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三人寄ってお酒飲んで良からぬことを・・・


奈良県橿原市 2600年前 神武天皇が初代天皇となり、その歴史は今に至っています。

昭和天皇、平成天皇、令和天皇もお詣りに来られている由緒ある場所。橿原神宮はまさにその場所で、この橿原市を舞台にこの物語は始まります。




平成二十三年三月二十日、桜のつぼみが膨らみ早い所では既に満開に成っている場所もあり、そんなうららかな金曜日の午後、何時もの様に三人が集まってひそひそ話に弾んでいた。        

殆ど毎週同じ事を金曜日の午後は繰り返していたから、体がそのように覚えている。         

「今日はいつもの店で一杯」が恒例と成っていた。

サラリーマンにとって何が楽しみかと言えば、殆どの者が翌日は休みであって、その前の日はとりあえず飲める事が何よりである。

その三人とは名は吉野忠助。そして岩村丈二と野坂由紀夫の三人である。この三人が思わぬことから事件に引き込まれて行くこととなる。


吉野は三十三歳、岩村は三十六歳、野坂は四十六歳で一番歳を食っている。

野坂だけが独身でしかも三人が働く田崎電気工業では一番後釜で、寧ろまだ然程経験が無い新人でもある。

 この三人の中では一番年下の吉野が、高校卒業と同時にこの会社に入って来たので既にベテランと言え、三十近くに成ってから入って来た岩村に比べると可成の差があった。             

 吉野は元々野心家で研究熱心でもあったので、この中では部門長の肩書きが付いていて他の二人はその部下でもあった。

だからこのようにして飲みに行く事も、元々吉野が他の二人に声を掛けたのがきっかけで、その内意気投合して毎週同じ事を繰り返す事に成ったのである。


 野坂にしてみれば以前働いていた会社が倒産して、この田崎電気工業に拾って貰ったような経緯があり、それだけでも有り難い事と思っている毎日であったから、このようにして年下と言え上司に誘って貰って仲むつまじく成って行く事が実に嬉しかった。

岩村も年下と言えやはり仕事では先輩の吉野に、何もかも教わり続けている事も確かだから、何一つ文句など言いようが無かった。

寧ろ彼の事を尊敬している格好であった。


こんな関係の三人がこの日も何時もの様に飲む事に成って、会社近くの呑み屋へ出かけていた。 呑み処「鹿路」(ろくろ)に夕刻六時に集まって呑み始めた三人は安酒で大いに楽しんだ。

話の内容など何時もくだらない事の繰り返しであったが、それもまた楽しい時間であり三人には欠かせない時の流れであった。


三月二十日本日は彼岸であるから本来は休みであったが、その後の二日間が土曜日と日曜日であるから当然休みであったので、特別出勤に成っていた。

その特別が影響したのか何時もよりお酒が進み、とうとう三人は予想外に飲み続けて御前様に成っていた。

女将にちょうちんの灯りを落として貰って尚飲み続けたので、一番電車に乗る羽目に成ってしまった訳である。


お開きになる頃には新聞屋が走り廻る時間に成っていて、まだ暗く可成肌寒い表に出た三人は、ほろ酔い気分で朝まで飲み尽くした満足感に、更に酔いを感じて心地よく飲み屋を後にした。  

国道をゆっくり千鳥足で歩きながら、街灯だけが赤々と燈る誰も居ない夜の道をふざけた様に駅の方に向かっていた。


暫くすると一台の車のライトに行き成り照らされたので危険を感じ慌てて歩道に足を運んだ。

車は僅か先にある信号を右折したらしく、急に現れた事で三人は驚きながら歩道に急いで上がり通り過ぎる車を見つめた。

去り行く車を見ながら、然程酔いが廻っていない野坂由紀夫が。         


「おぉ、1234かぁ珍しいなぁ」

「ほんとだ1234だ」

「トヨタの車か、いいなぁ」

「いいねぇ彼女を乗せてこの真夜中に」

「あれってどんな関係だろうね?不倫?それとも何処かのスナックの好い子?」

「どうでもいいや」

「そうだ。そうだ。人のする事に文句言えないからなぁ」

「まぁ頑張って下さい。お二人さん。」

こんな会話を交わしながら三人はその走り去る車に手を振っていた。

それから直ぐに交差転に差し掛かり、その交差点は渡らず右に曲がりそのまま真っ直ぐ歩き続けると駅に着く。

ところが暫く歩いていると、道の真ん中に何か大きな物が見えて来た。

「あれってまさか人?」

「ああ人かも知れない?酔っ払いかも?」        

「轢き逃げとかじゃないのかな?」

「とりあえず行ってみよう。まさか轢き逃げなんて」

代わる代わるそんな言葉を掛け合いながら、その街頭に照らされたこんもりとした物体に近づいて行った。

そしてそれが正に予感していた轢き逃げの現場であった。まだ若そうな女性が倒れている。頭から血が出ていて服装も汚れている状態である。よく見ると口から泡を出していて、目も吊り上げていて、更に全身で痙攣をしていたので三人は慌てて直ぐに救急車を呼ぶ事にした。            

「道で女性が倒れています。轢き逃げかも知れません。」

 三人は酔いが醒めた格好でぶるぶると震えながら、気を失っているその若い女性を囲んで待っていた。                              

暫くするとサイレンが大きな音を夜明け前の町中に響かせて遣って来た。 その後パトカーも続いて来た。 ピンクのスカートの裾は引きちぎられたように成っていて下着が覗いていて、衝突の凄さを物語っていた。

よく見ると二十代の後半のような顔立ちで、水商売風の井出達であったが、その顔は青白く救急隊員が照らすライトに写っていた。

三人は救急車が道路をふさいだので、押し出されるように歩道に追いやられ佇んでいたが、吉野忠助が岩村丈二と野坂由紀夫に小さな声で口にした言葉は、                    

「ここへ来る前に出会った車の事を言わないでおこう。あまり余計な事を言わない事。余計な事を言っても何の得にもならないから黙っていよう。 若しかして余計な事を言って、それで全く関係のない人に迷惑を掛けるような事に成ってもいけないから。あの車の男がやくざとかだったら怖いから。僕たちが事故を見たわけじゃないのだから我々は一台も車など見ていないって事にしましょう。事実だし。」

「分かりました。吉野さん。」

「ええ私もその様にします。実際何も見ていない事は確かだから。間違っていたなら余計な事を言ってそれが問題だったなら大変ですからね。」

「それがいい。何を聞かれても知らないって言おう。若しかして組関係の人の車だったら本当に怖いからね。」

「そうですね。今変な事に成ったら、会社だってそんなややこしい者は切り捨てられると思うよ。」

三人は屯する様に佇んでひそひそ話を続けていた。そこへ救急隊員と警察官が遣って来て、

「あなた方ですね。電話して下さったのは?」

「はい。呑み屋の帰りで一番電車に乗る予定で、この歩道を向こうから歩いて来て、それで何となく道に何かが在る事に気が付いて、もしかして轢き逃げではないかと近づいてみると、やはりそのようで気を失っていて、白目を剥いているし痙攣もしていたので慌てて救急に電話を入れました。」   


「先ずお名前を聞かせて頂きます?」

「はい。僕は吉野忠助です。」

「俺は岩村丈二です。」

「私は野坂由紀夫です。」

               

「会社の仲間で、飲み仲間です。明日から連休で今日は思いっきり羽目を外して、このように御前様に成ってしまいまして。」

そう言ってしゃべりながらも、前の道路では救急隊員が、跳ねられた女性の胸に手をあて人工呼吸をしている姿が目に入っている。当然EDAもセットしているようである。

 吉野はその事が気に成って、

「助かりそうですか?」と訪ねると、

「何とも言えません。可成当たっているようですから、危険な状態である事には変わりありません。 皆さん方がここへ来られた時はどのような感じでしたか?」

「全く同じです。白目を剥いていて痙攣していて、全く今と変わりません。」

   

「では何かを口に話したとか全く無いわけですね?」

「勿論です。」

側で聞いていた警察官も、

「あなた方ですね。今聞かせて貰っていましたが、申し訳ありませんがもう一度お聞かせ下さい。」

「ええ」

そのようなやり取りが始まった時に、タンカーに乗せられてぐったりしたままの女性は、救急車の後ろから載せられ素早くドアが閉められ、サイレンを激しく鳴らして救急車は走り出した。

その音が収まり始めた事を見計らって、警察官の田川東二が三人の顔を覗き込む様に口を開いた。    

「被害者を発見された時に車を見ませんでしたか?その少し前にも?女性のスカートにタイヤ痕がはっきりついていますから、車で轢かれた事は間違いないと思われます。

何かお気づきの事があればお聞かせ下さい。」

「別に御座いません。」

「わたしもありません」

「僕もありません。びっくりして酔いが醒めてしまって、風が凄いでしょう。寒くて、寒くて」

「はい、申し訳ありません。今暫くご辛抱下さい。」

「はい。」

「もし何かを思い出せば又お願いしておきます。」

はい」

現場検証が続いていたが、あまりの寒さにガタガタ震え出した三人は、堪らなくなり現場から去る事にした。


既に周りはすっかり明るく成って一番電車もとっくに走り去っていた。

駅構内の待合室で座り込んだ三人は、暖房が効いている事が堪らなく嬉しく感じていた。

それでも三人の頭の中ではっきり写っている光景は、横たえて顔色を無くし今にも息を引き取りそうな女の姿と、その女が人工呼吸をされている姿であった。       

「びっくりしたね。参ったよ。」

「ほんと。まさかこんな事に出くわすとは。」

「でもあの先に出会った車の事を話さなくて良かったのか気に成って来たね」


「でもあの時話し出したら今でもあの現場で、根掘り葉掘り聞かれていると思うから、寒いよ。」

「そうだね。別に我々が何かプラスになるような事じゃないと思うから」

 

「いけない国民って事だけど」

「でも俺呑み屋から出て来た時に見かけた車の男の横顔、今でも覚えているけど、結構いかつい顔をしていたような気がするよ。当然女の顔もはっきり見えたけど、どう考えても普通の女に見えなかった気がしたな」

「私もそんなには、はっきり覚えてないけど」

「僕はナンバープレートに気が行っていて、でも岩村さんの言うように厳つい顔だったのかも知れない。もみ上げが太くて」

「そう、裏社会の人って感じだった事は間違いないと思う。第一あの時間に若い女を乗せて車で走っているのは、そんな類の者が普通だよ」

「警察になんかいつでも言えるから慌てない事だと思うな」

「そうだね。それでつまらない事に成ってもいけないから」


「僕は第一警察に協力なんて面倒な事したくも無いから。今までに嫌な思いをさせられた事もあるから、係わり合いになりたくないな。

岩村さんも野坂さんも呑み屋から出て来た後、見た車の事を警察に言ってあげるほど良いと思うのなら遠慮無く言ってあげて、今なら・・・でも寒いから僕は先に帰ります。」         

「俺も帰る。」

「私も帰りますよ。余計な事をする事無いと思いますよ。」


このようにして三人は轢き逃げ事故を気にしながら電車に乗った。 翌日は休みで更にその翌日に、新聞の隅に小さな記事で轢き逃げがあった事が載っていた。

被害者は大阪の堺市在住の花村貴美さん飲食店店員で、歳は二十八歳、所持していた健康保険証から判明しました。

犯人は花村さんを轢いた後そのまま逃げた様で、花村さんのスカートに自動車のタイヤ痕が付いていて、しかし一昨日は春一番と言うほどの風が吹いていて、証拠となる物品が大して見つからないようです。


そして花村さんは、現在は重体であり予断を許されない状態である。

月曜日になり吉野岩村野坂の三人は会社に行ってから、他の事はともかく事故の事が気に成っていたので、お互い顔を見合わせながらひそひそとその話をしていた。    

「重体だって」

「多分死ぬと思うよ。だって人口呼吸していたから、あの時に既に心臓が止まっていたのなら可成悪いと思うな」

「私も思います。可哀相にまだ若かったのに、二十八って書いてあったね」

「そうですね。でもどうだろう。あんな時間に男と車で・・・想像しただけでも思い付くのは一つだけだから、自暴自得てやつじゃないの?」


「かもね。飲食店店員なんて何処まで飲食店か分からないからね」

「そうですね。飲食させているのか、他のものを売っているのか、それはその店で違いますからね」

「言える。言える。」

「警察はあの日タイヤ痕があるからって言っていたから、直ぐに犯人が判ると思うよ。 若しかして我々が見たあの車かも知れないけど、でも警察が調べればいい事だから」

「そうですね案外早く犯人が捕まると思いますよ。」

「お手並み拝見って所で良いのじゃないの」


「言い換えたらあの車が犯人で、それを知っているのは我々だけで、何も知らない警察が躍起に成って捜す。もしこのような事が現実ならまるで推理小説のような話で、結果が既に判ってる映画を見ているような気がするね。」

「そう同じ映画を二回見た気分かも知れませんね。」

三人は笑いながらお互いを見合った。


それから一週間が過ぎ二週間が過ぎ、更に一ヶ月が過ぎたが、犯人は検挙に至っていない事が呑み屋から帰り道に見かける、轢き逃げ事故現場と書かれた看板に目を遣りながら三人は少々心が重く成る気がして来ていた。

たて看板は雨風に曝され四方の隅がはがれて、まるで迷宮入りするような感じに思われる風情であった。 《轢き逃げされた女性花村貴美さんが、可哀相に何も口にする事無く息を引き取りました。(享年二十八歳)》とその後の新聞に載せられていた。


吉野は岩村さんや野坂さんが、あの車の事を口にすれば何も止める理由が無いから、思うようにすればいいと思っていたが、女性が死んだ事で誰も動揺する者も無く、やはり警察に車の事を話そうかとも思わなかった。

それと言うのもあの時間にあの場所で、大阪の堺の女であった事が何より三人の心を醒めさすものがあった。


可哀相に気の毒にと思いながら、それでいて所詮水商売の女と思う気持ちが、冷めたものを感じていたからであった。

三人は共通して、その女がだらしない生き方をしている事を当たり前の様に想像出来たからである。

結局轢逃げ事件は半年が過ぎても解決に至らなかった。

そして吉野たちも今更その車の事を口になど出来ない事と思っていた。



 平成二十三年も秋になり、吉野は久し振りにパチンコに行く事にした。何ヶ月ぶりであったが決して嫌いな方ではなく、寧ろ最近出来ない事に少しストレスもあった。

部門長に抜擢されてから何かと堅苦しいものが付き纏っているような毎日であったから、いつの間にか妻幸代に言われるまで忘れた様に成っていた。

「最近全く行かないのね。パチンコ?たまには行かないと忘れるわよ。」とその言葉がきっかけに成って足を運ぶ事に成った訳である。


パチンコ屋についたが生憎あいにく満車であるせっかく来たのだから少々意地に成って、駐車場を何回か廻りながら空きを探していた。

しかし吉野はあの轢き逃げ事故以来必ず癖のようにしている事があった。それは卑しくもナンバープレートを確認する事であった。

体が何時もそのようにするように思い込まされていた。


 1234の番号が気に成っていた。この半年で多分何百台と言う車のナンバーを見て来た気がする。取りつかれたように疲れる位同じ事を繰り返して来た。

それがどれだけ意味が在るかとか等判らなかったが、あの深夜二十八歳の女性が痙攣をしながらやがて人工呼吸され、挙句の果てに死んで逝った事が頭から離れなかったからで、しかも未だ犯人が捕まっていなかったことでもあり、あの車があの事故に関係あるかは判らないとしても、大いに関係が在るような気もしていたから、1234の車の事を無意識で捜していたのであった。


 そして今思いもしなかった事が起こった。

1234のナンバーの車が停められていたからである。色も白でトヨタである。

あの時の記憶が定かではないが、間違いなくあの時の車に思えた吉野は心の中が震えて来るような気がした。

「もしもし岩村さん。今ねぇ橿原のパチンコ屋で居てるのですが、あの車と思う車を見つけましたよ。岩村さんが僕なんかよりはっきり覚えていたと思うから、今すぐ見に来て貰えないですか?」

