四
「よし、それでは始めるぞ。」
合図を出す夜継。その目には隠しきれない興奮が浮かんでいた。
四隅へと散った巫女が何やら詠唱を始める。燥耶は思わず夜継を見てしまった。夜継は、明らかに燥耶を促していた。他にどうしようもなく、燥耶は《炎花》を握ったまま両親の前へと進み出た。
《炎花》の話に納得はしている。しかしそれで気持ちを思い切れるかどうかは別の問題だ。両親も覚悟を決めている。自分も納得している。それでいいじゃないか。十分だ。そう思うことができたらどんなにか楽だろう。
いつもからは考えられない程重く感じる腕を少しずつあげる。
今までの両親との思い出が頭を駆け巡る。産まれた時から本当に世話になった。沢山のことを教えてもらった。一つ一つの情景が克明に刻まれたその思い出達に、新しいものが加わることは、もうない。
斬るべき箇所を確認するために顔を上げる。
思えばろくに孝行もできていない。感謝こそすれ、自分が大きくなって返そうと思ってももう不可能になってしまうではないか。
母の涙が溜まった目が見える。無理だ。
俺には無理だ。
身体が、頭が、完全に停止する。自分の手で。それだけはできない。だがやらなければならない。進まない。動かない。やらなきゃ。無理だよ。君ならできる。そんなことは不可能だ。
そのまま、長い時間が過ぎた。
事態は急激に、同時に、動き出す。
《炎花》を振り上げたまま固まっていた燥耶の手が、横から掴まれる。燥耶の正面の幕が跳ね上げられ、巫女装束の老女が駆け込んでくる。
燥耶は反応できない。
掴まれた手が振り下ろされる。老女が叫ぶ。「やめろ!」
燥耶は、反応できない。
一筋の光がつくられる。両親の首元へ向かって。
燥耶は、反応、できない。
燥耶の世界は、目の前が血に染まり、終わりを告げた。
静かになったその幕の内で、老女は口を開く。
「やってくれおったな、夜継。わしは言ったはずじゃ。時間が必要だ、と。急いては良いことは何一つない、ともな。結果を見ろ、夜継。どうするつもりじゃ?」
「どうするも何も、ただただ悲しいですね。」
「ほう。お主でも他人を哀れむことがあるのかい。」
「こいつを哀れんでいる訳ではありませんよ。ただ《炎花》の力を手に入れられなかったことについて、悲しんでいるんです。」
背を向けて夜継は去っていく。後には大母巫女と、《炎花》を握ったまま動かない、人形のような存在が残された。