第14話:ガチタンと、コーカサスの決闘
「アリクさん、敵が観測手の存在に気付いたようです、退避を」
作戦オペレーター、アイラが警告する。
「もう気付いたのか。
流石ユーリア、勘がいい」
アリクは鼓動機関を起動し、退却の準備を始める。
“心停止”後、すぐに鼓動機関を動かしたとしても、ルノホートの全機能が利用可能となるまでには、結構な時間がかかる。
今までに、“心停止”を闇討ちに利用できないか、という動きもあったようだが、この問題がクリアできないまま大昔に立ち消えとなったらしい。
アリクは、索敵のみに特化することで、リスクの低減を試みた。
しかしこうもすぐに気づかれてしまっては、スラスターなしで逃げ切れるはずもない。
だが一つだけ、スラスターの有無が移動速度に関係しない地形があった。
それが切り立った崖である。
「まだスラスターは回復していない。
となれば、逃げるためにはここを登るしかない・・・
でもあたしの技術じゃ・・・」
そう思案しているうち、やっと“聴診器”が利用可能になった。
それによれば、追っ手は凄まじい勢いで追撃を行っているようだった。
「やっぱり。急峻なこの地形を、この速度で追撃できるとしたら、あの男しかいない・・・」
それが分かると、アリクの目つきが変わる。
そして彼女は、再び鼓動機関を停止させた。
「このタイミングで“心音”が途絶えれば、アイツはあたしが崖を迂回したと思うはず」
そう言うとアリクは、腰部から碇鉤を射出し、岩場に打ち込む。
「くそ、怖いなあ。
ええい、こんなもの。カフカースの山に較べれば・・・」
そう言いながら、少しずつワイヤーを巻き取っていく。
もし碇鉤の打ち込みが甘かったら、もしワイヤーが切れたら、もし追手に追いつかれ攻撃されたら
スラスターも使えない“心停止”状態の“アララト”は、たちまちのうちに地面へ真っ逆さまだ。
「うう、下を見るな。
上だけを見ろ」
アリクは自分にそう言い聞かせ、ひたすら登っていく。
「くやしいけど、アイツはこんなところ、苦も無くスイスイと登っていくんだろうな、畜生」
アリクは最後の難所に、碇鉤を打ち込む。
「くそ、でもな、あたしにも意地がある。
アイツはあたしより優秀で、強い。
でもな、それでも、あたしは絶対に負けない!!」
アリクは切り立った崖を登り切り、岩場の影に隠れる。
鼓動機関は起動させない。
崖の上で、勝負を賭けるつもりでいた。
そして追手、タマル・バグラチオンの“シャーシュカ”が悠々と崖を登ってくる。
アリクは岩場の陰で、その瞬間をじっと待っていた。
タマルは優秀な戦士であり、“シャーシュカ”は近接特化の機体。
シールドのない状態で奇襲したところで、すぐに対応され、打ちのめされるのはこちら側だ。
しかし、崖を登った直後ならどうか。
崖を登るためには、腰部のワイヤーのほか、四肢をフルに活用する必要がある。
むろん、銃で手が塞がっている状態では上昇できないため、一度どこかへマウントする必要がある。
崖を登りきった瞬間、それこそが、“シャーシュカ”を倒すことのできる唯一の瞬間。
だからアリクは待った。タマルがやってくる、その瞬間を。
そして遂に、その瞬間は来た。
「喰らえ!!」
アリクはアサルトライフルを連射し、“シャーシュカ”のシールドをみるみるうちに削ってゆく。
崖を登りきった直後の“シャーシュカ”は武器を手にしておらず、咄嗟の反撃もできない。
シールドの減衰が限界に達し、弾が逸れなくなってゆく。
「もらった!!」
その瞬間、“シャーシュカ”がありえない機動をした。
突然、真横に跳んだ。
スラスターによるものではない。
なんの慣性もなく、突然、なにかに引っ張られるように。
そう、何かに引っ張られていた。
「くそ、咄嗟に碇鉤を!!」
アリクはトリックに気が付き、声を上げる。
すでに“シャーシュカ”は岩場に隠れてしまった。
お互いにシールドのないこの状況。
次に打ち合いになれば、物を言うのは純粋な技量の差である。
「どうする・・・このままシールドの形成を待つか?