「あの車って?」

「だから八木駅の近くでひき逃げされた時に走り去った車です。鹿路ろくろから出てきた後で」

「そう解かりました。取り敢えず行きます。」       

 田原本町で住んでいる岩村はそれから十五分程して姿を現した。

「あの車」


「あの車ね、半年前だからはっきりしないけど、良く似ていますね。1234もいっしょだしね。白も間違いないしトヨタだったと思うから。多分あの車じゃないかな。」

「そうでしょう。なんか始めて見た時に心臓がドキドキして来て」

「吉野さんは気にしていたのですね。あの時警察になんか言わないでおこうって言った事が今まで尾を引いていたのですね」

「そうかも知れないですね。でも警察なんか嫌いだから。大人気ないけど」

「みんなそうですよ。あいつら偉そばっているから」

「んまぁ警察はともかく、あの車にどんな人が乗っているかを見たいですね。」

「そうですね。実際轢き逃げ犯かも知れないし」

「この車でもう少し遠くへ停めて見張る事にしましょうか?」

「そうしょう。」

「なんか面白く成って来ましたね」


「《迷宮入り轢逃げ事件解決する》と新聞に載るかも知れないですしね。」

「とにかくコーヒーでも飲みながら待ってみましょうよ。」

「ええ部門長、今日はパチンコに来られたのですか?」

「ええ嫁にたまにはパチンコにでも行って来たら、忘れるわよって言われて」

「そうでしたか。以前はよく行っていたのでしょう?」

「ほぼ毎日。だから嫁にあんな風に言われて自分でも可笑しかったですよ」

「そりゃ部門長って可成気を使うでしょう。最終責任が掛かって来ているのだから、きついですねぇ」

「そう結構プレッシャーがありますね。」

「まぁ俺は無理だから吉野さんに頑張って貰わないと。一番古いしやり手であるわけだし」

「でも世の中が厳しいから、どの様に成って行く事やら判らないですね。

だから今の立場で悔いの残らない生き方をしないと思うから、結果的に頑張らないといけないとなり、こんな風に好きなパチンコでさえ忘れる始末です。」

「だから吉野さんは立派なのですよ。俺や野坂さんより若いのに言う事に筋が通っているから」

「ありがとう御座います。」


それから一時間も経っていたが、話しにも材料が無くなり岩村が痺れを切らしたように車から降りて吉野に、

「中へ行って来ます。トイレにも行きたいから」とホールに向かって歩き出した。

 岩村が車に戻って来てから、二人で更に話していたが、それから暫くしてついにその白いトヨタの車の持ち主が車に近づいて来た。

五十過ぎの女であった。


車のドアを開け助手席に乗ってぼやっとしていたが、やがてその女を追うように男がニコニコ笑いながら女に近づいて来て、右手にお札を持ちそれを見せびらかすようにしてその手を振った。

多分女が、「儲けたわね」と言っただろうと思うような笑顔で、二人は意気揚々と車に乗り込んで走らせた。

 まだ昼の三時を回ったほどの時間であったが、パチンコ屋を後にしたので吉野たちも後を付けることにした。

「あの男余程勝ったのかも知らないな。朝一から来て、勝ちっぱなしで出たような感じだね」

「そうですか?俺パチンコしないから解からないけど」

「多分」


「賭け事をしてニコニコしていると言う事は、間違いなくその通りかも知れませんね。」

「高田方面に行くようですね。」

「でも吉野さん俺今思っている事を言うと、あの横に座っている女は全く違いますよ。もっと歳が若かったし、頭の形も違う様に思いますよ。

 だからあの車は我々の勘違いかも知れないですね。顔の色もあんな色じゃなく、もっと白かったから、でも男の顔は似ているかも知れないですね。あの時は何しろ飲んで居て、それに横顔しか見ていないから、はっきり思い出せないですね。」


「岩村さんが思い出せないなら、僕はそれ以上に思い出せないですから、はっきりしているのはナンバープレートだけだから、アッそれからトヨタの車って事だけだから」

「まぁとりあえず乗り掛かった船ですから最後まで付けましょう。」

「そうですね。又何かを思い出すかも知れませんから。すみませんねぇ、せっかくの休みに電話なんかして無理を言いまして」

「いいえ構いません。部門長の言われる事だから頑張りますよ。」

「すみません」


車は大和高田市に入り、大きな門構えの家の前に止まった。

女が先に降りてガレージを開けると、中にもう一台のダイハツの車が停まっていて、その横に素早く男が車を入れ二人で勝手口から中へ消えて行った。

表札に伊貝と書かれていて、

その横に伊貝隆司 典子と書かれていた。


更にその横に大きな立て看板が立っていて伊貝直助後援会連絡所と書かれていた。

「へぇー伊貝直助ってだれ?」

岩村が口にした。                      

「岩村さん野坂さんが高田市から来ているから、あの人に聞きます。」

「そうですね。野坂さんに聞けば良いのですね」

 それで慌てるようにして野坂に電話を入れた。                 

「お休みの所すみません。野坂さん高田市の議員さんで伊貝直助って知っています?」

「そりゃ知っていますよ。県会議員だから誰でも知っている筈です高田市民なら。去年まで県会で議長をしていたから寧ろ有名ですよ」

「そうでいたか」

「で、その人の事を聞いて何か在るのですか?こんな休みの日に吉野さんが私に電話をされると言う事は、何かが起こったと考えるべきでしょう?」

「そうです。今ここに岩村さんも来て貰っています。野坂さんはお忙しいですか?」

「いえ今なら構いません。夜は無理だと思いますが」               

「そうですか。今その伊貝県会議員の関係の方の家の前で居ます。伊貝隆司って表札に書いています」


「それって確か弟さんだと思います。」

「野坂さん此方へ来られませんか?三人集まれば飲み会の様に成りますが、でも野坂さんも暇なら来て下さい。」

「野坂さん、岩村です。面白く成るかも知れませんよ。来て下さい。待っています。」

「面白くなるって、まぁ酒の肴に成るような話なら行かせて頂きます。」

「野坂さん実はね半年前轢き逃げ事件があって、あの時我々が呑み屋から出て来て車に出会ったでしょう。


その車のナンバーが1234だったから、珍しかったから逆に忘れられなくて、又女性も亡くなってしまったから、あの車の事が気に成っていたのです。そして今日たまたまパチンコ屋へ行って、しかし満車で止める所がなくて、何回か駐車場を廻り何処か空かないかと思っていて1234のナンバーの車を見つけた訳です。

そして白であった事やトヨタの車であった事や、全体の雰囲気が良く似ていた事など思うと、これは大変な事に成るかも知れないと思い出し、岩村さんにパチンコ屋さんへ来て貰って二人で付けて来たと言うわけです。

そしてその車は伊貝隆司の表札が掛かった家のガレージに入って行ったって事なのです。」  

「へぇー」


「でもね。ただ気になる事があって、あの時、男を見たのは一瞬だからはっきりしなくても違和感は無いのだけど、女はまるで別人に思えているのです。」        

「まるで歳が違うような気がして」

「でもあの時間に女を乗せてと思うと、それも轢かれた女と同じでいい加減な関係だと思いますね。つまり別の女で男は同じでと思う事もありうると思いますよ。でも県会議員のまして議長までした人の身内なんて厄介な事に成るかも知れないですね。」

「でもこの議員は裏社会の事を嫌っているからその点は大丈夫と思いますよ。

命を狙われるような事は起こらない筈です。弟さんもその様な噂など聞いた事などありませんから」   

「そうですか。野坂さんに電話して良かった。何か一つ解決したような気持ちに成って来ましたね。岩村さん」

「そうですね。」

「もしこの人の車であの堺の女性を跳ねて逃げたとしたなら、新聞を見て多分タイヤは交換している筈で、しかも車はそのまま乗り続けているって訳でしょうね。

まほろば警察署は何も掴めていないのか不思議な気がしますが」

      

「でもあの日はもの凄い風が吹いていたから、証拠となる物が実際見つける事が出来なかったのでしょうね。

とりあえずこれからあの車調べましょうよ。」

「そんな事出来ません。まして県会議員の身内を疑う事に成りかねないしねぇ」

「僕に考えがあります。」 

「部門長に?」

「ええ思い付きですがモーションを掛けてみてはと思いまして。実はこの車の男はパチンコで大勝をして今サイフはホクホクに成っている筈、勿論住まいはこれだけの構え、儲けたのは精々十万ほどのお金だから金額的には大した事は無いかも知れないけど、勝つ事は実に嬉しいわけで、人間欲はつき物で又近い日に行きたく成って来ると思います。


だからその時にあの車にチラシを挟むようにワイパーに伝言を挟む訳です。

そして近くから今日のように見ていて反応を調べるって事をしてみたいと思います。今ポストに入れてもいいのですが万が一何かがあれば怖いから」

「面白いかも知れないね。ここの家のポストに入れれば、それが嫁に判ったら正直な所、ここでは一部始終を見られないかも知れないですね」

「でも気をつけて下さいよ。只の人ではないのですから」 

「でも俺なんかも部門長と同じ。もしこの家の人が轢き逃げを実際していたなら、絶対高田市民じゃないけど許せないな人間として」

「では僕が試してみますから」

それから三人は別れてそれぞれの家に着いた。吉野は既に頭の中で色々な事を考えていた。そして考えている内、思いの他何かが漲って来ている事を感じていた。

それは多分高校を出てから一目散に働いて来て、何とか結婚もして一人前に成った積りが、今日伊貝隆司の立派な家の構えを見て、それだけなら何とも思わないが、もしあの人が轢き逃げでもしていたらと思った時無性に腹が立って来た。

金持ちも最後は逃げるような生き方しか出来ないのかと、憤りと共に情けなくさえ思えて来た。      

《 平成二十三年三月二十日深夜四時近鉄八木駅前通りで見かけました。》

真っ白い紙にワープロでその様に打ち込んで見つめていた。そして指紋など全て拭き取って、又どこででも売っているような封筒に入れ、机の中にしまった。

吉野はその封筒をパチンコ屋で伊貝隆司の車のワイパーに差し込んでおく事を考えていた。或は車の何処か窓ガラスでも少し空いているなら、そこから差し込む事も考えた。


吉野が思っていた通り伊貝隆司が翌週の日曜日にパチンコ屋に来ていたので、容易くその車を見つける事が出来た。《きっちり来ている。人間って単純なものだな》と苦笑いをしながら吉野は薄い手袋をはいて、その大事に持って来た封筒を手に持ったが、早速帰らないと読んでひとまず同じようにパチンコに勤しんだ。

約三時間ほどして外へ出てみると、まだ車は止まっていて、帰りそうに無い状態であった。

しかし既に顔は大方分かるので、フロントに景品交換に行けば直ぐに分かる場所で見張る様にしていた。 


 やがて伊貝らしき男が立ちあがりフロントに行ったので、慌てて吉野は外へ出て封筒を取り出し、それを薄手袋を付けた手でワイパーに挟んで自分の車に乗って伊貝が出て来るのを待った。


五分ほど経った時出て来た。

無道さにワイパーにはさんだ封筒を手に持ち車のドアを開けて、何となく何かのチラシを見るような格好でそれをみた。                 


伊貝はぎょっとして顔つきが変わったような気がした。まるで固まったような人形の様に成って、再び車から降りたが、周りを見渡した後、気持ちが変わったのか慌てて又車に乗り急ぎ早に出て行った。

間違いなく反応があった気がした吉野は、変な自信のようなものさえ感じて来て急いで岩村に電話を入れた。                     


「岩村さん今ね、轢き逃げの犯人かも知れないあの高田の男の車に、手紙をワイパーを持ち上げて挟んでおいたら、それを見て伊貝って男慌てて何処かへ行きましたよ。

間違いなく何かが在ると思いましたよ。でもなんだか面白く成って来て笑えました。」

「そうするとあの人が轢き逃げをした事は間違いないかも知れないですね。やっぱり。」 

「ええ多分そうだと思いますよ。もし何も無いならそんな手紙車の窓から捨てれば良いのですから。それとも近くにゴミ箱が在るからそこへ捨てるでしょう。


きょろきょろ周りを見て警戒する様に出て行きましたから」

「もし事実なら、あの人はこれから苦しまなければ成らないでしょうね」

「ええ天罰です。もし轢き逃げをしていたら。何しろ死んでいるのですから一人が・・・」

「そうでしょうね。でも部門長気をつけて下さいね。貴方が追いかけているのは、殺人犯かも知らないと言うことに成る訳ですから」


「本当にそうですね。気を付けますよ。岩村さんも暇な時助けて下さい」

「ええ勿論」

「野坂さんにも言いますから」

「ええそうして下さい。そんな奴苛めれば良いのですよ。懲らしめてやりましょう。」

「ええ又何かありましたら連絡します。」


吉野は少し躊躇したが、それから大和高田の伊貝隆司の家に向かっていた。遠くの空き地に車を反対向きに止め、バックミラーで様子を伺っていた。その時女が出て来て、それが先日の嫁のような女である事は直ぐに判ったので、じっと見つめているとガレージを空け始めた。

段々と空いて来たガレージにあった車は、軽四輪一台だけで伊貝の車はまだ帰って来ていなかった。

そして妻らしき女はそのまま出て行った。               


 暫く吉野はその場でいたが、周りから変な車と思われてもいけないから帰る事にした。

吉野は思った。

もし伊貝が轢逃げをしていたなら、それが誰かに目撃されていたなら、心中穏やかでは居られないと察し、面白くさえあった。


ところがそれから大きな変化が起こる事になった。 伊貝の車はそれ以来見る事がなくなったのである。それから何回かパチンコにも行ったが一度たりとも出会う事は無かった。

吉野はその伊貝の行為は、逆に致命傷であると思えていた。今まで持っていた疑念より、遥かに確実な疑いに変わって来た思いであった。

それからも何回か伊貝の家近くの空き地に車を走らせて様子を窺がってみたが、その車を見る事はなかった。


毎日出かけているのかとも思ったが、決してそうではなく既に車を処分したようであった。

タイヤも入れ替え、車そのものも処分して、外国か何処かへ部品として出してしまえば何も残らないから、警察が物証など見つけられないとなり、永久に未解決事件になる可能性がある。

吉野はそれから一ヶ月もの間頑張ってみたが、まるで何一つ進展しない事に苛立ちさえ感じていた。   


『こうなったら直接攻撃してやる』と意気込み又手紙を書く事にした。       

《 平成二十三年三月二十日深夜四時ごろ近鉄八木駅前で。

この記憶を全部売りましょうか?貴方が重大な事をした記憶を。貴方以外の方に、誰かに、そうだ県会議員に売ってもいいのですよ。前回の選挙で次点だったあの人に売ってもいいのですよ。》


吉野は又このような手紙を書いて今度は伊貝の家に直接送る事にした。


そして最後に《誰にも言いませんから安心して下さい。期限までは》と付け加えた。

当然住所など書かない訳であるが、手紙を出す段階に成っても、それがどのような目的であるかさえはっきりしていなかった。

そこに在るものを分析すれば、貧乏な家で育って来た歪んだ心と言う位の事であった。

 

だからこのような事をしながら、決して犯罪に手を染めるとか、お金に執着するとか、まるでそのような事は無かった。

だから出来る限り法律には触れない方法を考えて、更に完全に誰にも判らない方法と思っていた。    

インターネットでなんとか大手銀行の通帳を手に入れる事が出来た。勿論偽名で、その入手先など絶対判らないように成っている。

その口座名と番号を伊貝に出す手紙に書き込んで、一切金額には触れなかった。

あくまで情報を買いませんかと問いかけるだけで、もし金額を入れれば犯罪になる可能性があると判断した。

そしてこのやり方がゲーム性があり、すこぶる面白いだろうと考えていた。


もし伊貝が犯人なら、相当のお金を振り込んで来るかも知れない。それとも全く振り込んで来ないかも知れない。その時は全てから手を引けば良い。伊貝は結局何も無かったと成り、それで良い訳で、もし僅かの金でも振り込んで来たなら更に追い詰める様にすればいい。

