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22:【side:アレックス】 2


その週の土曜日になるまでの間、気づいたのはあの女は朝、図書館に通っているということだった。

だから、勉強の具合を見ようと図書館に一緒に入る。

あの女は驚いていたが、柔らかく微笑んだだけだった。


それが気に入らなかった。誰にでもそうするのか。

男なら見境なく柔らかく微笑むのか。


そう思うと心に隙間風が吹く。理由は分からない。

ただ苦しくて、息の仕方が分からない。


図書館で勉強するあの女の目の前で罵声を浴びせる。


これが俺の本性だ。結局両親と同じ穴の狢だ。


ただ、あの女は気にした風はなかった。

そうですね、とただ肯定した。


訳が分からなかった。

罵声を浴びせられて何で平気なんだ。何で?


気づくと司書が背後に立っていて、静かな声で言う。


「罵ることが趣味ならよそでやってくれますか」


恥ずかしくなって席を立ち、さも憤慨しているかのように去った。

それ以来、廊下の角で図書館にせっせとあの女を見る日々が続く。


そして土曜日。校門に行くと兄が軍の馬車を停めてあの女を待っていた。


「アルジェリー嬢に失礼のないように」

「はい」


待つこと10分。あの女は綺麗なドレスを着て現れた。

腹が立った。綺麗なドレスで着飾って、自分は綺麗だと言いたいのか。


俺とは違う。俺とは違う。


2人が話していて、思わず声を出す。


「本当の評価ならな」

「お前は何も知らないのだな」


兄が睨む。だが、


「知る必要もありませんから」

「この愚弟が」

「閣下、ワカツキ様は慎重なだけです。軍では情報が大切。万全を喫しているだけですよ」


拍子抜けするほどあの女は気にした風がない。

むしろ俺を擁護した。

どうしてそんなことができる?罵られたんだぞ。


軍があの女に世話になっているという話を聞いて、疎ましかった。

価値がある人間だ。


そうか、俺のことは助けてくれないのか。


医務室で軍人達を治す姿を見て、ああ、そうか彼女は聖女なんだと確信した。


なら、汚く醜い俺は助けてもらえない。

顔を俯かせていると兄が何か言いたげにしていた。



治療院に行くというのでついていった。


彼女はずっと魔法を唱え続ける。

平民だろうが貴族だろうが分け隔てなく傷も病も治す。


助けてくれと悲鳴を上げそうだった。


憧れた聖女が目の前にいる。

でも、俺にはもう助けてもらう資格がない。

散々罵った。崖からも落とした。俺は醜い、汚い。


治療院で別れ屋敷に向かうと父に殴られた。


「アルジェリー嬢を崖から落としたのか!この役立たず!!」

「申し訳ございません」


それから地下室に連れていかれ鞭で打たれ何度も蹴られる。

気絶すれば水をかけられ、それからまた何度も蹴られる。

肋骨が何本か折れ、腕の骨も折れた。

それでも父の怒りは収まらず、焼き鏝を押し付けられた。

悲鳴を上げても止められない。


なんで助けてくれない。


助けて。


俺のせいじゃない。俺は悪くない。


助けて。


俺が悪い子だから、助けてくれないのか。

俺が汚い醜い子だから、助けてくれないのか。


数時間そうして拷問を受けて屋敷を放り出された。

痛む体を引きずって学園の寮まで戻る。


寮に着いたらとてもじゃないが起き上がってられなかった。息をするのも苦しい。

折れた肋骨が内臓に刺さっているような気がする。それくらい痛かった。


真っ青な顔の俺を見て使用人が手を貸してくれた。

使用人の彼は背の高い俺を苦労しながら医務室まで連れて行ってくれた。


「体調が悪いみたいで、お願いします」


使用人は医務室の医者にそう言い、去っていった。あまり干渉すると父に怒られるから。

医者は顔色の悪い俺を見てそれから冷え切った手を取った。折れた腕の方だったので酷く傷んだ。

思わず悲鳴を上げる。


「痛い」


