後編
いない、いない。どこにもいない。
どこへ行ってしまわれたのか。
旦那様に似て活発な方であったが、それでもここまで帰ってこなかった日は一度もなかった。
ノックの音が聞こえた。待ち人かそれとも……。
◇◆◇◆
普通に屋敷をノックしたギルバートを、ムーヨは信じられないものを見るように視線を送っていた。口は開く気配はないが、それはムーヨの心情を熱心に語ってくれる。
「人がいるのに、勝手に入っちゃ泥棒と一緒ですよ」
そうギルバートに窘められ、釈然としない表情をしたムーヨの表情が、さっと緊迫したものに変わる。
なぜなら、内側からノックに応える声が聞こえたからだ。
「どなた」
中年の女性の声だ。
こんな状況でなければ、なんの変哲もない問いかけだ。今は、その何事もないかのような声音が、得体の知れないもののように思え、ただ恐ろしい。
「こんばんは、夜分遅くにすみません。少し道をお伺いしたいのですが、よろしいですか」
ギルバートの聴き入ってしまう優しい声に、ドアの向こう側が揺れたのがわかった。
そして、躊躇するように少しだけ扉が開いた。
「今は主人が留守にしております。上がっていただくことはできませんが、道を教えるくらいならばいいですよ」
姿を現したのは、ムーヨが思っていた透けた女性でも、血まみれの女性でもない。
一般的なメイド服に身を包んだ平凡な女性だった。
ムーヨには見覚えがある顔だ。ネーイ男爵家で働いていたメイドのマール。
どこか楽観的なネーイ男爵を夫人と共に窘めていた、信頼されていたメイドだ。
たしか、彼女はあの夜に。
「どちらへ行かれるのですか」
「東の門へ。最近王都に来たばかりで道がわからなくて……。」
自然と会話を始めたギルバートは、暫く他愛もない会話を繰り広げた後、ところでと目を細めた。
「あなたのエプロンのシミはどうしたのですか」
「えっ」
その言葉が皮切りになったように、メイドの顔が裂け、そこから血があふれ出した。
それはムーヨが悲鳴を上げるほどの、強烈な変化だった。
「手こずりましたね、先輩」
「気を引き締めろ、ギル。ここ最近の霊とは桁違いに霊力が強いぞ」
ギルバートが霊と対峙している間に、ガリオンはただ黙っていたわけではない。
今、彼らが見ている屋敷は、幽霊の持つ霊力によって見せられている幻覚だ。
幽霊は、霊力で様々な現象を引き起こす。
だから、彼女の霊力を祓ったことによって見せていた幻覚が維持できなくなった。
そして霊力が弱ると、幽霊にとって最も自然な姿へ戻る。そう、死んだ時の姿に。
「ギル、変われ」
「はい」
先頭にいたギルバートが合図とともに引き下がるのに合わせて、ガリオンが前にでた。
パアンと柏手にしては鋭い音があたりに響き渡る。
その音に、メイドが苦しむように膝を崩した。
「邪魔するナ!」
言葉も怪しくなってきたメイドの幽霊に、ガリオンは容赦なく札をたたきつけた。
メイドは、その札が自身にとって良くないものだと本能的に理解したのだろう。
霊力を壁のように放出し、弾いた。
「まあ落ち着け。お前、このままじゃ自分の霊力にのまれるぞ。主人を迎えに行くんだろ」
ガリオンの言葉は、メイドの霊には届かない。
今、この霊は悪霊になりかけている。霊力が急激に弱くなった反動だろう。
悪霊はいわゆる、魔力を受け入れする準備が整った状態だ。そして、人に害を与え始める。
悪霊になれば、魔力を吸収する速度が段違いに早くなり、アンデッドになるカウントダウンが始まる。アンデッドが突然街中に現れたらその被害は計り知れない。
その前に祓う。それが幽霊課の役割の一つだ。
メイドの様相もなくなった霊が咆哮する。
声が鋭い刃となり、ガリオンの頬をかすめていく。
幸い浅く切られただけだが、防御が間に合わないほど攻撃速度が早い。
作業員たちに実害が出ていたほどだ。
悪霊になったのは、最近では無いのかもしれない。
そう思うほど、攻撃の手は躊躇なく振るわれた。
「ギル、そっちは大丈夫か」
視線はメイドに向けたまま、声を後ろに投げかける。
「これくらいなら大丈夫です。後ろは気にしないでください」
先ほどの刃を剣で切払ったギルバートは油断はしていないものの、声にも態度にも余裕がありそうだ。
こういった対面での戦闘は、ギルバートの方がはるかに優秀だ。安心して背中を預けられる。