あの家の構え、そして誰もが認める県会議員の身内であるから、もし轢逃げ事件など起こせば政治生命に関わる事になる。


そのように考えれば必ず面白い結果に成る事は間違いない。

吉野は色々考えている内に段々と面白く成って来ていた。

そして伊貝隆司にその手紙を送る事にした。


≪平成二十三年三月二十日深夜四時ごろ八木駅前道路で。

その記憶を全部売りましょうか?貴方が重大な事をした記憶を。貴方より他の誰かに売ってもいいのですが。

東和中央銀行心斎橋支店 佐藤純一 ちなみに普通預金口座番号は8262349です。≫

このように書いた手紙を。


 年の瀬も押し迫り轢き逃げ事件があってから早九ヶ月に迫っていた。

吉野は岩村にも野坂にも大まかな事は話したが、それが犯罪になるかも知れないと思って来たので無理に話さなかった。そして聞かれる事だけを口にした。

それでも岩村も興味津津で野坂もまた、それからの事を何度も詰問をするように口にした。


「部門長水臭いですよ。」とまで吉野は二人に言われていた。

それで今までの経過を二人に伝え、納得して貰いながら今後の事を考えていた。

「問題はあの手紙をどのように扱うかで何もかもが始まるって所です。」

「だからもし伊貝がもみ消しに来ればお金が動きますね。可成のお金が動くと思いますね」

「部門長、その口座は間違いないのですか?高い金で買わされて中身を盗られるような事無いのですか?」


「それは大丈夫と思っています。」

「でも怖いですよ。そんなルートで手にいれた口座なんて」

「でもそれって仮に振り込んで来たとしても、先ず出す事なんか無いと思う」

「じゃあ何故そんな事するのですか?」

「だから僕は二人に迷惑を掛けたくないから、最近余り口にしていないのです。儲けるとか騙すとかその様な事は思っていないから。

僕の親って商売に失敗して騙されてそんな事があったから、今あのような男を思うだけでも許せないと思ったから。」


「でももし振り込んで来たらみんなで分けましょうよ。」

「それは駄目。絶対駄目、駄目だから。捕まるかも知れないから」

「分かりました。部門長の言われる様にします。」

「あくまでゲームでしたいから。それでお金を出すとか言うのは一番最後でいいと思います。前日に時効に成ってその後でとか。面白いでしょう。」

「へえーなるほど。そうすれば誰も攻められないって訳ですね。」

「そう思うのだけどおかしいですか?」

「でも自首でもすればどうなるの?」


「だから笑い話で済むような事にしておかないと。それに警察が躍起に成って捜しても絶対判らない様な範囲で止めておかないと」

「それって必ずしもお金が目的ではないと、我々も思っていないといけないって事だと言う事ですね。」

「ええその通りです。だから決してそのお金に手を付けない事を守って、我々が五十歳位に成ったらそれを出す事と考えていれば只のゲームで済むでしょう」

「何か分からないけど、犯人を懲らしめる事だけを考えたら面白いゲームですね。」

野坂が笑いながらそう言った言葉で締めくくった。



 三人はゲームが始まったと思う事で何かしら楽しく成って来ていた。

そこに危険な轢き逃げした犯人が居ると思いながら、そのくせ絶対自分たちがまさぐっている事などばれる事は無いだろうと確信していたから、只単純に面白おかしく捕らえていた。

それから伊貝の白のトヨタを二度と見る事は無くなったが、さぞ辛い思いをしているだろうと思っていた。


吉野にしてみれば、この話はこれで終わっても構わないと思いながら日を重ねていた。

少なくとも伊貝の立場を考えた時、慌てて車を手放さなければ成らなく成って、しかもこれからの人生でこの事を気にして生きなければ成らないのだから、その状態を想像すると耐え難い日々に成るだろうと予測されたから可哀相にさえ思えた。


吉野は暫くじっと身を引いて黙り込んでいようと思いそれからは何もしなかった。

金曜日に何時ものように安酒を三人で飲み、楽しいひと時を繰り返していたが、吉野自らは話そうとしなかった。

何も話せなかったのである。

銀行へ行って記帳などして残高照会をすれば、絶対足がつく事が考えられたので、一切記帳はしなかったが、しかし一番知りたい事であった。


伊貝から振り込んで来ていなかったら只の脅しであり、仮に伊貝に何ら問題が無かったら随分間が抜けた話と成る。

しかもそれで逮捕でもされればとんでもない事になる。

だから煩いほど思ったのは、そのような事には絶対成らないと言う事と、轢き逃げをして人を結果的に殺して、今悠然と生きている者が居る事が許せなかった。                  


 しかし吉野はとうとう辛抱しきれなく成って、轢き逃げ事故からあと一ヶ月で一年と言う時に三者会談をする事にした。

吉野が、

「岩村さんも野坂さんも考えてくれますか?伊貝が振り込んで来ているか調べたいのですが、どの様にすれば良いかと思って。何故ならその事をはっきりさせないと次のステージへ行けないのです。

一切振込みが無かったなら馬鹿を見るだけだし、しかも警察にどの様な事と言われて攻められるかも知らないし、二人はどのように考えます。知恵を貸して下さい。」


「電話で残高を聞くってどうですか?」

「ばれないですかねえ。声まで判るから」

「そんな事録音しているのですか?」

「判らない。でもそれって誰も知らない事かも知らないし、例えば銀行の行員さえ判らない事もあるかも知れないしね」

「大丈夫でしょう。月末とか忙しそうな時に聞けば」

「でもそれも逆かも知れないし。だってそんな時に間違いが起こる可能性が高いから、録音しているかも知れないでしょう。」


「そうですかねぇ」

「だから僕は一人で考えていたのですが、正直どの様にすれば良いのか分からないです。」

「絶対誰にも分からないようにしなきゃ意味が無いからね。それが大変なのですね。」

「カードで残高を見ると必ず記憶が残ると思うから、第一差し込んで暗証番号を入れたら全て登録されるから、残高照会をして、それから何処もさわらなかっても記憶に残ると成ると難しいですね」

「部門長俺聞いてみます。銀行へ行っている奴が同級に居りますから。完璧な方法を教えて貰って来ます」

「そうして頂けますか。」

「多分何とか成ると思いますよ。それからにしましょう。」

「やっぱ三人ですね。みんなに助けて貰って何とか成りそう。」

「でも部門長どうしてタイヤ痕がはっきりしている車を、警察は挙げられないのか不思議と思いません?」


「こんな狭い田舎町で可笑しいですね?」

「今村さんもそのように思いますか。私は以前からずっと思っていましたよ。今日は捕まる、今日は捕まるって。でもその気配が無いし、それにしてもあの事故現場の看板も、最近可成薄く成って、まるで真剣味が無いかと思うような感じで」

「何か在るのでしょうか?」

「私はこの中で一番年寄りだから経験上思うのですが、今高田では誰をさておき伊貝先生が一番で知らぬ者が居ない位の人物。


何しろ県会議員で議長まで勤めた人だからたいしたものです。

それでもしその人の身内に不祥事があったなら、先ず新聞は絶対止めるでしょうね。

新聞などは選挙に成れば、命取りになる事は誰もが知っているから。同じように風評は気をつけないと幾ら伊貝さんと言えども大きく影響しますから。もし今回の事件が既に犯人が判っていて、突き詰めれば元県会議長の身内、詰まり伊貝先生の弟だったらどのように成ると思うと想像が付きませんね。まぁこれはありがちな事だと思いますが」

「じゃあ僕が送った手紙も既に警察に届いていて、既に絞込みに入っているかも知れませんね。」

「用心に用心を重ねれば、その様な事も考えられますね」

「恐喝になるかも知れませんね。」


「だから万が一の時も絶対お金には手を付けない事だと僕は思っています。

当然その名義は我々には関係ない人の名前だから。勿論何処かで繋がっているかと言えば決して繋がっていないから、その点は大丈夫と思っているのですが、まさか警察で歯止めをかけていることなどないでしょうね。警察といえども県職ですからね。」

「部門長、それに野坂さん、大船に乗った積りで頑張りましょう。とりあえず俺残高確認出来るか調べて貰うから、取越し苦労なんて性に合わないから」


「ええお願いします。どうもこの話が出て来てから我々の飲み会は湿っぽく成った様に思いません?」

「ご免です。僕が余計な事を詮索するから」

「でもそれも大事ですよ。あの女性が胸に手を当てられて、骨が折れるほど押さえられて人工呼吸ですからね。可哀相に、あの時の事を思い出すと何故か震えて来ます私は」

「野坂さんも優しいから」

「いいえ、みんな同じだと思いますよ。あの現場を見れば」


「解かりました。お二人には色々助けて頂いて、頑張りましょう。そして解決すれば部門長手当てを全部まわしますから、この飲み代に」

「そしたら又御前様をしましょうね。」

「そして又交差点でひき逃げ事件を目撃?」

「まさか、止めて下さいよ。野坂さん。」

その冗談に3人は久し振りに大笑いをした。




とうとう丸一年になり、轢き逃げ犯は今だ見つかる事無く、立て看板も毎週金曜日は電車通勤だから三人で見る事に成るが、赤で書かれた文字も相当薄く成っていて、捜査は行き詰って来ている様に思えていた。

野坂が言う様に、既に犯人が特定出来ていて、それでも決して突き進めない裏事情があると考えても、決して可笑しくないと吉野には思えた。

その内岩村が聞いてあげると言っていた、証拠の残らない残高照会の方法を知る事と成った。

彼は何の事は無いと口にした。


田舎の人気のない公衆電話で無造作に行員に口座番号を言って残高を聞けば問題無いと言う。

吉野はその事で疑う事も、信じる事も出来る知恵など全く無かった。

「佐藤純一と申します。口座番号普通8262349 残高を教えて下さい」

これで簡単に判る。

 

しかしもしこの番号が警察の支配下にあったなら、吉野にも手が廻るかも知れないが、吉野まで来る迄に、何度かの手を潜っているから、その解明には無理があるだろうと思っていた。

万が一公衆電話から掛けた時パトロールモニターに映っていれば、そこから足がつくから全く人気のない公衆電話まで行く道順も前もって調べる必要があった。


コンビニのモニターや或は電柱に付けられたモニターなど、全てをチェックして行動に移すべきであると思っていた。

岩村の言う事を信じて吉野は銀行へ電話を掛ける事を決めた。

又その事は他の二人にも話しておいた。何かが起こればいけないから慎重に事を運んで行った。


「もしもし、佐藤純一と申します。口座番号普通8262349です。 残高を知りたいですが」

「お客様に振込みが御座いました。四月十日ウラベマコト様から五百万円の振込みが御座いました。」

「ありがとう御座います。」

吉野は震え始めた事を感じながら電話を切った。

「ウラベマコト」って思いながらもその人物が何者であるか直ぐに分かった。

伊貝隆司若しくは伊貝直助県会議員の関係者である事は直ぐに判った。

勿論受け取る側も振り込んだ側も全く偽名で、一見狂っているようで何一つ狂いなど無いプロのする事に思えた。

吉野は三重県との県境の公衆電話を利用したので、お金が振り込まれていた事を岩村と野坂に伝えた。


そして三人とも自分たちがしている事が具体化して来て、それがどのような意味をしているかと、急に緊迫感が心の中を埋め尽くすように感じて来た。

「そのウラベマコトって何者です?」

「さあ判りません。どの様な字を書くのかさえ」

「そうでしょうね。電話だからしょうがないですね。でもなんか不気味ですね。」


「でもそんなものじゃないの。只こうやって具体的に振り込んで来た以上、この人物はおそらく伊貝の窓口に成っている人だと思いますね。

詰まりその名前に威圧感が在るような。その名前を知る事で、この人が絡んで来ているのなら、これ以上は無理と思わせるシグナルを出している事は違いないでしょうね。

どうせ我々の事は素人と踏んでいて、それでも応じなければつまらない事に成ると考えたから、このように振り込んで来たと言う事なのでしょうね。」


「岩村さんの言われる通りだと思いますよ。ここで調子に乗って関わって、金銭を更に要求していると大火傷をする事に成ると思いますよ」

「では部門長これでこの件はひとまずお開きで、振り込んで来た資金は凍結って事で」

「それが良いと思います。急に危険に感じて来たから程々が一番でしょう。」

「そうですね。身の程知らずなんて言われる様なつまらない事に成っても困りますからね。」

「このウラベマコトは本名かも知れませんね。何故ならその名前は裏社会では可也有名な人物かもしれないって事です。だから二度と構うなって警告かも知れませんよ。」

「怖くなってきましたね。」


 それからの吉野は、心の中で何かくすぶるものを感じながらも一応は片が付いた思いもあったから、重たいものを感じていた今までとは打って変わって心の休まる毎日に変わり始めていた。

正にゲームで言う最初のステージを乗り越えた思いであった。

一応事が収まった様に思っていたある日、高田市議会議員の選挙に成り、野坂由紀夫が吉野と岩村に眼を丸くして言った言葉で、またしても三人は目が覚める様に成った。


「伊貝隆司が今度の選挙に出るみたいですね。高田市議会議員の」

「伊貝隆司が?」

「そうですよ。あの伊貝ですよ。」

「まるでふざけているって感じですね。部門長?」

「そうですね。絶対ありえない筈と思うけど。だって轢き逃げ犯ですよあの男は?違うのでしょうか?」


「いえ、部門長の言われる通りだと私は思います。

お金を振り込んで来たのですから、もしあのウラベマコトなる人物は相当な大物か何かでしょうね。だからあの名前を我々は正確に知る必要が在るのかも知れませんね。」

「野坂さんはウラベなる人の事は全く聞かれた事ありません?何か思い当たる事とか」

「いえ特に思いつく事は無いですね。でも私も既に高田に住んで二十年を越えましたから、何かがあれば直ぐにお知らせします」

「部門長、もう一度懲らしめないと気が済まなく成りません?」

それは岩村が発した言葉であったが、おそらく三人全員が発したい言葉であった。           

毎週金曜日にあの轢き逃げ現場の横の道を通り続けている三人には決して記憶が曖昧に成っている事など無い訳で、寧ろあの日に道で倒れていた僅か二十八年で生涯を閉じた女に対する、哀悼の様な思いさえ感じているのであった。


 二十八と言えば吉野や岩村にとっては妹のような存在で、野坂にしてみれば娘の歳である。

そして姿を見た訳でもないが、聞く所によると磯谷忍と言う轢き逃げされた女の実の姉が、時折その八木の現場に花を供えに来ているようである。

それは毎月では無かったようであるが、時折真新しい花が添えられていて、その横を歩きながら三人は毎週駅に向かうのだから、その度に心が縮められる思いであった。



吉野が、

「許せませんね。例えウラベが裏社会の人物で更に大物だとしても許せません。あの花を供えに来ている人の事を考えただけでも許せないです。そのお姉さんて方の為にも、もう一度手を上げてやりたいですね。」

岩村も、

「全くふざけんなよって感じですね。こんな男が高田市の議員に成って何が出来る?

轢き逃げの手ほどきを公約にするのかと思うね。部門長あの二人の為にとことん苛めましょうよ。何だか怖いけど遣らなきゃ」

野坂も、

「私は高田市民としてお二人に天誅を下して頂きたいですね。勿論私も一緒に頑張ります。」

吉野が、

「ではもう一度遣りましょう。それで何を遣るかって事ですが、先ずそれから考えましょう。お二人に面白いとか素晴らしいとかその様な考えがありませんか?忌憚無く何なりと言って下さい。言っている間につまらないと思っても。」

「お仕置きですね。仕事人って感じですね。私は今頭に浮かんで来たのはあの人です」

「あの人って?」


「ええ、まだ見た事も無いあの人です。轢き逃げされた女性の実の姉と言われている人です。我々三人はまだ出会った事はありませんが、確実に何回もあの現場に来られて花を供えられているのです。

それが何か我々に心の怒りを委ねて来ているように思えて来て、それであの人って気に成ったのです。何度も花を見ていると自然に思えて来ていました。」

「それで一体何を伊貝に?」

「ええそれはこれから考えれば良いと思いますが、でもあの方の心に埋め尽くした思いを考えて事を起こしたく思いますね。」


「部門長それに野坂さん。こんな案はどうでしょう。

伊貝と言う男が選挙に出れば、おそらく兄貴の力で通ると思われます。通るでしょう。でもその結果が出た日に懲らしめれば面白いですね。」

「でもそれは難しい事で我々はウラベマコトを忘れてはいけないから慎重で無いと」

「では一層あのお姉さんを利用するって事は出来ませんか?