異変を感じた医者は無理に俺の服を脱がせた。

ズボンも脱がされ、体中にある傷を見て真っ青な顔をした。


「痛み止めを飲めますか」


飲めと言われれば飲むしかない。

錬金薬が取り出され、苦みのある薬を一気に飲む。

喉が痛い。でも、その痛みも錬金薬で引く。

だが、治ったわけじゃない。じくじくとした痛みが俺の体を蝕む。

医者が医務室付きのメイドに二言三言告げるとメイドは医務室を出ていく。


苦しい。痛い。どうして。俺は悪くないのに。


体が熱い。焼き鏝を押し付けられたところが燃えている様だった。

ズボンを履かされベルトを緩く締められる。


ぼんやりとカーテンを見ていると目を閉じる。

苦しい、苦しい、苦しい。


ふっと体の痛みが引く。

突然のことで困惑しながら呼吸が楽になったことに感動すら覚えた。

目を開き目線を彷徨わせる。


そこに彼女はいた。

心配そうな顔で、何か言いたげだった。


怖かった。汚い所を見られた。醜い姿を見られた。

罵られる。彼女にそんなことを言われたらとてもじゃないが耐えられない。


「大丈夫ですか」


優しい声に俺の声が勝手に出てくる気分だった。


「お前なんかっ!お前さえいなければ!!汚らしい売女がっ!!俺にも恩を売ったつもりか!」


俺は悪くない。俺のせいじゃない。

俺は悪くない。俺のせいじゃない。


「虐待を受けているのであれば、貴方は学園から出るべきではありません」


柔らかな声にかっとなる。


「俺は、俺は悪くない。俺のせいじゃない」

「はい。虐待は貴方のせいじゃありません」


当然のように言われ、頭に血が上る。

助けてくれなかったのに。

助けてくれないのに。

見捨てたも同然なのに。


気づいたら彼女を突き飛ばしていた。

医者が俺を取り押さえようとしたがうまくいっていない。


「お前に何がわかるっ!お前みたいになんでも持ってる奴なんかに!!」


助けてくれないくせに!

俺を軽蔑しているんだ。

軽蔑されて当然だ。罵声を浴びせたんだから。

どうして、治癒したりしたんだ。

期待するだろう。助けてくれるんじゃないかって。期待させるのがどれだけ非道な事か分かるか?


「私は貴族です」


彼女は毅然とそう言った。

誇り高く胸を張り、綺麗な姿でそう言った。


「義務の代わりに権利を享受しています」

「だからどうした」

「貴方を傷つけた人は親ですか」

「……」


言えない。恥ずかしい。苦しい。辛い。どうしてこんな目に合わせるんだ。


「動物でも人でも家族は大切にするものです。何故、虐待を受けたんですか」

「お前に関係ないっ!」


サイドテーブルのグラスを手に取り咄嗟に投げた。

ごつんと凄い音がして彼女の額から血が流れる。


綺麗な聖女を傷つけた。また、傷つけた。


「俺は、悪くない……あ、いや、すまない。そんな、当たるとは思ってなくて」


涙がこぼれて止まらなくなった。

違う違う。

こんな姿見られたくない。軽蔑しないでくれ。助けてくれ。

でもそんな資格ないんだ。傷つけたから。


不意に手を取られる。汚い手を取られた。

暖かくて、涙がさらに零れた。


「大丈夫ですよ。貴方は混乱しているだけなんです。愛情が欲しいだけなんです」


あいじょう。


そんな綺麗なもの、俺みたいに醜くて汚い人間には無縁なものだ。

俺は彼女を傷つけた。醜い、醜い、醜い。


ただ、涙があふれて止まらない。見られたくない。なのに涙は止まらない。


「違う違う違う違う、俺のせいじゃない。俺は、頑張って、いるのに」


ぎゅっと柔らかく抱きしめられ、髪を優しく梳かれる。


どうして。


「大丈夫。貴方のせいじゃない。貴方は悪くない。貴方がいつも頑張っているのは誰でも知っている。貴方のご両親以外は」


どうして。なんで、優しくするんだ。

涙がとめどなくあふれる。

涙の止め方が分からない。


「……分かっている。俺が悪いんだ」

「悪くないですよ」

「……」


悪くない?俺は悪くないのか?本当に?


