四
闇の向こうからこちらを射る、二つの昏い穴。その深い暗がりに、沙枝は意識ごと引っ張っていかれそうになってーーーーーー
「ほう。それほど人と目を合わせているというのも、初めてのことじゃな。」
背後から発せられた声に我に返る。燥耶はもう、外を見ていた。
「大母巫女様。」
「今までにも物音に反応することはあったが、明確に一定時間人と視線を交わしたのはお主が初めてじゃ。これは期待できるかもしれん。」
本当だろうか。沙枝は黙りこんでしまった。
燥耶との出会いは衝撃的だった。確かに、何かを、感じる。私をここまで導いてきたものはこれなんだという確信があった。
しかし一方で、沙枝は不安だった。目の前にいる燥耶という存在が、ただ怖かった。きっと強大な力を秘めているのだろう。私は《守り手》だと告げられた。《遣い手》と並び立つ者だと。果たして何を“守る”というのだろう。こんなちっぽけな、只の一人の少女に、何ができるというのだろう。皆目見当もつかなかった。
「生活に必要な物、布団や着替えなどは後で用意させよう。まず今は、わしについておいで。」
部屋を出る前に振り返る。燥耶は先程の体勢から動くことなく、ただ外を見ていた。淡く纏った光が、ふわりと瞬いた気がした。
大母巫女に続いて戸をくぐった沙枝は目を見張る。大広間となるその広い空間を埋め尽くすかのように、沢山の巫女がそこにいた。皆一斉に頭を下げる。
『大母巫女様。』
「よい。面を上げよ。」
沙枝がその光景に圧倒されている間に、大母巫女は言葉を続ける。
「明日からそなたらの修練にこの一名が加わる。沙枝じゃ。言われんでもなんとなく分かる者が多いとは思うが、この沙枝こそ、かの《流水の守り手》じゃよ。」
巫女達は何の反応も示さない。かえって沙枝の方がとても萎縮してしまった。
「教える立場にある者は各自準備をするように。
では今日は以上じゃ。解散!」
巫女達はまたも一斉に礼をすると、衣擦れの音を残して各々(おのおの)去っていった。
がらんとした大広間に残された大母巫女は、沙枝の方へ向き直る。
「では明日から。頑張るのじゃぞ、沙枝。
食事はお主のみ自分の部屋でじゃ。食堂から二人分、持ってゆくがよい。終わったら食器は戻しに行くように。布団も燥耶の分含めて二人分敷いたら、彼を先に寝かしてやってくれ。燥耶は布団まで誘導してやらんとその場で寝よるらしいからのう。とにかく、食事を済ませたらすぐに寝ることじゃな。ここの朝は早いぞ。」
大母巫女はここで一呼吸おくと、更に続けた。
「沙枝。先程も似たようなことを言ったがな、未来とは、自分で掴み取るものなんじゃよ。迷ったら、自分を信じることじゃ。それだけは覚えておくがよい。」
そう言い残すと、大母巫女も去っていった。後に残された沙枝はもう一度、一人もいなくなった大広間を見渡す。いつの間に陽が落ちていたのか、その静かな空間は夜の闇に沈もうとしていた。
驚きが連続した一日だった。自分が特別な存在だとは、未だに信じられないけれど。約束を、願いを、違える訳にはいかない。
沙枝は顔を上げ、新たな一歩を踏み出した。