第9話:ガチタン、号砲を奏でる
ユーリア・アシモフと、それに従う2機は、山脈Bの内側を谷に沿って進行していた。
“モスクワの海”を取り囲む、三重の山脈A,B,Cは、今回の地形戦を制する上で最も重要な要素である。
最も外側の山脈Aは、もっとも標高が高く、険しい崖のような山嶺が続く。
中間の山脈Bは、両側を山脈に挟まれ、入り組んだ谷が多く、見通しも悪い。
そして最も内側にあり、比較的なだらかな地帯が続く山脈Cを超えると、広大な平原“モスクワの海”に出る。
ユーリアは山脈BとCの間の谷あいを進むルート“谷BC”を選択した。
谷BCは起伏が激しく、所々に崖のあるこの一帯は、無限軌道の“物部”にとっては不利な地形だと考えられるからだ。
ユーリアは“聴診器”で敵の居場所を伺う。
これはルノホートの“心音”を察知し、コンソールに大まかな方位と距離を表示する、いわばレーダーのようなものだ。
「鼓動機関の反応は無いわね」
ユーリアは通信で僚機を指揮する。
敵が鼓動の聞こえない距離にいる間は、長時間通信したところで、存在を気取られることはない。
「山脈を陰にして、隠れているのだと考えられます。
こちらに向かう“心音”を山脈にぶつけ、減衰させるのが狙いでしょう。
とはいえ、十分に接近すれば、減衰した心音でも拾えるようになるでしょう」
東ドイツのマルガレーテは、相変わらず表情を変えずに答える。
その推論から、彼女がある程度の戦術的視座を持ち合わせていることが窺えた。
「俺たちがいるのは、山脈Bの内側だ。
よって、2つの可能性がある。
ひとつ、敵は外側にいて、山脈Bが心音を妨げている。
ふたつ、敵は内側にいて、山脈Cが心音を妨げている」
グルジアのタマルも、実践的な思考の持ち主だ。
少ない情報から、その場で即座に仮説を立てる。
「少なくとも“物部”は山脈AB間の急峻な地帯を進めないわ。
心音がしないなら、内側、山脈Aの向こう側にいるはずよ」
「同感です。山脈Aのなだらかな地形なら、履帯でも比較的自由な進行ルートを取れるでしょう」
「決まりだな、山脈Aの開けた地形なら、隠れるとこはあまりない。
心音を聞き次第、すぐに倒しに行けるだろう」
「早まらないで、まだ敵の編成の情報がない。
山の向こう側にいることが心音で分かるまで、このまま谷BCを進むわ。
十分に接近し、敵の方位が分かれば、山Cを超えて一気に強襲をかける」
「「了解」」
3機は悪路での機動性に勝るため、内側にいるであろう“物部”を囲い込むような展開を行うことができる。
時間をかければかけるほど、戦況はソヴィエトに有利に傾く。
“物部”は、必ず仕掛けてくる──
そう、ユーリアは予感していた。
そして、その予感が的中するまで、時間はそうかからなかった。
マルガレーテが突然叫ぶ!!
「砲撃!!」
山なりの軌道を描く物体がこちらへ向ってくる。
3機が散開し、付近に榴弾が着弾した。
ズゥゥゥン──
蒼い爆風と、巨大な爆炎が上がる。
「誰が当たるか、こんなもの」
タマルが悪態をつく。榴弾は弾速が遅く、さらに相当遠くから発射されたものらしい。
「マルガレーテ!反撃できる!?」
「発射から着弾までの時間からして、射程圏外です。
しかし方角は分かりました、山脈Cの向こう側から曲射したものと思われます!」
威嚇か、なんでこんなこと───
ユーリアは心中で思う。当たるはずのない威嚇射撃。
敵は先にこちらの位置を把握していたにも関わらず、ただいたずらに居場所を晒しただけ・・・
待て、あんな位置から、なぜ私達の居場所が分かった・・・?
「付近に敵の偵察がいる。
タマル!あなたは私と索敵!!
