15.良くない報せ
翌日。まだ日が顔を出して間もない時刻、突如行人の携帯の電話が鳴った。
「…んんー……」
昨日、清香に事務所に泊るように言われた行人が何ともつかない声を上げる。電話のコール音に気付いた行人だったが、昨日の疲れが余程溜まっていたのか、起きる気にはなれなかった。
(ほっときゃ切れるだろ)
霞のかかった頭でボンヤリとそんなことを考えながら無視を決め込む。が、予想に反して自身の携帯のコール音は一向に切れる気配はない。
「…んだよ、もう」
少し不機嫌になりながら眠い目を擦り、近くのハンガースタンドにかけてあった自身の上着から携帯を取り出すと、一発大欠伸をかましてから着信ボタンを押した。
「はい…」
寝起きを邪魔され、ぶっきらぼうな調子で行人が電話に出る。
『行人くん?』
聞こえてきたのは清香の声だった。
「ああ、清香さん。おはようございます」
行人が頭をガシガシ掻いて欠伸をしながら答えた。
『おはよう。それで、ちょっと聞きたいんだけど』
「はい、何ですか?」
行人が答える。このときの行人は寝起きでまだ完全に覚醒していないため、ボーっとした調子だったのだが、この後すぐに覚醒することになる。
『今、まだ事務所にいるわよね?』
「ええ。昨日清香さんに言われた通り、お世話になってます。正直なところ、まだ眠いんですけど…」
少し皮肉を交えた。だが、清香は特に気にすることもなく話を続ける。
『そう、それならいいわ。私も後で向かうけど、行人くん』
「はい」
『しばらくそこにいなさい』
「えぇ?」
その言葉に、流石に行人が戸惑いの声を上げた。泊っていけだけでなく、しばらくこの場にいろとはどういうことだろうと思うのも当然だからだ。
だから行人は、率直に清香に聞くことにした。
「どういうことですか?」
『昨日、私が懸念してたことが当たっちゃったってこと』
「だからそれって?」
『マスコミよ』
「マスコミ?」
鸚鵡返しに行人が返した。
『ええ。今朝のスポーツ新聞に、貴方の記事を載せてるところがあったの。勿論、一面じゃないし、掲載紙も限られてるけど、貴方と義妹ちゃんたちの記事を載せてるメディアがね』
「えっ!?」
その内容に、行人の頭が完全に覚醒した。
『昨日私が貴方に、義妹ちゃんたちを返した時の状況聞いたでしょ? 覚えてる?』
「は、はい」
『そのとき行人くん、貴方白昼駅前って言ったわよね?』
「はい」
『それ聞いて、何となく嫌な予感したのよ。もしかしたらこんなことになるんじゃないかって』
「そんな…」
行人が愕然とした口調になって呟いた。
「でも、俺なんか所謂スター選手じゃないですよ」
『昨日、私が貴方との会話の最後のあたりで、自覚がないのねって言ったこと、覚えてる?』
「え? は、はい」
不意に、一見関係ないようなことに話が飛んで詰まった行人だが、確かにそんなことを言われたのは覚えていたために肯定した。
『それは、こういうことを言ってたのよ。実績はまだ何もないとはいえ、プロから指名がかかった以上、貴方はもうプロ野球選手の一人なの。実際には契約は交わしていないからまだプロではないのかもしれないけど、マスコミにとってはそういう建前はどうでもいいことなのよ』
「……」
『ううん、実際にはまだプロでない以上、余程オイシイと思ってるのかもしれないわ。プロ指名を受けた選手に腹違いの義妹が発覚。しかも六人。そしてその選手は、義妹たちを冷たく切り捨てる酷い男だった…。どう? いかにもマスコミが喜んで飛びつきそうなネタじゃない』
「そんな…」
予想だにしない展開に行人の頭は追い付かなかった。
『冷たい言い方になるかもしれないけど、プロから指名を受けた瞬間に貴方は周囲から注目される立場になったのよ。それを気づいていなかったのか失念したのかはわからないけど、そんな立場の貴方が白昼の駅前で迂闊な真似をすれば、こうなることもあり得るってことぐらいは考えに入れておくべきだったわね』
「……」
『どう? 自覚がないってことがどれだけ迂闊なことかわかった? 高い授業料だったでしょ?』
「ええ…」
絞り出すように答える。本当に、それだけ言うのが今の行人には精一杯だった。
「でも…」
『何?』
「いえ、さっきも言いましたけど、俺なんかのこと記事にして成り立つんですか? これもさっき言いましたけど、俺は別にスター選手じゃないのに。記事にしたところで世間が興味持つんですかね?」
『内容にもよるわね。今回は内容が内容だから、十分に記事になると踏んだんじゃない。それにね』
「はい」
『あの連中にとっては事情とか真実なんてどうでもいいのよ。飯のタネにさえなれば』
(…確かにな)
答えはしなかったが行人は内心で頷いていた。別に誰彼に教わったわけでも勉強したわけでもないが、普通に生活していればマスコミがどういうものかというのは自然とわかるものである。
『よく言うでしょ。火のないところに煙は立たないけど、無理やり火を点けて騒ぎにするのがマスコミだって。そういう連中のやることなんだから、常識的な対応期待しちゃダメよ』
「…ですね」
力なく行人が同意した。
『とにかく、記事として出た以上貴方の家の方にもマスコミが来ると思うわ。だから念のために私の事務所に泊らせたのよ。大学の監督さんや球団の方からも連絡があるでしょうけど、事情を説明したら、私が窓口になってることを伝えて。善後策はそれから打ち合わせしましょう』
「わかりました。余計な仕事増やしてすみませんけど、宜しくお願いします」
『ん、宜しい。しばらくは鬱陶しい日々が続くでしょうから、今は休んでおきなさい。休めるときに休んでおくのもスポーツ選手には大事な要素なんだから』
「はい。それじゃあ、失礼します」
『ええ』
そこで電話を切ると、行人はフラフラと先ほどまで身を横たえていたソファーに戻ってくる。そして身を投げ出すようにしてそこに座ると、持っていた携帯を目の前のテーブルに投げ捨てた。
「はぁーっ…」
両手で頭を抱え、ガクンと項垂れる。
「マジかー…」
そしてそのまま先ほどまでと同じようにそのままその身を横たえた。が、先ほどと違うのは眠気がないことである。今の清香とのやりとりで眠気は吹き飛んでしまったのだ。
「あー…」
腹の奥底から、唸るような声を上げて目の前の視界を塞ぐ。今は何も目に入れたくなかったのだ。ブラックアウトした視界の中で、先ほどの清香とのやり取りがグルグルグルグルと行人の脳内を駆け回っていた。
すると今度は、そのやり取りを作る原因となっていた行人の義妹の姿がフラッシュバックしてくる。咲耶を皮切りに、瀬理、鳴美、三穂、そして宮乃と茅乃の六人の顔が次々と浮かんでは消えていった。
「チッ…」
義妹たちの顔が浮かび、思わず舌打ちをしてしまう行人。元はと言えばあいつらがいたから…と、負の感情に支配されながら身体を休ませようと努める。が、一度感情が昂った身体は中々再びその身を休めることを許してはくれなかった。
その後、清香が予想した通り大学の監督や球団から立て続けに連絡が入った。その際、これも清香の指示通りに事情を説明し、弁護士を立てていることを話した。そのため、一旦は収まったが予断を許さぬ状況は続くことになったのだった。