第22話:ガチタンと、真空の棺
宇野沢は、擱座している“ザシートニク”に機体を横付けにすると、着ているパイロットスーツ内の気圧を確認した。
宇野沢は応急処置キットを持って、エアロックの扉を開き機外へ出る。
重力が地球の6分の1である月では、緩慢ながら、重力下では考えられないようなアクロバティックな動きができる。
宇野沢はエアロックを出るなり、“物部”の腕で作った足場へ跳び、その着地と同時にさらに大きく跳び上がった。
しがみつくように“ザシートニク”のコックピットブロックに取り付くと、整備用パネルを開いた。
コックピット内部の気圧を調べるためだ。
通常であれば、コックピット内は気圧が保たれているはずだ。
だが、宇野沢の背筋に冷たいものが走る。
コックピット内は真空だった。
“ザシートニク”への直撃弾により、コックピットは非常システムごと破壊されたのだ。
宇野沢は、つとめて冷静であろうとした。
コックピット内が真空でも、パイロットスーツが機能していれば、生命活動に支障はないはずだ。
「タマルが、不明機を食い止めてくれている…
ユーリアを、助ける時間を稼ぐために」
宇野沢は、拳を握り締めると、役目を果たさなくなったエアロックの内扉を開く。
そこを過ぎれば、彼女のいるコックピット。
破壊された計器類の破片が飛び散る中に、腕をだらんと垂らし、ピクリとも動かない、人形のような少女がいた。
幸いにも、肉体に直撃している弾はなかった。
ルノホートが貫通されるような弾が身体に当たれば、バラバラ死体の出来上がりだ。
だが少女の姿は、人の形を保っている。
入射した弾丸は、ユーリアを掠め、そのまま後部へ貫通していったのだろう。
そして減衰した運動エネルギーが、周囲のものを破壊していった。
人形のような少女の姿を見ると、淡い金色の髪が美しく輝いているのが分かる。
それは、彼女のヘルメットが破壊されていたからだ。
真空となったコックピットに、破壊されたヘルメット。
それが意味することは一つだ。
「・・・クソっ!!」
宇野沢は壁へ拳を力任せに叩きつけた。
“ザシートニク”の大破から、宇野沢が到着するまでの時間。
生きている見込は皆無だ。
宇野沢は歯を食いしばりながら、キットを開け、容器に入った緩い粘土のようなもので、コックピットに空いた穴を塞ぐ。
これは補修流動体と呼ばれるもので、真空中ではある程度自由に形を変えられるが、空気に触れると途端に硬化する。
そのため、空気漏れの際の簡易処置によく使われる。
あらかた穴を塞ぎ終わると、パネルを操作し、コックピット内の気圧を戻す。
呼吸が可能になり、宇野沢はヘルメットを脱ぐと、ユーリアの状態を確認する。
息はない。
よく見ると、彼女のスーツには装甲の破片らしきものがいくつも刺さっている。
それを一枚ずつ抜きながら、少しずつスーツを脱がせ、顕になった傷口を医療用ステープラーで縫合してゆく。
ガチャン、ガチャン――
応急処置を行っている間、宇野沢は無表情だった。
こんなことをしても、なんの意味もない。
新鮮な死骸を美しく繕う、そんな行為でしかない。
だが、何もせずにこのコックピットを後にはできなかった。
それで宇野沢は、応急処置をマニュアル通り機械的に実行していた。
傷口の縫合が終われば、次は循環の再開である。
心音はない。体循環が止まっている。
心臓の位置に電極を貼り、電気ショックを与えねばならない。
彼女がパイロットスーツの中に着ているシャツをハサミで縦に切る。
彼女の上半身を見て、宇野沢は驚いた。
彼女の胸には、大規模な外科的手術痕がみられた。
確かにルノホートのパイロットには必ず、正中矢状面に沿って、胸に手術痕がある。
“鼓動機関”との同調のために、心臓に手を加えるのだ。
“ネクタイ”とも揶揄されるこの胸骨に沿った手術痕は、ルノホートパイロットの証である。
だが彼女の手術痕は、通常のそれとは違った。
彼女には、首を回り込むようについた、ネックレスのような手術痕があった。
そこからさらに“ネクタイ”が伸びており、区切られた肉体は三つ葉のように見えた。
一体、どんな手術をすればこんな痕がつくのだろうか。
そんなことが頭に浮かんだが、手は機械的に応急処置を進めている。
彼女の胸に電極を貼り、電気ショックを与える。
だか、彼女が息を吹き返すことはない。
「何をやっているんだろうな、俺は。
真空中に晒されてたんだ、こんなことで息を吹き返すなら、
彼女は人間じゃない」
宇野沢はその場に崩れ落ちる。その時、“アララト”が遅れてやってきた。
宇野沢は上半身を顕にした彼女を、大きな化学繊維の布で覆うと、ヘルメットを被る。
「ユーリア。仇は、とる」
ユーリアの手を取ってそう言った瞬間、彼女が何かを握りしめていることに気づく。
それは、小型の情報メモリだった。
戦闘中に、情報メモリを握りしめながら闘っていたとは考えにくい。
つまりユーリアが、今際の際に、何か伝えようと、これを手にした。
宇野沢は無意識にメモリを手に取り、そのままエアロックの内扉を開けると、コックピットをあとにした。
“物部”に戻ると、アリクの声がする。
“アララト”からの通信が繋がっていた。
「ケイ・・・ユーリアは・・・?」
「ヘルメットが破壊されていた。
・・・コックピットは、真空だった」
「そんな・・・」
「俺は不明機を追う。あとは任せた。
なんとか列車に通信を繋げて、援軍を呼ぶんだ。
そして、ユーリアを基地に返してやってくれ・・・」
「・・・分かった」
宇野沢は、“物部”を不明機が去った方向へ発進させる。
そして、ユーリアが握りしめていた情報メモリを挿し込む。
中に入っていたのは、膨大なモーションデータ。
データはパターン化され、国ごと、世代ごと、機体ごとのフォルダに整理されており、彼女の几帳面さが窺える。
そして、そのフォルダの中に、いくつか名前のつけられていない未分類のデータがあった。
それが何であるかは、容易に察しがつく。
彼女がこの戦闘中にとった、不明機のモーション・パターンだ。
「・・・彼女は、あの状況でこれを」
真空になってゆくコックピットで、幾多もの装甲の破片に刺し貫かれながら、薄れゆく意識の中で、彼女はこのメモリの存在を伝えようとしたのだ。
彼女は最後まで、最期まで冷静に、勝つための可能性を模索し続けて、最適な行動をとった。
「無駄にはしない・・・
アイツは、必ず倒す!!」




