四
今度こそ沙枝は部屋に戻る。そこには燥耶。こちらを向いていた燥耶は、沙枝が口を開くより早く声を発した。
「沙枝!…良かった。もう戻ってこないかと思った。」
「うん。ごめん、逃げちゃって。」
「俺も…、ごめん。思わず振り払っちゃって。そんなつもりじゃなかったのに。」
言葉が続かず、二人で俯く。何でこうなる?答えはすぐそこにあるようで、しかしなかなか浮かんでこなかった。
「私ね、」「俺さ、」
二人同時に顔を上げ、声を発する。目だけのやり取りがあった後、話し始めたのは燥耶だった。
「俺さ、…置いていかれると思ったんだ。」
なんだって?
「沙枝が逃げていった瞬間に。理由は分からない。でも、沙枝がどこかへ行ってしまう気がして、それを全力で否定しようとしている自分に気付いた。その時、分かったんだ。沙枝に置いていかれたら、自分はだめなんだ、って。何でそうなるかはやっぱり分からないけど、まるで下りてきたかのように、それが頭に浮かんできたんだ。
なあ、沙枝。…俺を置いていかないでくれ。」
燥耶のその言葉に、思わず笑ってしまう沙枝。同じことを言おうとしていたなんて。
「大丈夫。安心して。私はここにいるわ。」
答えはすぐそばにあった。里に言われずとも、もうそこにあったのだ。
一段と冷え込みが厳しくなってきた。吐く息が白くなり、社は白銀に包まれる。あかぎれができた手で、冷たい水を使って掃除するのが、一番憂鬱だった。
燥耶は順調に回復していた。沙枝以外の人間とも、簡単にではあるが話ができるようになり、ここ最近は大母巫女に連れられ《遣い手》として《炎花》の鍛錬に明け暮れていた。夕方になるとその燥耶を迎えに行くのが、このところの沙枝の日課だった。
社の奥へ、今日も沙枝は西日を浴びながら歩く。目的の場所に辿り着くとそこには、《炎花》を振るう燥耶と、それを見守る大母巫女がいた。沙枝は燥耶の邪魔をしないよう、大母巫女だけに聞こえるくらいの声で挨拶する。
「大母巫女様、こんばんは。」
「おお沙枝か、こんばんは。」
そのまま口を噤み、燥耶を見る。燥耶は、舞っているようだった。剣のことを良く知らない沙枝も見とれるような、洗練された動き。しかし沙枝には、疑問が浮かぶ。
「大母巫女様。《炎花》を《遣い手》が振るうと、炎が舞うのでは?」
「そのはずなんじゃがな。」
そう言って大母巫女はため息を一つ。
「どうも燥耶は《炎花》の力を引き出しきれんようじゃ。儀式が不十分だったのか、神々がなにか判断を下したのか。詳しくは分からんのじゃが、燥耶が《炎花》の力を全てではないまでも使えるのは、朝からやってせいぜい昼過ぎまでといったところでのう。夕方にもなると見て分かるように、ごく普通の剣と化してしまうんじゃよ。」
もう一度、大母巫女はため息をついた。




