九
全身が冷える感覚。私のせいで大切な二人に危害が及ぶなど、あってはならない。
「脅してるの?」
振り返る沙枝。怒りより恐怖が先に立った。夜継なら本当にやりかねない、そう思った。
「いや?俺はあのゴミ溜めのような所に住む取るに足らない二人の女の名前を言っただけだ。俺は二人がどうなろうと知らんが、気まぐれで誰かが不意に殺してしまうかもしれないな。そこまで俺は責任を持てない。」
そう言って夜継はわざとらしく肩をすくめる。沙枝は無言のまま、元の場所に戻って座った。座るしかなかった。怒りか、屈辱か、恐れか。肩の震えがなかなか収まってくれなかった。
「さて話もしやすくなったところで、本題といこう。」
夜継は話を続ける。その表情は満足気だった。
「つい先日面白い話を聞いてな。あの人形のようだった燥耶が、回復したというじゃないか。来てみて実際に見るとよく分かる。どうだ、燥耶。回復の徴に、試しに剣を振ってみてくれないか。もちろん、《炎花》でだぞ。」
「…………」
「ここから外が見えるだろう。降りたすぐそこで良いから。さすがにこの広間の中では危ないだろうしな。」
「…………」
「…命令に変えた方が良いか?燥耶。」
「……はっ。おおせの、ままに。」
まるで初めて話しだした時のような辿々(たどたど)しさで言葉を返すと燥耶は立ち上がり外へ出た。今のでよく分かる。燥耶は話さなかったのではない。話せなかったのだ。夜継の存在というものは、やはりそれほど迄に燥耶の心の傷にとって大きな影響を与えるということなのだろう。
そうして燥耶は《炎花》を振り始める。炎が燥耶の剣さばきを彩る。しかしその姿は。沙枝の知る美しい舞ではなかった。燥耶の剣技は、それ単体で、即ち《炎花》抜きで語っても、相当に強いものだと聞いている。確かにそうなのだろう。そして今も、炎は出ている。つまり今剣を振る燥耶は、一般に比べたらかなり強いということだ。そう頭では納得できても、やはり普段見せる周囲を圧倒するような美しさを持つ炎の舞には遠く及ばない。燥耶の心の状態が影響しているのだろうか。
「よし、もうよいぞ。戻ってこい。」
夜継が手を打って燥耶を呼び戻す。どうやら夜継には十分すぎる戦力として映ったようだ。いつもの燥耶を見ていないからこそ、だろう。
「良いじゃないか。これで一層、戦を有利に進められる。燥耶、次の戦に参加するんだ。」
「…じたい、することは、できます、で、しょう、か。」
「燥耶。言わんと分からんか?お前はクナイの民だろう?徴兵だ、徴兵。お前に拒否権はないんだよ。」
「…つつしんで、おうけ、いたし、…ます。」
「お前もだぞ、沙枝。なんでも《遣い手》と《守り手》が揃うと真の力とやらが拝めるらしいじゃないか。それを逃さない手はない。」
私にも、拒否することはできなさそうだった。