二
手をとり合い駆けていた三人の前に、色とりどりの景色が広がる。
新緑の芽吹きだした森の先に広がるそこには、瑠璃色、薄桃色、浅黄色の花々が咲き乱れていた。三人はその美しい光景に、声もなく見とれる。
緑豊かなムラの西側には草原があるのだが、春になるとそれらの花々が一斉に花開くのだ。今がまさにその時だった。
三人は花々まで駆け寄ると、夢中になって遊び始めた。三人とも、まだまだ少女なのだった。
沙枝もいつしか、時間が過ぎてゆくことも、心の中を占めていたはずの不安も、忘れ去っていた。
空が暗くなりゆき、夕日が沈みゆく様を、三人で花々の中に寝ころびながら眺めていた時、不意に咲が口を開いた。
「今日はどこの家?沙枝」
「今日は長の家」
沙枝に両親はいない。父は沙枝が産まれる前に、母は沙枝を産んですぐに、亡くなってしまった。そのためムラの家々に日替わりで床を借りている。
別段沙枝は、両親がいなくて悲しいとは思っていなかった。それが当たり前だったから。むしろ変に同情される方が、子供扱いされているようで腹が立った。
ムラの大人達は皆優しくて大好きだったし、自分の暮らしにも満足していた。
「長かあ。いいね。ご飯が美味しそう」
「うん。でも夜中、どこにいても長のいびきが聞こえるの」
親友がいて、温かな大人達がいて、自然がいっぱいで、みんなで助け合っている。そんなムラでの暮らしは、沙枝にとってとても幸せだった。
闇が濃くなる中、沙枝は長の家の裏口の戸を叩いた。
「あら沙枝。いらっしゃい。上がって上がって」
「おじゃまします」
小さな頃から何度となく来ている家だが、礼儀は欠かさない。お辞儀をして顔を上げると、長の妻、九乃の笑顔が出迎えてくれた。
九乃のことをずっと、沙枝は尊敬していた。料理上手であるし、何より自然に「母さん」と呼びたくなるような、包容力のある人だ。場の雰囲気を変えるような笑顔をもつ人を、沙枝は九乃しか知らなかった。
「九乃さん、今度また料理教えて下さい」
「いいわよ。昼頃にいらっしゃい。いつでも教えてあげるわ」
長の家はムラで一番大きかったが、それでもすぐに居間に着いてしまった。
居間に入ると、ムラの長である茂繁が向こうを向いて座っていた。
その後ろ姿に、沙枝ははっと胸をつかれるような思いがした。
背中の持つ雰囲気に、ここのところ沙枝が絶えず感じているものの臭いを嗅ぎとったからである。
不安。
茂繁の背中が、そこだけ暗く、切り取られたかのように、沙枝には見えた。