いや、そうなれば向こうにもシールドができる。
同じ状況で戦えば、勝ち目は・・・」
アリクは狼狽える。
アリク・トロワイヤは、タマル・バグラチオンを最も嫌っている者であると同時に、彼を最も評価している者でもあった。
だからこそ、嫌い、怒り、嫉妬した。
自分では勝てない、完全な実力者。
それが自分の隣にいる。この上なく腹立たしく、やるせない。
「でも、負ける訳にはいかない。
こいつを、“物部”のところまで行かせる訳にはいかない。
タマル・バグラチオンはあたしが食い止める!!」
“アララト”は、シールドの形成を待たずに勝負を仕掛ける道を選んだ。
奇襲をかけたのはこちら側だ。ならば、相手に落ち着く隙を与えてはならない。
“シャーシュカ”の構える短機関銃『アミラニ』が見えたが、構わず突っ込む。
二機は肉薄し、シールドは完全に無効化されている。
『この距離まで近づけば、あとは』
タマルに、敵機のパイロットの声が聞こえた。
『なに!この声は!?共鳴したか!!』
シールドを形成する定常波が干渉し合うとき、その周波数が遠いと相殺しあうが、逆に近いもの同士は共鳴し、それは時に増幅される。
増幅された力場では、それぞれの鼓動機関とパイロットの鼓動は共鳴し、時に敵の声すら聞こえるという。
『タマル!あんたはあたしが倒す!!』
『アリク・トロワイヤ!!
やはり貴様か!!』
アサルトライフルと短機関銃の銃声が交互に響くが、どちらの弾も当たらない。
鼓動が共鳴している中では、お互いの息遣いすら相手に筒抜けなのだから。
『貴様は何故そこにいる!!
祖国を裏切るのか!!』
『全部あんたのせいなんだよ!タマル!!』
『戯言を!』
『鼻息荒いよ!気持ち悪い!!』
アリクとタマル。アルメニアとグルジアという隣国同士に生まれた二人は、本質的には似た者同士であったらしい。
環境の違いが二人を対立させたが、いま、彼らの本質は共鳴し合っている。
『あんたのせいで、あたしは!!』
『俺がお前に何をした!なぜ俺を憎む!!』
気の遠くなるような長い間だったかもしれない、目まぐるしい至近距離の機動戦闘は続いていた。
常人なら神経が狂うほどの情報量を、皮肉にも二人は共鳴によって分担していた。
お互いを叩きのめすために。
『くそ、装弾数が残り少ない!!』
『聞こえているぞ、アリク!!』
『ふざけんな!気持ち悪い!!
あんたもそうだろ!!』
機動戦闘は終わりに近づいていた。
武装には、装弾数という限りがある。
そして二機の弾切れは、ほぼ同時に起こった。
二人は示し合わせた訳でもなく距離をおき、鼓動機関の共鳴は突然に終了した。
「クソっ!!何分やってた!!
まだ決着つかないのかよ!!」
アリクは悪態をつく。共鳴により神経に過負荷がかかっており、視界の端がぼやけている。
「ハァ・・・ハァ・・・
まさか、これを使うことになるとはな」
タマルは、無線のスイッチを切り替えた。
《聞こえるか、アリク・トロワイヤ》
《なんだよ、わざわざオープンチャンネルで。
あたしの声が、そんなに気に入ったか?》
《お前の実力、見せてもらった。
お前は強い。
今まで見くびっていたことを、ここに詫びよう》
アリクは目を見開く。これまで想像だにしていなかった言葉だった。
《ふざけるな、あたしをからかってるのか》
《からかってなどいない。
だからこそ、いまからお前を倒す。
俺の持てる全力で》
そう言うとオープンチャンネルの通信が途切れた。
「何をする気だ、もう銃の弾はないはずなのに」
アリクは“シャーシュカ”の動きを警戒する。
“シャーシュカ”は、腰部のパーツに手を伸ばす。
アリクがずっと気になっていた、用途不明のパーツ。
そこでふと、萬谷の言葉が思い出された。
《明らかに腕の可動域に干渉しそうなとこについてて、スタビライザーって感じでもないんだ》
次の光景を見て、アリクはそのパーツが腕の可動域にあることに納得する。
それは、物理ブレードだった。
「これを見せるつもりは、無かったんだがな」
「何よ、これ。冗談でしょ?」
物理ブレードなるものは、ルノホートの一般的武装には存在しない。
そもそも、汎用性が低すぎる。
ブレードの届く距離まで接近するとなれば、お互いのシールドは無効化されている。
つまり、シールドの存在しない超至近距離で戦う、卓越した技量。
それを持つものの、圧倒的な自身の表れ。
それがこの、物理ブレードだ。
「アリク・・・お前にはこの“高加索彎刀”の意味が分かるだろう?
カフカースに古くからあり、時代の移り変わりとともにその姿を変化させてきた、我々の魂を体現するサーベルだ。
ルノホートの時代となっても、カフカースの魂はこの刀となって生き続けている」
“シャーシュカ”は物理ブレードを両手で構え、ゆっくりと近づいてくる。
むろん、“アララト”のコンバットパターンに、物理ブレードに対する防御など、登録されてはいない。
「アリク、お前に敬意を表する」
“シャーシュカ”はスラスターを全開にし、一気に“アララト”に接近すると、一撃のうちに左腕を斬り飛ばした。
その瞬間、“アララト”のコックピットには“BREAK DOWN”の表示がなされる。
激闘の末、“シャーシュカ”は偵察兵を撃破した。
しかし、その代償は大きかった。
タマルはこの戦いで、長過ぎる時間と、全ての弾薬を消費したのである。