サ ク ラ
春の推理2022「桜の木」参加作品です。
私は、この花の名前を知らない。
透明な立方体の結晶の中には、真っ白な絵の具に一滴だけ赤を垂らしたような色の花がひとつ。五枚ある花弁の外側にはそれぞれ小さな切れ込みが入っており、とても愛らしい。
「──また見てるのかよ」
彼が私に言う。
「うん」
「お前馬鹿だよな。そんなもん、腹も膨れないんだから売っちまえよ」
私は彼に背を向けて、玄関扉を押し開けた。
教会の外は今日も晴れ。いつだって、真っ白な太陽が照らしている。
町の外側には、半球状の壁がある。
町の外には行ってはいけない。
出口は一か所。鍵は町長が管理していて、外に出ることを許されているのは狩猟者だけ。その狩猟者も、年々減ってきているらしい。
雑草一つ生えていない町に、今日も人工の太陽が、適切な気温に管理された風を吹かせている。
私が生まれたのは、今から十二年前。
親は生まれたばかりの私を、名付けだけして教会の前に捨て置いた。
そういった子供達は、この町にはとても多い。特に立場がある親であるほど、子供を産んだという醜聞を恐れがちだ。しかし生まれてしまった命を自らの手で殺すことも忍びないと思ったのだろう。いや、出産というのは大変なことだと聞くから、もしかしたら生きて欲しいと願ってくれたのかもしれないが。
緩やかに滅亡していこうとしている星で、命を「減らす」ことを決めた世界では、新たな命は歓迎されない。
私は持っていた結晶をポケットの奥に入れて、町を歩いた。
ただの孤児がこんなものを持っていたら、誰かに盗られるか、逆に盗んだと言われて捕まえられるかのどちらかだ。本物の植物は貴重で、宝石よりも高値がつくらしい。
拾われたとき、私はこれを握りしめていたのだそうだ。
「どうにかして入れないかな」
私は建物の影から灰色の大きな箱のような形の研究所を覗き見た。
最早日課となってしまっている。
この町にある反政府団体の研究所では、植物の研究が行われているらしい。真偽は不明だが、あの中には本物の植物が植えられ、育てられているのだという。
それならば、もしかしたらこの花の名前も分かるかもしれない。両親が私に託したこの高価な結晶──それに何か意味があるのか、知りたかった。
「──やっぱりここに来たじゃんよ。もう諦めろって」
そこには彼がいた。
さっきまで教会にいたはずなのにここにいるということは、私の後をつけてきたのだろう。昔から、彼は過保護で私のことを気にしてくれている。
「でも、どうしても知りたいんだもん」
「って言ったって、入れるわけないだろ」
「それは、そうなんだけど」
反政府団体というだけあって、中に入ることができるのは職員だけ。職員になる方法を知っている者も、どこにいるのか分からない。
ただ、この町全体が一丸となってあの研究所を政府の目から隠しているのだから、きっと、何か方法があるのだろう。
彼が聞こえよがしに大きな溜息を吐く。
「仕方ねえな。お前、そこの前で倒れてみるか?」
「え、何言ってるのよ」
「あの中には入れれば、なんか分かるかもしれねえんだろ」
「それは、そうだけど」
しかし倒れることと中に入ることの間に、どんな関係があるのか分からない。彼の真意を測りかねて首を傾げると、彼は何事かを考え込んでしまった。
「え、何?」
「いや。倒れるなら俺の方が良いな。お前が倒れてたら俺が運べるし。よし、そうとなったら……お前、俺をあっちに向かって思いっきり突き飛ばしてくれ」
「はあ!? なんでよ」
「良いから、ほら! さっさとしろよ」
私がまごついているうちに、彼はついに私の腕を掴んでしまった。
こちらを見据える目が、妙に真剣な色をしている。
「いいか。チャンスは一回きりなんだ。俺だって、こんなとこで国に殺されるのはごめんなんだよ。……俺のためにも、やれ」
そう言った彼は、私の腕を引いて、無理矢理唇にキスをした。