ただ嗚咽を漏らしていると彼女はベッドに上がる。

すると俺の両手をとってやわやわと揉む。


汚い手なのに。


「ほら、あたたかいでしょう?」

「ああ」

「つらいときは逃げていいんです」

「でも」

「逃げてください。貴方が死んだら私は悲しい」


悲しい?悲しんでくれるのか。死んでもいい俺のために泣いてくれるのか。


「……」

「私は勉強ができません。これでも頑張っているんですよ」


自信満々なその言葉に苦笑した。



「卒業したら、アルジェリー家の屋敷で暮らしましょう。私と結婚しなくても貴方ほど頭がいい方が執事になってくだされば、アルジェリー家の繁栄は約束されたも同然です」

「……そんなことは」

「あ、それとも軍人になりたいですか?」

「ああ」

「そうですか。ならアルジェリー家の養子になってください。もう貴方を愛さない人物に尽くす必要は無いんです」


助けてくれるのか?どうして?

傷つけたのに。俺は醜いのに、汚いのに。


「育ててもらった恩が……」


助けてもらう価値がないと苦し紛れの言葉を嗚咽交じりに吐くと涙の痕を細い指でなぞられ、目に溜まった涙を掬われる。


「虐待されてまで尽くさなければいけない道理はありません。それとも孤児院へ行きますか?」


孤児院か。孤児院に行きたい。もう何もかも捨てたい。


「それは……そうしたほうがいいだろう。君を俺は口汚く罵った。崖からも落とした」

「良いんですよ。嫌いな人と言うのは誰にでも存在するものです。私は気にしてません。崖から落ちたのは自分のせいです」


違うんだ。嫌いなんじゃない。勝手に期待して勝手に失望したんだ。


「アルジェリー家に来ていただければ本当に助かりますから」

「……アルジェリー家に迷惑をかけるわけには」


アルジェリー家に行けるなんて夢にも思わなかった。

そんな提案は受け入れられない。


「いいじゃないですか。子供なんですよ。迷惑かけて当然です」


けど、彼女は胸を張って迷惑をかけて当然だという。


「考えさせてくれるか?その、都合がいいのは分かっているんだ。君を傷つけたのに」

「私は傷ついていません。大丈夫ですよ。私、鈍いので」


彼女は微笑んで、いた。



次の日アルジェリー家に早速行く。

彼女が馬車で勇気づけてくれて汚い自分でも救われる価値があるのかと思い始めた。


来賓室に通され、彼女が単刀直入に俺を養子にしてほしいとアルジェリー家のご両親にねだった。

2人は驚いた様子だったが、こちらを見て3人で話し合いたいと言い出した。


怖かった。彼女の両親だ。汚い自分を知られれば見捨てられる。

助けてもらえるかもしれないのにこの道が怖かった。


また彼女に勇気づけられて3人だけになる。いや、執事は控えているが。


「君はアルジェリー家の養子になりたいかい?」

「……今の状況が自分にとって最悪だというのは分かっています。その点でいえば、どこかの家に引き取ってもらいたいと思っています」

「ふむふむ」


彼女の父親はよく分からない人物だった。

飄々としていてつかみどころがない。

養子の話をしているのにあまり深刻そうではない。

まるで今日の献立を聞くかのような気軽さだった。


「俺、私は助けてもらう資格がありません」

「どうしてだい?」

「お嬢さんを傷つけました」

「どうやって?」


怒っている様子はない。ただ穏やかに問う。

口ごもりのろのろと口を開いた。


「崖から落としました。グラスをぶつけました。罵詈雑言を浴びせました。私は、汚い人間です」

「ふむ」


それを聞いても彼女の父親は怒った様子を見せないし、母親の方は上品に紅茶を飲んでいた。


「君は子供だ。私の大切な娘も、子供だ。子供同士の喧嘩に親が口を出すのは違うだろう」

「喧嘩ではないのですが……一方的に私が」