メイドの霊は、ガリオンに向かって霊力を解き放つ。
ある程度祓ったとはいえ、強力な霊力は実態を伴う風の刃を潜ませている。ガリオンは札で対処しきれないと判断すると、両手で印を組んだ。
複雑に指が絡まり解ける。強力な術を使おうと思えばそれだけの印を結ばなければならない。必然、印を結ぶ手は目で追いきれないスピードになる。
印を結び終え、手のひらを前に出すと、風の刃が結界をたたく感覚があった。
「ニーナ・ネーイ。彼女はもうこの世の人間ではない」
ガリオンの言葉に、メイドの動きがピタリと止まった。
顔は半分に裂けて脳みそが見えており、腹から腸がエプロンのリボンのように垂れ下がっているが、かろうじて除く瞳に驚愕の色が宿る。
ムーヨには、今までとは別の意味で魘されそうな光景だ。
「嘘ダ」
「嘘ではない」
これを見ろと、ガリオンが指を指したのは、ドアにハマっていた大きなガラス。そこには、暗い夜の情景ではなく赤く燃え盛る屋敷が映し出されていた。
盗賊の影が通り過ぎる。
地面に近い誰かの視点を映し出しているようだ。
不安定に揺れる視界のなかで、執事服を着た男が、胸を突かれて倒れた。
続け様に、メイド服を着た女が腹を切られて倒れた。しかし、倒れてもなお、視線の主に何かを訴えるかのように口を動かしていた。
盗賊は彼女にとどめを刺すため、彼女の脳天めがけて剣を振り下ろす。
「コレは……」
「あの日の記憶だ。あんたになら分かるだろ」
そして誰の記憶なのかも。
場面が切り替わった。
今度は赤く燃える屋敷ではなく、闇に包まれた木々が映し出された。
視線の主はどうやら追われているらしい。めちゃくちゃに森を走っている。時折、長い髪の毛やリボンが視界の端に映った。
ふと、地面が視界を覆った。転んだのだ。原因は暗くてよく見えなかった木の根か、あるいは別のものか。
しかし、それが致命的であった。
近づく盗賊の手には血塗られた剣が。
そして、それは容赦なく視界の主に振り下ろされる。
ぶつっと音がしそうなほど、唐突に映像は止まった。
これは幼い少女の記憶だ。
強い想いをこの世に残しているため、まだこの世から離れられない。だからこそ、こうして映すことができたのだ。
「彼女は、戻りたがっている。この屋敷へ」
静かに告げられた言葉に、知性を称えた瞳でメイドがガリオンを見た。
「迎えニ行かナイト。あの方を……」
「案内する。だから、お前が自分自身で作り出している鎖を壊させてくれ」
メイドはその霊力の強さ故か、帰りを待つという未練のためか、この土地に縛られている。
おそらく、屋敷を壊そうとする工事が引き金になり悪霊化していたが、本来であればまだこの土地で幼い主人の帰りを健気に待って居ただろう。
しかし、今メイドは迎えに行くといった。
それならば、メイドの鎖は解ける。
ガリオンは、メイドに右手を差し出した。
メイドは醜く変わった自身に伸びてきた手を驚いたように見つめる。
「どうして、そこまでするンダ」
「それが俺らの仕事だから」
よく見たら、手のひらには陣が描いてあった。
魔法陣は幾何学模様で陣を描くが、こちらは文字のような印象を受ける。
それがどういったものであるか、どうなるのか。
何も聞かず、メイドはその手をつかんだ。
◇◆◇◆
暗闇の中、男は大剣を荒々しく振り回した。
何かが当たる感覚はある。しかし、やったという思いは一向に姿を現さない。
化け物。
そう、相手にしているのは化け物に違いない。
しかし、初心者向けの東の森には似合わない強力なアンデッドだ。
「怯むな、奴とて不死身ではない。魔力を使わせたらこちらにも勝機がある」
パーティーメンバーにそう声をかけるが、反応は芳しくない。
もうすでに戦闘を初めて数時間の時が経った。
いくら屈強な冒険者が束になっているとはいえ、体力も気力も底をつきかけている。
撤退すべきだ。
そう、冒険者としての勘が囁いている。
アンデッドは細長い蔦のようなもので冒険者を圧倒していた。
本体が小柄だからか、その動きはすばしっこい。
厄介な敵だ。
「リーダー、もう持たないわ。撤退しましょう」
回復をしていた後方から声がかかる。
時にはリーダーの自分よりも、戦場を把握する彼女がそういうなら、勝算はない。
