7.唾棄すべきは
「ふーっ…」
自室に戻ってきた行人は部屋の鍵を閉めると脇に抱えていた上着を側の机の上に投げ捨て、そのままベッドにダイブした。そして、身体をゴロンと反転させて、うつ伏せから仰向けになる。
「あー…」
深い深い溜め息をつくと、視界を隠すかのように右腕を目の前にかざした。そして、チラッと視線を窓に向ける。
夕日はほぼ地平線の向こうに沈みかけ、夜になろうとしている時間帯だった。そのため、部屋の中も真っ暗になっている。
(豆球だけでも点けるかな…)
そう思った行人だが、すぐにいいやと思い直した。
(どうせ後はもう寝るだけだし、何よりめんどくさい)
カーテンを閉めることも同じ理由で止めた。そして、ポケットから携帯電話を取り出すと億劫になりながらもどこかへ連絡をかける。
「あ、もしもし?」
そこでつながった相手にとある用件を伝えると携帯を切り、そのままゆっくりと目を閉じた。
(…変なことになっちまったな)
その脳内に浮かんできたのは、当然ながら義妹と名乗る六人の少女たちの顔だった。咲耶、瀬理、鳴美、三穂、茅乃、宮乃の顔が次々と浮かんでは消えていく。
(はぁ…)
内心で、思わず行人は溜め息をついた。彼女たちは自分たちを行人の義妹だと言っているが、その証拠はどこにもない。だが、行人は彼女たちが嘘をついてるとも思えなかった。それは、自分の…そして彼女たちの父の存在を知っているからである。
(親父…っ!)
思わずギリッと歯を鳴らした。碌でもない父親なのはわかっていたし、他所に女がいるのもわかっていた。が、ここまで節操なしにあちこちで家庭を作っているとは流石に思わなかったのだ。
中村一朗
行人の父親であり、母である葉子の夫の名前である。何処にでも転がっていそうな名前のこの父親。それだけに、物心ついたときには行人はこの名前は偽名なんじゃないかと思っていたし、恐らくそれは間違いないとも思っていた。そして、この父親がとんでもない人物だったのだ。
まず、基本家に帰ってこない。平気で何日も家を空け、数週間から数箇月留守にすることもザラである。
そして、たまに帰ってきたかと思えばすることは金の無心。その時、母親からちょっとした小遣いをもらって遊んでいらっしゃいと言われたこともあった。子供の頃からそんな父親が大嫌いだったし、顔を見るのも嫌だったから喜んで外に遊びに行ったが、今思えばあれは体のいい厄介払いだったのだろう。本人たちはその間、恐らくお楽しみだったというわけだ。
大きくなってもそんな父親の姿は変わることなく、ほぼ母子家庭と言ってもいい家庭状況だった。もっとも、行人自身はそれで一向に構わなかったが。
学校の行事にも来ない。成績で褒められたこともない。何かをしでかして叱られたこともなかった。…基本、家にいないのでしょうがないかもしれないが。
唯一の救いは、行人自身にも葉子にも手を上げなかったことである。同性の行人から見てどうしようもない男だったが、それだけは感謝していた。
そんな父親を嫌い、物心ついてから行人は葉子に何度か離婚を勧めたことがあった。だが、葉子は頑としてそれを受け入れなかったのだ。理由を聞くと、あの人が好きだからと、寂しそうに笑っていた。それが、行人には理解できなかった。
碌に家に帰ってこない。帰ってくれば金をせびるだけ。働いている様子など、どう贔屓目に見ても見受けられないのに、それでも母親は惚れ込んでいたのである。母親に基本不満はなかった行人だが、唯一不満に思い、納得ができなかったのがこの父親に関することだった。もっとも、葉子が離婚しない理由は後々わかったが。
簡単なことだった。父と母は籍を入れていなかったのだ。要するに行人は私生児だったのである。籍を入れていなければ、そもそも離婚ができる訳はないのだ。
だが、この事実によって行人は父親の正体がハッキリと見えたような気がした。要するにあの男は、生来のスケコマシであり、詐欺師なのだろう。だから碌に家に帰ってこなかったのだ。
恐らく、こういった事情の家庭を父はいくつも持っており、それを転々としているのだろう。そして、言葉巧みに母と同じような境遇の女を働かせて、金だけせびって生活しているのだ。それと同時にフォローもきちんとして、自分から離れないようにしている。父が鵜飼いで母(それと、同じ境遇の女)が鵜のようなものである。
そしてその行人の予想は、本日見事に的中することになったのだった。
(あんの…ボケがぁ!)
身体は疲れているのにだんだん意識がはっきりしてきてムカムカしてくる。だが、元凶である当の本人は数年前に蒸発して、何処にいるのか…いやそもそも、生きているのか死んでいるのかさえわからない。文句を言う先はどこにもないのだ。
(はぁ…)
腸は煮えくり返ってるが、でもそのやり場をぶつけるところはどこにもないので行人は内心で溜め息を繰り返すしかない。そうしているうちに、急激に睡魔が襲ってくる。ここ最近のバタバタに加え、先ほどの一件で疲労はピークに達し、行人は急速に意識を手放していった。
(……)
最後に先ほど会った六人の、義妹と名乗る少女たちの顔がもう一度浮かび上がり、行人は完全に眠りの世界へと落ちていったのであった