「そうか。けれど、レリンサは何も言わなかった」


そう言えばそうだ。何も、言わなかった。罵詈雑言を浴びせられたと言わなかった。傷つけられたと言わなかった。


「なら、気にすることはない」

「ですが」

「私は貴族だ」


にこりと柔らかく微笑まれる。


「誇り高い。つまり、レリンサを信用していてあの子がわざわざ言わなかったということは大したことじゃないということだ。レリンサは私の誇りだ」


あとと言われる。


「汚い人間だと思うのは自由だが、思うに君は理想が高い。君ほどの頑張り屋さんを汚らわしいという人間は真実、汚らわしいだろうね」

「そんなことを言われたのは初めてです」

「そうかい?」


汚い自分はここで救われるべきではない。けど、憧れの聖女が本当に救ってくれると言う現実に涙が零れそうだった。


「……君のレリンサを見る目は恋に近い」

「はい!?」


気づかなかった。

これが恋なんだろうか?分からない。自分は醜いし汚い。自分じゃ釣り合わない。

けど、顔が熱い。

これが恋か!


「ただ、レリンサには婚約者がいる」

「え」


さっと顔から血の気が引く、心臓がうるさい。

どうしよう。そうだったのか。


「でもね、レリンサはその婚約にあまり乗り気ではない」

「そう、なんですか?」

「うん10歳の時にね婚約したんだけど。公にしないくらい、あまり乗り気じゃないんだ」


いやな婚約だったんだろうか。

それでも婚約者が羨ましかった。綺麗で、高潔な彼女を娶ることができるんだから。


「君はアルジェリー家の養子になりたい?」

「……」


押し黙ってしまう。

過分な願いだが、万が一にも彼女を妻にできるなら何でもしたい。

汚く醜い自分ではあまりにも過分な願いだ。


そんな心の内を見透かしたように彼は優しく笑った。


「とりあえずアルジェリー家の養子になりなさい。君に必要なのは安全な家だ」

「ですが、私は、醜くて、汚くて」


そう言うと彼は優しく言う。


「君は普通の子供だ。ただの子供。頑張りすぎた、子供」


どうしようと思う。救われる価値がない自分にこんな幸運なことはもう訪れないだろう。

けど気づいてしまった恋を捨てる勇気もない。

思わず俯くと父親は優しく言う。


「いいじゃないか。いつか、レリンサに思いを告げられたらその時、今の婚約を破棄して君をアキヅキ侯爵家の養子に出す。そうしたら結婚もできる」

「そ、そ、そんな、けっ!結婚だなんて。私には分不相応です!あんなに素晴らしい女性に!」


きらりと父親の目が光った様子だった。


「いいじゃないか、いいじゃないか」

「それにそんな都合のいいことが……」

「いいんだよ。君は子供だ。存分に大人に迷惑をかけたらいい。兄弟はいるかい?」

「はい。ワカツキ家と縁を切った兄がいます。もう成人して爵位も得ているので家に戻ることはありません」


戸惑っていると父親は執事を見る。


「じゃあ、ワカツキ家に行こうか。手紙を」

「はい、旦那様」


渡された便箋にさらさらと文字を書きそれを封筒に入れ、封蝋までする。


「じゃ、渡してきて」

「はい」


あれよあれよという間に話が進められ、父親は朗らかに笑う。


「大人は便利に使うものだ」


ウィンクをされて微妙な顔をするしかなかった。

そのあといろいろ話をさせられた。

例えばどんな酷いことをされたかを詳しく聞かれた。

話すのは恥ずかしかったが、聞かれたことには答えねばと必死に吐き気をこらえて答えた。


「悪かったね。嫌なことを聞いて」

「い、いえ」


それからエントランスで待つように言われ、扉の前で待つ。

ぼんやりと豪華なエントランスを眺める。

8大貴族ともなればやはり資産が違うなと感じる。とくにアルジェリー侯爵家は彼女が幼いころから法の整備を進めている。税収も貿易利益も彼女が生まれてから格段に上がった。