悔しいが、命より大切なものはないだろう。
「よし、お前ら。てった……」
「ちょっと待て、もう少し抑えてろギーヴ!」
無茶言うなそう怒鳴りたいが、生憎声の主には日頃散々お世話になっている身だ。
素直に気を引き締めてアンデッドと向き合うと、右手側の茂みから勢いよく男が3人飛び出してきた。
2人は予想通りだったが、1人は知っているがなぜこんなところにいるのか。
「おい、ガリオン!一般人をこんな戦場に連れてくるな」
「関係者だ、見逃せ」
戦場にいながらも、ギルドで見る気の抜けたような飄々とした態度に、ギーヴは肩透かしを食らった気分だ。
「随分苦戦しているな」
「なかなか魔力が尽きない。手ごたえがある割に、攻撃が通っている感じがしない」
「だろうな」
何かを知っているかのような返答に、ギーヴはじっとりとガリオンを睨んだ。
それを視界の端で捉えつつ、あっさりと無視したガリオンは、虎視眈々と隙を伺っているアンデッドを見た。そして、盛大に眉を顰める。
「一番視たくないものが見えちまった……」
だが、仕方ない。
このメイドと、今や人の姿は見る影もないあの少女を救うためには、この手段しかないのだ。
「ギル、思った通りだ。アンデッドになって日が浅いからか、肉体との定着が弱い」
だからこそ。魔力を極力使わずに、霊力でこのギーヴたちの相手をしていたのだろう。
魔力が減ってないようにギーヴたちが感じていたのは間違いではない。
魔物へと変わったばかりで魔力を使い尽くせば、また肉体を失ってしまう。
それを本能で感じ取っているから、魔力を使わないのだ。
ギルバートは身軽にガリオンの横を抜けると、アンデッドに向けて剣を振り下ろした。
速い。
ランクが上位であるギーヴでさえ目を見張るような速さだ。
剣を避けたアンデッドに、ギルバートは一歩踏み込むことで追撃をする。
速さも技術もそして力も、上位の冒険者と遜色ない。
思わずギーヴは感嘆の声をあげた。
「やっぱりあいつは、冒険者の方が向いてるんじゃないか」
「引き抜くなよ、貴重な人材なんだからな」
ギルバート霊力は他の幽霊課メンバーに劣るが、霊力を剣に纏わせ斬ることで祓うという、ある意味一番力技な御祓をする。
しかし、裏を返せば実態のある剣が媒体であるからこそ、魔物であっても人であっても戦闘スタイルを変えず戦える。
そして、彼は剣の才能は有り余るほどある。
先ほどまで、パーティーで戦っていたアンデッドが、ギルバートたった一人に押されるのを、ギーヴ達は唖然と見ていた。
ギルバートは、蔦のようなものが数本まとめて襲い掛かってくるのを、足捌きだけで避けた。
肉体が定着しきっていない割りに、動きは素早いうえ力強い。
それほど、帰りたいという念が強かったのだろうか。
再度切り返しで鋭い切っ先をこちらに向けた蔦を、今度は切り捨てた。
辺りを薙いだ刃は、ギルバートの霊力を纏っておらず、肉体だけを切り飛ばした。
甲高い悲鳴が辺りに響きわたる。
それと同時にガリオンが右耳を抑えて眉をしかめた。
「仕方ないだろ、こうでもしないと邪魔な肉体があるせいで、成仏できないんだから」
誰に向かってガリオンは話しているのか。
そこそこ長い付き合いのあるギーヴは彼の奇行には慣れているが、あまり面識のないパーティメンバーは胡散臭そうな目でガリオンを見ている。
この場でガリオンの言葉の意味をしっかり捉えられたのは、目を借りているムーヨだけだろう。
ガリオンの目の前を火の玉が飛び回っている。
まさかメイドが火の玉に変わるとは思わなかったが、おおよそムーヨには聞こえない声でガリオンに文句を言っているのだろう。
そう視線を少し逸らしている間に、肉体がどさりと地面に落ちる音がした。
視線を戻すと縦に真っ二つに切られたアンデッドの肉体が、地面に横たわっていた。
ギルバートはさしてかいてもいない汗を拭うような仕草を見せながら、ガリオンの傍に戻った。
「霊体は、直前で肉体から追い出しました。まだ祓ってませんよ」
「さすが。ギーヴ達に手を貸して貰うまでも無かったな……」
感嘆よりも呆れの色が強い声音で賞賛されたギルバートは、得意気に胸を張った。
ムーヨは、肉体から火の玉の様なものが、ふよふよと飛び出して来たのを視た。まるで今のメイドの様な。
あれが魂の姿だと知ったのはつい先程のことだ。