柔らかな感触というよりも、歯がぶつかった痛みの方が大きかったように思う。
「──……っ!?!?」
私は力一杯腕を振りほどいて、思いきり彼の身体を押した。
私の力よりもずっと大きな力がかかったような感触の後、彼の身体が吹っ飛んだ。2メートル以上先、建物の影から出て、道路の真ん中で倒れている。きっと改造したリフレクターを使ったのだ。
彼は、そこから全く動かない。
何故自分から怪我をしようとするのか、私はさっぱり分からなかった。
「ちょっと、何!? 大丈夫?」
声を掛けても反応はない。
私は彼の側にしゃがんで、混乱に任せて思いきり涙を流した。きっと、そうすることが正しい。
もう後に引くつもりは無かった。
「──やだ、なんで? 起きてよお……」
彼は起きてくれない。
すると、少しして、見知らぬ男の人が声を掛けてきた。
「どうしたの?」
顔を上げると、眼鏡が似合う柔らかい雰囲気の男の人がいた。優しい人だろうと一目で感じて、私はしゃくり上げながら助けを求める。
「あの、彼が、飛んで、怪我……全然起きないんです」
「その格好、教会の子かな。ここで倒れたとなると……」
彼と私が着ている服は、簡素な白い服である。女の子はワンピース、男の子はシャツとズボン。全て決められていた。
男の人はしばらくぶつぶつ何事かを呟いていたが、やがて顔を上げた。
「とにかく、一旦こっちに来てくれ。大丈夫。下手なことはしない」
男の人が彼を抱き上げる。
こっち、と言われた先は、研究所の中だった。
鍵と指紋で認証して、中に入る。
こんなに簡単に中に入れるとは思わなかった。
自動で開いた扉の先には、まっすぐな長い廊下が続いている。
「君たちは、ここのことは知っている?」
「噂程度には……ごめんなさい」
「いや、良いよ。この町には、僕らを応援してくれている人がたくさんいるから」
男の人はそう言って、奥の扉も抜けていってしまう。彼はその先にあった長椅子に寝かされた。部屋に備え付けの無線を使って、男の人が誰かに連絡を取っている。
話の内容からして、お医者さんが来てくれるようだ。
「大丈夫。多分ただの脳しんとうだと思うから。──それで、君」
男の人は、まだ涙目のままの私を見た。
「何か、言いたいことがあるような顔をしているね。毎日こっちを見ていたでしょう」
知られていたのか。
知っていて、私と彼をここに招いたのだ。
「知っ、て──」
「うん。聞かせてくれるね?」
私はこの男の人を信じて良いのか分からなかった。優しい人のようだが、全てを教えることには抵抗がある。まして花が入った結晶など、うっかり見せて奪われてしまっては大変だ。
「──薄いピンク色の小さい花の名前って知ってますか?」
「花……」
「ここ、お花があるんですよね!?」
前のめりに言うと、男の人は私の勢いに驚いたように一歩下がった。
それでも諦めるつもりはない。
きっとこれが、最初で最後のチャンスなのだ。
◇ ◇ ◇
大きな木いっぱいに花が咲いていた。
真っ白な絵の具に一滴だけ赤を垂らしたような色の花弁が、ひらひらと次から次に舞い落ちてくる。
それは花という言葉すら消えかけてしまっていた世界と同じ星にある場所とは、とても信じられない光景だ。
かつては世界中に咲いていたというその木の名前は、桜というらしい。
「さくら」
その名前を、自分自身の心に刻みつけるように口にした。
大切な、大切な、私の名前。
「さくら」
どこか儚いその音は、この花によく似合っている。
そして私には、どうにも似合っていない気がした。
ポケットの奥には、桜の花が入った結晶が一つ。
「──サクラ、早く行こうぜ」
彼が呼ぶ。
私は桜の木に背を向けて、研究室の扉をくぐった。
お読みいただきありがとうございました!
初めてのジャンルでどきどきでした…。
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