことはなかったですね」
18時を回った時計を見ながら最後の患者を癒す。
「ありがとうございます!」
「はい。清算をして帰ってくださいね」
「はい」
患者は生えた足を確かめるように軽々とスキップをしながら出ていき、私とヘレナは席を立つ。
「私も、週末はここに来ていいですか?」
「毎週末来るわけじゃないですよ。勉強もありますし」
「そ、そうなんですね。あの、何かできることはないですか?私、役に立ちたくて」
私が口を開く前にライザが厳しい声を出す。
「桃の聖女様が赤の聖女様のそばにいるのは派閥争いを激化させます」
ヘレナは顔を青ざめさせて俯く。
そんなヘレナの手を握った。手が冷たい。何か思い詰めているのだろうか。
「お気持ちだけで十分です、ヘレナ様」
「わ、私は、派閥なんて知らない。私はレリンサ様をこんなに大切に思っているのに」
泣き出しそうなヘレナの声に喜色の混ざった声が思わず出てしまう。
「え!本当ですか」
「え?」
おっと感じ悪かったな。でも嬉しい。
「嬉しいです。ヘレナ様が私を大切に思ってくれてるなんて!!」
「嬉しい、ですか?」
「はい!」
「わ、たし、なんかが」
ぽろぽろと涙をこぼすヘレナの涙を慌ててハンカチで拭う。
「ヘレナ様は素晴らしいお方です」
「私、私のせいでレリンサ様が矢で射られて。目の前が真っ暗になって……」
「あれは、違うんですよ。アルジェリー家を狙ったものだったんです」
嘘を重ねて涙を拭いながらヘレナの頭を撫でる。
「でも、周りの人たちは、あれで……あれで、レリンサ様が死ねば良かったのにって。偉い貴族の人たちも手紙でたくさん送ってきて。私どうしたらいいか分からなくて」
ぐすぐすと泣くヘレナの涙を優しく拭いながら考える。
ああ、そうか。そっち方面で追い詰められてたのか。それは止められない。ヘレナが自分の力で受け入れるか、折り合いをつけるかしないと。
たった15歳の子供には重い決断だ。友か立場か。
「リシュリュー公爵家が後ろ盾になるからってお話も出てて……私、レリンサ様を傷つけたくない。邪魔をしたくない。私なんかいなければ良かったのにっ」
「ヘレナ様のお好きなようにしてください。お家のためにも公爵家の後ろ盾を得るのはいいことです」
「……」
ともすればこの言葉は冷たく突き放したものだ。しかし真意は違う。
「万が一の時はこちらで助けます」
「え?」
「ヘレナ様が“桃の聖女”を嫌になったら、オーリック男爵領に一緒に行きましょう。学園なんてやめて、自由に海辺で暮らしましょう」
泣きながらヘレナは笑った。
「海を見ながらゆっくりと過ごしていたころが懐かしいです」
「新しく屋敷も建てましょう。そうだ今すぐにでも!8月の夏休みになったら、1ヶ月釣りとか遊泳とかして、何もかも忘れて過ごしましょう」
アレックスがちょっと身じろぎ、ライザが微妙な顔をした。
「お父様に言わなきゃ!」
「本当に建てるんですか!?」
ヘレナの驚いたような声に力強く頷く。
「善は急げですよ!!1ヶ月で屋敷は建ちますから、土地を探さないと」
「それなら良い所があります。景色が良くて釣り場の穴場があって、遊泳場もある。穏やかな波間が時間を忘れさせてくれるんです」
「じゃあ、そこで!8月が楽しみですね!オーリック男爵閣下に手紙を書いていただけますか?」
「は、はい」
「お金は全部私が出します」
「え」
「貯めてたお小遣いがあるんです!投資もしてて!」
「投資」
「はい。エンタープライズ帝国のお金とイラストリアス王国のお金を交換するって感じの」
所謂為替取引。
エンタープライズ帝国の動き方はよく分かる。分かりやすすぎるくらいだ。今はイラストリアス王国とは戦争してないから、動きが見やすい。
元老院が皇帝を傀儡にしたがっているのを知っているから、それをもとに動きを先読みすればいい。皇帝派と元老院派、軍派の泥仕合を遠くから眺めているだけでいい。
ほぼインサイダー取引である。犯罪だね☆
「うふ!立派な屋敷でお友達と一緒に海辺で過ごすなんて贅沢ですね!」
ヘレナは泣き止んで、唐突に私を抱きしめた。
なになに?
「ありがとう、ございます」
顔は見えないが、きっと笑顔だろう。
だって友達だし!
「お友達じゃないですか!困ったときはお互い様。私が困っているので、オーリック男爵領に行くんです」
「はい」
「ヘレナ様は強制的に連れてかれるんですよ。宿題を持って」
「はい」
「だから、ヘレナ様が困ったときは何でも言ってください。私がどうにもできなくても、もっとずっと頭のいいお父様がどうにかしてくれます」
「……ふふ、はい」
ゆっくりと体を離され、ヘレナは頬を紅潮させた笑顔だった。
綺麗な笑みだな。
「レリンサ様」
「はい」
「あの、ありがとうございます!8月が楽しみです!釣り道具も揃えるよう手紙に書きます」
「はい!ありがとうございます!」
ぎゅっと手をつないで、治療院を出た。
良い約束があれば生きる活力にもなるだろう!友達だもんね!守りたいよね!
いいね、ブックマークありがとうございます!
励みになります!