十
沙枝は走っていた。燥耶が駆けていってからいくらもたたずに自分もそれを追って走り出したつもりだったが、戦闘のただ中へ突っ込んでいった燥耶を見る沙枝は未だそこから遠い場所だった。燥耶が舞っているのが見える。その強さ、そして美しさは圧倒的だ。そこに障害などないかのように、どんどんと敵であるムラの男達の中へ分け入り、戦線を大きく前進させていた。燥耶は戦い続ける。と、男をまた一人殺したところで燥耶と、そしてその周りの動きが止まったのが見えた。沙枝はその頃にはあと少しで戦場の端へ到達するところだったのだが、思わず足を止める。燥耶の様子がおかしい。なんとなくそう感じた。声はこの距離では聞こえない。だがその場の空気に異変が起きていた。燥耶よりも一回り小さな影が、燥耶のすぐ近くで立ち上がる。燥耶は動かない。その影が燥耶の元へ飛び込む。燥耶はなおも動かない。
「燥耶!」
これはおかしい。声が届くはずもないのに、沙枝は燥耶の名前を叫んでいた。
が、もう遅い。
次の瞬間沙枝が見たのは、胸元から血を出しながら倒れゆく、大切な人の姿だった。
「きゃああああっっ!!!燥耶っっっ!!」
信じられなかった。心が受け入れることを拒否していた。感情が制御できない。身体の内からなにかがせり上がってきて、沙枝は完全にそれに飲み込まれた。
それは唐突に始まった。地面が揺れ始める。その揺れはすぐに大きくなり、人々は争うのもやめてその場にしゃがみ込む。その時、およそ聞いたことがないような音とともに地面に亀裂が入った。 その両端には、倒れ伏した《炎花の遣い手》と、
蒼く揺らめく気を身体から発散する、《流水の守り手》。
亀裂から水が噴出する。その高さは木を越え見上げるほどだ。特に《遣い手》のいる所は、噴出する水で《遣い手》が囲われてしまった。どんどんと周囲に流れ出す水。さっきまで争っていた人々は、皆逃げ惑う。
周囲が流れ出る水で池のようになったころ、ドンと音がして一際高く水が吹き上げられたかと思うと、水が止まった。視界が開ける。
《遣い手》が倒れていたはずの場所に目を向けると、
《遣い手》の姿は消えていた。
死体を残す訳でもなく、そこにいたはずの一人の人間が、跡形もなく消えてしまっていたのだ。誰もが言葉をなくし、静けさが支配したその空間に、大きな水音が響く。たった今、この池をつくり出し、《遣い手》を消してしまった張本人。《流水の守り手》沙枝が、その場にしゃがみ込んだ音だった。
それはまさに、神の所業。そこにあったはずのムラも全て飲み込まれ、一面の池に。そこにいる全員が呆然としている中、突如としてできたその池の水は、どこまでも澄んでいた。




