11.後味の悪さを噛み締めて
「あ、お、おいっ!」
「茅乃ちゃん! 宮乃ちゃん!」
瀬理と鳴美が一度行人に振り返る。瀬理はあからさまに、鳴美は控えめにだが行人を非難するような視線を投げかけたが、それでもすぐに茅乃と宮乃の後を追って雑踏に消えたのだった。残されたのは、行人以外は咲耶と三穂の二人だけ。
「ふーっ…」
堪らんぜといった感じの表情になって行人が己の頭をボリボリと掻く。
「…酷い人ですね」
咎めるようにそう言ったのは咲耶だった。
「あ?」
行人が振り返る。そこにいた咲耶は、先ほどまでの雰囲気とは一変していた。まるでゴミでも見るような表情で行人を見ている。
「あんな小さい子を泣かすなんて…酷いと思わないんですか?」
「そりゃ、思ってるさ」
「だったら!」
間髪入れずに返した行人に咲耶が食って掛かった。
「けどな」
行人がその先を言わせないように強引に口を開いた。
「酷いのはお前たちだって一緒だろ? いきなり押しかけてきてお世話になりますなんて」
「っ! それは…」
咲耶が口ごもった。行人に対する怒りはあるが、それでも六人の中で最年長だから行人の言いたいこともわかってしまうのだ。まだ子供である茅乃と宮乃のように自分の都合だけで動けるほど咲耶は子供ではなかった。しかしそれでも、
「それが通じるとでも思ったのかよ? 殴られたり侮蔑されるのは覚悟の上で敢えて言うが、要するに寄生虫になりに来ましたっていうことだろ?」
「!」
行人のこの一言は許せなかった。怒りからか、肩がワナワナと震えている。
「……」
対照的に、もう一人の当事者である三穂は黙って二人のやり取りを聞いていた。その表情に変化はなく、何を考えているのか表情から読み取るのが難しい。
「わかり…ました…」
そんな三穂の内心を代弁する…というわけでもないだろうが、咲耶が口を開いた。そして、親の仇でも見るかのように行人を睨み付ける。
「もう、貴方のお世話にはなりません!」
「そう。そりゃありがたい。君もさっさと家に帰りな」
しかし行人がそう言った瞬間、咲耶の表情は曇った。
「私たちに…帰る家なんてありませんよ…」
誰にも聞こえないように呟いたその言葉は、一人三穂の耳にだけはしっかりと届いていた。
「え?」
「何でも!」
しかし、すぐにプイっと顔を背ける。
「私もあの二人を探しますから! 失礼します!」
そう吐き捨てるように言うと、先に雑踏に消えた瀬理と鳴美を追いかけるかのように咲耶も雑踏の中へかけて行ったのだった。残されたのは行人と三穂の二人だけ。
(さて…)
この子はどうするかと行人が頭を悩ませようとした時だった。
「すみませんでした」
不意に、三穂が行人に謝る。
「え?」
急に謝られて、行人は驚いて三穂に視線を向けた。
「突然押しかけて、勝手なことばかり言っちゃって」
「あー…うん…」
どう返したらいいものかわからずに行人が言葉を濁す。茅乃と宮乃、或いは咲耶のように感情剥き出しでこられるのも対処に苦慮するが、今のこの三穂のように淡々と受け答えをされるのも、何を考えているか読めずに頭を悩ませる問題だった。
「私も茅乃ちゃんと宮乃ちゃんを探しに行きます」
「そ」
「でもその前に、二つ程お願いがあるんですけど」
「お願い?」
「ええ」
三穂が頷いた。
「内容にもよるけど?」
「安心してください。お金貸してとか、同居させてなんて言うつもりはないですから」
「ああ、そう。ま、取りあえず言ってみな」
「はい」
行人が促すと、三穂がコクンと頷いた。
「まず一つ目、皆のことを嫌いにならないでください」
「え?」
行人が思わず驚きの声を上げた。何を言ってくるかと思っていたが、まさかこんなことを言ってくるとは思わなかったからだ。三穂は行人の反応など気にせずに続ける。
