第19話:ガチタン、不明機の恐怖
ユーリアが仮に“X”と呼称していた、正体不明機。
彼女は高速接近してきた不明機の衝撃波だけで吹き飛ばされ、その風貌を詳しく見ることはできていなかった。
「それにしても・・・
一体・・・何に吹き飛ばされたっていうの・・・!?」
ユーリアはつい先程の出来事を分析していた。
とてつもないエネルギーを持った物体が通り過ぎるだけで、衝撃波が発生する。
現象として、そういう類のものは確かにある。
たとえば地球上で超音速で移動をすれば、ソニックブームと呼ばれる衝撃波が発生する。
だが大気のない月では、当然ソニックブームは発生しない。
つまり、あの時、不明機と“ザシートニク”がいた空間には、衝撃を伝える何らかの媒質があったはずなのだ。
例えば、“物部”の榴弾砲が爆風を伴うのは、使用する榴弾が宇宙仕様だからだ。
榴弾の炸薬の中には、爆発時に反応し、気体と化して体積を数千倍にまで膨れ上がらせる特殊な物質が内蔵されている。
“ペイル”と呼ばれるこの物質は、気体となったとき、つまりガス化したときに光を屈折して、わずかに仄蒼い色を帯びる。
それゆえに、この気体は蒼白いガスという意味合いで、“Pale Gas”と呼ばれる。
この物質は、僅かな反応で膨大な量の気体を生成することが可能で、媒質としての有用性は非常に高い。
このガスが榴弾の爆発点で大量に発生し、爆風を伝える媒質の役割を果たすのだ。
だが、ペイル・ガスの利用例として、もっとも特筆すべきはシールドだ。
ただの波動に過ぎない“鼓動波”は、ルノホートの周囲の空間を覆い滞留するペイル・ガスを媒質として、安定した定常波を作り出す。
その定常波によって区切られたシールド範囲は、領域・範囲という意味合いの“The Pale”と呼ばれる。
それがルノホートを最強の兵器たらしめる、シールドの正体だ。
ルノホートの武装とシールド。
それはペイル・ガスに備わる、“蒼白”と“境界”の二面性によって成り立っている。
そして“鼓動機関”を備えた不明機が、媒質を持ちうるとすれば、最も疑わしいのがこのペイル・ガスであった。
「敵の情報が掴めない・・・
目的も、狙いも、機体性能も、その技術の出どころも・・・」
後退を始めてはや5分ほどが経った。
不明機は一定の距離を保ったまま追いかけて来ている。
もしかすると、先程の高速移動は“アウトバーン”の《彗星》のように、そう濫発できるものではないのかもしれない。
「また考え事か?」
しばらく黙り込んだユーリアに、宇野沢は声をかける。
「衝撃波について考えてたの。
ペイル・ガスを媒質にしているとしたら、不明機のシールド範囲は周辺一帯よ」
「てことは・・・」
「わたしたちのシールドは、ないものとして考えた方がいいわね。
つまり、被弾が死に直結するってこと。
まあ、こんな状況で気をつけようもないし、せいぜい慎重にいきましょ?」
ユーリアはこともなげに言ってみせたが、宇野沢は身が震える思いがした。
つい先ほどまで、模擬戦という名の真剣勝負を演じていた。
だが、今の状況の緊張感は、それとは似て非なる、全く異質のもの。
「ときに、あの機体、どう思う?」
「どう思うって言われても・・・」
宇野沢は不明機の機影を見るが、それが何者であると一言で言い表す言葉が見つからない。
“鼓動機関”の反応と、そのサイズから、何らかの機械らしいという推測はできても、それがどのようなものであるか、言葉で説明することができない。
決して幾何学的な、複雑な構造をしている訳でもない。
どちらかといえば有機的な印象を受け、接地面を見ると、脚部らしきものがある。
