第30話:ガチタン、新生の決意
長きに渡った取り調べから解放され、宇野沢は月基地におけるある程度の自由を取り戻した。
しかし、完全に以前と同じという訳にはいかない。
西側のお目付け役として選ばれたアイラより、今後の基地生活について注意を受ける。
「いいですか宇野沢さん。暫くは私が監視役です。
常に私の目の届くところで行動して下さい」
「常にって大袈裟だな。
アイラが24時間監視する訳じゃあるまいし」
「…」
「おい、何故そこで黙る」
「私としても大変不本意なのですが…」
「おい、そんな訳ないだろ?
俺のプライベートは?俺の私室にまで押し入るつもりか?」
「いえ、流石に私があなたの部屋に詰めるのはあらぬ誤解を招きますので」
「よかった…」
「ですが、手は考えてあります。
ちょうどあなたには今、この基地における仕事がありません」
「おい、どういうことだ?」
「あなたは《物部》のテストパイロットとして月にいますが、その《物部》が大破している状況ですからね。
暫くは暇になるでしょう。そこで」
アイラが指差したのは、目の前にある小綺麗な机。
宇野沢は嫌な予感がした。
「あなたは本日付けでこの『第二管制室』の臨時事務官に配属です。
室長は私が拝命しましたので、あなたは私の部下になります。
折しも、”モスクワの海事件”のおかげで情報部門は激務になることが予想されます。
そんな状況ですから、あなたが多忙により執務室で寝泊まりすることを余儀なくされたとして、だれも疑問に思わないでしょう」
「…アイラ。
さては君、俺のストーカーを務める見返りに出世したな?」
「…以後人前にて私のことは”ジェンキンス室長”と呼ぶように、宇野沢くん?」
アイラは宇野沢に向けて微笑む。
「…おっかない女」
「そう言わないでください。
情報収集という名目で、あなたが最大限自由に動き回れるように配慮します。
それくらいの権限は、室長として持っています。
あくまでついでですが」
アイラは思っていた以上にやり手の人間のようだ。
「それじゃあまず、《物部》の状態を聞くために萬谷技術主任に会いに行こうと思うのですが。
よろしいでしょうかジェンキンス室長?」
「許可します。むろん私も同行しますが」
「やれやれ」
宇野沢には先が思いやられた。
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「千都瀬さん」
「ああ!慶くん!!
やっーと聴取が終わったんだ!!」
格納庫にいた萬谷は、宇野沢の姿を見ると飛び上がって喜んだ。
「あら、アイラせんせーも一緒なの?」
「ええ」
「ふーん、聴取が終わって一番初めに会いにいったのはアイラせんせーなんだ。
ふーん」
萬谷は拗ねたように言った。
彼女は高度な頭脳を持つ割に、こういう子供っぽいところがあった。
「い、いや、さっき偶然そこで会いまして、
それで…」
「ふーん、どうせわたしは2番目の女ですよーだ…」
「それより萬谷さん。《物部》の状態を教えてあげては?」
アイラが臆せず話を進める。
「そーだねぇ、だいぶ派手に壊れちゃってて、暫くは入院かなあ。
まあ一番問題なのは、病状より医療費なんだけどね…」
ルノホートの話になったとたん、萬谷は急に真面目になる。アイラも彼女の扱い方を覚えてきたようだ。
「《物部》は唯一の国産機だぞ?
修理費用も出してもらえないのか」
「それがねえ、なーんか外交筋から圧力がかかってるって噂。
それで予算が議会を通らないんだ。
まあ時間の問題だとは思うけど、”モスクワの海事件”の詳細が伏せられてるのが痛いかな〜」
「待て、地球には不明機のことが伝わってないのか!?」
「んー、流石にアメリカとソヴィエトのお偉いさんは知ってると思うよ?