選挙事務所に行かせるとか」

「そんな事をしたらいよいよ危険に晒されますよお姉さんが。違います部門長?」

「そうですね。又じっくり考えてみんなで決めましょう。選挙までまだ日が在るのでしょう?」

「ええ、一ヶ月ほど」

「なら奇抜な意見を聞かせて下さい。」


 三人は別れたが、みんな思い思いにその憤懣たるや可成大きなものを持っていた。

高校卒の吉野、大卒の野坂、中学を出て高校へ行きながら途中で退学した岩村、こんな三人では飛びっきりの案など出る事が無い事は判っていたが、それでも三者三様に忌憚無い意見を交わす事を誓っていた。



吉野は後日の金曜日に恒例の飲み会をして、その時まだ四歳に満たない子供に買っていたおもちゃを飲み屋さんに忘れた事に気が付いて、翌日呑み屋さんへその忘れたおもちゃを取りに行った時、思わぬ光景を見る事と成った。

一人のうら若い女性とその子らと思われる二人の少女が、手を取られて花束を添えている光景であった。


本来その交差点は車だと左に曲がれば会社も呑み屋もあるので在るが、目の前の対向車線でその三人の姿が目に入って来た訳である。

思わず吉野はそのまま真っ直ぐ車を走らせ、少し走り過ぎた所でUターンをして、道の隅に車を止めた。



祭日であったので車もまばらで気軽に止める事が出来た。

三人の所へ近づき声を掛ける事にした。

「ちょっとお聞きします。この方のご身内の方でしょうか?」

「はい。私はこの子の姉です。で、どちら様でしょう?」

「はい。この方が跳ねられていたその後に、ここを歩いて通りかかりまして、それで人が倒れている様な気がして、近づいてみるとこの方だったのです。

それで救急車を呼んでその時は大変でした。

深夜でしたから何時撥ねられたか判りませんが」


「そうでしたか。その節はお世話になりまして有り難う御座いました。でもこの子も生きている時は

家族に迷惑を掛けっぱなしでしたが、このようにして亡くなってしまうと・・・可哀相な子で、たった一人の妹でしたから、姉として何か力に成ってあげれなかったかと今では遅いですが悔やまれます。」

「それで警察は今でも何も手がかりが無いと言っておられるのですか?」

「ええ何度かお邪魔致しましたが、あまり良い話は聞かせて貰っていません。」

「タイヤ痕があるって言っていたから、僕なんかは早く見つかる様に思っていましたが、もう一年あまり過ぎましたからね。三月二十日でしたから」

「よく覚えて頂いていますね。」

「ええ、忘れません。何時も近くで飲み会をしていますので、その帰りここを通りますので、そしていつも妹さんの話をしますから」

「そうですか。あんな遅くまで飲み会を」

「いえ、あの日は連休前でしたから、彼岸で休みでしたから羽目を外して朝方まで。

でもあんな時間に・・・妹さんお住まいは堺でしたね。」

「だから恥ずかしい様な生き方をあの子はしていたようです。当時店のお客で山村さんて方と一緒だった事が判っていたから、警察もその方を取調べしたようですが、どうもその方と、妹が南阪奈道路で奈良へ行き、行き止まりまで行ってそこの橿原公園にあるホテルで泊まり、夜明け前に成って口げんかに成って、妹はホテルを勝手に飛び出したらしいです。


初めはその山村さんて方を警察は攻める様に追求したようですが、妹がホテルを飛び出して夜中の道を歩いていた姿を新聞配達の人が見ていて、冷やかして言葉をかけたと言う証言が出て、山村さんも妹が勝手に飛び出したので泡を食って車に乗って探していたようですが、結局判らないままで腹が立っていたから、そのまま大阪へ帰ったようです。

その時は妹が既にタクシーを拾い勝手に帰ったと思ったと言っていたようです。


だから妹を新聞配達の人が見て声を掛けた時

「ばか!」と言ったようです。それが彼女の最後だったようです。

可哀相に一緒に居た山村って人も疑われたようですが、南阪奈道路は高速です。だから物理的に時間が合わず疑う事が無かったようです。


 路上で倒れていた妹のその後は、警察にも病院の方にもお聞きしましたが、一切話せなく成っていたと。」

「ええ僕らが始めて発見した時も、既に痙攣をしていて気を失っていましたから、そして救急の方が来ましたが、胸に手をあて骨が折れるような勢いで人工呼吸していましたから、無理じゃないかと思われました。」

「生きていたらそれでもまだ二十九歳だから刹那な人生であったとしみじみ思います。」

「また僕らも時たま花を供えさせて頂きます。」

「はい。ありがとう御座います。妹も喜ぶと思います。」

「では失礼します。おじゃま致しました。」



吉野は何故か心が洗われたような気に成った。

女が轢き殺されて死んだが、その女は阿婆擦れのような身なりに思え、自業自得と叱咤し、誰もがそのように判断して品の無い事件であったと解釈していた。

 しかしその女にも暖かい姉が居て、妹の死を悔やみ尊ぶ心の姉が居て、悲しすぎる女の人生を感じる事と成った。


「敵を討ってあげるから待っていて」と口ずさんでいた。



それから瞬く間にまた金曜日に成り、お昼の休み時間に自然と三人で話し合う事と成った。

何時もその様にしている。その様にして夜に行われる飲み会に勢いをつけている。


「岩村さんも野坂さんも聞いて下さい。先週の土曜日、呑み屋に子供に買っていたおもちゃを置き忘れて、嫁さんに怒られ子供に泣かれ散々な目にあって、女将もそれが僕の物である事が判らなかったから言い忘れたらしくて、それで取りに行って、その時あの現場で花束を供えている人が居て、その人は話を聴けば亡くなっていた人の実のお姉さんで、それで少し話し込んで、聞けばたった二人姉妹だったから可哀相な事をしたって悔やんでいました。

 

あの亡くなっていた妹さんは、あの日か前日に堺の店から出て、南阪奈道路で奈良へ来て終点の橿原市で降り、それから近くで泊まって、しかしその夜か朝方にか口げんかになり、妹さんが男と別れてホテルから飛び出したようです。

連れの男の人は探していたようですが見つからず、タクシーでも拾ってとっくの先に帰ってしまったものと思い込み、大阪へ一人で帰ったようです。それを証明したのは新聞配達をしている人で、妹さんが夜更けに一人歩いていたので、新聞配達の人が鹹った様です。そしたら妹さんに、「ばか!」と言われた様です。


当然警察は連れの男を重要参考人扱いにして捜査し始めたようですが、南阪奈道路は有料であり録画されていて、時間的に無理である為容疑から外されたようです。」

 お姉さんの名前は磯谷忍さんと言い二人の女の子を連れていました。

まだ幼い子で、その妹さんだから彼女が幾らいい加減な生き方をしていたかも知れないけど、身内としたら辛いと思いますよ。

たった二人の兄弟、いや姉妹だから。それが証拠にあのようにして看板は朽ち果てる様に成っているけど、花は何時も凛々しく構えていますからね。だから僕もお花供えさせて戴きますって言って別れました。

岩村さんも野坂さんも力に成って上げて下さい。


 そして我々ではどうにも成らなく成ったら、警察に言いましょう。僕はそもそも警察が嫌いだから、人を虫けらの様に思う所があるから、第一ネズミ捕りなんて誰が考えたのかと思うとそれは警察ですよ。

見下げて掛かっているから、そのような下品な言葉が出て来るのでしょう。

生殺与奪の権利を持った連中であると何処かの偉い人が言っていましたよ。

【生かすも殺すも警察次第だよ】って言う意味らしいですね。だから僕はこれからどのような事があっても、悪どもを懲らしめてやりますよ。天誅ですよ。


ところでお二人はどのようなプランを持って来てくれましたか?」

「俺はこの選挙を利用して何かアクションを起こすべきだと思うけど、あのウラベマコトの事をつかまないと何をするにしても怖いからねぇ。

ウラベマコトなんて考えたら裏の部分でまことって感じに見えて来たりするからね。

これって本名だか知れたものじゃないからね。

この人の事で何か資料を探さないと。選挙が始まれば事務所に行って聞けば判るかも知れないけど、それも危険な事だから、だから俺は何もかもこの人が絡んでいると思うな」


「岩村さんは結論として、具体的にあまり無いって事ですね」

「申し訳ありません。悪い頭でも一生懸命搾り出しましたが、この通りで面目ない。」

「野坂さんは?」

「私は来年在る県議会議員の選挙も考えて、動くほど良いかも知れないと思います。

ここであまり騒ぎ立てて怒らすより、この一族をぎゃふんと言わせる事が寧ろ大事で、それが為にも県会議員の伊貝直助にアタックするのも面白いかと」


「野坂さんそれはあまりにも話が大きく成って、我々では太刀打ち出来ないのでは?」

「でもそれ位の気持ちで遣るのですよ。ぶち当たらないと、正義の旗印を掲げて。

それに部門長にいつか言いたかったのですが、今五百万円があるでしょう。そのお金を何処かへ寄付するのですよ。公共団体とか何とかの羽根とか、保育施設や老人ホームにとか。先ずその事を実行していれば、万が一捕まっても気持ち良いでしょう。

これぞ正義、これぞ男これぞ粛正って気に成りますよ。第一新聞なんかは美談として記事を書きますよ。

 何処かのテレビ局の解説者が眉間に皺を寄せて悪く言うかも知れませんが、そして批判し中傷するかも知れませんが、そんなのは当たり前で堂々と戦いましょうよ」

「野坂さん、随分力強く成って頼もしいです。なんか飛ばし過ぎって感じです。」

「すみません。俺一番遅れているようで」

「岩村さん。岩村さんが言われている懸念されているウラベマコトですが、まさか兄の県会議員の関係とかじゃないでしょうか?それが判ると、もしそのような関係が繋がれば敵は一族全般に成ってくるでしょうね。


 例えば来年の県会の選挙でこの兄弟が何をしているかなど新聞に一面に書いて貰えば、おそらくみんな失脚となるかも知れないですね。

僕らもその時点で会社から飛ばされるかも知れないですが。

 でもその様に成れば三人手を合わせて何かを始めれば良いと思いますよ。」

「それがいい。部門長の意見に俺は賛成。呑み屋でも始めますか?」

「岩村さん。そんな事言って毎日三人で反省会とか何とか言って飲む気でしょう。」

「一理あるね。ばれたか~」

「でもそれ位の覚悟でぶち当たりましょう。」


「ええ私もその気で居りますから。家に帰って県政の便りとか政治関係の冊子が幾らもありますから、その中にウラベマコトが出て来るかも知れないから一度調べてみます。もし判れば岩村さんも動きやすいと思うから」

「すみません。野坂さんやっぱり歳には勝てないですね。貴方は奥が深い。引き出しが多い。」

「ありがとう御座います。岩村さんに褒めて頂いたのは今が初めてだから非常に嬉しいです。」

「あれ岩村さん仕事では野坂さんを褒めること無いのですか?」

「褒めるって?この人覚えが早いから、何時も抜かれはしないかとビクビクしているのですよ。だから褒めたりはしません。抜かれますから。

褒めるのは部門長にお任せしておきます。俺はそう言うことはいたしません。」



岩村は実に滑稽だと年上ながら吉野は彼の性格を随分気に入っていた。

第一飲む事が彼のお陰で随分楽しい事に気が付いてから、既に彼と飲みに行きだしてから五年の月日が過ぎていた。


そしてこれからも永久に続く様な気が二人ともしていた。

昼の休み時間の終わりがサイレンと共に気が付く始末で、この何ヶ月の間はまるで今までの時間と違って来た様な時が流れていた。

呑み屋へ行った時はその話はしない事を決めていたので戯言で終始して、まるで何時も口にしている轢き逃げ事件を考えているストレスを取っているような時間であった。

 それが三人にとって更に楽しい時間であることも十分解かっていて、お互い大切に過ごしていた。

万が一飲んでいる時に誰かに聞かれるとか、又口にしてはいけないので、吉野がしっかり脇を固めていた。


吉野はそのような点が一番若かったがしっかりしていた。しかし岩村はその点少々軟弱であった。

野坂は歳の性もあったが脳在る鷹は爪隠すと言う例えのような男であったから、吉野にしてみれば岩村より信頼が出来たが、まだ新人であったから少々距離を置いて今までは付き合って来た。


しかし嬉しい事に今日その野坂が、実に積極的に考えを述べてくれた事に、感謝の気持ちで嬉しくて堪らなかった。



ところで三人が何時も飲みに行っている酒屋は、《呑み処鹿路ろくろ》である。


橿原市の八木駅から三百メートルほどの場所である。だから金曜日は三人で電車で来て会社まで歩いて、それから又呑み屋まで歩く事になる。

普段は車で会社に通っているが、金曜日だけはみんな電車と決めている。

吉野と岩村がそれにあと一人下谷と言う男で飲み会を始めたが、下谷が滋賀工場に転勤になり、その後に飲むのが楽しいから混ぜて下さいと謙虚に新人の野坂が加わった訳である。


奈良方面に帰る岩村も大和高田に帰る野坂も、実は便利が悪いのであるが、そんな個人的な事はみんな気にしない者ばかりで成り立っていたので、誰一人文句など無い間であった。


とうとう桜が散り始め、花村貴美が轢逃げされてから一年一ヶ月が過ぎた。高田市の川辺では夜桜が人を集めていた。

これが終われば市議会議員選挙の候補者の告示である。

伊貝隆司は間違いなく出て来る様な気配である。かもすればトップ当選になる公算が高い。

少なくとも轢き逃げの事実を理解していない者にはまるで関係ない話で、まるで神様の様な存在の伊貝直助の弟だから、滑る事など考えなくても良い訳だ。


 出れば必ず通るそのような候補者は、何処の選挙でもありうる。それは力量があり政策もしっかりしている人も居れば、何も無いのに元気がいい人もいる。

そして本人は何ら力が無いのに組織で担ぎ上げられる候補者も限りない。

それが選挙でそれがあたり前で、しかしその当選が間違いない候補者が轢き逃げをしていて逃げ続けていたなら、その様な者など果たして選挙に出て良いものかと吉野には思えた。


 人の世はそんなに甘くない。どれだけ慇懃いんぎんに見せかけても偽善に長けた者に過ぎない。

多くの有権者を何時の間にか籠絡ろうらくに操り生き続ける者も一杯居る。なんて事だ!

 

この伊貝隆司もまた当選した暁には、同じような道を進むのであろうと吉野には見えた。

轢き逃げ犯が逃げながら何が出来るだろうかと、告示を翌日に控えたその時吉野は憤りのような物さえ感じて来ていた。


襷を掛けて頭を深々と下げて虎視眈々と権力の中枢に付け込もうとするその野心に、絶対許せない気持ちが湧いて来るのを感じていた。

翌日高田市議会議員選挙がスタートした。

予想通り伊貝隆司が立候補した。

葉桜に成った町に拡声器の声が弾んだ。


《皆様、私はこのたび高田市議会議員選挙に立候補致しました伊貝隆司で御座います。我が高田市は兄伊貝直忠が五期十七年に渡り、渾身の思いで皆様の手となり足となり県会議員を尽くさせて貰っています。その私は弟で御座います。

常日頃兄が多大なるご支援を受け賜り、大変お世話になりこの場をお借り致しまして深く感謝申し上げます。

 

私は兄の補佐役として常に影に成って尽くして参りましたが、この度兄の助けもあり、一歩前に踏み出す事を決意致しました。

既に多くの事は勉強させて貰っています。高田市の方が何を希望され、何を問題にされて居るのかもよく解かっている積りです。

どうか私をお選び頂けますなら、皆様方の要望を一つ一つ丁寧に解決させて頂く決意で御座います。

どうか来たる投票日には、伊貝、伊貝、伊貝隆司とお書き下さいます様衷心よりお願い申し上げます。》


予定通り選挙が始まった。

大和高田の野坂由紀夫が会社に来て、何時もの様にお昼休みに待っていましたと言うようにその話が出た。

「毎日煩いですね。この日曜日は選挙事務所へ行って来ます。ウラベマコトに出会えるかも知れないしね」

「大丈夫ですか?そんな事をしても、顔を覚えられると不味くないですか?」

「でも何も名乗ったりしないから。多分居るとしたら何処か奥の方でどっしり構えているでしょう。

黒幕なんてそんなものでしょう。私は今まで何回も経験していますから大丈夫ですよ。心得ている積りです。


県会議員の冊子とか政治関係の冊子とか、何度も見ましたがウラベマコトは出て来ませんでしたから問題です。」

「野坂さんあまり褪せらないで下さい。もし何もつかめないのなら、再び手紙を出して様子を見る事も考えますから、又動くでしょう。寧ろ彼が選挙に通れば良いのです。

おめでとう、おめでとうと拍手の嵐の中へ、佐藤純一の名前で何かを送れば良いのです。そう、おめでとう御座いますと、それとも花村貴美の名前で出しましょうか?」


「花村貴美?」

「ええ轢き逃げされた張本人ですよ。それと佐藤純一は架空の口座名義人」

「死者から・・・おお、こわっ」

「それはあまりにも惨いから駄目ですね。」

「部門長も中々怖い人だ」

「でも腹が立ちませんか。拡声器で大きな声を出し二十人ほど連れて、道の真ん中を歩いて、まるで人気役者のような井出達で」

「分かります部門長が言いたい事。ましてあの亡くなった人のお姉さんと会って来たと言っていたから尚更と思います。」


「潰しましょうよ。何もかも許してはいけないと思います。今警察にあの時の事を言っても、下手すりゃ一笑に付される話に成りかねないですよ。」

「ええ、よく解かります。だから物証です。私がウラベマコトに拘っているのは、岩村さんが言っているだけじゃなくて、万が一ウラベマコトが伊貝隆司の兄のブレーンの者であったら、これは大きな事件になると読んでいるからです。

