第18話:ガチタン、禁忌の邂逅
『“X”の鼓動波は、80%以上減衰されたうえでなお、標準的なルノホートと同程度の出力を保持している』
その大胆な仮説を、宇野沢はすぐに受け入れることはできなかった。
だが、それに代わる何らかの考察をユーリアに提示することもできない。
「まさか・・・」
「他に考えがあるなら聞かせて頂戴?
なければ今後はこの仮説を元にわたしが指揮を執るわ」
「そんな・・・そんな馬鹿な話があるか?」
「ええ、馬鹿げた話だわ。
でも、もしその“X”が本当にわたしの想像通りの存在なら・・・」
「それはもう、地球の科学に収まる存在じゃない」
「ええ。そうね。もしそのような存在がいるとしたら、
わたしたちは、月に送られて来た目的を、果たさなければならない」
信じ難い出来事を処理しきれていない宇野沢に対し、ユーリアは凛としていた。
宇野沢は、月に送られてきてから1か月しか経っていない。
月のことはおろか、月基地のことですら、書類でしか知らないことの方が多いのだ。
「ケイ、月基地の運用目的は知ってるわよね?」
「・・・もちろん。
月での存在が想定される、”地球外の脅威”への対抗策
でもこれは宇宙開発のための、ただのお題目の筈だろ?
本気で信じてる奴なんて、いったい何人いる?」
「確かにこれは、宇宙開発なんていう割に合わない事業を成り立たせるための、ただの狂言。
でも、全くのでっちあげってわけでもないの、”火のない所に煙は立たぬ”って言うでしょ?」
ユーリアの冷静な口調と、繰り出される突飛な内容がミスマッチで、宇野沢は彼女の言わんとすることを図りかねていた。
だが、彼女がどうやら、宇野沢をからかっているわけではないことは、その態度から分かった。
宇野沢は、今だけは、ユーリアの言う通りにすることを決める。
「正直、”本来の目的を果たす”なんて事態が起こること。
想像したこともなかった」
「あら、奇遇ね。わたしも同感よ」
ユーリアは少し笑いながら、皮肉っぽく言う。
「”月基地“や”ルノホート“なんて、単なる多国間の人類友愛プロジェクト。
大層な理念を掲げ、莫大な金と人員をつぎ込んで、何も生み出さない。
それでよかった。これまでも、これからもずっと」
「まだ決まった訳じゃないだろ。
ぜんぶ計器の不調と君の妄想のせいだって線を、俺はまだ捨ててない」
「ならせいぜい神にでも祈っていることね。
わたしの仮説が間違っていたとしたら、それが一番いいことよ。
その時はいくらでも笑ってくれていいわ。
でも・・・」
そこで、ユーリアの声色が変わる。
「嫌な予感がする。
わたし、悪い勘だけは外さないの」
そのとき、物部の長距離光学センサーが荒野に何らかの影を認めた。
「見つけた、距離約・・・2000!!
”アウトバーン“と、”ライブガルデ“・・・」
「すぐに向かうわ、ついてきて」
ユーリアは即座にスラスターを噴かし、一直線に二機の方向へ向かう。
宇野沢はその少し後を追いながら、ユーリアにデータを転送する。
同時に、光学センサーで二機をマーキングする。
さらに倍率を上げて動きを分析すると、”アウトバーン“が”ライブガルデ“を支えて移動している様子が見えた。
「どうやら、行動不能になったマルガレーテを、ヴァランタインが庇いつつ逃げているってところみたいね」
物部からのデータを分析しつつ、落ち着き払ってユーリアが言う。
「逃げるって、何から」
「あなたから送られてきたデータに映ってるじゃない。
こいつが件の”X“ね」
二機から少し離れた場所に、巨大な影が見えた。
「ルノホート・・・!?」
「”鼓動機関“の反応があるのをみるに、当たらずも遠からずってところかしら。
でも、ルノホートとは、大きさも出力も桁違いよ」
Xは、二機が進む方向へ、追いかけるように移動している。
どうやら、“アウトバーン”の【Kometen《彗星》】でかなり距離を稼ぎ、逃げているところのようだ。
「急ぐわよ、あの“影武者”の出鱈目な高速ブースト、そう何度も連続で使えるものじゃないんでしょ?」
「あ、ああ・・・連発すると、しばらくスラスターが不調になる」
ゆえに、脚を引き摺るように進むマルガレーテを、ヴァルが支えて徒歩により逃走している。
その様子を見る限り、しばらくスラスターの使用はできないらしい。
刻は一刻を争う。
「くそ、まだか・・・!!
せめて武器の射程に入れば、注意をこっちに寄せられるんだが・・・」
「仲間が心配なのは分かるけど、冷静さを失ってはいけないわ。
いま分かってる情報は、損傷した二機が逃げていて、その後を追う巨大な機体があることだけ」
「そこまで分かれば充分だ!!
マルガレーテがあいつにやられて、ヴァルが庇いながら、いま逃げてる!
それ以外ない、君もそう言っていただろ!」
ユーリアは高速で月面を進みながら、頭に血が上っている宇野沢を宥める。
「わたしは、その可能性が高いと言ったに過ぎないわ。
いい?仮に“X”が・・・
・・・!?」
突然、ユーリアがふわりと宙を舞う。
だがそれは、彼女の得意とする三次元機動の優美な軌跡を描かない。
彼女は、ただ吹き飛ばされていたのだ。
「敵襲!!」
宙を舞いながらユーリアは叫ぶ。
そのすぐ近くには、先ほどまで遥か遠くにいたはずの“X”がいた。
超高速でここまで移動して来たらしく、”ザシートニク“はその衝撃波で吹き飛んだのだ。
「こいつ、1000近くあった距離を、一気に詰めてきたってのか!!」
宇野沢はあまりのことに呆然とする。
この未知の存在についての、彼らが得たのはまだほんの僅かな情報、しかしそのどれもが、理外の力としか言い得ない。
「呆としてるな!!ケイ!!
完全に虚を衝かれた!!
牽制しながら後退!!
ひとまず進路をマルガレーテから引き離す!!」
ユーリアは空中で姿勢制御をとりもどし、吹き飛ばされた勢いのまま後退に転じる。
想定外の奇襲から、咄嗟に交戦距離を整えたこの機動は、凄まじい操縦技術と冷静な判断力を備えたものにしかできない。
ユーリアの指示で我に返った宇野沢は、すぐさま履帯の逆回転を始め、さらに超信地旋回で機体の進行方向を“ザシートニク”に沿わせる。
二機は並行を保ったまま、後退を始める。
ユーリアはその間も、さまざまな考えを巡らせていた。
これまでの情報、ヴァルとマルガレーテの進行方向、そして“X“の出鱈目な高速移動について。
「“物部”、射撃を開始」
ユーリアは先程までとは全く異なる、隊長としての声色で命令した。
「目的は誘導か?それとも・・・」
「奴はソヴィエトの機体である”ザシートニク“に、明確な敵対的意志を以て攻撃を仕掛けてきた」
「おい、ユーリア。急にどうした・・・?」
「現時点より、”X“と呼称していた正体不明機を、”地球外の脅威“と認定する。
並びに、当該機の排除を目的として、無条件の武器使用を開始する。
“我ら、祖国を守る剣とならん”」
のちに、ユーリア・アシモフがソヴィエトの会議に提出した、”ザシートニク“の通信記録。
それは、”地球外の脅威“との、第一接触の記録であった。