九
しばらく待っていると、稲芽がこちらに駆けてくるのが見えた。どうやら雪も一緒のようで、側にもう一つ小さな影が見える。その二人が浮かべる笑顔に。
「ただいま。」
自分が生まれ育ったムラでもないというのに、そう呟いてしまった沙枝だった。
「沙枝お姉ちゃんっっ!!」
先に沙枝たちの元にたどり着いたのは雪。稲芽は流石に子供の元気さには勝てなかったようだ。叫ぶとともに雪は沙枝の胸元に飛び込んできた。受け止めるもその勢いを完全には止められず、雪を抱いたまま一回転してしまう。雪はそれでまた楽しそうに笑っていた。
「また会えたね、雪。」
「うん!また来てくれてありがとう。思ってたより早くてびっくりしちゃった。」
「そうかな?何だか月日の感覚がよく分からないな。」
そう話している間に、稲芽もこちらにたどり着く。疲労困憊の様子だ。
「こんにちは、稲芽さん。大丈夫ですか?走ってきて頂かなくても良かったのに。」
「いやいや、雪の元気に乗せられてしまってね。こんなに走ったのは久しぶりだよ。こんにちは、沙枝さん。また会えて嬉しいよ。」
「こちらこそ。」
「ねえねえ、沙枝お姉ちゃん。」
待ちきれないと言った様子で、雪が会話に入ってくる。
「後ろの人が、お姉ちゃんの言ってた燥耶さん?…なんか二人いるけど…。」
「あ、それはね…。」
「俺が燥耶だ。雪ちゃん…だよな?よろしく。」
燥耶が一歩前に進み出つつ手をあげて応える。それは友好的な様子だったが。
「は、はい。雪です。よろしく、お願いします…。」
雪には少し怖がられてしまったようだった。
「雪、燥耶は怖くないよ?仲良くしてあげて。」
「う、うん…。燥耶さん自体は怖くないのかもしれないけど…。」
「ん?どういうこと?」
「上手く言えないんだけど…。燥耶さんの持つ空気が怖いっていうか。」
その言葉に、沙枝も、燥耶も、響夜でさえも、少し目を見開いた。
「死の空気ってことか。」
燥耶がそう小さく呟いたのが聞こえた。
「雪ちゃん、僕は響夜。はじめましてだよね、よろしくね。」
重い空気を振り払うかのように響夜が自己紹介する。その顔には満面の笑み。
「うん。よろしくね。」
雪もそれを見て安心できたようだった。
「こら、雪。お客さんにそんなこと言っちゃいかんぞ。燥耶さんも、すみませんでした。」
「ごめんなさい、燥耶さん。」
「いえ、大丈夫ですよ。」
「そうですよ、謝ることはないです。元々連れてきたのは私なんですから。」
「うん…。沙枝お姉ちゃんも、ごめんね。お姉ちゃんの大切な人なのに…。」
「雪!?」
「大切な人…?」
燥耶より響夜の方が反応した。
「せ、雪。それは内緒。いい?」
「あれ?そうなの?…もしかして、まだ言ってないの?」
「うん…。実は。」
「ええ!だめだよ、お姉ちゃん。また離ればなれになっちゃったらどうするの?」
「そうなんだけど…。と、とにかく、この話は後でね、雪。」
「分かった。後で沢山聞かせてね。」
この様子では何を言われるか分かったものではない。恥ずかしさとどきどきで一杯だった沙枝は、この場は逃げることを選択した。