轢き逃げ事件が伊貝隆司の犯行であって、それを隠蔽した兄が居て、隠蔽にあたって県議である事を利用して、或いは圧力を掛けて、揉み消そうとしていると成ると、相当大きな陰謀と言うか隠匿いんとく行為ですよ。」


「さすが野坂さんはお歳が召されているから鋭いですね。今日は岩村さんが居ないけど、彼より可也鋭いですね。」

「だから私はこの事を解決する必要があると読んでいます。何とかして探し出してみますから。」

「そこが大きな壁でしょうね」

「只私はこのウラベマコトが果して存在するのか不安なのです。詰まり架空の人物ではないかと」

「ほう、と言う事は受け取る方の佐藤純一も架空で振り込んだ方も架空なら、大変難しいですね。只五百万のお金を銀行の窓口に持って行った人が居る以上解決するでしょうが・・・」

「さぁ分かりません。こうなれば仕方ないです。再度以前の様に手紙を出すのです。

そして佐藤純一名義で。」


「ええその様に考えては居ます。だからウラベマコトが誰であるかなど関係ないと思って進めるなら。要するにお金が目的なら恐喝と言う形で進めるならそれでいいのでしょうが・・・」

「部門長まぁじっくり行きましょう。前にも言ったように慌てずに時効まで後六年在るのですから。いや轢き逃げはもっと罪が重いのかも知れません。」

「そうですね。」

「部門長、我々がこの様にして究明しても、いざとなればあの一族は、全く覚えが無いと言い張って、恐喝されていて仕方無しに振り込んだとなったらどのように対処します?」

「さぁ?」


「私たちは相手が振り込んで来たからその犯人であると思いましたが、実際そのような成り行きだったから当然そのように思いますが、でも相手が怖くてとか何かが起こっては大変だと思ったからとか、まるで弱者の立場の人の判断であったと言い切れば、我々が不利にならないですか?」

「でもこの話って元々僕が作った手紙を見て、意味が解からないなら破り捨てる筈が、決してそうではなく、相手が乗って来たから始まった話で、何も無いのなら成立しないと僕は思います。」

「確かに、でも話って風化すると得てして何が事実で何が間違っていてとか分からなく成って来ますよね。


正義の積りでやっていても、それが脅迫だとなればそうとも取れるわけで、伊貝隆司があの時実際女性を跳ねた事実を、第三者が見ていたかと成ると又全然違って来るでしょう。

私はあの三月二十日飲んだ後車で通り過ぎた伊貝隆司の横で座っていた女が気に成りまして、調べたく成って来ているのです。

彼女が選挙事務所に顔を出すとは思いませんが、でももし伊貝隆司が事故をしていたなら、間違いなくその全貌を知っている筈だから。

間違いなく目撃者ですから。」

「でもそれって大変でしょう?」

「いやぁ、何とかなるかも知れませんよ。私は時たま高田でも飲みに行きますから」

「そうですか。でも気をつけて下さいね」


それから選挙は大洲目になりいよいよ翌日の日曜日に投票と成った。

野坂も何かを探っているのか、しかし成果は出ていないのか、歯切れが悪く岩村もまた何ら進展の無い状態であった。

「お二人さんぼちぼちと行きましょうや」と吉野が口にしたのがやっとで、とりあえず選挙待ちと成った。


《今なら伊貝の事を口にしても誰も疑わない筈》と野坂が口にした通り、彼は高田のスナックを何軒か訪ねていた。

客が全く居ないスナックで野坂は、

「ねぇやっぱり伊貝さんがトップ当選?」

「でしょうね。お兄さんの力は絶大でしょう。」

「そりゃそうだね。伊貝さんはよく店に来るの?」

「ええたまに年に三回ほどかな」

「そう、でもこれから先生になったら、大勢連れて来てくれるのじゃない?」

「そう成ればありがたいけど。でも最近は派手に出来ないから」

「でも伊貝さん好い人居るのじゃないの。奥さんに内緒で」

「居たわ。でも今は居ないみたい。居てたらここへ連れて来るもの」

「やっぱり居たんだ」

「そう長らく囲っていたようよ。九州の子で色白な子で、可愛かったわよ。でも一年ほど前に別れたみたい。」


「へぇー勿体無い。そんな子捜してでも付き合いたいね。」

「多分九州へ帰ったとか言っていたわ。でもそれも分からないけど。川本ゆかりって言う子。伊貝さんゆかり、ゆかりって言っていたわ。彼女本名だったからよく覚えているの。」

「本名?」

「そう初めてした仕事で、何となくそのままに成ってしまってと言っていたわ。だから伊貝さんそのまま言っていたみたい。」

「そうなんだ。あっそれちゃった。肝心の伊貝さんの話しなきゃね。

私も伊貝さんに札入れ様かな。一番期待出来るからね。何しろお兄さんの力が大きいからね」

「そうね。是非伊貝さんを入れてあげて、幾らお兄さんが居ると言っても、出るのは伊貝さんなのだから、お願いしておきます。」

「ええ確約します。ママの顔を立てて」

「宜しく。」

「ところでその彼女、伊貝さんの元彼女、九州のどちらか知りません。私の会社も九州出が多いから」

「鹿児島って言っていたわ。桜島が見える所って、直ぐ近くの様な言い方をしていたわ。」

「そうなの。私の会社にもそんな事言う奴が居るから、又聞いてみるよ。でも聞いた所で仕方ないけどね。私が付き合えるわけじゃないから。」

「男の人ってお忙しいですね」

「でも私は独身だから、その権利は一応あるでしょう。」


野坂はほろ酔い気分であったが、大きなものを摑んだ気がしていた。まるで千載一遇のチャンスを摑んだような気がしていた。

直ぐにでも九州へ行ってみたいと思う気がして来た。


 そしてこの事を、吉野に早く知らせてあげたいと思う気持ちが溢れようとしていた。

《吉野さんそれに岩村さん見つけましたよ。轢き逃げがあった日に、伊貝隆司と思われる男が運転していた車の、助手席に乗っていた色白の女が誰であるか判りましたよ。》

 スナックを後にして、こんな言葉を考えて野坂は踊る心で眠れない夜を迎えていた。

日曜日大和高田市では選挙が執り行われ、そして夜になり八時を廻って三十分を過ぎた頃、速報で伊貝隆司の当選確実が早くも出た。異例の早さであった。

おそらくこのまま一番で当選するような言い方を解説者が口にしている。


その放送は岩村も吉野も当然見ていた。

野坂はそんな事推測出来たから二人に電話を入れて言葉にしたかったが、決して家族に判ってはいけないと決めていたから、紐で繋がれた犬の様に我慢していた。

 伊貝が満面の笑顔でテレビカメラの前に立って、万感を込めて挨拶をしていた。


「まさかこんなに票を頂くとは思っていませんでした。今全身に新しい力が湧いて来ている気が致します。高田の為に高田市民の為に刻苦勉励のもとに頑張らせて頂くことを決意致します。」


翌日野坂が仕事の合間に吉野と岩村に昼に話があると伝えた。何よりも早く女の事を言いたかったのである。

昼になり三人は何時もの様に他の者から離れてひそひそとご飯を食べながら話し始めた。

吉野も岩村も大和高田市の選挙の結果を口にする事と思っていたから、野坂のぎこちなくさえ感じる言葉に少々何かを感じる事になった。



野坂が、

「判ったよ」

「何が判ったのです?まさかウラベマコト?」

「いえ違います。轢逃げのあった日に出会った車あったでしょう。伊貝隆司が運転したと思われる車。その助手席に色の白い女が乗っていたでしょう。まだ若い」

「あぁ俺は可成覚えている」

「僕は、はっきりは」


「その女を突き止めたと思うのです。名前は川本ゆかりって名前です。綺麗な子らしいですよ。生まれは九州の鹿児島、桜島が側に見える所のようです。」

「詰まりその子が助手席に乗っていて事故を見ている可能性があるって事ですね」

「多分、でもあの事故があった後先に、多分後だと思いますが、伊貝に長年囲われていたけど別れて九州へ帰った様です。伊貝と別れた時が事故の後なら間違いなく一致しますね。因果関係が」

「へぇーよく調べてくれましたね、野坂さん。大したものです。」

「俺申し訳ないな、何も役に立たなくて」

「岩村さん何も気にする事無いですよ。岩村さんが何時も明るく場を作ってくれるから僕らも頑張れるのですよ。

 この轢逃げ事件があってからみんななんか疲れるでしょう?正義の為に生きるって大変なのです。」

「ウルトラマンとか仮面ライダーとか疲れるだろうね。」

「それです。上手く言いますね全く、岩村さんの発想はそこが良いのです。心が和むのです。」

「私もそのように思います。岩村さんに助けられる事がよくありますよ」

「喜んで良いのか分からないですけど、

そうそう部門長、最近アベノミクスで会社もフル創業でしょう。儲かっているでしょう。社員旅行に鹿児島なんてどうです。楽しいですよ。関空から安い飛行機も出ていますから、案外手ごろの価格で行けると思いますよ。」

「でも岩村さん。僕にどれだけの権限があるかと言っても、まるで駄目です。部門長では」

「だから駄目もとで言ってみるのですよ。それで決まれば有難いし、この女性の件が解決するかも知れないし」


「ええ言っては見ます。内の部門の者がぜひ鹿児島に行きたいって言っていますって」

「ええそうして下さい。」

「そう言えば慰安旅行も後一ヵ月か二ヵ月先に在るでしょう?」

「はい毎年五月末か六月初めです。」

「俺も小坂さんも大勢行きたと言っているって言ってくれます。」

「はい言います。」

「それまでに私は、彼女の連れがどこかに居ないかもっと調べておきますから。

会社の旅行だからあまり自由は聞かないと思いますから、それで最悪旅行が他の場所に成っても、知っておくほど絶対有利でしょう。この川本ゆかりとウラベマコトがこの事件の根幹と言っても過言ではないでしょう」

「野坂さんは脂が乗って来ましたね。俺なんかから見ていると、まるで私立探偵のような風情ですね」


「まさか、でも段々面白く成って来ました。私はこのような事が性に合っているのか知れませんね。

家に帰ってもこの事ばかり考えている様です。まるで取り付かれたように」

「岩村さんこの集まりは僕が中心で始まった飲み会ですけど、実は年上の野坂さんが中心に成って構成されている探偵事務所のようなものに成って来ましたね。

でもそれで良いのではないですか。

だから僕を部門長って言ってくれなくて、おい吉野って命令口調で言ってくれれば良いと思いますよ。この所の野坂さんの働きが頗る良いでしょう。やはり貴方が根幹ですよ。僕らの仲間の」

「いえ、何を仰います。私は新人で何もまだ解からない一兵卒です。」

「いや、そんな事はありません。貴方は鋭い。明智小五郎だ。」

「まさか?岩村さん」


吉野はその後、

時たま大和高田へ足を運び、伊貝隆司の自宅を覗いたりしたが、対して変化の無いようであった。

只客が多くて流石議員になりトップ当選をしているから、世間が放って置かないと言った環境に伊貝隆司は成っていた。

数ヶ月前までパチンコをしていた同じ人間とは思えない、別人に成りかけている様に吉野には思えていた。


そしてその足で吉野は、今度は県会議員の兄伊貝直助の自宅を捜して見張る事にした。

吉野は何かを見つけたかった。本来この近くで住んでいる筈の野坂由紀夫に電話をして、二人で探るほど効果があると思われたが、最近の野坂の躍進振りにちょっと遅れを感じていて、彼の立場上の勢力範囲が弱体している様に感じていたから少々焦っていた。

元々この話の起こりは吉野の邪心があったから起こった話である。

あの轢逃げが起こって救急車を呼び、警察が来て現場検証が行われ、その時吉野がいち早くすれ違った車の事を口にしていれば、何の事は無い今頃伊貝は加古川刑務所で刑に服していると言う簡単な話だったかも知れない。


もし吉野が警察に対して、何ら余計な感情が無かったなら、大いに警察に何もかもを話し、協力する善良な市民と言う事に成っていた訳である。 

しかし現実はそうではなかった。リーダー格の吉野が他の二人に何も話さないでいようと知恵をつけたわけで、その言葉につられて岩村も野坂も従った訳である。

吉野があの様な事を耳打ちしなかったら、野坂は警察にてきぱきと全てを述べていたように思う。

岩村でさえ一番よく見ていたのだから、誰よりも多くの言葉を警察や救急隊員に口にしていただろう。


しかし吉野の一言で今このような状況に成っている。そもそもそこに事の起こりがあって、多くの人間が絡んで縺れて、欲と権力が右往左往しているような構図に成って来ている。

これぞ人間社会なのである。決して人間以外の動物の世界ではない。



吉野が何故あの時あの様な判断をしたのか、そこには憤慨した伏線があった。

まだもっと若い時にまほろば警察署の交通課の一巡査に、どう考えても卑怯な取調べを受けていた事がきっかけであった。

其れで納得出来ず違反に対して背き、挙句の果てに裁判所まで足を運び訴えたが、思いが叶うことなく涙を呑んだ過去があった。


ところがその後全国の警察官の、公民とは思えないニュースが頻繁に表面化して、その中に点数を稼ぎたい為に違反では無い案件を違反と位置づけ、処分していた警察官が大勢居る事も判り冤罪で差し戻しに成った裁判も幾つかあった。


全くふざけている。


正にそれであった。

警察と言う生殺与奪の権利を握り締めた、おろかな警察官の考えの網に嵌められた事に対する憤りであった。

罰金を払わず裁判所まで行き、逮捕しますとまで言われた。僅かの罰金であったが悔しかった。あの警察官はそのような事を繰り返して表彰されているかも知れない。そして警察官の模範の様に思われているかも知れない。


そんなあるまじき行為が、更に度重ねて起こり警察組織の体たらくな現実が、吉野の心を更に斜めにして行ったのである。


《こんな奴ら、こんな奴らに権力を与えて何になる、乱用するだけである。愚かな連中である。》

そのような気持ちが吉野の心にいつの間にか育っていたのである。

『何故連帯責任を取らない。連帯責任を取れる人間の集まりにしない。何故なら僕は絶対生涯豚箱に入る事などありえない。そんな生き方を間違いなくする積りだ。警察官が犯罪・・・気でも狂ったのかと言いたい・・・』


 吉野は常にその様に思って来た。警察官が悪い事をして、対岸の火事と何食わぬ顔をしている他の警察官を見ていると、実に悔しさと憤りを感じていた。


その様な経緯があったから起爆と成り、今このような展開に成っているのであるが、吉野はこの現実に人と人の関係が如何に奥深い生き物であるかと思われて来ていた。


伊貝隆司は轢逃げのほとぼりが醒めて来た事で選挙にまで出る始末である。

そしてもしその兄の伊貝直助が弟の不祥事の後始末をしていたのなら間違いなく兄弟の犯行である。

それは交通事故と言うより、深夜に起こした殺人なのである。


一人の若いまだ人生の半ばにさえ達していない女性の命を奪った殺人なのである。

その様な事を思いながら吉野は、兄伊貝直助の自宅にへばりつく様に遠くから睨んでいた。

数人が出入りしているが、それが誰であるかなど判らない。せめて写真に収めながら、結局遅くまで張り付いていたがまるで成果が無かった。何となく悔しかった。焦りもした。部門長として威厳もあった。


そしてその思いが吉野の心に火をつけた。

「やったぁ、岩村さんに野坂さん、遣りましたよ。僕の意見が最優先されて、それって二人が言っていた格安航空券が手に入り行けますよ。決まりましたよ。」

「えっそれって何?慰安旅行?鹿児島?」

「ええ鹿児島。やっぱ言ってみないと分かりませんね。お二人が言われたように」

「やったーでかしたぞ部門長」

「ええ嬉しかったです。」

「やっぱりあんたは華が在る、きっちり結果を出す男だ。」

「それで野坂さんまだ全てが決まった訳ではありませんが、現地へ行けば必ず自由時間が設定されますから、その間に川本ゆかりの家を訪ねようと思います。

だから出来るだけ詳しく調べて置いて下さい。お願いしておきます。向こうへ行って桜島が近くに見える町で川本ゆかりを探す事になると思います。

「たぶん午後からは自由時間って段取りだと思いますから」

「解かりました。頑張ってみます。」




それから野坂由紀夫は再び川本ゆかりの詳細を掴もうと選挙前に訪ねたスナックに足を運んでいた。

「ママおめでとう御座います。伊貝さんトップ当選ってやっぱり凄いですね。」

「はい、ありがとう御座います。おかげさまで」

「でもママは、あの鹿児島へ帰ったと言っていた伊貝さんの彼女って言っていましたが、本当はママが伊貝さんの好い人じゃないのですか?選挙カーの上に立っていた人は昼の奥さんで、ママが夜の奥さんとかじゃないのですか?」