いまでは資産も権力も公爵家にも匹敵するだろう。


ふっと足音が聞こえる。いや、実際には気配を感じた。毛足の長い絨毯で足音は聞こえないから。


「あ……レリンサ」


怖い。どうしよう。

戸惑っているとぎゅっと手を握られる。


「怖いと思うけど……お父様が一緒だから、その……」

「怖くない。いつものことだったから。昨日は特別酷かったんだ。君を傷つけたから」

「アレックス」


彼女はそれを聞いて泣き出しそうな顔をして抱き着かれた。

驚いた。心臓の音がうるさくて顔が熱い。

慌てて引きはがす。


「あ、あまり男性に抱きつくのは」

「でも兄妹になるのでしょう?」


さっきの話を思い出して顔が熱くなる。


「ま、まあその話はあとでだ。昼食を食べなさい」

「はいお父様。いってらっしゃいませ」


彼女と彼女の弟、母親と執事に見送られ玄関を出る。

馬車に乗ると彼女の父親にさらりと言われる。


「君にとっては不快な話になると思う」

「はい?」

「虐待をするような手合いは簡単に“ペット”を手放さない。だから、君にとっては不快な手を使う」

「は、はあ」


確かに両親の自分への執着は凄いものだ。悪い方面で。

にしてもどうやって、手放させる気だろう。


「レリンサの婚約は良かれと思ってのことだった」

「はい」


侯爵家令嬢なら当たり前だろう。


「けどレリンサは、本当に乗り気じゃないんだ」

「相手が悪いのですか?」

「ベルファスト侯爵家のご子息なんだけどね。家柄は釣り合っているしいいかと思ったんだけど」


うーんと彼は唸る。

ベルファストが婚約者?だからいつも一緒にいたのか。

驚いていると彼は苦笑する。


「自分のことしか考えていなかったんだ。ほら、私も汚い人間だ」

「そんなことは」

「だから、レリンサが好きな人を連れてきたら婚約を破棄しようと思ってね」


貴族なら家で婚約者を決めるのは当然だ。

彼女は幼いころから優秀で誰もかれもが婚約者にと名乗りを上げる状態だっただろう。

それからとりとめもないことを話した。好きなものを聞かれて困ったり、引っ越しをするときは運び出したいものはあるか聞かれたり。


「なにも、屋敷には私の物は参考書くらいなので」

「そうかい?じゃあ、うちに来たらいっぱい甘やかそうね。おもちゃなんて最近のはいい物があってね。レリンサはお人形が好きみたいで、お人形の服をたくさん買っているよ」


にこにこと笑われて思わず眉根が下がる。

困ってしまう。怒涛の1日だ。

気づくと馬車が止まり、ワカツキ家に着いた。


彼は杖を持ち、馬車から降りた。続いて下りる。


「アルジェリー様、ようこそわが家へ」


あからさまにへりくだった態度の両親に恐怖心がわく。

ここで終わるんじゃないだろうか。本当はここで両親に渡されてまた罰を受けるんじゃないだろうか。

彼女の父親に促される形で屋敷に入り、来賓室に通される。


彼女の父親はソファに座り、俺はただ立ちすくむ。


「隣に座りたまえ」

「ですが、愚息は」

「いいんだ」


促されるまま隣に座るが、真正面から両親を見る勇気がわかない。

紅茶を出され、彼は紅茶を飲んだ。


「いい茶葉だ」

「もちろんです。アルジェリー様がいらっしゃるのですから」


カップをソーサーに置き、彼はにっこりと笑った。


「さてお話に来ました」

「はい。何のお話でしょうか」

「アレックス君をアルジェリー家に迎えたい」


父親は渋い顔をしたし、母親は汚物でも見る様にこちらを見た。


「こんな出来損ないでは失礼になるでしょう」

「そうでしょうか?学年の成績は5位。十分優秀です」

「ですが、兄のアランの方が優秀ですし」

「しかし縁を切っておられるとか」

「一方的なものです。すぐに困って私たちを頼りますよ」


顔を引くつかせて父親が言う。

そしてこちらを睨む。

顔を俯かせてしまった。


怖い。


「では説得の方法を変えましょう。アレックス君にひどい扱いをしているとか」


ぴくりと父親がカップを揺らす。そしてソーサーに置く。


「……誰に聞いたのですか?」

「本人から」

「嘘ですよ」

「いえ、本当ですね。娘が傷を見ました」

「……」


父親も母親も毒々しく俺を睨んだ。