「普通に考えれば確かに無理な要求でしたけど、それでもみんな楽しみにしてたんです。半分しか血は繋がってないけど、お兄ちゃんに逢えるってことが」
(…そういう攻め方は、ずるいなぁ)
平静を装いながらも、行人は内心で思わずやるせない気持ちになっていた。冷酷に突き放したとはいえ、何も感じることがないほど行人は冷血漢ではないのだ。情緒的な方面から攻められると弱かった。
「だから、引っ掻き回しちゃったけど、皆悪気があるわけじゃないんです」
「いや、悪気がなければ…」
「うん。悪気がなければ何やってもいいってことの理由にはならないですよね」
わかってますと言わんばかりに三穂が行人の言葉を継いだ。
「それでも…それでも、皆お兄ちゃんに逢いたかったんですよ」
「……」
行人が思わず口を噤んだ。今何を言っても、目の前の子供と向き合えないと思ってしまったからだ。勝手に押しかけてきたのだから、間違いなく非は向こうに…彼女たちにあるのだが、それでも今、行人は三穂と対等に渡り合える気がしなかった。
「だから、嫌いにだけはならないでください」
「…わかったよ」
やるせない感情を抱えたまま行人が絞り出すようにして答えた。
「で、もう一つは?」
行人が、二つのお願いのうちのもう一つの内容を尋ねる。
「はい。最後に握手してくれませんか」
「握手?」
「はい」
三穂がコクリと頷いた。
「それぐらいなら、全然いいけど…」
三穂の二つ目のお願いの内容に、行人は思わず戸惑う。正直、何を言ってくるかと身構えていたところもあったが、一つ目のお願いに比べたら随分と簡単なものだった。
「なあ、ホントにそれでいいのか?」
思わず行人が念を押して聞く。
「はい」
だが、三穂の答えは変わらなかった。
「わかったよ。それじゃ」
行人がゆっくり手を差し出すと、三穂はおずおずと自分も手を差し出してその手を握った。
(…冷たい手だな)
それが、三穂と握手した行人の率直な感想だった。寒空の下で結構時間が経ってしまったため、随分身体も冷えてしまったのだろう。どれぐらいそうしていただろうか、やがて、どちらからともなく握手を解いた。
「ありがとうございました」
手を放した後、三穂が頭を下げてお礼を言った。
「いや…」
どう反応していいかわからず、行人が再び言葉を濁した。
「それじゃ、私も茅乃ちゃんと宮乃ちゃんを探しに行きますんで、これで」
「ん」
行人が軽く頷いた。
「さようなら、お兄ちゃん」
三穂は最後まで大きく表情を崩さなかったが、それでも少しだけ悲しそうな、がっかりしたような顔になってそう告げると、茅乃と宮乃を追いかけた他の三人のように人ごみに消えていったのであった。
「ったく…」
六人の義妹たちが去り、一人になった行人は思わず悪態をついた。
「後味が悪いな」
ボリボリと頭を掻きながら苦虫を噛み潰したような表情になる。ああいう手段を取った以上、こういったことになるのはわかりきったことだが、それでも気分のいいものではない。
無論、行人には何ら落ち度はないのだが、それでも何にも感じ入るところがないかと言えばそんなことはないわけで。その精神的ダメージによって、間違いなく行人の気分はへこんでいた。
「…一発ヌイてスッキリするか」
自分だけに聞こえるようにそう呟くと、行人は大人のお店に足を向けた。まだ昼過ぎであり、一般的にそう言った行為を楽しむ時間には早いが、色々な意味で悶々としているのは事実。気持ちよくなれば少しは気が晴れるかと思い、行人は歩き出したのだった。
「……」
そんな行人を遠目に見ている一人の男がいた。その男に、また違う男が一人合流する。
二人の男は何やらいくつか言葉を交わすと、満足そうにいやらしく微笑みながらその場を後にしたのだった。