26.覚悟
あの運命の日から約一月後、新年も差し迫ったある日。
とあるマンションの一室を掃除している女の子の集団があった。
「咲耶ちゃーん、お風呂終わったよー」
「はーい。それじゃあ、ダンボールから食器出してくれる?」
「うん」
「ねーねー、私たちは?」
「茅乃ちゃんと宮乃ちゃんは、私と一緒にお部屋のカーテン付け手伝ってくれる?」
「はーい」
「わかったー」
所狭しと慌ただしく動き回っているのは、咲耶、鳴美、三穂、茅乃、宮乃の五人だった。と、
「たっだいまー」
玄関が開き、もう一人の当事者が戻ってきた。
「瀬理ちゃん!」
「もう、遅かったんじゃない!?」
「悪い悪い」
買い出しから戻ってきた瞬間、咲耶と三穂に文句を言われた瀬理が勘弁してくれとばかりに手を合わせた。
「その代わり、いいもの見つけたんでな、勘弁してくれ」
「いいもの!?」
「何々!?」
“いいもの”のフレーズに茅乃と宮乃がすぐさま食いついてきた。
「へへー…」
鼻の頭をゴシゴシと掻きながら瀬理は買い物袋の中から一冊の本を取り出した。
「あ、それって…」
鳴美も寄ってくる。瀬理が取り出したそれは、週刊の野球専門誌だった。そして瀬理はここ、ここと、ある一点を差し示す。そこには、ロングインタビューの特集の中に行人の名前が載っていたのだ。
「わぁ、お兄ちゃんの名前だ♪」
行人の名前を見つけた咲耶が顔を綻ばせる。
「買い出しに行ったついでに本屋に寄ってさ。ちょっと見てみたんだよ。そしたら、兄貴の名前があるじゃんか、これはもう買うしかないなって思って」
「何々?」
「何て書いてあるの?」
茅乃と宮乃が食い気味に食いついてきた。
「落ち着きなよ。実はあたしも読んでないんだ。皆で一緒に読もうと思ってさ」
瀬理が買い出しの品を近くのテーブルに置いた。そして、そのままリビングへと移動する。他の五人も一緒になって移動し、リビングの真ん中に本を置くと瀬理がその場に寝転がってページをめくっていく。
瀬理以外の五人も本の側に腰を下ろしたり同じように寝転んで六人で本を取り囲んだ。
「ねえ、何処何処?」
「瀬理ちゃん、早くー!」
「そう急かすなって…お、あったあった」
目当てのページが現れ、行人の記事が六人の目を奪った。
『それは強みか、弱みか
ドラフト会議から少し経ち、色々な選手が色々な話題で連日紙面を賑わせている。しかし、今年のドラフト指名選手の中でスポーツ紙やスポーツ番組を際立って賑わせたのは彼だということに異を唱える者はいないだろう。
会見や取材で散々喋ったと思うが、それでも私自身の興味が抑えられず、自主トレ先へと取材へと向かった。
自主トレ先では、まだスポーツ紙の記者が数人張り付いていたのだが、それも一時期に比べれば激減していた。目新しい話題が無くなれば自然と人が減り、新しい話題へと流れていく。ここでもその潮流は変わることはなかった。取材を申し込む側としては、非常にありがたいことである。
自主トレ後取材を申し込むと、彼は快く応じてくれた。
「宜しくお願いします」
そう言って頭を下げてくれた彼は、こちらに対して気後れした様子は全くなかった。随分スマートな応対だねと少しからかい気味に尋ねると、まあ、色々ありましたからと笑って話す。続けて、
「あの一件で大分受け答えは鍛えられましたから、そのおかげですかね」
と、楽しそうに笑った。その表情に無理しているところや影が(少なくとも素人目には)見えなかったので、自分なりの整理はついたのだろうと、遠慮なく取材させてもらった。
黒木行人。地方リーグの一打者ではあるが、その名前は中央でも聞くことはまれにあった。しかし、特に目立つ存在ではない。走攻守、高いレベルでまとまっているものの、それは裏を返せば突出したものがないともいえる。そしてまとまっている走攻守のレベルも、現時点ではトリプルスリーや三冠王を狙えるほどに高いものでもなかった』
「…何これ」
咲耶がここまでの記事の内容に不満気な表情を見せた。それはまあ、一応評価はされているものの、よく読めば大したことはないと書かれているのだから、ムッとするのも当然だろう。口には出さないものの、鳴美も不満気な表情で記事を睨み付けていた。
「まあ、そう怒るなって。評価は最後まで読んでからにしようよ」
「うん、そうだね」
瀬理と三穂が宥め、六人は再び記事に目を通していく。
『だが、それは彼自身も自覚しているようだった。
「球団からいい評価を頂きましたが、自分自身ではまだ力不足だと思ってます。走攻守、全てにレベルアップしないと結果は残せないと自覚してますから」
でもそれじゃあ、言っちゃ悪いけど器用貧乏になって特徴のない選手にならないかい? 意地悪くそんなことを聞いてみると、
「痛いところをつきますね…」
と、苦笑して返してきた。だがそれも一瞬ですぐに表情を引き締める。
「まずは、球団が何を望んでいるか。そしてチームに足りていないものは何かを理解するのが僕のプロとしての最初の仕事だと思います。それがわかればその部分で貢献をしていき、そこを足掛かりとして成長していきたいです」
一先ず安心した。ユーティリティープレーヤーだが、単なるユーティリティープレーヤーに甘んじる気は全くないようだからだ。前向きな姿勢と鼻っ柱の強さもプロ向きであることには変わりない。そして、そう思ったからこそあの件について尋ねてみた。
そういった意識になったのは、最初からか? それとも、巷間話題になってた義妹さんたちの影響によるものか?
「そうですね…」
彼は少しだけ表情を変えて顎に手を置いてしばし考えこんだ。
「両方…と言いたいところですけど、やっぱりあいつらの存在ですかね」
そして、そう答えた。彼の言う『あいつら』とは、彼の義理の妹さんたちのことである。
ここで、彼の義妹さんについて知らない人のために簡潔にまとめておこうと思う。
ドラフト会議が終わって少しした後、彼の許を訪ねてきた女の子たちがいた。その数、六人。何と彼女たちは、全員彼の腹違いの義妹だというのだ。
勿論彼は最初はそれが信じられず追い返した。しかし、運の悪いことにその場面をスポーツ紙の記者に取られてしまい、大々的に全国紙に載ってしまったのだ。
その後、会見を開いた彼はその事実を認め、そして同時に彼女たちを引き取ることをその場で宣言したのだ。
無論、このことは事前に球団と大学に表明していたらしいが、その時に良く考えるように何度も説得されたという。しかし、何度説得されても彼は考えを変えなかったのだ。
そのことについて尋ねてみると、彼はまた苦笑を浮かべた。
「色々な人が色々な意見をくれましたよ。でも、圧倒的に自分の考えを否定する人が多かったです。そこまでする必要はないとか、余計なもの背負いこむなとか、中には、本当に本当のことなのか、詐欺じゃないのかなんて言う人もいました」』