「お断りします」

「そうですか、アレックス君を養子にくれるなら、少しばかり援助をしようかと思っていたのですが」


金の話になった途端2人の目はぎらぎらとした。


「どれくらいになりますか」

「10億オシア」


驚いて横の彼女の父親を見た。とんでもない値段だ。

両親は目の色を変えて媚びへつらう。


「すぐに振り込みますよ。養子にして良いと言ってくだされば」

「も、もちろんです!どうぞ連れて行ってください」


にこりと彼は笑う。


「それと、今後アレックス君には接触しないように。少しでも接触しようものなら全力で潰します。寮の使用人も帰します」


ぞっとするような低い声でそう言い放ち、ソファを立つ。


「……っはい」


怯えた父親は小さくそう言った。


「それではこれで。さ、行こうかアレックス」


さっさと屋敷を出て馬車に乗り馬車は走り出す。


「ほ、本当に10億オシアも、わた、私のために払うのですか!?」

「払うよ」


なんともないように言われ愕然とする。


「そんな」


そこまでした貰う道理がない。

どうして、助けてくれるんだ。

どうして、そこまでしてくれるんだ。


涙がぽろぽろと零れていく。

何度も目をこすっても涙が止まらない。

目の前にハンカチが差し出された。


「……全員の被虐待児を救うことはできない。アルジェリー家の孤児院にはね、被虐待児が多数いる。今は大切に育てて、教育をほどこしている」

「そう、なんですね」

「レリンサがそう言う仕組みを作った。私はそれまで虐待を受ける子供がいるなんて思いもしなかった。皆、親に当然のように愛されていると信じていた。でも現実は違う」


ハンカチを受け取れずにいると馬車の中で彼はハンカチを手に優しく涙をぬぐってくれた。


「君は、価値のある人間だ。汚くなんてない。汚い人間と言うのはね、子供を自分の思う通りに使おうとする人間のことだ。私は汚い人間だよ」

「そんな閣下、私は、助けてもらう価値のない人間です」


泣いて泣いて泣いて、彼はそんな様子を見てもいらだった様子も見せず優しく微笑んだ。


「レリンサが私に助けてほしいと乞うた人間が君だ。なら君の価値はレリンサにある」

「……?」


手にハンカチを握らされ、彼は馬車のソファに座る。


「レリンサが嫌だというまで、レリンサを助けてやって欲しい。私が望むのはただそれだけだ」

「……っはい!」


ああ、そうか。彼女は本当に聖女だ。助けたい。助けてもらったのだから、少しでも恩を返したい。


「実は治療院は安全ではないんだ。何度も命を狙われているから護衛兵を置きたいが、レリンサがそれを嫌がっている」

「何故、嫌がるのですか?」

「患者が安心して治療を受けることができる空間のために護衛兵は置きたがらない。命を狙われるのは自分だけだからと」

「わ、私が守ります」


思わずそう言うと彼は嬉しそうに笑う。


「もちろんアレックスに危険がない程度で構わないからね」

「はい」


それと、と続ける。


「気持ちに整理がついて、思いを告げたらいつでも言ってくれ」

「そ、それは」


恥ずかしかった。いつも感じる羞恥とは違う。

恋焦がれる気持ちを見透かされた羞恥。

まだ気持ちに整理がつかない。本当に恋をしているのかもわからない。

初めての感情だったし、自分では分不相応だ。


あれほど罵ったのに。

胸が痛い。鞭で打たれるよりも痛かった。


馬車が止まり、アルジェリー家に着く。

彼は馬車を出て、自分も下りる。


「来賓室で待っていてくれ」

「はい」


執事に案内され来賓室で待つ。

立っていると紅茶がテーブルに置かれる。

メイドは微笑んで、どうぞと言う。


「そんな、閣下を差し置いて」

「すぐにいらっしゃいますから」

「それなら立って待ちます」

「座っていらした方がいいですよ。私たちが怒られてしまいます」


そこまで言われると座らざるを得ない。

おずおずと座り、紅茶に口をつける。


おいしい。

喉につかえるものがない。


また泣きそうになった。ああ、あの家に帰らなくていいんだ。と思うと涙がこぼれた。

持っていた彼女の父親のハンカチで涙を拭く。

扉が叩かれ、メイドが扉を開ける。

そのまま開け、彼女の母親と父親が入ってきて、対面のソファに座る。

