第一話:前
「大丈夫だ。殺しはしない」
「まだまだ働いてもらわなきゃならないからね。こんな簡単に死ねると思ったら大間違いだ」
「そういう訳で、行っておいで。若き英雄よ」
「そして、ひとまず世界を救っておいで」
気が付くと、青い空が目に飛び込んできた。
綺麗にどこまでも澄んだ空が、離れて行って……。
離れ、んっ、離れ……。
落下してるこれ!?
「うおああああああああああああ!?」
落下を自覚した瞬間、凄まじい風圧に四肢が吹き飛びそうになる。
何事だ!? 何でこんな事に!? 俺って何してたっけ!? 空中で寝るとかそんなアクロバティックな睡眠取ってたっけ!?
「クッソ!」
俺はどうにか身体を回転させて下を見る。すると、今まで見たことないほど綺麗な緑の大地が広がっていた。
すげえ……。こんな綺麗な自然見たことない。俺が見た事のある大地なんてコンクリートばかりだぞ。
「いや、それどころじゃねえな!」
この高さから落ちるのはさすがの俺でも遠慮したい。ぺちゃんこになるのはゴメンだ。
えーっと何か適度に引っ掛けられそうな物……!
これだけ自然豊かな場所だ。良い感じに木が大量にある。そのうちの最も大きく太い木に狙いを定める。
そして、右腕に神経を集中して、頭にイメージを作り出す。
イメージするのは鎖。かつて自分を拘束し、引きずり回し追い詰めた。あの凶悪な鎖!
イメージが固定化されるにつれて、右腕に銀色の光が溢れ出す。そして、完全に形となった時。銀色の光は想像した鎖となって右腕に巻き付き握られた。
よし!
「オラアアアアッ!」
俺は鎖を投擲して、先程狙いを定めた木に向けて鎖を投げつける。投げた鎖は木の幹に巻き付いて固定された。
肩抜けそう……。
しっかりと両手で鎖を握り、來るであろう衝撃に備えて目を瞑る。
身体が巻き付けた鎖を通り過ぎ、ジャラジャラと音を立てて鎖が張られる。瞬間、俺の両腕。特に鎖を巻き付けていた右腕の肩に凄まじい衝撃が走った。
「ゴッ……!!」
いっでえええっ……!! 吐きそうな程痛い……!!
ああでも、潰れたトマトにならなくて済んだか……。
「あああああ……おおおおおおおお……!」
いやでもすっごい痛い……。あんな距離から落下なんてしたことねえし……。肩抜けたかな……。
あっ、いや、動くから抜けてないな……。
「あっ、あのー……」
鎖を外して下に降りようとしていると、木の下の方から声を掛けられた。
声のした場所を見下ろすと、そこには少女が一人立っていた。
金髪に赤い服を着た少女。しかし、少なくとも俺が生きていた日本で見たことのない服を着ていた。
何だ、あの服は。割とカチっとした服で礼服っぽいが、何というか……。ファンタジー系の作品でしか見たことないな。あんな服。
「だっ、大丈夫ですか?」
「…………」
俺は鎖を消して一気に飛び降り、少女の前に着地した。
うむ。華麗な着地だ。
「大丈夫そうだ。すまない心配させて」
「はあ……。でも、どうして木に引っ掛かってたんですか?」
「何で……」
本当の事を言って通じるのだろうか。目が覚めたら何だか分からないまま空の上にいて落下していたとか。
信じないだろうな……。
「あー……。ここはどこだ?」
「へっ?」
「どうやら記憶がおかしいらしい。ここがどこだか分からない」
そういう事にしておこう。本当にここがどこだか分からないし。
「そっ、それは大変じゃないですか! すぐにお医者さんに……!」
「ああいや、何かのんびり思い出していくから色々教えてくれ」
医者に連れて行かれたって健康ですって言われるよ。
強いて言うなら右肩が脱臼しかけてるくらいだよ。
「それで、ここは?」
「ここはポトスの村です。聖セインス王都の近くにある村で……」
おお……。一個も分からねえ地名ばっかだ。
「どうですか……?」
「悪い。まったく分からない」
「そうですか……。では、お名前は?」
「宮戸。宮戸信悟……」
……ここでたぶん会社名とか言っても分からねえよな。
知らない地名出たって事は間違いなく日本ではない訳だし。
「まあ、気軽に宮戸とでも呼んでくれ」
「ミヤトさんですか。私はフランチェスカ・フォン・ムーンベルトです」
「フラッ……!」
何だその無駄に長い名前は!? 俺の知り合いなんて二文字とかいるんだぞ!
