叶恵さんのクリスマス:上
「小林くん、何処か十人くらい入れる和風で落ち着いた食事処知らないかい?」
「先輩、発注ミスして送ってたみたいで俺どうしたら」
「小林さんこれ此処に置いときますね~」
「小林くん、今日もいいお尻だね」
余分なのが一言入っているが、何だかんだと仕事は忙しい。それに年末が近付いているのもあって仕事量が絶賛増加中だ。まあ皆して何処か浮き足立って慌ただしいというのは、やはり年末あるあるかもしれないけど。
「次長、なら如月園がいいかと。この前の会議の人達ですよね。あそこなら程好く近いですし、馴染みなので個室も今なら取れますから」
「ああ、助かる。日付と時間は後で送るから、悪いが頼んだ」
「はい! えっとメールで送ったのよね、いつ? …ああ不幸中の幸いね、あそこ始業が少し遅いからまだ見てないかも。まずもう一度メール送って今から電話しなさい。ってああもう落ち着いて」
「ううっ、ありがとうございますっ」
「私もよくやったし大丈夫だから。はーい美華ちゃん資料ありがとね」
「小林くん今日は白な気がするけど合ってるかい」
「課長それはセクハラです」
やはりパソコンに不慣れないつかの後輩くんを教えつつ、気配を感じたのでペシッっと手を払い落とす。こやつ、油断も隙もない
別の子にもちょっかい出しては冷凍庫ばりの視線を投げられてる課長を追い払ってくるくると仕事していると、いつの間にかお昼の時間になる。やっと来た昼休憩の時間に、思わずほっと息をついた。
知らず知らずだが流石に疲れも溜まってきてるようだ。
椅子の背もたれでぐーっと背筋を伸ばしていると、後ろに誰かが立つ。
「さっきは助かったよ。どうだい、一緒に食事でも」
「次長…、あれぐらいお安い御用です。無事取れましたからまた金額等は送りますね。あっ、後輩も良ければ誘っていいですか?」
「ああ勿論だ」
爽やかな王子様スマイルが降臨する。いや女王様か? もう佐伯次長の姉御ぶりが素敵ずぎて半端ない。ぐっはと顔が真っ赤になりそうだ。
この美しさでバリバリ仕事してその上子持ちなのだから、もう憧れまっすとしか言いようがないのだ。
次長と話していると後ろから近付いてくる足音聞こえた。
噂をすればで美香ちゃんかな?
「美香ちゃ…」
「やぁ佐伯くん、今日は黒色かい? 気合が入ってるね」
「課長、まぁ今日は大事な会議ですから」
「はっは、青でも十分なくらいだよ。気楽にね」
どすどすと去りゆく課長…、美香ちゃん間違えてすまん。
その前に佐伯次長にまで当てにいくか課長…、確か昔上司だったと聞いたことがあるけど、その勇気を称えるべきか次長の笑顔な神対応を讃えるべきか迷いどころだ。ん? おいこら、さっさとごはんに行きなさい、次長は黒かとかそんな目許しませんよ!
牽制しつつ怒ってはいないような次長と課長の背中を眺めていると、今度こそ軽い足音がした。
「先輩遅くなってすみません!」
「気にしないで、美香ちゃんお疲れ様。えっと、此方が佐伯次長、私の憧れの先輩なの。次長、私の部下の小島美香ちゃんです。優秀なんですよ」
「おや、嬉しい紹介をしてくれるね。では紹介に預かった佐伯です。まぁ肩書きは気にせず、今日は一緒にご相伴にも預かってくれると嬉しいな」
「初めまして、小島です。此方こそよろしくお願いします」
美香ちゃんはまだ少し緊張しているが、知り合いの固いやりとりに思わず微笑ましくなってくすくす笑っていると、次長も同じ様に可笑しそうに笑った。次長は言葉使いは男性っぽいがお茶目でとっても親しみやすいのだ。むしろそれも含めて似合ってるしね!
