第10話:ガチタン、追撃戦
グルジアのタマル・バグラチオンは、第2世代機”シャーシュカ”での追撃を続けていた。
「タマル、状況を報告して」
「”心音”は完全に捉えた、距離約2,000
尻尾を巻いて逃げてるが、あまり機動性の高い機体じゃない」
「わかった、何かあったらすぐ報告して」
「了解」
それにしても肝の据わったやつだ──
タマルは心中で感心する。
”物部”がはるか遠くにいたあたり、この偵察兵は単独行動をしていた可能性が高い。
逃げ足のさして速くない機体で、ソヴィエトの3機にここまで接近しようとは。
「西側にも、骨のあるやつがいたものだ。だが」
機動性の高い”シャーシュカ”は、逃げ手との距離を確実に詰めている。
だが、突然”心音”が止み、目の前に崖が立ちはだかった。
急峻な山脈AとBの谷間には、切り立った岩場がいくつも点在している。
この崖はその中でも、ひときわ大きいものだった。
「止む直前の”心音”の距離と方角からして、敵はここに来たはずだ。
迂回して崖の裏に廻り、心音を減衰させたか。となれば・・・」
”シャーシュカ”は手持ちの武装をマウントして手ぶらになると、素早く腰部から碇鉤を射出し、岩場の中腹に打ち込んだ。
碇鉤は、重力の低い月面とはいえ、機体の加重を支えられるほど十分に強く岩場に打ち込まねばならない。
だが、月には大気がないため、岩の風化は起こらず岩の割目もない。
今回の崖のような難所を行くならば、相当の技術と経験が必要であり、また仮にそれらを備えていても少なくないリスクが伴う。
逃げ手はそれを嫌って崖を迂回したのだろうが、タマルは違った。
「カフカースの山岳に比べれば、このような地形、遊び場にもならん」
タマルはコーカサス山脈の麓に位置するグルジアの兵であり、山岳戦の熟練兵としての訓練と経験を積んでいた。そしてグルジア兵の体現たる”シャーシュカ”の装備にも、同じことが言える。
”シャーシュカ”は岩の腰部から放出されているワイヤーを少しずつ巻き取ってゆくのに合わせ、手足を巧みに動かし岩壁を上ってゆく。
その熟達した動きは、ほとんど人間そのものである。
腰部からのワイヤーをただ巻き取るだけでは、岩場を登攀することはできない。
一点のみが荷重を支え、吊り下げられている状態では姿勢制御もままならず、そのままワイヤーを巻き上げても手足が岩場にひっかかり、パーツが破損するだけだ。
また、何も考えずに碇鉤を適当な場所に打ち込んだ場合、機体の荷重により岩と擦れたワイヤーが切断される可能性もある。
細部まで見ても、タマルの登攀技術は完璧と言ってよかった。
碇鉤を打ち込んだところの付近まで素早く登り、手ごろな足場に落ち着くと、碇鉤を岩場から抜き取る。
この鉤は遠隔操作で任意に変形させることができるため、回収は容易だ。
そして腰部に戻った碇鉤を再び射出し、同様の方法で登攀する。
この繰り返し、一見悠長に見えて、崖を迂回するよりよっぽど速く反対側へ行ける。
地形データは頭に入っている。迂回路は一通り。この崖を登り、降りれば、確実に逃げてを待ち構えることができる。
タマルはついに崖を登り終え、”聴診器”の反応を見た。
”心音”の反応は、ない。
「馬鹿な、この高さだぞ、迂回路を行っているなら、必ず反応が・・・」
その瞬間、岩場の陰から機影が現れる。
同時に聞こえる、耳を劈くような銃声。
「なんだ!?奇襲か、近い!!」
敵機は至近距離からアサルトライフルを連射し、”シャーシュカ”のシールドはみるみるうちに減衰させられてゆく。
「はは、俺に接近戦か、面白い!!」
シールドが破られる直前、タマルは奇妙な機動で射線を逃れた。
奇襲を受けた際、咄嗟に近くの岩場へ碇鉤を打ち込み、高速で巻き取ったのだ。
タマルのトリッキーな動きに、敵機のシステムが演算した偏差射撃が追いつかなかったのである。
タマルはそのまま岩場に隠れ、腰部にマウントしていた短機関銃『アミラニ』を構える。
「あれは、西側の機体じゃない」
岩陰から奇襲をかけてきたのは、タマルと同じ機影。
ソヴィエトの連邦共和国に与えられる、第二世代ルノホート”アルマータ”だ。
敵機は、崖を迂回したと見せかけて、この岩場を先に登っていたのだ。
「共和国でこんなことができるのは、カフカースの・・・」
そうか――
タマルの脳裏にある少女の顔が浮かぶ。
彼女の国は、コーカサス地方にある、グルジアの隣国だ。
タマルは口の端を歪ませた。
「狡猾になったな、アリク・トロワイヤ!!」
”聴診器”が、やっと心音の反応を示し始める。
【2時の方向、距離0】
その機体は、もはや距離表示の誤差範囲内に立っている。
アルメニアの改造機”アララト”が。