五
うまく焦点が合わない。辺りは暗い。身体は全体がだるい感じだった。
知らない天井だ。
燥耶はそれだけ見てとるとまた目を閉じた。隣から大きな鼾が聞こえてくることに気付くと同時に眠りに落ちていった。
沙枝は目を開けた。いつの間にか陽が昇っている。いつもより長く寝てしまったようだ。なんだか屋内で眠っていたような気が一瞬したが、何だったのだろう。思い返そうとしても、その記憶は手で水を掬った時のように、隙間から滑り落ちて消えていった。しばらくそのままぼんやりしていたが、頭を振って気持ちを切り換えると顔を洗って立ち上がる。朝の日課としている剣の練習をするためだ。ここ毎日、沙枝はこれを欠かさずやっていた。一人で歩いている以上、何があるか分からない。野生の凶暴な動物や、盗賊に襲われても、身を守れるように。《炎花》を握り、背筋を伸ばして立つ。
〈よし、始め!一!〉
指導は《炎花》がしてくれた。その時々で悪かった点などを的確に教えてくれる。なんとも心強かった。
〈二!〉
沙枝が《炎花》を振るっても、炎が出ることはなかった。まあ《遣い手》ではないのだから、それも当然だろう。しかし沙枝にとって《炎花》はとても軽く感じられるため、普通に剣として扱うにもぴったりだった。《炎花》曰く、ただ触ることができるだけでも本当にすごいことなんだよ、とのことだ。
〈三!〉
かけ声に合わせて剣を振るっていると、だんだんと頭が空になってくる。ここ数日やっとそういう境地に達するようになっていた。練習を始めた頃は必死で考えながらゆっくりとやっていたのだが、それが遠い昔のようだ。沙枝は気付いていない。普通はそんな速さで技能が上達する訳がない。《守り手》として、《炎花》との親和性が高いがゆえの結果だった。
〈四!〉
剣を振るう。目の裏に浮かぶのは、社で《炎花》を振るいそして舞う燥耶の姿だった。私も《炎花》を振るっていれば、燥耶に近付ける。どこかでつながっていられる。そんな気がした。
〈五!〉
やがてそんな事さえも考えられなくなる。そうしていつものように、いつの間にか練習を終えた。
朝食を済ませると沙枝はまた歩き始める。燥耶の元へ。いつまででも、疲れていても、歩き続けられる。そこに、燥耶がいるはずだから。何日もそうしてきたように歩く沙枝の耳に、女の子の泣き声が聞こえてきた。ここは森の中。本来それはありえない筈なのだが。案外近いその声を、しかし沙枝は無視できなかった。ものの数歩でその泣き声の元へとたどり着く。沙枝の姿を目の前にして驚いたのだろう。その女の子は涙を止め、目を見開いてこちらを見上げていた。
「どうしたの?大丈夫?」
年は沙枝よりも見るからに下だ。沙枝に声を掛けられ、止まっていた涙がまた流れ出す。
「うう…。ひっく。帰り道が分からなくなっちゃったあ。…どうしよう…。」
「泣かないで。お姉ちゃんがおうち探してあげるわ。あなた、名前は?」
「雪…。」
「よし、行こっか、雪。」
とても放ってはおけなかった。いつかの自分に重なったような気がして。沙枝は雪の手をぎゅっと握った。




