13.ファイル
「あ、はい」
そのファイルを受け取った行人が軽くお茶を飲みながらファイルを開く。
「余り時間がなかったから、結果は満足できないかも知れないけど」
清香も行人と同じようにお茶に軽く口をつける。
「いや、それでもいいんです。とにかく情報が欲しいんで」
「そう。…でも、妙なことになったわね」
清香が少し眉を顰めた。
「まさか、あんな電話もらうとは思わなかったわ」
「俺も同じですよ。あんな電話かけるなんて、昨日までは思いもしませんでした」
「そうよね。いきなり腹違いの義理の妹が、しかも六人もいっぺんにできるなんて、誰だって想像しないわよね」
「ええ」
頷きながら行人がファイルに目を走らせる。そこに記されているのは、咲耶をはじめとする、昨日初めて会った義妹たちの簡単な経歴だった。
昨日、行人は寝る前に清香に電話をかけ、簡単に事情を説明して義妹たちの身辺調査を依頼したのである。
「結果としては、そこに書いてある通り」
ファイルに目を走らせている行人に清香が声をかけた。
「昨日、君から連絡のあった六人は君の義理の妹で間違いないわ」
「…みたいですね」
一通りファイルの中身に目を通した行人がゆっくりとファイルを閉じた。そこに記載されている報告内容は、確かにあの六人が行人の腹違いの妹であることを証明するに足る内容だったのだ。
「ふーっ…」
軽く頭を抱えながら、行人が大きく息を吐いた。
「ショック?」
そんな行人に清香が尋ねる。
「いえ、あんまり」
「へえ? どうして?」
清香が少し驚いたような表情になって再び行人に尋ねた。
「あのバカ親父のことですから、他所に女がいることぐらいは覚悟してましたよ」
「まあ…ね」
清香も同意する。余り機会がなかったとはいえ、それでも行人の父であり、友人の葉子の夫である一朗には何度か会ったことがあるのだ。その時のことを思い出し、清香は素直な感想を述べていたのである。
見た目で判断してはいけないとはいえ、軽薄で口ばっかり達者な、典型的な女誑しといった印象だった。何より嫌だったのが妻である葉子がいたのに、彼女が中座したときなどに平気で色目を使ったり口説いてくることだった。
友人の旦那に手を出すつもりなど毛頭なく、何より男として一番嫌いなタイプだったので丁重に、しかし少々ブチ切れながら清香はモーションを拒否したのである。
(まったく、何で葉子はあんな男に入れあげたのかしら?)
今になっても清香にとってはそれが不思議でしょうがなかった。もっとも、本人は亡くなってしまったのだから聞けるわけもないのだが。
不本意ながらそのときのことを思い出し、イライラしてしまった清香が心を落ち着かせるために煙草を銜えると、それに火を点けふーっと紫煙を吐いた。
「ただ、それでもうち以外に六つも家庭を持ってたのは驚きですけどね」
ぼんやりとそんなことを考えていた清香の耳に、そんな行人の言葉が届いた。
「まあ、当然よね」
思わず清香も頷く。
「それにしても…」
閉じたファイルに目を落とした行人が、少々驚き気味な面持ちで口を開いた。
「え?」
「いえ、昨日の今日なのに随分と仕事が早いなと思いまして」
「ま、私もこの業界長いからね。色々と伝手はあるのよ。それに、蛇の道は蛇って言葉もあるじゃない」
煙草を潰すと、清香が軽く微笑んでウインクする。
「聞きたい?」
「い、いや、結構です…」
行人が内心で冷や汗を掻きながら愛想笑いを浮かべて丁重に断った。
(…なんでかはわからないけど、深く聞いちゃいけない気がする)
それが、清香の今の笑顔を見た行人の率直な意見だった。
「そ。結構面白い話なんだけどな」
「あ…はは…それはまた別の機会に…」
そう答えるのが精一杯の行人だった。
「そう…まあいいわ。で、どうするの?」
改めて清香が行人に尋ねる。
「? 何がですか?」
「何って…君の義妹さんたちのことよ、行人くん」
一度言葉を切ると清香が新しい煙草に火を点けて、またふーっと紫煙を吐いた。
「私は実際に会ったわけじゃないけど、その君の義妹を名乗る六人の女の子は間違いなく君の義妹だって言うことがわかったわ。それがわかったことで、君はどうするつもりなのかな…って」
「どうもこうも…それぞれの家に帰ってもらうだけですよ」
当然とばかりに行人が言う。
「…まあ、そうよね」
そうは言ったものの、清香はどことなく納得がいかないような表情だった。
「…何か、言いたいことがありそうな口ぶりですね」
「まあ…ね」
最後にふーっと紫煙を吐き、清香が再び煙草を押し潰した。
「下は八歳から、上は大きくても十四歳の女の子が、家出してまで君のところに押しかけてきたっていうのは、余程の事情があるんじゃないかなって思ってね」
「それは…そうでしょうね」
行人も頷く。そこのところに異論はない。普通に暮らせているのであれば、家出してきてまで押しかけてくるわけはないのだ。それも、一度もあったことのない義兄のところへ。
「残念ながらその点については、時間がなかったから調査できなかったんだけど」
行人は特別敏いわけでもないが、だからと言って別に鈍いわけではない。この話の流れから清香が何を言いたいのかはわかっているつもりだ。だがそれでも、
「俺は…血縁上義兄だってだけです。あいつらの親じゃない」
行人には彼女たちを受け入れることはできなかった。
「わかってるわよ」
そしてそれがわかってるため、清香も無理押しすることはなかった。
「親がいるんなら、親の庇護下で生活するべきですよ。俺には後見人として清香さんがいてくれますけど、親父は蒸発して、母さんは亡くなった。ハッキリ言えば、自分のことだけで手一杯なんです。血縁上は確かに義妹とはいえ、昨日初めて会った子たちのことに構ってる余裕はない…です」
最後の方は絞り出すような声になっていた。
「…そ」
その、行人の揺れ動く心境がわかっているからこそ、清香は先ほどと同じく無理押しはしなかった。
「とりあえず、あの子たちのことはもう少し調べてみるわ」
「え、いいですよ。欲しい情報はもう十分手に入りましたから」
行人が慌てて拒絶した。これ以上足を突っ込めばどうなるか、薄々わかっているからだ。だからこそ、これ以上足を突っ込みたくはなかった。
「…そ、わかったわ」
行人の意見を清香は淡々と受け入れた。あくまで部外者としてだが、行人の言い分も義妹たちの言い分も両方わかるため、どちらの肩も持てないのだ。歯痒いが、当事者たちに任せるしかなかった。
(全く…度し難いわね。『事実は小説より奇なり』ってのは、よく言ったもんだわ)
何ともやるせない気持ちになってお茶に口をつける。久しぶりに味わったお茶はもうずいぶんと冷たくなっていた。