素早く2人の前に紅茶が置かれ父親の方も母親の方も紅茶を楽しむ。


「目が腫れぼったいね」

「す、すみません」


彼女の母親が呟くように魔法を唱える。


「〈光雨〉」


熱を持っていた目から熱が引く。


「私が唯一使える、光魔法よ。うふ」


恥ずかしそうに笑い、頬を染める彼女によく似た愛らしい女性に頭を下げる。


「恐縮です」

「あらこういう時はありがとうでしょう?私の息子になるのだから」

「あ、ありがとうございます」

「それでいいわ!」


それから再度扉が叩かれ、彼女の父親が声を出す。


「入ってくれ」


現れたのは彼女とその弟だった。

弟の方は怪訝な目をしている。

ソファに座った彼女たちは勢い込んで話始める。


「どうでしたっ!?」


彼女の父親は苦笑して紅茶を勧める。

彼女は紅茶を飲み、一息ついてカップをソーサーに置いた。

そのタイミングで彼女の父親は口を開く。


「これはとてもデリケートで難しい話だということは理解しているね」

「はい」


ごくりと喉を鳴らしてしまう。


見捨てられやしないだろうか。でも、あんな大金を支払ったんだ、大丈夫、大丈夫。


内心ひやひやしていると彼女の父親は優しく笑う。


「アレックスをアルジェリー家に迎えることにした」

「ワカツキ家は」

「納得させた」


ばっと彼女はこちらを見たのでさっと目をそらした。


「どうやって?」


ああ、彼女もどれだけ被虐待児を救いだすのが難しいのかよく分かっているのか。


「まあ汚い手を使った」

「あら」


そう言う彼女の父親の目を見ることができない。

あんな大金。目もくらむだろう。


「これでアレックスはうちの子だ。王城にも学園にももう手紙を送った。月曜日からはアレックス・アルジェリーだ」


彼女は眩しく笑った。本当にうれしそうに。

抱き着かれ、手の置き場に困る。


「やった!やった!アレックスお兄様!!」


嫌われてない?あんなに酷いことを言ったのに?

おずおずと彼女の小さな背中に手を回す。


「君はそれでいいのか?」

「何がですか?」

「君を傷つけた」

「私、ちっとも傷ついてません!それより、私のことが嫌いだったんじゃないんですか?大丈夫ですか?」

「……っ嫌い、じゃない」

「嬉しい!」


嫌いじゃない。そうだ、嫌いじゃない。


好きだ。大切だ。もう傷つけない。絶対に守るから。


「毎週末この屋敷に帰ってきてくださいね」

「君は?」

「私は治療院のお仕事があるのでなかなか帰ってこれないと思います」

「治療院には俺もついていく」

「え、でも。家族っていいですよ。遠慮しないでください」


ぎゅうぎゅう抱きしめられながら胸のあたりからそう言われ、微妙な顔をしてしまう。


心臓の音を聞かれないだろうか。


ぐるぐる考えていながらいろいろ話す。


「土曜日と日曜日はゆっくりと家族団らんしてください」

「いいや。治療院だって安全じゃないんだろう?」

「……」


安全じゃない自覚はあるんだな。


「だったら、もういっそ屋敷から通われては?」

「い、いや寮で過ごす」


体をぱっと離され、じっとこちらを見ている。


「治療院では勉強できませんよ?」

「大丈夫。早起きするから」


穏やかな気持ちでどきどきはしているが、微笑んだ。


「もう成績を気にする必要は無いよ」

「ですが、軍人になりたいので」

「あ、そうか。じゃあ、無理しない程度にね。うちは軍にはコネが少ないから」


少ないだけでないわけじゃないんだ。凄い家だな。

成績を気にしなくていいなんて初めていわれた。

でも軍人になって国に尽くしたい。


「明日からいろいろ噂が流れるだろうから、今日はもう帰りなさい」

「え、あ、はい」

「閣下」

「お父さんだ。パパでもいい」

「……父上。ありがとうございます」

「自分の子供にありがとうと言われるのは親の誉。存分に感謝してくれ」


父だ。新しい父。優しい父。

ぱっと母の方を見ると優しく微笑まれた。


3人兄弟として過ごそう。

この恋心はどうにか押さえつけて。





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