肉体を失った魂が、薄らぼんやりと少女の形をかたどる。
「帰りたい。帰りたいの」
しくしくとおとなしく泣き続ける少女は地面を見たまま立ち尽くしている。赤いリボンで結わえられたツインテールが風もないのにザワリと揺れた。
「帰りましょう、お嬢様」
火の玉の姿から人の形を取り戻したメイドが、そっと少女の肩に触れる。
少女は弾かれたように視線を上げた。
「マール?本当にマールなの」
ずっと泣いていたのだろう。赤くなった目を今度は別の涙でうるませながら、少女はメイドに手を伸ばした。
メイドはその手を握り、目線を合わせるためかがんだ。
「迎えに来るのが遅くなり申し訳ありません」
少女は首を横に振った。
その瞳は、歓喜の色で溢れかえっている。
「いいの。こうして迎えに来てくれたから」
「ありがとうございます。さあ、帰りましょう。旦那様も夫人も首を長くして、お嬢様をお待ちですよ」
「うん!」
少女が、メイドに導かれるように空へ舞い上がる。
何を話しているのか。
その姿が、光の粒となり消えるまで、少女の楽し気な笑い声が最後まで響いていた。
◇◆◇◆
平和な朝である。
数時間しか寝ていない眠い目をこすってガリオンは煙草を口にくわえた。
あの後は散々だった。
ちょうど丑三つ時の時間。
つまり、幽霊の力が最も強い時間に成仏していったため、幽霊たちの姿は、本来その目に映すことが無いギーヴたちにもはっきりと見えていたらしい。
もちろん質問攻めにあった。
そしてその後、屋敷に戻り念のため祓いの儀式をしてやっと帰路についた時には空は若干白んでいた。
というより、朝と呼んでも良い時間だった。
結局、同日に盗賊達によって亡きものにされていたニーナ。帰りたいという彼女の念だけが、この世に留まり続け、そして魔物も多い東の森の魔力を吸い、魔物化してしまっていたのだろう。
成仏出来て何よりである。
「あ、先輩。おはようございます」
ほとんど徹夜明けに近いというのに、爽やかに微笑むギルバートを見て、ガリオンは肩を落とした。
「俺も歳か……」
歳を気にしたことなどなかったが、もう40歳のカウントダウンも始まっている身である。
自覚はなくとも体は老いていっているらしい。
しみじみとするガリオンに首を傾げつつ、ギルバートは隣に並んだ。
「今回もよく当たりましたね」
「当たり前だろ」
何がというと、少女ニーナの行方である。
いくらギーヴたちが東の森のアンデッド討伐の依頼を受けているのを見たとはいえ、それだけで居場所を突き止められたのではない。
占術師。東国に伝わる占術を操る者。
その本分は祓いにあるのではない。読んで字のごとく占いにある。未来を視て、ある時は人を、ある時は幽霊を、ある時は国をも導く。
その占いの精度は術師の腕によるが、ガリオンの腕は外したことがないといえばわかるだろう。
少女ニーナの行方も、彼女が愛用していたリボンをメイドから借りて導き出したのだ。
二人肩を並べて出勤すると、オリバーがおやっと目を丸くした。
「昨晩、祓いにいっていたのでは。遅出でもよかったんですよ」
「あの時間から寝たら、遅出の時間でも遅刻しますよ」
ため息とともに白い煙を吐き出したガリオンに、オリバーが更に目を丸くした。
「あなたとギルバートが苦戦したのですか」
声にしてないが、意外ですという言葉がありありと聞こえてきた。
「詳しくは報告書書きますが、現場には幽霊のメイドがお嬢様を待っていて、そのお嬢様が東の森でアンデッド化してました」
「そのアンデッドは」
「ギーヴたちが依頼受けてましたが、横入りしてギルバートが倒しました。お陰で、メイド共々成仏してくれましたよ」
よっこらしょっという声と共に自席の椅子に座ったガリオンは、真っ先に灰皿を引き寄せた。
「そういえば、依頼人も着いてくると言ってましたが」
「もちろん無事です」
情報量が多く、混乱はしていたものの、傷一つなく家まで送り届けた。
どこかすっきりした様子の彼は、最後に晴れ晴れとした表情で礼を言って自身の屋敷に消えていった。
オリバーと話をしていると、御祓係の他の面々も出勤してきた。
時計を見ると丁度朝のミーティングの時間だ。
「さてと、今日も頑張りましょうかね」
今日はどんな物語を持つ幽霊と出会えるのだろうか。