14.勘
「…で、その義妹ちゃんたちは?」
これまで何度も話の俎上に上っていた、その人物たちについて清香が行人に尋ねた。
「帰しました。ここに来る前に」
「え!?」
まさかもう行動に出たとは思わず、清香が素っ頓狂な声を上げた。
「…納得したの? 義妹ちゃんたち」
「まさか」
自嘲気味な薄ら笑いを浮かべながら行人が首を左右に振った。
「泣かれるわ、憎まれるわで散々でしたよ。法律的にっていうか義務的にはこっちには何も落ち度はないんですけどね、心情的にキますわ」
「……」
おどけた様子でその後を続けた行人だったが、対照的に清香は黙り込んでしまった。
「? 清香さん?」
反応がない清香に対して不思議に思った行人だったが、清香が顎に手を置いているのに気づくと話しかけるのをやめた。その恰好は、清香が考えごとをしているときのポーズだからだ。そして考えごとをしているとき、清香はそれを邪魔されるのを極端に嫌うのである。
(もっとも、考えごとに限らず、誰かに何かを邪魔されるのは誰だって腹立つけどな)
最初、それがわからずに話しかけて注意されて以降、行人は清香が考えごとをしている間は話しかけないようにしている。何を考えているかはわからないが、こうなった以上考えが纏まるまで大人しくしているしかないのだ。
「……」
行人は先ほどの清香と同じくお茶に手を伸ばしてそれに口をつけた。清香のお茶と同じく、もうずいぶん温くなってしまったそれをゆっくりと飲んでいく。
(温いお茶か…)
不意に、豊臣秀吉と石田三成のエピソードを思い出した行人だが、どうでもいいことだと思い至ってそれを頭から追い出した。そんな折、
「…行人くん」
ようやく考えごとが一段落着いたのだろうか、清香が口を開いた。
「はい」
「彼女たち、帰したって言ったわよね」
「ええ」
「で、すんなりとは帰らなかったと」
「はい」
「それ、家の中でのこと?」
「え? いや、駅前です。家の中でそんなこと言ったら、絶対に外に出ないだろうと思ったんで」
清香が何を考えているのか今一つ掴めないが、質問には正直に行人は答えていく。
「そう…それってさっきも言ったけど、今日、ここに来る前よね」
「はい」
「ってことは、白昼よね」
「そうですね」
「白昼の駅前ってことは、それなりに人がいたってことよね」
「まあ、そうです」
「……」
そこまでで、清香はまた顎に手を当てて考え込んでしまった。
(何が引っ掛かってんのかな?)
相変わらず清香の真意が読めない行人だったが、その真剣且つ思案気な表情に少しずつ不安が募っていく。と、
「行人くん」
再び、清香が行人の名前を呼んだ。
「は、はい」
まさかすぐに声をかけられるとは思っていなかったため、不意を突かれた形になった行人がどもりながら返事をした。
「君、明日何か予定入ってる?」
「え?」
「どうなの?」
「え…いや、特に予定らしい予定はないですけど。自主トレぐらいですか」
「そう。それなら君、今日はここに泊っていきなさい」
「へ?」
予想だにしないことを言われ、行人は思わず間の抜けた声を出した。
「ここ…って、この事務所ですか?」
「そう。ベッドはないけど、仮眠用の掛布団はあるから。どこで自主トレしてるか詳しくは知らないけど、ここからでも通えるんでしょ?」
「ええ、まあ。…けど、何でですか?」
行人が至極当然の質問を清香に投げかけた。
「いや、そうしろっていうならしますよ。清香さんには日頃からお世話になってますから、考えもなくこんなこと言う人じゃないのも知ってますし。でも、せめて理由を教えてほしいんですけど」
「自覚がないのね…」
質問の内容を聞いた清香が少し困ったような顔になった。
「え?」
その言葉の意味もわからず、行人は“?”を頭上に浮かべる。
「すぐにわかるわよ。それに、もしかしたら私の予想が外れることだってあるし」
そう答えると、清香は三度煙草に火を点ける。そして、今度は立ち上がった。
「悪いけど、今日のところは私の言った通りここで大人しくしててね。何かあったら事務所の人に聞いてくれればいいから」
「は、はぁ…」
今一つ納得がいかないが、それでもそれ以上尋ねられる雰囲気ではなくなってしまったため、行人がおずおずと頷いた。清香はそのまま引っ掛けてあったコートを手に取ると素早くそれに袖を通した。
「じゃ」
そして、そのまま自室である所長室を出て行ったのだった。
「? 何なんだ?」
後に残された形となった行人が再び頭上に“?”を浮かべた。なし崩し的にではあるが、結局清香の指示通りにここに泊る形になってしまったからだ。
「わけわかんね」
思わず愚痴を呟く行人。直後、先ほどの事務の西村さんが掛布団を持って所長室に入ってきた。
「持ってきたわよ、先生から頼まれたもの」
「あ、すみません」
行人がお礼を言う。
「いいのよ。…けど、何かあったの? 今日ここに泊っていくなんて」
「さあ?」
質問してきた西村さんに行人も首を捻って答えた。
「詳しい話を聞こうと思ったんですけど、はぐらかされちゃって」
「そうなの?」
「ええ」
「ふーん…」
そのまま、西村さんは先ほどまで清香が掛けていたソファーに持ってきた掛布団を置いた。
「まあ、先生のことだから何か考えがあるんでしょ。それに一晩なんでしょ?」
「みたいです」
「なら、納得はいかなくても我慢はできるわよね?」
「それはまあ、ガキじゃないですから。それに、さっき本人にも言いましたけど、清香さんが何の考えもなしにこんなこと言うとは思えないし」
「それがわかってるんなら大丈夫ね」
そこで、西村さんがチラッと視線を外に向けた。
「もうこんな時間ね」
行人も窓に視線を向ける。ここに来たのが夕方過ぎというのもあったが、とっくに日は沈んでいた。
「ごはんとお風呂、どうする?」
当然と言えば当然の質問を行人に向けた。
「メシは…どっかで買ってきます。風呂は…疲れたからいいです。一日ぐらい入らなくても死にゃあしませんし、メシ食ってさっさと寝ます」
「そう。だったら、出前でも取れば? 経費で落としてあげるから」
「え? いいんですか?」
行人が驚いて尋ねた。
「ええ。先生だって文句は言わないでしょ。黒木くんのことなんだから。そりゃあ、バカみたいな量頼んで、一食分の食事代じゃ説明つかないほどの支払いになるなら別だけど、そんな真似しないでしょ?」
「しませんよ」
「ならいいわよ。チェーン店でも普通のお店でも構わないから、出前頼んだら?」
「んじゃ、お言葉に甘えてそうさせていただきます」
「それじゃ、お好きに」
「ありがとうございます」
行人の礼にヒラヒラと手を振ると、西村さんは所長室から出て行ったのだった。直後、行人は出前を頼んでそれをありがたく頂戴すると、ソファーに横になって掛布団をかけた。昼間の疲労もあったのだろう、そのまま目を閉じるとすぐに眠りの世界に誘われたのであった。