えーっと……。
「……長かったらフランでいいですよ?」
「そっ、そうか? じゃあフランだな」
いや、覚えられない訳じゃないよ? ちょっと時間かかるだけで。
一週間くらい。
「ミヤトさん……。本当に大丈夫ですか?」
「んっ、記憶か? 何かそのうち思い出せると思うから大丈夫だ」
「そうですか……。でも、先程の鎖って魔法ですよね? 魔法の記憶はあるんですね」
おおっと、魔法はあるのか。何だろうなあ。たぶん俺の知ってる世界じゃないんだろうけど……。
聞いたことない地名に見たことのない風景。これが俺の知っている地球なわけないわな。
でも、魔法があるなら……。
「魔法ってこれか?」
俺はもう一度右腕に集中して、今度はナイフを創り出す。
フランはそのナイフを受け取って、光に当てたりと眺め始めた。
「不思議な魔法ですね……。どういう魔法なんですか?」
「簡単に言うと武器を創り出す魔法だけど……。俺のは魔具のおかげで使えてるだけだ」
「魔具……?」
「魔具って知らないか? 魔具ってのは……。んっ?」
俺が魔具について説明しようとした時、どこからか大勢の人がやって来た。
おお? 何だこの人だかりは。
「フランちゃん! 無事かい!?」
「ああ。お肉屋さん」
「帰りが遅いから何かあったんじゃないかと……」
「八百屋さんも……。はい。大丈夫ですよ」
おお……。町の人達なのかこの人だかりは。
いっぱい出てきたな。
「私は大丈夫です。それよりもこちらの方が……」
「おいっす」
「誰なんだ? その男は」
「それが、記憶が無いみたいでして……。木に引っかかっていたんです……」
「何なんだそれは?」
俺もよく分ってねえよ。
「それよりもフランちゃん。薬草はどうだった?」
そう訊かれたフランの表情が曇り、ゆっくりと首を振った。
「ダメでした……。やはり荒らされていて……」
「そうか……」
何か深刻そうな話だな……。俺も少し真面目に話聞くか。
「まあ、予想していたことだ。仕方ない」
「だが、どうするんだ? 明日にも来るかもしれんというのに……」
「何か来るのか?」
「あ……」
そう訊くと、フランは明らかにやっちまったという表情でこちらを見る。
そんな目で見られても……。
「フランちゃん……。隠してもどうにもならない。正直に言おう」
「はい……。では、説明は私から。皆さんは戻ってください。私は、ミヤトさんの案内がありますから」
「分かったよ。すぐに、帰ってくるんだよ」
そう言うと、わらわらやって来た人だかりは去っていった。
それを見送ったフランは、暗い顔をしてこっちを見る。
「ミヤトさん……。単刀直入に言います。人類はもうすぐ滅びます」
「…………」
「すみません……。知らないままの方が幸せだったかもしれませんけど、いずれ分かる事ですし……」
フランはゆっくりと歩き始めながら、語り始める。
その顔には、何故か笑みが浮かんでいる。
「人類は魔物、悪魔……。呼び方は色々ありますが、人の形をした人ならざるものの侵攻によって追い詰められました。各地にあった国は全て崩壊し、私達人類は僅かに残った村落に逃げ延びて生き残りましたが……」
「…………」
「魔物達はそんな人類を根絶しに動いています。ですから……。人類は滅びます。ですが、私達は諦めません! ふふっ。最期まで、希望は捨てないんです!」
そう言って笑うフランの顔には、達観した笑みが浮かんでいた。希望を捨てないと言いながら、心の中ではもう全てを諦めている。
そんな笑み。
「それでいいのか?」
「何がですか? 私達は負けません! あっ、着きましたよ。ここが私達の村です!」
いつの間にやら着いていたらしいフランが住んでいる村は、村というのもおこがましい程に寂れた場所だった。
民家らしき物は四つ程しかなく、食料となっているのであろう畑は民家の隣に小さくあるだけ。
これでさっきいた人だかり全員が暮らしてるのか……? とても供給が追い付いてるとは思えないが……。
