三
燥耶にすぐ戻ると言い残したことを思い出した沙枝は部屋に戻る。
燥耶は沙枝が部屋を出た時と同じ場所に座り込んでいた。その身には未だ残る細かな震え。支えを、必要としているように、沙枝には見えた。無意識の内に沙枝はその背中に手を置く。温かい、そう感じた刹那。
その手はものすごい勢いで振り払われた。
じんじんと鈍く痛む手。振り向いた燥耶の驚いた顔。流れる沈黙。沙枝は思わず。
また、逃げ出していた。
衝動的に走りながら、頭は様々なことを考えていた。何より、逃げ出してしまった自分のことが、一番信じられなかった。何故だ。自分は何故逃げた。驚いたから?怒ったから?違う。
置いていかれると思ったから?
足が止まる。それだ。もういらないと言われたようだったから。お前は邪魔だと。一人でやっていくんだと。そんなはずはない。燥耶はまだ回復したばかりだ。いやそれ以前に、本来どうでもいいことのはず。むしろ喜ばしいことかもしれない。燥耶は元の世界へとちゃんと戻ってきて、一人でしっかりとやっていく。何の疑問もない。なら自分は何故逃げ出した。
置いていかれたくなかったから。
だからだ。なのに自分の中で辻褄が合わない。置いていかれたからなんだというんだ?自分は何から目を背けようとしているんだ?
沙枝は部屋から逃げ出した。それは、現実を突きつけられることからの逃避だった。
「沙枝?何してんの、こんなとこで。」
里の声で我に返る。上手く言葉が出てこない。
「えっと、あの、燥耶が、…じゃなくって、私が、その…。」
「まずは落ち着き、沙枝。」
里の声色は、どこまでも優しかった。
「何があったんか、それは私には分からん。でもな、沙枝。一つだけ。燥耶さんのことやねんやったら私から言えることがあるわ。もしかしたら何べんも言われとるかもしれんけど、改めて言うとく。今の燥耶さんがあるのは誰のおかげや?沙枝のおかげに決まっとるやろ。せやからな、沙枝はまず、そんな自分を信じるべきや。そして、沙枝が引っ張り上げてきた燥耶さんのことも、同じくらい信じるねん。その上でや。沙枝、進む先を決めるんは、自分や。自分しかおらん。迷ったら、自分は一番どうしたいか、で選ぶんや。」
思わず涙ぐんでしまう。里からかけられたその言葉は、沙枝の宝物になった。
「ありがとう、里。私、もう一度ちゃんと燥耶さんと向き合ってみる。」
駆け出す沙枝。里が発した呟きは、その耳には入らなかった。
「今からかいな…。母巫女様に怒られても知らんで。」
愛に満ちた苦笑を浮かべる里だった。