「まさかぁ」


「でもママがお客さんみんなにその様に伊貝さんをお願いしますって言っていると、可成の票を集められますからね。

 第一そんな事を言うと狭い街ですから、気に入らない人も居るかも知れないのに」

「いえ、だってお兄さんもよく来て頂いていますから、私としては、私としては弟さんよりお兄さんとのお付き合いが長いですので」

「成程ね。ママって凄い人なのですね。」

「それは分かりませんが、でも良いご兄弟です。伊貝さんは」


「ところでママ、前に言っていた鹿児島の人の事、実はね、この月末に鹿児島へ会社の慰安旅行で行く事に成ったから、偶然なのだけど、だから何か知っている事があれば聞かせて貰おうと思って、この前言っていた人って桜島が見える所で住んでいるって言っていたねぇ。」

「そうです。実家がお豆腐やさんで、火山が爆発すると商売にならないって言って笑っていたわ。灰が降って来て灰が降って来てって」

「豆腐が真っ黒になるんだ」

「それは判らないですが、でもその様に気を付けなければならないのでしょうね。粒が細かくって凄い灰らしいから」

「へぇ豆腐やさんね」

「ええ」


鹿児島で櫻島が近くに見えて川本と言う家である。

野坂はこれで十分だと思い店を後にした。

そしてこれ以上この店に出入りする事は危険であると肌で感じる事と成った。

伊貝兄弟が奥秘おうひを守る為のまさにその舞台ではないかと思われて来た。


ママは野坂に何も疑う事無く気軽に話してくれたが、何かを感づけばあの人は絶対貝になる人物であると思えて来た。だからこれ以上関わる事は危険であると。



やがて会社の慰安旅行の日が来て、みんなウキウキと近鉄八木駅に集合した。

そこからシャトルバスで関西空港へ向かい、ジェットで九州鹿児島空港を目指す予定である。


吉野と岩村それに野坂の三人は、日ごろは鳥もちで繋がれたかのようにくっついているが、会社の旅行は三人三様でばらばらであった。


岩村は若い女性社員と狭い座席で太股をこすりあいながら楽しそうにしている。

少々太っている事がこんな時に役に立っている事が皮肉である。

女子社員の大崎千尋もそんな明るい岩村の事が楽しいらしく実に陽気である。

野坂も何時もの歯切れの良い話し方で新米として雑用もあり気を張っているが、でもそれは年の功で上手く切り抜けている。そしてこの旅行で彼の株は上がりそうである。

吉野は日ごろ眉間に皺を寄せて迫られている部長の側で変な汗をかいている。

格安航空の旅はそれなりにいろんな面で窮屈である。


しかしその窮屈な自体を喜んでいるのは岩村だろう。一時間以上若い女性の太股とこすりあっているのであるのだから、しかもその女性はその温もりを楽しんでいるようである。

まるで岩村が心の底で、今夜はこの女と結ばれるかも知れないと錯覚していたとしても可笑しくない。



悲喜交々の社員を乗せてジェットは鹿児島空港に着いた。

文明は駆け足で常識を塗り替えて行く。

朝近鉄八木駅に集まった者たちが今九州鹿児島の大地に佇んで、桜島を後ろに控えて写真に納まっている。

名所をこれから何箇所か巡り夜は宴会をして、明日の昼からは飛行機に乗る五時三十分まで自由時間に成る。


野坂が吉野に近づいて来てそっと耳打ちした。

「吉野さん明日三人で行きます?なんか向こうさんの立場を考えたら不自然じゃないでしょうか?

もし私たちが想像している事が全て事実なら、川本と言う女も口止めされていると思うし、滅多に口になどしないと思う訳で、だから下手すれば台無しに成るかも知れないし、女は伊貝からお金を摑まされているかも知れないでしょう。だからぶち壊しにならないかと思って」


「そうですね。野坂さんが言われる様にその人の立場を考えると多様ですからね。

伊貝と円満に別れたのか、それとも喧嘩別れしたのか、それともなんか制約されてとか、脅されてとか在るかも知れないですね。」

「ええ、その様に私は思ったのです。何故なら私が二回行ったスナックは可成危険な香りがしていたし、そこに関わっていた女ですから、可愛いとか若いとか囲われているとか、そんな事全部ひっくるめて、何かに支配されているのではないかと思えて来て」

「野坂さん明日は三人で川本って言う女の住所へ行って、とりあえず捜す事にして、後は様子を見て野坂さんが話せば良いのではないでしょうか?男三人で押し寄せれば、確かにそれだけでも警戒されるかも知れないですね。」

「じゃあ私一人で話せたら話してみます。何を聞くかも一応私なりに考えておきます。」     「とりあえずそうして下さい。」


桜島が直ぐに見える所で川本と言う名の豆腐屋と言う事で、翌日自由行動に成ると血相を変えたように三人は探し出した。

道行く人にも地元の人にも聞き捜すと、簡単に見つける事が出来た。

野坂が代表して暖簾をくぐった                

「御免ください。」

「はい。いらっしゃいませ」

「あのう私奈良県から来ました者で御座いますが、此方にみゆきさんって方居られますか?」

「はい。どう言った御用で?」

「それが変な話で、先日地元奈良の大和高田市の「ちどり」と言うスナックで飲んでいて、ママにみゆきさんの事を聞きましたから、そしたらたまたま鹿児島に会社の慰安旅行で来る事に成って、意味も無くつい寄せて頂きました。」

「そうでしたか。私がみゆきです。今は此方で店の番をしています。父が作る豆腐は可成有名になり、今では遠くで住まれている方でも来られ、何しろ便利な世の中に成りましたから、買って帰って頂いています。只それだけでは売り上げが伸びませんので、今は私の意見を取り入れて貰って、この様にかまぼこも置かせて貰っています。」

「そうですか。やはりお綺麗な方でした。ママが言っていましたよ。

じゃぁ、折角来させてもらったので何かお勧めの物を頂きます。」

「ありがとうございます。」


「ところで伊貝さんを十分ご存知ですね。」

「はい」

「伊貝さん大和高田市議会選挙でトップ当選されましたよ。ご存知でした?」

「いえ、全く、あの方と音信不通に成ってから、既に随分経っていますから。」

「そうでしたか」

「でも良かったです。お世話に成った人ですから。立派に成られたのなら。でもよく選挙に出られたと思います。度胸のある方ですね。お兄さん同様大きな人なのでしょうね。」

  

「確かにトップ当選だから大したものです。とっくに知っておられると思いました。」

「いいえ、全く電話番号も知らせていませんから、掛かる事もないと思います。」

「でもママが言っていましたが、別に喧嘩別れをした訳じゃなさそうだし」

「ええ、そんな事まで・・・すみません。他のお客様も居られますから」

「あぁ、すみません。じゃぁ、これを下さい。豆腐は今は無理ですが、みんなが飲みますので申し訳ありませんがこの平天を」

「はい、ありがとう御座います。」


川本豆腐店を後にした野坂は頭を抱えながら吉野と岩村を捜した。

近くでたむろしていた二人の姿を直ぐに捕らえる事が出来て、ベンチに腰を三人で下ろした「食べます?鹿児島の平天を」


買ったばかりの平天を食べながら野坂が口にした。              


「さっぱり判りません。でも最後に成って、何か警戒するような態度に変わりかけた様に思えました。でもあの人は伊貝の事を悪く言ってはいませんでした。

寧ろ選挙にトップ当選したと言ったら喜んでいました。大きな人だと伊貝の事を、度胸があるとも言っていました。

それってどう言う意味があるのか、それに電話番号も伊貝は知らないと言っていました。音信不通だとも」

「もしかすると、実際轢き逃げ事件を起こしていたなら、それで伊貝が運転していたのなら、お金を摑まされて別れたのかも知れないですね。」

「口封じに?」

「そう」

「だから可哀相だけどこのまま高田で居るとろくな事が無いから、田舎へ帰って貝に成ってくれって言う事じゃないの、俺ならその様に考えるな」

「ええ岩村さんの言う通りだと私も思います。あの儘話を続けると更に警戒され、今度はあの人が伊貝に電話を入れ、『変な人が来ました』と成ると思いますね」


「もしそうなれば今度は我々が危険に曝される事は間違いないからね。あの伊貝の兄貴なんて、裏社会の人と繋がっている事も考えられるからね、本人が何と言おうと、今と成っては」 

「だからそれは考えられないと思っていても、蓋を取れば残忍な男かも知れない訳でしょう」

「そう言う事かも知れないね」

「お二人に私の考えを言わせて貰いますと、今は無理だとしても何時の日かもう一度ここへ来て、あの子から色々な事を聞くべきかと思うのです。

只それは決して岩村さんの言われるように、今じゃないと思います。でも時期が来れば話さなければならないでしょう。それは佳境に入った時だと思います。

言い換えれば私たちの安全が保証されている事が大事に成って来る訳です。万が一の事が起こらないように担保が必要な訳です」

「担保って?」


「だからあの人が私たちの事を伊貝に伝えると、伊貝はばれては元も子もなくなり、詰まり我々を消してしまいたく成った時に、元々付き合いのあった裏社会の連中に、手を伸ばす事も考えられるわけです。あのウラベマコトも然りで

だからそんな事さえ出来ないように、仮に一人でも手を出せば、その時点で警察が動き出すことを告げておけば良い訳です。

今あの女の豆腐店へ乗り込んで、そのような事を言っても、他の客も居る事だし出来れば改めて来る事にして、今は簡単に来れますからね。第一格安航空なら日帰りでも」


「わかりました。野坂さんが言われる様に致します。」

「俺も任しておきます。野坂さんは本当にこの仕事に合っているのじゃないですか?電気屋さんより探偵屋さんって感じですよ。」

「またまた岩村さんは、おだてたり人を喜ばせたり本当に貴方はうまい。」

「まぁ二人で褒めあって下さい。誰も怒りませんから」


三人はベンチで暑い日差しを受けながら、額に汗を滲ませ笑いあった。

随分期待した九州鹿児島行きであったが、然程成果がなかった様に思われたが、野坂は十分手ごたえを感じていた。

そして何時かの日にはこの事が日の目を浴びるであろうと思えていた。



吉野は自宅から持ち出して、絶対見つからない様に隠してあるお寺へ、間違いが起こっていないか確認しに行った。

通帳と印鑑は間違いなく眠っていた。

そして今記帳すれば、全くその儘であるのか、それとも伊貝が当選したから、新たに振り込んで来ているのか気に成って来て、その事を三人で相談する事にした。    

それで何もかも気に成って来て、又今度は岩村が銀行へ電話を入れた。そして残高を確認したが、以前と全く同じ金額で、僅かの利息が加算されているだけであった。         



「何も変化ございませんね。」

その事実を知り、吉野は岩村が言った言葉にすぐさま反応した。腹を立てていた。

そして、            

「あれで終わりの積りなのかな?人の命があれで終わり。 野坂さんの感想は?」

「けしからんと思いますよ。」

「岩村さんは?」

「俺も」

「ではもう一度遣りましょうか?」

「やろう。このままでは勘違いされる」

「ええ遣りましょう。」


《 当選おめでとう御座います。私も嬉しいです。私ですか・・・あの日轢き逃げされた女です。》

この情報お買いになりませんか?東和中央銀行心斎橋支店 佐藤純一 普通口座番号8262349です。

急ぐほど良いかも知れませんよ。他に買いたがっている人もいますから。私は警察が嫌いだから一番高く買って下さる方にお売りいたします。》


脂照りのする暑い日に伊貝の自宅へ手紙を出した。

効果的面で佐藤準一に誰かからお金が振り込まれて来た。以前の名前とは違っていたが、現に振り込んで来た事は間違いなかった。

この現実は伊貝が間違いなく轢き逃げをしたと言えるわけで、彼らは今躍起に成って吉野や岩村や野坂を探す事は間違いなかった。

それはいかなる手段を使っても探し出す事が考えられた。

テレビドラマの様に成ればそろそろ二人目が殺されるようなストーリーに成るかも知れないが、吉野たちは決して落ち度を見せる積りもなかった。


この度銀行へした電話も、テレビカメラの無い公衆電話を選び、例え権力を傘に着た者が関わっていても、落ち度の無い遣り方を最大限考えていた。

今回振り込んで来た人物は、ヨシオカススムと成っている。又新たにその名前を捜さなければ成らない。

これはシークレットでわからなくして在る可能性がある。この名前に拘る事は果たして大事なのかと考えた時、然程意味が無いのではないかと思えて来た。

新たに振り込まれた金額は三百万円であった。ウラベマコト、ヨシオカススム 多分窓口でお金を行員に手渡している人は同じ人物かも知らない。

これは銀行のパトロールビデオに記憶される事になるだろうと思われた。 

只期間はどれ位かは判らなかったが、万が一警察に検挙される事に成れば、大いに有利に働く証拠になりはしないかと三人は思った。        



「吉野さん。それに岩村さん。これで許してあげたらどうです。伊貝隆司は確かに議員に成って今まで入って来ていなかったお金も入って来るように成った。

それに議員と言う名誉も手に入れた。でも今畳み掛けるように遣ってしまえば、あの男だって息が持たなく成って、諦めるかも知れないと私は思えて来ました。                 

 選挙の時車で走っている姿はそんなに悪人にも気性が鬼のような強い男にも見えなかったのです。

寧ろ兄貴の光で輝いているだけの男に見えたのです。」

「それは解かります。一年前にパチンコへ行って大勝ちした時があったのですが、あの時の顔は忘れません。

何故ならその後あの男の車に伝言をワイパーに差し込んだのですが、それを見たあの男はまるで人が変わった様に成ってあたふたとしてしまって、裏の心情を知っている僕らから見ると可哀相な位でした。」


「だからこのまま追い詰めると自首をするかも知れないし、もし兄の伊貝直助が絡んでいたなら、何もかも弟に向こうへ持って行かせる事も考えられます。」

「向こうへとは自殺ですか?」

「そうです。ウラベマコトもヨシオカススムの件もありますし」

「なるほどね。でも記帳すれば分かると思うのだけど、前に振り込まれたのが五百万円。これって一発で振り込んで来ているかなぁ。もしそうなら相手も通帳とカードではなくて、あくまで現金だから。 カードでは一度には出来ないでしょう。

こんな振込みは仮名でも出来るのか、俺知り合いに聞いてみるから、もしかして実存している人物じゃないかと思って。」

「ねぇ僕らはその様な事は、プロじゃないから判らないですね。案外簡単な事かも知れませんが」   

「俺あまり役に立ってないようだから、ちょっと頑張って大和高田まで毎日出かけてみる事にするよ。スナックへ行って彼らの名前でボトルがキープされていないか見てくるから。ウラベマコトとヨシオカススムの名前が」

「さぁどうでしょう。面白いと思うけど、この場に出てくる人達じゃないと思いますね。何しろ彼らは黒幕だから」

          

「まあ分からないですが、案外見つかるかも」

「とりあえず俺頑張ってみるよ。野坂さんに此方の事で褒めて貰いたいからね。なんか宴会部長なんて俺にもプライドがありますから」

「もし彼らの名前があれば、面白い事は面白いと僕も思いますが。でも気を付けて下さいね。相手は既に八百万円もの大金振り込んで来ているのですから。」


「ええ解かっています。もし俺に何かがあれば警察に言って下さい。」

「でも本当に無理をしないで下さい。岩村さんが役に立っていないとか、全く思った事などありませんから。」

「そうですよ。私は楽しんでいるだけですよ。あんち警察で、あんち悪どもで」

       

それから岩村丈二は探訪するように高田市のスナックを細かく廻り始めた 本の一口の繰り返しとなったが、それでもお金が掛かった。

しかし何かを摑んで帰りたいと思う気持ちが強く、限りなく努力を重ねていた。

八日目ついに スナックみどりでウラベの名前に出くわす事となった。

「ねえ俺初めてだけど、あのウラベさんって名前の人、四十半ばで少し小太りで、俺のような格好で、俺知り合いなのだけど。あのボトルの人」

「ウラベさん・・・違うわよ。ウラベさんはお金貸しで格好良くて痩せていて、伊達めがねを掛けていて」

「そう、じゃぁ別人だなぁ、俺が思っている人じゃないな。貴女の言うあのウラベさんは金融屋さんなの?」

「そう」

「じゃぁ持っているんだ。」 

「そうよ。結構顔が広いからね、あの人は。だからあの人とつるんでいる政治家も何人か居ると思うよ。」

「へえーそうなの。」


「県議の伊貝さんだって結構良い仲のようよ。いざと言う時役に立つと思うわ。お金がわんさかあれば誰だってそうでしょう。」

「確かに。おっしゃる通りでござります。」


岩村丈二はやっと男になれた気分でスナックを後にした。これで土産を持って帰れるとも思った。

ウラベマコトは県会議員の伊貝直助と良い仲であるとホステスの静香ちゃんは言っていた。


翌日はまだ水曜日であったが、岩村から吉野と野坂に昼食を一緒にしようとメールで送られてきた。「岩村さん何があったのかな?」

吉野のその心は複雑であった。悪い事かも知れないと先ず浮かんだ。そして直ぐにやって来た野坂も同じ思いであった。岩村も来て二人は目を細めて岩村が口にする事に耳を傾けた。

