第6話:ガチタン、珈琲外交
宇野沢とアリクは、基地内のラウンジに来ていた。
落ち着いた内装の広々としたラウンジには大きなスクリーンが設置され、月から見た地球のリアルタイム映像が常に流れている。
このラウンジは、基地の"職員"たちが気分転換し、また他国の人員との相互交流を図るための場所
・・・という建前がある。
ソヴィエトのパイロットが西側陣営の者の私室に行くと目立ってしまうが、このような建前のあるラウンジで一緒にお茶をするくらいなら、一応の言い訳は立つというものだ。
この部屋には簡易的なキッチンもついており、アリクがアルメニア・コーヒーを入れる準備をしていた。
「コーヒーフィルターとかは使わないのか?」
「そう。小鍋に粉と水を入れて煮出すんだ。
こんなふうに」
アリクは小鍋というよりは柄杓といったほうがいいような鍋を火にかける。
しばらくして沸騰してくると、濃密な乳白色の泡が吹き出してくる。
「これをカップに入れて・・・
はい、席まで持っていって」
「了解」
宇野沢はラウンジの席に座り、早速コーヒーを飲もうとしたが、正面の席に着いたアリクからストップが入った。
「待って、出来立てはコーヒーの粉が対流してるから、底に沈むまで待ってから飲むんだ」
「了解」
確かに、コーヒーの粉が舞い上がっている状態で口に運べば、たちまちのうちに口の中が粉だらけになるだろう。
しばらく手持ち無沙汰な時間ができ、宇野沢はスクリーンに映し出された現在の地球の映像を何気なく眺めていた。
生まれてから一ヶ月ほど前まで、特に意識することもなく当たり前に暮らしていた地球。
青と緑の球体は、余計な区切りや亀裂もなく、芸術的なほどに美しい曲面を月に向けている。
しかし、人類は月に来てもなお、想像上の境界線を根拠とした利害対立を続けている。
宇野沢はそんなことを考え、ふと無意識に呟いた。
「なあ、ここから国境線が見えるか?」
「不可視と不在はイコールではありませんよ」
呟きに答えたのは、アリクではなかった。
聞き慣れない声に驚いた宇野沢が声の主を見ると、いつの間にか隣の席に見知らぬ少女が座っていた。
「例えば意識は不可視ですが、瞳孔の状態や身体活動によりその有無は確認できますよね。
それと同じです」
少女はじっと宇野沢を見据えていた。
凍るような無表情にもかかわず、大きな緑色の目は真摯な印象を与えており、冷たい感じはしない。
不思議な雰囲気の子だな、と宇野沢は思った。
「君は?」
「地球上に国が存在すると信じている者です」
「いや、そういうことじゃなくて・・・」
宇野沢が困り果てていると、正面のアリクがため息をつき、フォローを入れてくれた。
「この子の名前はマルガレーテ、東ドイツの。
見ての通りの変な奴だ」
「アリクさん、心外です。僕は模範的なソヴィエト人民になろうと日々努力しています」
真摯な目がアリクに対して眩しい抗議の目線を送るが、依然としてその表情に動きは見られない。
まるで感情的な会話をプログラムされているような感じだった。
「それで、何か用か?」
アリクは苦々しい顔をしながらコーヒーをチビチビ口に含む。
マルガレーテは彼女よりだいぶ年下に見える。彼女は遠慮のない年下の扱いはあまり得意ではないようだ。
そんな様子も気にすることなく、マルガレーテは爛々と瞳を輝かせながら言った。
「少し宇野沢さんを分けて貰おうと思いまして」
「ちょっ、それどういう意・・・げほげほ!!」
アリクは突然のことにむせた。マルガレーテは素早く彼女の背後に周り、背中を優しくさすりながら続ける。
「友達のいないアリクさんと一緒にお茶してくれるくらい優しい人なら、きっと僕とも仲良くしてくれると思いまして」
咳が落ち着いたアリクは、背中に来ているマルガレーテの手を控えめに払う。
「こいつとはつるんでる訳でも、馴れ合いをしてる訳でもない。
お互いに利用できるか、腹を探り合ってるだけだ」
アリクはマルガレーテを警戒しているようだが、宇野沢にしてみると、今は友達のいなさそうな者を大歓迎している。
「まあ、お茶は人数多いほど楽しいからな。
コーヒー淹れてくるよ」
「あ、お構いなく、ごくごく」
マルガレーテは手近のコーヒーを一気に飲み干す。
「ぷはー。ちょっと砂っぽいけど中々の味ですね」
「あー!あたしのコーヒーを!!」
「皆でお茶するのって楽しいですね。
初めて知りました」
マルガレーテは無表情・無抑揚でそんなことを言っているが、目だけは輝いており、おそらく本心から言っているのではないかと思われた。
マルガレーテの様子を見て、怒るだけ無駄と思いアリクは不機嫌そうに息を吐く。
そんなやり取りを数回繰り返し、アリクの心労がそこそこ溜まってきたあたりで、マルガレーテは急に居住まいを整えて切り出した。
「宇野沢さん、今日はありがとうございました。
色んなお話が聞けて楽しかったです」
「ずっと難しい顔してるから、つまらないんじゃないかと思ってたが、それならよかった」
アリクはかなり前から呆れた顔が貼り付けられたままだ。
「楽しいって言うなら楽しそうな顔くらいしたら?
