四
「…ふう。」
大きく息を吐いて沙枝は腰を下ろした。さすがに歩き詰めというのは疲れる。しかもいくら《炎花》がいるとはいえ、今の沙枝は一人。気が他に向くこともなくひたすら無言で歩く日々。声の出し方など忘れ去ってしまった。夜継の元から、あの沙枝が水浸しにしてしまったムラから旅立ってから何日もが経過している。《炎花》は確かに沙枝を案内してくれた。しかし《炎花》は燥耶のいる方向しか分からない。そこに崖があろうと、大きな川があろうと、とにかくそちらに燥耶がいる、ということしか沙枝に教えてはくれないのだ。おかげで何度も大きく迂回したり、急な傾斜の道なき道を進んだりと、普通に歩くよりも色々と何倍も疲れた。仕方ないのだが。正直もう気持ちだけでもっているという状況だった。燥耶に会いたい。燥耶を助けたい。その気持ちが沙枝の足を前へと動かしていた。
〈今日はここで野宿だね、沙枝。〉
《炎花》が語り掛けてくる。この奇妙な会話にも、大分慣れた。口を開くのも億劫なほど疲れ果てている今の沙枝にはこの方が良いのかもしれなかった。
〈そうね。少し休み入れたら、準備するわ。〉
でもそれでも、沙枝は立ち上がる。野宿も、軍の時の野営から引き続いて慣れたものだ。火を起こし、水を汲み、道中でとった魚と草を煮る。頭は考えていなくとも、手は勝手に動く。湯を少し沸かし、身体を清め、身に付けていたものも清め、そして適当なところで横になって丸くなる。全てを流れるように終わらせると、すぐに寝入ってしまう沙枝。《炎花》がいるので、夜過剰に周囲を警戒する必要もなかった。
〈沙枝…。私は君に言っていなかったことがある。〉
《炎花》は未だ燃える焚き火の光を反射しながら一人呟いた。
〈燥耶は生きている、私には何となくそれが分かる。沙枝にはあの時そう言ったな。本当はな、はっきりと分かるんだ、燥耶の状態が。ああ言ったあの時、燥耶は死の淵にいた。生き延びる可能性は、私にはないように思われた。しかし私はそれを、悲痛な様子だったその時の沙枝には話せなんだ。とにかくまだ、生きてはいた。私は嘘を言ってはいない。ただ、その希望はいずれ断たれるのだろうと思うと、心が痛かったよ。
その晩が峠だった。燥耶がまたこの世へ帰ってきてくれて、私は本当に嬉しかった。同時に安堵もした。ああ良かった。沙枝の、全てを失った顔を、見なくて済んだ、と。
沙枝、これは奇跡だよ。燥耶と、沙枝。二人の強い気持ちが生み出した、奇跡なんだよ。燥耶は、まだまだ健康とは言えない。というか、今も目を覚ましていない。でもいいんだ。私は燥耶の回復も信じているし、沙枝の諦めない心も信じているんだ。だから私が、必ず二人をもう一度会わせてみせる。
待ってろ、燥耶。今沙枝が行くから。〉
そう《炎花》が人知れず言い切った丁度その時。
燥耶が、その何日も開くことのなかった眼を、闇の中でゆっくりと開いた。