人型ルノホートの類だろうか。
だがそれにしては、その体躯と動きは、人のものとはあまりにかけ離れている。
もし地球にこのような生き物がいるとすれば、それは異形と呼ぶべきであろう。
おそらく、不明機のフォルムを名状しがたいものとせしめているのは、頭部らしき部位のあたりから後ろ向きに複数伸びている、ケーブルのようなパーツだ。
“複数のケーブル”といえば分かりはいいだろうが、実際には“無数の触手”と言った方が適切だろう。
「あのケーブル。
結晶ファイバーを編み込んだものかしら」
「それって、“鼓動機関”の循環に使うパーツだろ?」
「ええ、でも後ろ向きについてて、末端は何処にも接続されず遊んでる。
循環しているようには見えない」
後ろ向きのケーブルは、獅子の鬣のようにたなびいている。
その時、不明機がふと追撃の脚を止める。
「止まった・・・」
そう言いながらも、ユーリアは後退の脚を休めない。
「いや・・・」
不明機は立ち止まった地点で、頭部らしき部位を下げ、姿勢を低くする。
無数のケーブルの先端のみが意志を持ったように動き、蒼白い光を放ち始める。
「あれはスラスターだ!来るぞ!!」
宇野沢は蒼白い光を見た瞬間、不明機が媒質にペイル・ガスを使っていることを確
信する。
だが、この圧倒的な性能の差を前に、何をできるはずもない。
この距離であの高速移動をされれば、先ほどのものとは比べものにならない衝撃波を受けるだろう。
ペイル・ガスは、“物部”の榴弾砲の爆風を生み出すほどの媒質なのだから。
蒼白い光が増していく。
本来仄かな蒼色でしかないペイル・ガスが、濃縮されて見たこともない色と化している。
いまや、宇野沢の眼前にあるのは恐怖と絶望だけだ。
宇野沢の手が震え、目が泳ぎ始める。
そして、一瞬の閃光のあと、爆風が襲い掛かる。
思わず目を瞑り、衝撃が通り過ぎるのを待っていた宇野沢は、違和感に気づく。
「この爆風・・・まさか・・・!」
それは、“物部”の203mm榴弾砲の爆風そのもの。
「あーーーあーーーー!!
聞こえるか!!
クッソ、なんだこの通信障害!!」
酷い雑音とともに、やかましい声がコックピット内に響く。
「あ・・・アリクか!」
「やっと繋がったか!
ケイ!どうなってるんだこの状況!!
おいタマル!まさかあのデカブツもソヴィエトの機体っていうんじゃないだろうな!?」
「俺はあんなもの知らん。それより黙ってろ、狙いがズレる」
「あーあ、誰かさんが“アララト”の腕切ったりしなければ、あたしが“サンダーボルト”撃てたのに」
宇野沢はすぐに状況を理解した。
山脈Aにいた二機が、異常に気付いて駆けつけてきたのだ。
「タマル、あなたも一緒なの!?」
「ああ、今は“アララト”経由で通信している。
俺の通信機では、何故か繋がらなかったからな」
「地球から海賊放送の電波を拾うのに比べたら、こんな通信障害、楽勝よ」
アリクは得意げだ。
傍らにいるタマルは、ユーリアに作戦を伝えている。
「隊長、俺が榴弾砲で気を逸らす」
「・・・!?
無茶言わないで!危険すぎる!!」
「大丈夫、策はあります。
おい、“物部”のパイロット!!」
「なんだ?」
「お前の榴弾砲、無傷では返せんだろうが、いいな?」
タマルは不敵な笑みを浮かべる。
「ああ、派手にやってくれ」
そして宇野沢も、それに応える。
「隊長を頼んだ。
注意がこちらに向いている隙に、背後を取れ」
先ほどの砲撃を警戒したのか、不明機は完全に進行方向を変えていた。
気づくと、宇野沢の手の震えは止まっていた。
もう、恐れはしない。
仲間たちと、この“物部”の前に、敵などいないのだから。