そんな顔で言われても皮肉にしか聞こえないよ」
マルガレーテは表情を変えないが、瞳だけはすこし悲しげに見えた。
「そうですね、善処してみることとします。
ときに宇野沢さん、あなたと僕、これで同じ卓を囲んだ友ということにならないでしょうか?」
「もちろん、なるさ」
マルガレーテが無表情なまま、瞬きをパチパチとする。
「では友として、宇野沢さん、という呼び方は少し固いのではないでしょうか」
「そうだな、じゃあケイとでも呼んでくれ」
「わかりました、ケイさん」
そのやり取りをアリクが、呆れ半分微笑み半分といった顔で見ている。
「俺は君をなんて呼べばいい?」
「そうですね・・・」
マルガレーテが考え込みはじめたため、アリクが横から茶々を入れる
「あだ名でいいんじゃない?“グレートヒェン”とか」
「それでいきましょう」
「え、採用なんだ」
冗談半分で口を出したものが即採用され、アリクは困惑した。
「ケイさん、私のことはグレートヒェンと呼んでください」
「あ、ああ。分かった、グレートヒェン」
そう呼ばれた少女は、表情を変えずに瞳の感情だけを器用に目まぐるしく動かす。
「ケイさん、あなたとは同じ卓を囲んだ仲です。
何か困ったことがあったら何でも言ってください」
「何でも?」
「ええ、我が祖国に誓って、友の助けとなりましょう」
宇野沢は内心で歓喜した。西側の助けが得られなかった時はもう駄目かと思ったが、いまや東側に協力者を二人も確保した。
このマルガレーテという少女、鉄面皮の下に隠した心と瞳の、なんと美しく真摯なことか。
この心優しき少女は、今日会ったばかりの宇野沢を友と呼ぶばかりか、助力を祖国に誓うと言っているのだ。
「グレートヒェン、実はいま俺はとても困っている。
助けてはくれないか?」
「ケイさん、私は何をすればいいのですか?」
「ユーリア・アシモフとの模擬戦に、“物部”の僚機として出てくれないか?」
そう言いながら、宇野沢はマルガレーテに手を差し出す。
彼女の表情は変わらない。だが、宇野沢には分かっている。氷のような無表情の奥に、慈母のごとき優しさと純粋さが隠れているのだと。
マルガレーテは両手でゆっくりと彼の手を取ると、ゆっくりと下へ押し下げ、表情を変えぬまま口を開き・・・
「あ、それ無理です」
「え?」
「すみません、でもすごい無理です」
「祖国に誓ってなかった?」
「祖国的に無理です。あれは言葉のあやです」
宇野沢は固まった顔を横に向けると、アリクが笑いをこらえているのが見えた。
「ふふ・・・友情って儚いものだね・・・」
「おいそこ!笑うな!!」
「それじゃ、用事があるので失礼します」
何とも言えない雰囲気になったが、マルガレーテは気にも留めていないらしい。
「勘違いしないでくださいね、とある事情がなければ、僕は迷わずケイさんを助けましたよ」
「どんな事情があったんだ?」
返答は相変わらずの無表情、だが今回だけは、
大きな瞳は何も物語らなかった。
「件の模擬戦、僕はあなたの敵になります」