「昨日行ったスナックでついに探したよ。ウラベを、多分間違いないと思うよ。ホステスの静香って子に詳細を聞いたよ。


先ず仕事は金貸しで、それで県議の伊貝さんと良い仲だそうです。又政治関係者でこの男とつるんでいる者が何人かいるようだね。

この男お金を持っているからと言っていました。こんな所です。ちなみに昨日で八件目でした。」


「八件目。それは大変でしたね。岩村さん頑張りすぎですよ。」

「いいえ、貴方に追い着かないといけませんから、俺頑張りました。」

「良かったですね。結果が出て」

「でも本当はヨシオカススムを見つけたかったのですが」

「でもその金融屋の仲間だと思いますよ。」

「でもこの話どの様に繋げば良いのでしょうかね」

「伊貝直助と良い仲で、その男から金が出ているって事は、伊貝直助が弟の為に都合付けてあげたって事に成りますね。


言い換えれば何もかも承知で困っているから貸した、或は弟の伊貝隆司が嘘を言って兄貴からお金の都合を付けさせた。

兄の伊貝直助も何も知らずに選挙資金か何かと思い、気軽に貸す事にした。あるいは世話をした。或はあげたのかも知れない。多分この線に成ると思います。これだと隠蔽工作とか何か法律に触れるとか無いと思われます。でも弟は罪を被らなければならないでしょう。

岩村さんそのボトルにウラベマコトってフルネームで書いてありました。」     


「いえ漢字で浦部とマジックで」

「おそらく間違いないと考えますが、何かトリックが無いか、まさか全てが繋がるような事を彼らがするかって事だと思います。」

「でも仲が良いとはっきり言っていましたよ。」

「もしかするとウラベ自身もその使い道は知らなかったのかも知れませんね。

この様に我々に脅される様に成っている事を。


だからボトルをキープしても何ら警戒など必要ないわけで、仮に警察が動いても悪気がなかったなら、裏工作などしていなかったらと考えると問題が無いと成る訳です。」

「だから岩村さんが見つけた浦部と言う名のボトルは、おそらくウラベマコトの物だと思われます。

整理しますと伊貝隆司が事故をしてそのまま逃げ、我々の手紙で見つかっていた事を知り、たまたま兄から選挙に出る事を薦められていた弟は、その資金の調達と嘘を並べ、兄から直接資金が動くと不味いから、ウラベマコトを利用して資金を送らせた。


その時の受取人の名義は、弟隆司が誤魔化して彼自身の身内のような言い方をして納得させた。

だから兄伊貝直助もウラベマコトも弟伊貝隆司の言葉通りに動いた。

だから今でもその事実は伊貝隆司だけか、若しくは伊貝隆司と伊貝隆司の嫁が知っているだけかも知れない。

だから兄の伊貝直助が事実を知った時は、残念ながら弟の事故に加担したとなり、政治生命にも関わる事になるかも知れない事は確かだと思う。

このような事だと僕は思います。野坂さんの考えを聞かせて下さい。」


「ええ私もその考えが最有力だと思いますよ。でも既に伊貝兄弟は六十近い男です。どちらも。

だから済みませんでしたなんて通用しない話です。部門長の言われる様に公になった時に、二人とも政治家としての生命が終わると思います。


知らなかったなんて済む話ではないのです。選挙資金として都合をつけたとしても、第三者を使ってと成ると、それもまた綺麗な話でも無くなりますから。

他に考えられるのは、弟の伊貝隆司から兄が相談を受け、事実を知った。我々の手紙を見せられ熟慮の結果、これは従うべきであると判断し、金額も兄が決めウラベマコトに融通して貰う事にした。


しかしウラベにまで一部始終を話す事が出来ないため、選挙資金と言う名目で借りる事にした。

只弟の口座に振り込めば後で問題に成るかも知れないと別人に送ってくれるように指図した。

そして今度は我々から、またしても手紙が来て既に送った事で後には引けない事もあって、更にトップ当選した事も手伝って、また送らなければ成らなくなったが、ウラベに言うと疑われてはいけないと、今度はヨシオカススムなる人物に依頼した。

だからウラベとヨシオカは全く別組織であると考えられる。こんな所です。私が思うには、岩村さんは?」

「俺?何もありません。一生懸命に聞いていて訳がわからなく成って来たよ。でも今あいつら腹を立てて悔しがっているだろうね。訳の分からない者に八百万ものお金を取られたのだから。馬鹿な奴らだね。でも気をつけないと。何処から魔の手と言うか刺客が遣ってくるかも知れないからね。」

       

「そう岩村さんの言う通り。刺客と言ってもそれは警察関係の組織かも知れないしね。勿論裏社会の連中も十分考えられるわけで、今躍起に成って我々を探していると思うよ。」

「だから私はもう一口生命保険に入ろうと思っているのですよ。田舎の年老いた両親の為に。」   

「簡単に入れますよ。ネットで、小口で入れば安く付きますし、直ぐに効力発揮しますから、お互い何かがあるといけないからそれも必要かも知れませんね。」

        

「でも俺あいつら、詰まり伊貝兄弟って情けないと思わないですか?人を轢いていて逃げてその挙句あたふたとして、自首する気は無いのでしょうか?何を守っているって言うの?権力、名誉、人並みに裁かれたくない訳、自業自得って言葉このような奴に在るのでしょうね。」

           

「ええそうですよ。岩村さん。二人ともこれから地獄の道が待っているのですよ。佐藤準一の通帳にあの兄弟が溜め込んで来た何もかも、当然名誉も権力もお金も、全部振り込ませましょうよ。」

      

「いやぁ野坂さんはきつい。さすが保険にまで入ってとことんやる気ですね。」

「ええ遣りましょう。部門長も」

「はい。この通帳って警察や検察の言う裁判に成った時、どれだけの価値のある物証に成るかって事も、考えておかないといけませんね。そのような人は知らないって言われて、我々も佐藤準一って我々が作った架空の通帳ですって言っても、それが認められるのかなんて判りませんからね。     


 だから生の声とか証人とかが要るのかも知れないと思います。例えば九州鹿児島のあの伊貝隆司の女だった川本ゆかりさんとか」

「それじゃ又行きますか?九州へ。格安航空券が手に入れば行きましょう。三人揃っては無理かも知れないけど、出来るだけ取れれば」 

「それは取れた時点で考えましょう。お互い小さい子供も居ていますので」

「では私ひとりで行って来ても差し支えないですよ。お二人はこちらで留守番をしていて下さい。」

「違うでしょう。俺実は行きたいんだ。結構別嬪なのでしょう。その川本ゆかりって子は」

    

「ええ綺麗ですよ。ゾクゾクするくらい。だから岩村さんは危険なのですよ。だって前に九州へ行った時に若い事務員さんと無理にくっついていたでしょう。太ももを絡ませるようにして。私見ていましたから。あの夜何も無かったのですか?いや帰ってからもモーションかけているでしょう。事務の大崎さんに。隅に置けない悪い人だ。」

「へぇーよく見ていますね。野坂さんて、何もかもに鋭いですね。参ったなぁ」

「野坂さんに行って貰う事に成ればお願いします。」

「ええ部門長」


「だから今度は気合を入れて掛かりたいです。二回目だから。詰まり切羽詰った様に演出する程良いかなと前から思っていたのですが」

「それはどのように?」

「だから鎌をかけるのですよ。脅すのです。脅すって言うと言い方が悪いかも知れないけど、はっきり言う訳です。

あなたは平成二十三年の三月二十日深夜、奈良県の近鉄八木駅近くの国道を伊貝隆司運転の車で走っていて、その時貴女は助手席に乗っていて、駅近くの国道で二十八歳の女性を跳ねましたね。ところが直ぐに助けなければいけないものを、何もせず伊貝隆司はその場から逃げたわけです。

勿論貴女も。


しかしその現場を見ていた者がいたわけです。それが私です。何故警察に言わなかったかと言えば、あなた方からお金を取れると判断したからです。

車のナンバーも全部控えておきました。だから逃げられないのです。

貴女が直ぐに伊貝に電話を入れて、あの事故の目撃者が居て九州まで来ていると言ったなら、私は殺されるかも知れません。

伊貝の兄は県会議員である事は貴女も十分知っている筈です。裏社会の人とも繋がっている事も。仲の良い人には金貸しもいます。更にきつい連中が必ず居る筈です。

だから命を狙われるかも知れません。でもその様に成れば直ぐに私の仲間が警察に行く事に成っています。


お解りですね。ですからあの日何があったか貴方の口で言って下さい。もし言って戴け無いなら、これからの毎日朝起きると、玄関に奈良県警の警察官が待ち構えていると思って下さい。

そして奈良まで手錠を嵌められ紐で繋がれ送還される事になるでしょう。

だから私は今貴女が本当の事を言って下さる事を望みます。何故なら貴女の事は私次第で罪を軽くする事が出来るのですから。黙っておけば済む事ですから。


運転していたのは伊貝隆司なのですから。でも貴女からはっきりした事実を言って頂く事が重要なのです。

詰まりはっきり言います。貴女も気をつけないと狙われるからです。生き証人ですから・・・


まぁこんな所です。どうです聞かれて?」

「野坂さんはきつい。俺なんかは思いもしないね。俺が行けば今一人なのとか、寂しくないのとか、何か食べないとか君さえよければとか、そんな事で終始すると思うな。


俺がしゃべっている間に、部門長はもっと良いものを考えているのでしょう?ではどうぞ」


「やりますか僕も。このような遣り方も僕は面白いのじゃないかと思います。

例えばこのように言う訳です。僕は奈良の近鉄八木駅で電車を下ります。そしてあの轢き逃げが遭った所の道を通り会社に毎日通っています。

亡くなられた方のお姉さんが、花を供えに再三来ておられます。大阪堺から態々幼い子を抱えて。

あの姉さんもまだ三十一歳です。その妹さんが僅か二十八歳で殺されたのです。

無残にも。二人姉妹でした。たった二人の一人を伊貝隆司が殺したのです。


僕が事故現場へ行った時はまだ生きていました。


もし伊貝が直ぐに救急車を手配していたなら助かっていたかも知れません。そして助手席に乗っていた貴女にも重大な過失があります。今自責の思いがありましたら貴方の口で何もかも話して下さい。

僕は亡くなられた方のお姉さんに犯人を見つけてあげるって、敵をとってあげるって誓っています。気の毒だと思うなら言って下さい。心ある人間なら話すべきです。


この様な言い方をすればと思います。」


「成程ねぇ参った、参った。この軍パイは川本ゆかりの気性が重要になるのじゃないかと俺は思うね。 気の強い女なら前者で、気の弱い女なら後者で、だからミックスして攻撃したら。飴と鞭で」


「岩村さんは二人に考えを言わせて上手に締めくくりますね。」

「部門長、だから言ったでしょう。俺は頭が無いって。無理だって、あまり難しい事は」

「そうですか、でも、大したものもありますよ。他の者よりよく出来る事が、自分でも判っているでしょう。ねぇ野坂さん」

「又その話ですか?野坂さんは早くお嫁さん貰わないと、探偵ごっこは得意なのに」

「全く面目ない事で」

「でも近い内に誰かが行く事にしておきましょう。僕でも良いですから」

「俺でも」

「いいえ私でも」


「それと僕から提案なのですが、可成厳しい局面に入って来ていると思われます。危険でも在ると思われます。権力やお金や暴力や非合法とも戦わなければならないと思います。

何が起こるかも分からないと思う事も大事かなと思います。もし三人の誰かに何かが起これば、直ぐ警察に何もかもをお願いして助けて貰う事にしましょう。                   

お金には一切触れない事を守れば又道は開けるでしょう。   


僕にもお二人にも迷惑が掛かったり取り返しのつかない事が起こらないとは限りません。これからは十分気をつけて頂いて行動して下さいますようにお願いしておきます。         

最近子供をお風呂に入れているとそんな事を思って来ます。部門長としてお二人に頑張って頂いているのに、こんな事も頑張って下さって感謝致します。」


「気にしないで下さい。俺も野崎さんもとことん遣りますから。ねえ野崎さん」  

 「はい勿論。」

「いずれあのお金を分ける日が来るでしょうし、その日を夢見て頑張りましょうか。」



 気が付けばお盆になり、会社は五連休を取る事に成った。吉野は子供の相手もしなければならない為に、その二日だけを取って九州と思ったが、格安航空券はなく諦める事にした。

 しかしそれが盆を過ぎた八月後半に可成格安が出たので、思い切って九州へ行く事を決めた。

上手く都合が付いたのは岩村と野坂であった。吉野は都合が悪かった事と航空券が二枚しか取れなかったから丁度それでよかった。


最近漫才のような合口を打って話す事が多いから、多分この九州行きは楽しいだろうと二人とも思っていた。


一泊二日でとんぼ返りのスケジュールであるが十分過ぎる様に思えていた。会社の慰安旅行で行っていて二回目であるから心は落ち着いていた。


鹿児島に着いたのはあの時と同じまだ十分午前であった。一目散に川本ゆかりの実家を訪ねる事にした。さすが弁の立つ野坂も緊張気味であった。

岩村はこんな時でも動じもしないが冴えもしない男である。言い換えれば、帯に短し襷に長しと言えば良いのか、こんな時は当てには出来ない男であった。


川本ゆかりが店番をしていたが、他に誰も客が居なかったので、重要な話があると母親らしき人に任せて外へ連れ出す事にした。

ためらいも無く彼女は出て来たので、所詮あまり客もいない田舎の豆腐屋だと二人は勝手に思った。   

「前にお邪魔させて頂いた事を覚えてくれています。」

「ええ」

「今日はね。貴女が嫌がる事を、わざわざ奈良から飛行機代を使って言わせて貰いに来させて貰いました。」

「どう言う事でしょうか?」

「それは何かと言いますと、私毎日奈良の近鉄八木駅で電車を降りるのです。そして会社へ通っています。平成二十三年三月十九日もその様にして会社へ行きました。


そして翌朝帰りに轢き逃げ事故を見ました。車のナンバーがトヨタの1234と言う数字でした。

そしてそれは大和高田市の伊貝隆司さんの車で在る事が判りました。

あの轢き逃げされて二十八歳で亡くなってしまった方は、大阪堺市の方で、今でもたった二人姉妹のお姉さんが、再三あの轢き逃げされた現場に花を供えに来られています。

幼い子を抱えて。私はあの日轢かれて倒れていた妹さんがまだ生きていた時に見つけました。


でも何故伊貝さんは逃げたりせずに助けなかったのかと今でも悔しいです。

そして助手席に乗っていた貴女にも重大な責任があるのです。

この前来させて頂いた時に、伊貝さんが大和高田市の市会議員選挙でトップ当選したと言いましたが、あの人は選挙などしてはいけないのです。

人を殺した罰を受けなければ成らないのです。

今日は貴女があの日に起こった事を貴女の口で言って頂こうと、固い決意で来させて貰いました。


どうですか?何かおっしゃって下さい。」


「私は・・・わたしから・・・私からは何も言えません。」

「それってどのように理解すればいいのですか?」

「・・・」

「言って頂かなきゃ困ります。」

「・・・」

「貴女は何もかも言わなければ成らないのです。罪を犯した訳ですから。違いますか?人が一人死んでしまったのですよ」

「・・・」

「私たちが帰っても、これから毎日朝起きると奈良県警と鹿児島県警の方が玄関先に立っている事に成るのですよ。            

今私たちに貴女の口から何もかもを言って下されば、少しは罪も軽く成るでしょう。私たちも貴女に対する怒りも少なく成るでしょう。


言って下さい。何れ同じ事を聞かれる訳ですから。」

 

「・・・」

「言って下さい。罪を犯した者として」

「私は何も覚えていないです。」

「覚えていないって?横に乗っていたのに」

「眠っていたのです。」

「眠っていた?でも大きな音がしたでしょう。 一人の人が撥ねられて死んでしまったのだから」

「判りません。気が付けば車が止まっていましたから」

「でもその後何が起こったのか直ぐに解かったでしょう。」

「いえ、車は直ぐに走り出したから判りません。」

「伊貝さんはその時なんて言っていました。」 

「別に何も。確か私を見ていたと思います。」

「女性を撥ねたのですよ。伊貝さんはその時」

「でも私は知らなかったのです。

でも私は何も知らなかったのです。すっかり眠っていたと思います。」

         

「おかしいですね?ではお聞きします、何故貴女はその頃にあの人と別れて此方へ帰って来たのですか?」

「伊貝さんが別れたいと言ったからです」

「何故別れたいって?」

「嫌に成ったのでしょう私の事が」

「お金を貰いませんでしたか?」

「いいえ。今までに貰ったのがありましたから」

「違います。五百万円とか貰いませんでしたか?」


「貰っていません。何も、飛行機代位しか選別として」

「でもあの日に交通事故があり、女性が重症に成っているって事、貴女は知らなかったのですか?おかしいですねぇ」

「知らなかったです。」

「なぜ?」

「・・・・」 

「何故です。新聞は見ないのですか?」

「いえ伊貝さんが、伊貝さんに直ぐに九州へ帰ればと言われましたから」

「それは何故?」

「分かりません」

「事故があったあくる日に」

「事故かは分かりませんが翌日に、数日の内に帰る様に言われ、慌ただしかったのですが、だから」 

「帰らなければならない理由をどうしてって聞かなかったのですか?」

「聞かなかったです。以前から選挙に出る事に成ったと言っていましたから、それで身の回りを綺麗にしておかないとと言って、それで解かってくれるねと言われていましたので、其れかもしれません」

「身の回りを綺麗にね。」

「ええ。」

「貴方はそれで鹿児島に帰って、あの日に轢かれた人が亡くなった事も知らないと言うのですね」 「ええ」

「実は今日話された事は全部録音させて貰いました。貴女がこれから法廷で、今日話された事と同じ事を言わなければ成りません。言えますね。」

「そんな録音を録っていたなんて、卑怯な事をするのですね?」

「卑怯?貴女は人を轢き殺した車に乗っていたのですよ。それで逃げたのですよ。

ドンとぶつかった事本当は判っているでしょう?