「とりあえず、私の家にどうぞ。大したおもてなしも出来ませんが」
「ああ……。そうさせてもらおうかな」
フランに案内されて着いた家は、他の家よりはマシだが継ぎ接ぎのように打ち付けられた木材が痛々しい家だった。
中も家具は最低限の物で、テーブルとイスは即席で作ったらしい物だった。
「お腹は空いてませんか? こんな物しかありませんが、どうぞ」
「あっ、ああ……」
そう言って出されたのは、野菜と魚の入ったスープだった。
この惨状で飯貰うとか、申し訳なさ過ぎて心がいてえ……。
「……美味いな」
「あはは……。調味料も何もないですから、さすがにそれはないって分かってますよ」
どうやらお世辞は通じなかったようだ。
いやすげえよ。素材の味百パーセントだもん。出汁とかそういう概念に挑戦してるもんこのスープ。
食うけどさ。
「なあ、フラン。その魔物ってのはいつ来るんだ?」
俺は台所で作業をするフランにそう問いかける。フランは一瞬手を止めたが、再び再開して口を開いた。
「……近くにあった薬草の群生地が荒らされていた事を考えれば、明日か、もしかすると今日の夜にも来るかもしれません」
「なるほど……」
明日にもって村の人も言ってたしな。分かってるんだな。ここにいる人達は。
「逃げないのか?」
「もう、逃げるのに疲れているんです。みんな。だから、次に襲撃が来たら清く戦って死ぬ。そう、みんなで決めたんです」
…………。
「ごちそうさん。俺はちょっと辺りを見て回るよ。記憶が戻る、かもな」
「あっ、はい……。その、ミヤトさん?」
空になった食器を置いて、俺はフランにそう断って席を立った。その背中をフランは呼び止める。
「んっ?」
「その……。ミヤトさんは、逃げてください。私達に付き合う必要はありませんから……」
「…………」
俺は振り返らずに、片手を上げて答えるだけにしてフランの家を出た。
外に出ると、日が暮れていた。そんな夕日の中、さっき来ていた人達は何やら集まっていた。
あれは……。酒でも飲んでるのか? 随分盛り上がってるみたいだけど。
「よう。楽しそうだな」
「君はさっきの。フランちゃんとの話はもういいのかい?」
「ああ。大体終わったよ。酒飲んでるのか?」
「そうだよ……。みんな明日には死ぬかもしれないんだ。不安を消すのに、なけなしの酒を飲んでいるんだ」
「ふーん……」
俺は無意識にポケットを探る。すると、手が硬い長方形の物に当たった。
取り出してみると、愛煙していた煙草の箱だった。中を見てみると、まだ中身が残っていた。
その中の一本を取り出して、咥える。
「なあ、どこかに火無いか?」
「火かい? これを使うといい」
そう言って指差したのは、村人達が囲んでいた焚火だった。俺はその焚火に煙草を近付けて火を点け、一服した。
「フゥー……。あんた達は、戦うつもりなのか?」
「……ああ。もう疲れたよ。数ヶ月、逃げては新たな地で家を作りを繰り返し、いつまでも落ち着くことはない。そんな生活は、もう終わりにしたいんだ」
「一回勝ったくらいじゃ、何度も襲われるんじゃないか?」
「承知の上さ……。それでも、何もしないよりもマシだと、信じているさ」
俺は再び紫煙を吐き出して、人々を見る。
皆、酒を飲んで語り合っている。もしかしたら明日には死ぬかもしれない。そんな恐怖を掻き消すように。
末も末だな……。
「ところで、君は何を吸ってるんだ?」
「ああ、これ? 煙草って言ってな。簡単に言うと毒だ。死ぬほどじゃ無いけどな」
「なっ、どうしてわざわざ毒なんかを……」
「これを吸うと、頭の回転が鈍るんだ。だから……」
よく考えたら、俺が煙草を吸い始めたのもこれが理由だったな……。
「余計な事を考えたくない時に、吸うんだよ」
「そっ、そうなのか……」
視線を空に向けると、夕日が沈んで月がうっすらと浮かんでいた。
俺は見え始めた月を見上げながら紫煙を吐き出す。
どうやら今夜は、満月のようだ。