でも、伝わってる国は少ないんじゃないかな。
わたしも地球への通信機の使用が制限されてるし、そもそも現場レベルで事件の詳細を知ってる人間が少ないからねぇ」
「信じられない…そんなことがありえるのか?」
「月基地の歪な構造だよね。
ここで行われてるのは、米ソの宇宙開発競争の延長戦だよ。
わたしたちはあくまで、その残り滓を漁れないか様子を見に来た、ただのおまけ。
二大国の意に沿わないことはできないし、都合の悪い情報は月の時点で止めちゃえるんだ。
地球を離れたら、人の口に戸を立てられるようになるんだねえ」
千都瀬はのんびりとした口調で言った。
腹立たしいが、この構造に対して、宇野沢達ができることはない。
「じゃあ《物部》の修理見込みは立っていないのか」
「ふっふっふっ、千都瀬さんを甘くみちゃあいけませんよ、慶くん。
今、いろんなところに掛けあってみて、余りパーツやら試作パーツを回してもらえないか頼んでるところ」
「流石は千都瀬さんだな。ルノホートのことになると右に出るものはいない」
「そうだよ、もっと褒めたまえよ〜」
「でも、そんな都合のいい話に乗ってくれる国があるのか?」
「前までなら難しかっただろうね。
でも、模擬戦でソヴィエトのエース様を倒したからねえ、にわかに《物部》は注目を集めているのですよ。
いちおーデータの提供その他諸々には最大限協力する条件だし、前向きに検討してくれてるとこもある!」
萬谷は目を輝かせて言った。
少し前まで、《物部》は時代遅れの遺物、嘲笑の的だった。
だが今は、少なくとも研究材料として興味を持たれる程度には、価値を買われているらしい。
「それもこれも、みんな慶くんのおかげだよ!!」
「いや、千都瀬さんの整備と、無茶な改造のお陰だよ」
「ふ、ふん。天才少女の千都瀬ちゃんにかかればこんなもんよ!
褒めたまえ、崇めたまえ♪」
萬谷はけらけらと笑う。
宇野沢はそんな彼女の肩に手を置き、ゆっくりと話し始める。
「ああ、何度でも言う。ありがとう。
俺は千都瀬さんに命を救われた。
本当にありがとう」
萬谷は雷に打たれたように動きを止め、恥ずかしそうに赤面していた。
「そ、そこまで言われちゃうと、ちょっと恥ずかしいな…
そ、それより!
アイラせんせーはどうしてこんなところに?」
「私に新たな部下ができましたので、その紹介に参りました」
「へえ!どんな人?」
「宇野沢慶臨時事務官です」
「へ?」
「《物部》のテストパイロットとして復帰するまでの間、彼は私の部下となります。
技術主任の萬谷さんにはお伝えしたほうがよいかと思いまして」
「ごめん、千都瀬さん。
《物部》のこと色々手伝ってあげたいけど、新しい上司が鬼のように厳しくて冷たい人で、しばらく忙しくなるかもしれない」
「ふ、ふーん。
まあ、オペレーターのアイラせんせーの下で働くことはパイロットとしても勉強になると思うよ。
それに、またあの事件みたいなことが起きるとも限らないし…」
「萬谷さん。
何度も申し上げている通り、軽はずみにその話題を口にしないように」
「あっ、ごめんなさい。つい…」
「私たちしかいないからよかったですが、くれぐれも気をつけるようお願いします。
では、我々はこれで」
「千都瀬さん、アイラや俺に用事があったら第二管制室まで来てくれ。
どうやら四六時中そこで働かなきゃいけないらしい」
「え、じゃあ夜も…?」
「”例の案件”が片付くまでは、暫く忙しいでしょうね」
「ふーん…とっても忙しいんだね。
ほら、じゃあこんなところで油売ってる暇ないよ!
がんばれ、二人とも!!」
萬谷にぐいぐいと背中を押され、アイラと宇野沢は格納庫を後にした。
一人残された萬谷は、大破した《物部》を見上げ、小声で呟いた。
「そうだよ、私が不甲斐ないから慶くんを取られちゃったんだよ。
《物部》が壊れてる限り、慶くんは…
でも余りパーツや試作品だけじゃ、全体の修理には限界が…」
そこまで言ったところで、とある考えが閃く。
「そういえばあの不明機、イラリオンとかいうソ連のパイロットが回収して以降、何の調査結果も上がってこないんだよね。
つまり、不明機のデータを持ってるのはイラリオンの一派と、あの場でこっそり計測したわたしだけ…」
萬谷は好奇心に溢れた、屈託のない笑みを浮かべる。
「待っててね、慶くん。
《物部》は、今までの比じゃないほど強くなるよ!!」




