第33話:ガチタン、奈落への降下
「宇野沢くん、聞こえるかな?
こちら、研究部のノルデンショルドだ」
「感度良好、まだ聞こえます」
「よし。いいか、竪穴内に入ってしまった後は電波通信ができない。
その後は君たちの判断頼りだ」
「了解です! ノルデンショルド研究主任!」
千都瀬が元気良く返事をする。《もののべ》は戦闘兵器から調査重機に改修され、そのコックピットは複座式となっていた。一人はパイロット。そしてもう一人の搭乗者は技術者、つまり萬谷千都瀬技術主任だ。
「しかし、一気にコックピットが狭くなったな。
すごい探知機器の数だ。温度、化学物質、金属、電磁波、放射線まで・・・」
コックピットに所狭しと詰め込まれた調査機器類やモニターを見て呟く。
「あはは、だって何が待ってるか分からないからね。そりゃ、積めるだけ積まないと」
「萬谷くん。少しでも危険だと思ったら即座に調査は中止だ。
ここから2,000m以内で障害物のない場所に限りレーザー通信が使える。とにかくどうにかして救難信号を送ること、いいね?」
「ええ、分かっています」
「よろしい。では降下を許可する」
《もののべ》は腰部から伸びたワイヤーを登山綱にして天を仰ぐような体勢になり、《セグメントδ》の竪穴を降下していく。いくばくも経たないうちに地上の光は遠ざかってゆき、機体が闇の中へと沈んでいく。
瞬く間に周囲に存在する光は、《もののべ》が備える大仰な照明装置だけになった。
「研究主任、まだ聞こえますでしょうか?」
「・・・竪・・・内の状況・・・」
「聞いてた話の通りだね。通信は効かないみたい。
竪穴で通信障害ねえ・・・トンネルじゃないんだから、そんなはずはないと思うんだけどね」
「不明機と戦った時も、電波障害が起きていた・・・」
「うん。まだ確証はないけど、それに近いものなんじゃないかと思う」
「つまり、この竪穴の先に不明機の手掛かりがある可能性が高い。そういうことだ」
宇野沢の手に力が籠もる。情報統制がなされ、唯一の手がかりたる不明機も、ソヴィエトが独占している。そんな中、西側陣営で最も手掛かりに近い場所に、彼らはいる。
「そろそろ1,000mだぞ。いったいどれだけ深いんだ」
《もののべ》は完全に闇の中にいる。だが、底に至る気配は全くない。
「ここは通信も通じないし、エネルギー供給網の範囲外。
マシントラブルが起きたら一貫の終わりだな」
「大丈夫、そのためにあたしがいるんでしょ?
ちょっとやそっと故障したところで、天才の萬谷技術主任さまがいれば問題なし!」
「はは、頼りにしてるよ、ほんと」
《もののべ》は巨大な照明
ワイヤーを巧みに操ってひたすらに竪穴を降下してゆく。
ルノホートには碇鉤と呼ばれるワイヤー射出型の移動機構が標準装備されている。これは基本的に急な斜面などでの滑落等を防止するための補助装備であり、垂直な崖を登るような用途を想定しているものではない。そんなことができるのはグルジア山岳部隊の出身であるタマル・バグラチオンなど一部の者に限られる。
そのため《もののべ》は改修にあたって、この碇鉤の機能を大幅に強化し、垂直の壁の昇降に特化した改造を施されていた。
通常のルノホートは碇鉤の射出機を1門しか装備していないが、いまの《もののべ》は腰部に2門を装備している。
射出機は機体の全重量を支えうる強度を備えたものでなくてはならず、機体に占める重量や容積は少なくない。これを2門も積めば、代償として機体重量は大幅に増加し、各部のバランスも悪化する。しかし、調査用重機にとって、機動性や旋回性などは、それを代償に得られる汎用性に比べれば些事に等しい。
2門の碇鉤により、手頃な足場や岩場がなくても、一方で機体を支えながら次の碇鉤を移動させることが可能になる。
壁にキャタピラを這わせ、天を仰ぎながら少しずつ降下する姿は、至る所に調査機器を搭載しているのも相まって、高層ビルに張り付く窓拭きの作業員を彷彿とさせる。
「そろそろ1,500m・・・」
「・・・待って! 下から熱源反応!
壁を這う物体を左方向に確認!」
千都瀬が叫ぶ。宇野沢は即座に降下を止め、《もののべ》が背部にマウントしている機関銃を構える。暗視モニターに映し出されているのは、多数の爪らしき突起で壁を掴み這っているように見える、多脚類らしき姿。
「おい、なんだこいつ! 月にも蜘蛛が住んでるのか?」
「生体反応はない。たぶんこいつも・・・
・・・!? 高エネルギー反応!!」
言い終わるより先に、《もののべ》は壁に向けた超信地旋回により反転する。同時に2つの碇鉤を壁から抜き、履帯を横滑りさせたまま自由落下が始まった。
“蜘蛛”のいる方向が光ったと思うと、同時に蒼い光の筋が闇を貫く。
一瞬前に《もののべ》がいた場所の岩場が光り、抉り壊された。
辛くも直撃を避けた《もののべ》は、大きく弧を描くような軌道で壁を走り、穴の底へ向けた前進を開始する。見ると、“蜘蛛”のほうも素早く進行方向を転換し、《もののべ》を追うように並走を始めている。
「うわわわわわわ!!! 落ちてる落ちてる!!
怖い怖い怖い!!!」
千都瀬が裏返った声で叫ぶ。月の重力加速度は地球の6分の1程度。落下による加速だけを考えるならば、自由落下を行ったところで、その加速は普通の乗用車程度のものだ。だが、現在の《もののべ》は推力を“下への前進”に傾け、更なる加速を行っている。
「そんなことよりあの青い光は!?」
「うわわ・・・えっと・・・
反応からして・・・たぶんプラズマか何かを投射したものかも」
「食らったらどうなる?」
「“鼓動障壁”はあくまで運動エネルギーに干渉するものだから・・・熱エネルギーの攻撃はもろに受けることになっちゃうと思う。
ただじゃすまないだろうね」
「分かった。エネルギー反応のモニターと、穴の底の確認を頼む、千都瀬さん。
このまま第2不明機に対して、機動戦を仕掛ける!」
底なしの闇へ向かって全速で壁を走る《もののべ》と、並走する“蜘蛛”。
こんなものは地球ではまず考えられない。
さながら、落下しながらのカーチェイスの幕開けだ。