何も知らないで通す気かも知れませんが、でも亡くなった人が居る事を忘れないで下さい。あの死んだ方のお姉さん来て貰いましょうか?ここへ」

「・・・」



「もう一度繰り返します。

あなたは事故の事は一切知らない。眠っていて車が止まったが何が起こったのか何も知らない。

そして直ぐに伊貝隆司は車を走らせたから何も知らないってことですね。

伊貝隆司はその時車から降りたりしませんでしたか?はっきり思い出して下さい。どうです?」  「ええ降りませんでした。」

「そして事故の遭った翌日に、貴女は数日の内に伊貝から九州鹿児島へ帰る様に言われ慌ただしくその通りにしたから、事故に遭われた人が亡くなった事も知らない。


このような内容ですね。


何故録音を取ったのかは、貴女が嘘を言っていると、命の保障が無いかも知れないからです。

当然私たちも。伊貝氏は権力者です。県会議員の兄がいます。警察組織は県の職員でもあるわけで、もみ消すことも可能なわけです。

我々は怖いのです。正義が勝つとは限らないのです。悪が勝つ事だって伊貝兄弟にはありだと思います。

だからこれは安全で居られる担保です。

もし私たちが帰った途端に伊貝に貴女が電話を入れ、何もかもを話せば我々は危険に晒されるわけです。

でもそのような事が起これば警察が動いてくれます。ですから言っておきますよ。貴方は余計な事をしないで大人しくしていて下さい。あの事故が、何も知らないで眠っていた時に起こった事なら、罪に問われても軽く済むでしょう。


でも事件全体としては大きな事件です。県会議員と高田市議会議員が絡んでいる事ですから、まして兄の伊貝直助は県会で議長まで勤めた人物ですので大きな事件に成るでしょう。      


 最後にお聞きします。何かにぶつかった時貴方は目を覚ましたのですね。その時《何?何が起こったの?》とか《どうしたの?》と聞かれたでしょう伊貝に?どうです?」

「覚えていません。」

「いやぁ貴方は誤魔化している。嘘を付いている。人を撥ねるって言う事はどれほどの衝撃があるか貴方はわかっていながら誤魔化している。

その後交わされた会話を隠している。違いますか?」

「いえ」

「私たちはこれで帰りますが、今言った事を一人でよく考えて下さい。何もかもを思い出すでしょう。人に嘘をつけても自分には嘘はつけないはず                 

「・・・」

「では帰ります。」

          

「流石ですね野坂さんは。俺なんかだとあの女の気持ちに成って、可哀相に成ってきて尻尾を巻いて帰っているかも知れないな。参った。参った。」


そんな労いの言葉を岩村が野坂に口にして、帰りの便に飛び乗って二人は川本ゆかりのこれからの行動を考えていた。                

「あの女嘘付きでしょう?」

「多分人が死ぬような事故を起こしていて、眠っていたから分からないって事は無いですね」      

「余程泥酔でもしていなかったら気が付く筈と思いますよ。」

「でも野坂さんそんな小さな録音テープよく持っていますね?」 

「ええこれは凄いですよ。この大きさで百五十時間録音出来ますから」

「百五十時間?丸六日間ですね。」

「そうですね」

「でも野坂さんがこの前言っていた事と、部門長が言っていた事を上手くかみ合わせて言っていましたね」

「だからそれは今村さんがあの時、上手く締め括ってくれたからですよ。結局今回も今村さんに軍パイが揚ったと言う事ですよ。」

「上手く言いますね、貴方は。じゃぁコーヒーおごっちゃいます。」

「あの女は間違いなく事故のことを知っていると私は思います。


何故かって事故のあった場所で寝むっていたのに起こされたことを平気で言っていたでしょう。あの八木駅の現場で起こされたことに対してなんら否定もしなかったでしょう。

つまり間違いなくあの場所で事故があったことをあの女は裏付けしたようなものだと思いますよ。」                              

「そうですね。そこまで否定する事には気が付かなかったのでしょうね。なるほど・・・」

   

「だから間違いなく伊貝は事故を起こしていると思われます。」 

「じゃぁ今頃あの女は苦しんでいるでしょうね。」

「ええ可也、我々の勘が当たっているなら」


二人は大きな成果を挙げた思いで九州を後にした。


伊貝隆司が事故を起こした事がほぼ明白に成ったわけで、今まで通帳に振り込んで来た事が一番の裏づけに思えていた事が、これで大きく前進したように思えた。

それは吉野にとっても大いに励まされた結果であった。

素人の三人が休みの日に片手間にしている調査。この轢き逃げ事件が迷宮入りしそうな感じに成って来ている事が、三人には不思議にさえ思えて来てた。


何故解決しないか疑問にも思えた。

このようにして轢き逃げ犯に繋がる証拠を掴むことが出来たのであるから、それが警察ならいとも簡単に追求出来る筈である。しかし未だに何も新しいニュースなど聞かない。

吉野はこのひき逃げ事件で、何かはかられたものが潜んでいないかと疑う気持ちを拭えなく成って来ていた。

そこには岩村や野坂に対して労いの気持ちと押し寄せてくる危機感が、そのような気持ちにさせていた。


もし警察が判っていながらうやむやにして迷宮入りにするかも知れないと、以前交通違反で検挙された事の怒りが何時までも尾を引いていた。


吉野が検挙されたのはまだ二十代初めの頃の事であった。

バイクで走っていて交差点で一旦停止の白い線で止まった。しかしその過ぎた所の草むらから、慌てて草を引っ掛けながら一人の警察官が飛び出して来た。

そして両手を広げ、

「止まりなさい」と命令した。仕方なく止まる事にしたが、「免許証」とぽつんと言って怖い顔で手を差し出した。その言葉に従って言われるようにすると、「止まらな!」と強く口にした。

 

「ええ?止まりましたよ!」と吉野は言った。「嘘言うな」とその顔が厳しくなった。「嘘なんか言っていません。」と吉野もムッと成り言葉を返した。しかし何も言わず切符を取り出した。

吉野はこんな時どの様に対処すればいいのか分からなかった。

あまりにも下品で横暴で、まるで生殺与奪の権利を振りかざしている、その得意げで一方的な態度が、空しく愚かにさえ見えて来た。

その時決して違反などしていなかった。

「この馬鹿が」と嘆きたくなった。


間違いなく止まった筈が、草むらから上手く見えなかったのか、止まっている様に思わなかったのか一方通行であった。それは道ではなく警察官の態度である。点数を稼ぎたかったのだろう。頑張って成績を上げ出世したかったのだろう。

なんと愚かなことかと思った。


それでも悔しくて裁判所まで足を運んだ吉野は、国家を背にした権力とはなんぞやと、一つの疑問がその頃に芽生え始めた。

それから長い年月の間に、警察官が点数を稼いで昇格や名誉や賞状を貰いたくて、嘘の実績を作り上げていた事が何度もあり、この警察と言う組織に大いに疑問を感じる日本国民に成ってしまっていた。

おそらくあの時の警察官も、今では肩書きが付いているだろうと予測出来るのである。威圧して、牛耳り強引にサインをさすのである。

反論を認めない。許さない。

それが間違いであっても。

吉野の心には頑なな憤りが逞しく根強く育っていた。




一方野坂由紀夫は一昨年会社が倒産して、田崎電気工業に採用された訳であるが、実はこの年もっと大きな事が起こっていた。            

新聞社へ勤める兄が、末期胃がんで亡くなっていたのである。野坂は独身を貫いていたが、実はその兄が野坂を常に心配していたのである。      

見合いをする様に何度も進めていた時期もあり、最近こそその話もしなく成っていたが、はっきりしない態度を叱咤されていた事も確かであった。 

「何がほしい」


生前兄道夫に言われて由紀夫は、「兄ちゃんの持っているそのテープ面白ね」と口にすると、同じ物を買ってくれたのである。それが先日九州へ持って行った岩村に褒められた録音テープである。兄の形見に成ったテープである。

そんな新聞記者の兄から、『平等とか正義とかを追求する事は飯より美味いが、飯を食ってはいけない』と言っていた事を思い出していた。

詰まり長いものには巻かれろと言う意味であったのだろう。人間目を瞑ってこそ大人に成れると言う事だろう。


しかし兄は汚れたペンは持たなかった。汚された文字は知らなかった。晩節を守り書き続けた男であった。だから僅か五十前後で命を落とす事に成った。


弟由紀夫はそんな兄の顔を頭の隅で感じながら生きているように常に思えていた。



岩村丈二は吉野とか野坂とは全く違うタイプであった。

二人ほど理論も考えも持っていないが、しかし監督タイプである。側に居ればそれで纏まり明るくなるタイプである。

才能が在るとは言えないが、しかし全く無い男ではない。寧ろ無いように見せかけて十分持ち合せている男である。

賢くないように見せる、まるで馬鹿であるように見せる、されど賢さを持ち合わせている奥深い男である。能ある鷹である。


この岩村はあまり勉学に励む時代など無かった。寧ろ荒れた青春を重ねていた。

しかしこの男には人に好かれる才能があった。

小太りであったが心も太かった。

だから正直このような探偵ごっこより、今までの様な金曜日の飲み会だけで良かった。それが在るから渋々お付き合いしていると言う塩梅であった。





こんな三人が探偵のような日々を重ねて、早一年半を過ぎた。

来月には橿原市市長選が執り行われる。 こちらも悲喜交々戦いが始まるのである。吉野ほか二人は選挙が始まる事を楽しみにしていた。候補者の中でこの轢き逃げ事件を口にする者がはたして居るだろうかと思っていた。

警察を叱咤した所でなんの得も無い、寧ろその事がきっかけで睨まれる羽目になる事ほど余程怖い事に成る。


更に可成の票を減らす事にも繋がる可能性が在る。警察官は服を着ていれば偉そうな人達である。服を脱げばおとなしい人達でもある。

それでも一般庶民はこの人達が、常に服を着ている状態を想像して係わらなければ成らない。それが上手な世渡りと言える。


そして選挙に出るつわものは、電信柱でも深く頭を下げる根性が求められる。それが出来ないなら選挙などしない事である。

ところがどのような選挙でも粋がる者が必ず一人は存在する。今回の選挙でそのような候補者が居ないか吉野は気にしていた。


具体的には平成二十三年に近鉄八木駅近くで起こった轢き逃げ事件を口にする候補を言う。

色褪せて行く事件であるから、何も新鮮味など無い。寧ろそのような事を口にしても誰も感心など持たない。

これが市長選挙ではなく議会議員選挙で更に近鉄八木駅近くの候補なら、立て看板の近くに立ってマイクを持ち、更に犠牲になった花村貴美さんの遺影を持ち、側で姉磯谷忍さんを従えて涙で訴えたら間違いなく票は集まるだろう。

それが警察を叱咤するような文句を並べても、最後に警察を激励をすれば事は収まる。




選挙二週間前候補者が出揃った。

一人の候補者がポスターにわざわざ赤い文字で、《忘れないで下さい。轢き逃げ犯人は、今でも悠々と暮らしているのです。私は一日も忘れた事はありません。絶対許せません。情報があれば、どんな些細な情報でも警察へ、若しくは私の事務所へお知らせ下さい。》



その候補の名前は川村源次郎と言った。 元警察官僚の親を持つ男であった。


この川村候補は皮肉な事に、唯一の実子を交通事故で亡くすと言う、悲惨な出来事の経験者でもあった。身に詰まる思いと警察官僚の父の誇りを見つめて来た人生であったから、本人は民間で働いていたが心に毅然と思うものがあった。


吉野たちはこの男に興味を持ったが、さりとてこの男が吉野たちの見方に成るとか、役に立つとか思わなかった。口にする内容を耳を立てて聞きながら摑めるものは摑むべきであると分析していた。


そして選挙が始まった。

案の定、川村源次郎は花村貴美が轢き逃げされた正にその現場で車を止めマイクを握った。 


「有権者の皆さん、忘れてはいけないのです。ここで人が一人轢き逃げされ亡くなってから早一年半を越しました。この間まほろば警察署の署員の方は、並々ならぬご尽力を費やして頂いて参りましたが、残念ながら未だ憎き犯人の逮捕には至っていない様です。


私たち市民が何か見落したものが無いか再度考えてみようではありませんか。

ここで亡くなられた花村貴美さんのお姉さんともお会いする事が御座いました。

大変心を痛めておられます。許せません。是非解決に至る事を信じて市政もろとも全力で頑張らせて頂きます。


私は橿原市の今一番解決しなければならないものがここにあると思い、ここから選挙戦をスタートさせて頂きます。」


凛とした立派な井出達で川村源次郎は初陣の挨拶をし始めた。


吉野はその姿が妙に立派に見えて来て何となく嬉しかった。

既に風化しているような事をこの候補者は、先ず第一に取り上げ、真剣にそして真面目に語っている事に心を引かれた。

それは警察を嫌っている吉野でもまるで関係が無いと言わんばかりであった。

岩村も野坂も選挙区ではない。岩村は田原本、野坂は大和高田市だからまるで関係が無かったが、轢逃げ事故に関してはおおいに関係が在るわけで、次第に吉野の考えに引き込まれて行った。


しかしあえて吉野は二人が近づいて来るのを嫌ったのは、今三人が一つになれば、伊貝の刺客が何処かから近づいて来る事も考えられたからで、二人に静観するように願った。

その分吉野は一人で頑張る事を心に決め、それは九州へ行かなかったから二人に対するお礼の気持ちであった。


仕事が終わると川村源次郎の事務所に足を運んだ。

川村源次郎の兄は大阪国税庁に勤めていて、既に退官していたがエリート一族でり、彼もまた大手商社で現役の頃は世界を飛び回っていたまさに企業戦士であった。


 しかし大事に育てていた一人息子を交通事故で亡くしていて、その心の怒りが今こうして筆舌に尽くしがたい思いで選挙に臨んだわけである。

その川村源次郎に興味など無かったが、この男は体を張って、かもすれば何もかもに立ち向かうのでないかと吉野には思えて来ていた。        


「僕この方が轢かれた日に近くでいました。そして僕が救急車の手配をさせて貰いました。

まだ生きて居られて痙攣されていました。可哀相に。憤りを感じます。」

その言葉が全てであった。              

「吉野さん私の車に乗って、共に戦って頂けないでしょうか?」

川村源次郎は、にっこり笑って吉野の手をつかみ、更に両手を被せて、その手を何度も何度も握り締めながら振り続けた。


続く

第二部分に続きます。

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