美香ちゃんもその様子を見て、釣られて笑う。どうやら今日のお昼は微笑ましい女子会になりそうであった。
◇
「おや、小島くんのそれ美味しそうだね、どうやって作ってるんだい」
「これですか? グラタンをパンに挟んで少し焼いたんです。もう夜食やら期限切れ間近のを纏めただけなんで恥ずかしいです」
「いいじゃないか、一つ欲しいな、私のと交換はどうだい」
うん、眼福哉、男装の麗人と美少女がきゃっきゃうふふしてるように見える。
最近はぼっち飯だったりもあったので、潤いを見て若干変態オヤジな思考になってると、佐伯次長が戦利品のグラサン《グラタンサンドイッチの略》を食べながら此方を向いた。何故か興味津々顔でこちらをじっとみてくる。
ば、ばれやしたかい次長、み、美香ちゃんまで そんな顔に出てたんだろううか?いや、普段からセクハラ課長みたいに考えてるわけではなくてですねっ
あれ? しぃー?
目を泳がせていると、2人しての「静かに、動くな」ポーズ。はて?と後ろを振り返ると、なんといつかのあの悪女風美人受付嬢と、タマラン《繰り返すが玉の輿ランキング》3位の佐藤さんが居た。どうやら此方が柱の影になっていて気付いてないらしい。うーんそれにしても美男美女で眼ぷ…いや、何でもないです。
「24日この店に来てくれ」
「強引ね。その日は仕事よ」
「分かってる。でも25日にまた出なければならないんだ。俺は君と一緒に過ごしたい。待ってる」
「馬鹿ね、行くわけないじゃない」
「別にそれでもいい、ただ待ちたいだけだ」
カードらしきものを渡して通り過ぎる佐藤さん。場所とか時間でも書いてあるのだろうか?受付嬢はカードをじっと見てから振り切るように目を逸らしてそれを仕舞った。
「馬鹿ね…」と小さく呟いて凛と立ち去る様子に、3人していい劇だったねという満足気なやりきった顔になる。出歯亀はあれだが、うむ、幸せな結末希望である。
「あれは何だかんだ行きそうですねぇ。私はせこい手ですから嫌いですけど」
「そうかい? 可愛いものじゃないか、興味なかったら行かなければいいのだし」
「えー、あのしつこそうな感じだと絶対待ってますよ。それで結局行かなかったら普通後味悪い気持ちになるじゃないですか。そうやってどっちにしろ佐藤先輩のことを考えさせるのが狙いっていう所がせこいです。25日に出張やら行かなきゃなんないのだって、そっちの勝手な都合じゃないですかー」
「ふふ、それも可愛い駆け引きの内だろう。見たところ女の子は意地っ張りそうな感じだし、あれぐらい強引な子が相手の方が合ってるのかもよ」
「次長さんから見ると全部可愛いってなりそうですねぇ」
美香ちゃんと次長が劇の感想を言い合っているのを縁遠いのでそわそわしながら聞く。いや、2人ともすごいな、経験値が低過ぎて幸せになれよとしか考えてなかったべ
「そう言えば24日かぁ、今年は休みが被りませんでしたね」
「ああ、そう言えば聞いてなかったかい? クリスマスに合わせて休む者も多いから、試験的に今年からいっそ時短勤務にしようかって話だよ」
「そうなんですか? 粋な計らいですね」
「ああ、私としても子ども達を迎えに行けるから正直助かるよ」
2人の話が子ども関連に流れる。女子の会話はくるくる回る。頭の中で白紙のカレンダーがくるくると回った。
無理言って空けてもらったけれど、既にその予定は無くなってしまった。
私は跡がまだ残る右の薬指を少しすり合わせ、今思いついたという感じで箸を置いた。
「次長、24日なんですけど――」
◇
ガラララ…
「んーっ、寒いっ。でも晩酌にはいいのよねぇ」
よいしょと一人掛けの小さな折りたたみの椅子を広げて、もこもこと毛布を被って膝を抱える。座る部分が緑色で可愛らしいのだが、残念ながら色が少しハゲてしまっている。この椅子も何だかんだと大学の時から愛用していて長い付き合いだ。見上げた月は満月とは言いづらい形だが、薄くぼんやりと黄色みを帯びており、不思議とそれも風情があると思えるのは既に室内で少し飲んだ酔いが回っているからだろうか