マルガレーテは後退!!偵察と接敵したら援護射撃!!」
タマルとマルガレーテは即座に命令を理解し、行動する。
「山脈Bの尾根上に向かうわ!!」
「敵に姿を晒すのか!?」
「どのみちもうバレてる、なんでかはわからないけどね!!」
ユーリアは次々と命令を下す。
「何だか楽しそうだな、隊長」
「え?」
ユーリアはふと笑みを溢している自分に気づいた。
目まぐるしく動く状況、ヒリヒリと焼け付くような駆け引き。
一方的に蹂躪するだけの、これまでの決闘とは違う。
これが、戦闘──
ユーリアは少し息を吐くと、笑顔で言った。
「勝つよ、タマル」
「祖国に勝利を」
タマルも、呆れながら微笑みを浮かべていた。
「祖国に勝利を、
いま、僕のことを忘れてませんでした?」
マルガレーテは後退しながら、不満げな顔で言う。
「お前の言う“祖国”ってどこを指してるんだ?
東ドイツか、ソヴィエトか?」
タマルはこの分隊に馴染んできたらしく、軽口を叩く。
「僕が勝利を献ずるのは、兄と僕が生まれた“祖国”です」
マルガレーテは無表情のまま言い、稜線に身を隠した。
ユーリアは山脈Bの尾根に到着し、高い場所から“聴診器”で心音を探る。
この位置なら、山脈Bにぶつかり減衰する前の心音を聴くことができる。
むろん、自らも敵に姿と心音を晒すことになるのだが。
「いた、10時の方向!!
こいつが谷ABから私達の居場所を探ってたのね」
「だが、こちらに心音は聞こえていなかった。
妙に引っかかるな」
「それはあとでいいわ。
マルガレーテ、出てきていいわ。
偵察を追撃する、援護して頂戴」
「了解しました、山脈Bに向かいます」
「タマル、あなたの得意な追撃戦よ」
「そう自負した覚えはないが・・・
まあ、そういうことにしておくよ、隊長」
ソヴィエトの第2世代機“アルマータ”をベースに、近距離での機動戦闘に特化させたのが、グルジアの機体だ。
タマルの機体“シャーシュカ”は、第3世代機であるユーリアの“ザシートニク”に引けを取らないほどの機動力を誇る。
しかし、それほどの機動力を旧式機に与える改造には、それなりの代償も伴う。
ユーリアの“ザシートニク”と比べると、タマルの“シャーシュカ”は機動中の射撃精度が著しく劣る。
だがタマルは、その卓越した技量と戦闘センス、そして近接戦に特化した戦闘スタイルを確立し、衛星国の筆頭パイロットとなったのだ。
“シャーシュカ”の武装は、その戦闘スタイルを体現したものだ。
装備する短機関銃『アミラニ』は、かなり単純な工業技術だけで開発され、装弾数と連射速度に秀でる代わりに、射撃精度が著しく低い。
他国への輸出はおろか、自国の機体にすら使える代物ではないとされ、半ば失敗作とされていた銃であった。
しかし、集弾性を度外視しても、近距離からの連射を浴びせかければ、シールドを確実に減衰させることが可能である。
そのことに気付いたタマルは、『アミラニ』を用いた戦法を研究するうち、近接特化型の戦闘スタイルに行き着いたと言われている。
「谷ABは俺が受け持つ
隊長はマルガレーテと谷BCを抑え続けたほうがいい」
「何よタマル、命令するのは私よ」
「進言だよ。
ここで隊長も外側の追撃に回ると、“物部”が山脈Cを越えてくるかもしれないからな」
タマルは鼻にかかったような声で言った。
「わかったわ、進言を受け入れる。
気をつけて、タマル」
「了解」
物部の203mm榴弾砲を号令に、状況は大きく動き出した。
外側ではタマルの“シャーシュカ”による、正体不明の偵察の追撃戦が始まる。
中間では、ユーリアの“ザシートニク”が進行を続け、前線を押し上げながら敵に近づいていく。
そして内側の遥か遠くでは、“物部”が不気味な砲撃で居場所を示している。
“モスクワの海”の外縁で、戦場は三層に分かれつつあった。