冷えた冬、澄んだ空こそよい肴。鼻がつんとするのを楽しみつつ、とくとくとお猪口にお酒を入れているとガラララと隣りから音がした。
少しして白い煙が流れてくる。隣から滲んだ甘い香りが月と混じるのも肴に楽しんでいると、携帯が鳴ってしまった。
どうやら切り忘れていたらしい
「小林さん?」
「こんばんは、邪魔したかしら」
「いえ」と答えるのを予想しつつ、確認すればちらしメール。お猪口から一口呑んでいると、予想通りの言葉が返ってきて思わず笑ってしまった。
パーテーションで区切られたそこで、田中くんは怪訝な気持ちでいるんだろうか
そう考えるとほどよい酔いが回っているせいか楽しい気分になった。
「小林さんは月見酒ですか」
「正解、今日はいい夜空だから」
衣擦れの音、あの時何処かを眺めていた目は今は空に向いてるのかな
姿は見えないとはいえ、今隣合って一緒に空を見上げてるなんて不可思議といえば不可思議である。
静寂の時間は、妙に居心地の良い連帯感を感じさせる。
冷えた風がひゅるりと吹いた。足先をすり合わせる。
少ししてガララとあの時の大きな窓を開く音。
そっか、もう遅いから寝ちゃうのかな
目を瞑って耳を澄ましながら残される一抹の寂しさを感じていると、隣りからカタンという音がした。
不思議に思い、今度は私が質問する。
「田中くん?」
「そうですね、今日はいい月夜ですので」
それっきりまた静かにぷかりぷかりと浮かぶ白雲に、私も「でしょう?」と返してまた一口、口に含んだ。
いつの間にか婚約破棄されて二ヶ月以上経っていたが、少しずつ少しずつ、こうやって何もない日を重ねて想い出に変えていくのだろう
しばらく無音を楽しんでいたが、ふと思い立って私も部屋への窓を開ける。
ぱたぱたと目的のものを見つけて戻れば、白雲が消えていた。
おや、
「まだ居る?」
そっと小声で伺う様に問いかける。先に声を掛けとけばよかったなと手元の白い二つのお猪口を見て後悔。まぁ明日も早いしねぇと納得し、折角持ってきたのでとくとくと2つに注いでいると、何処か逡巡した風な声が聞こえた。
「…居ます。もう寝るのかと思いました」
その逡巡は一人で静けさを楽しみたかったからかな? それとももしかしたら私と同じ様に、何処か一抹の寂寥を感じたのかもしれない
どちらかは分からないけれど応えてくれたのが嬉しかったので、立ち上がった私はずいっとパーテーションの先から腕を伸ばしてお猪口を田中くん側へと差し出した。
パーテーションはせり出していないので、お互い身を出し合えば手だったり顔だったりが見えるのである。
「さぁ、仕返し成功かしらね? さて田中くん、ご相伴に預かりませんこと?」
ほろ酔いのままお昼の劇を思い返して、わざとらしいセリフと共にくすくすと笑いながらと差し出すと、田中くんの指先が絡んで受け取る。どうやら付き合ってくれるらしい
味見して、注いで、仕事の話をして、月を見る
そうして透明な水面で揺らぐ月を味わい、ちらりと興味が湧いた。
「ふふ、交換で煙草を1本くれないかしら」
突然の提案に対して、静かな視線が向けられる。
やはり田中くんは対応が上手いと思う。呆れられたり何故と問いかけられれば興味よと軽く返したけれど、これでは要らぬことまで口が滑って墓穴を掘ってしまいそうだ。
ふといつかの日に湧いた欲求を思い返しての提案は、田中くんが答えを返す前に私の降参で終わった。
残っていたお酒を田中くんのお猪口に全て注ぐ
「冗談よ。冷えるし戻るわね、それ預けとくわ」
お猪口とぶつかって鳴るガラス音を聞きながら、私は部屋へと身を返す。
今日は中々楽しい1日であったと思った。
それから、時折、月夜の晩酌会が開かれるようになった。
「叶恵さんのクリスマス:中」9日19時予約済みでさ☆
外暑いー