南溟の小鬼(ゴブリン) ラバウル上空にて
初めて架空創作大会へ参加します。
世界は怪魔の世界ですので史実と若干違います。
南溟の小鬼 ラバウル上空にて
1942年(昭和17年)12月23日、パプア・ニューギニアの南東端に位置するポートモレスビーの連合軍飛行場では深夜にも関わらず出撃準備が行われていた。
出撃予定の爆撃機と戦闘機は滑走路脇に引き出され、整備と給油、機銃の弾薬と爆弾の積み込みが夜を徹して行われ、それが完了すると暖機運転が行われた。それら一連の出撃準備は日付が変わるまで続けられ、それらの作業が終わると基地周辺は束の間の静けさを取り戻した。
私達がその作戦の説明を受けたのは、その日の偵察飛行から戻った直後でした。搭乗員がブリーフィングルームへ集められ帰投したばかりの私エドワード・ロス少尉と僚機パイロットのリチャード・フォーク少尉もその中に入っていたのです。
集まった面々を見渡すと全員がP-38のパイロットでした、私はそれに気が付き『何やら面倒臭い作戦に駆り出されそうだ。』と内心毒づいたのです。
「これより、ジャップの基地を叩く。
目標はここだ!」
作戦説明に登壇した作戦士官は指揮棒を背後の地図に当て現在地のポートモレスビーから東にその先端を滑らし、そして止めた。
そこは。
「ラバウル。」
その名にブリーフィングルーム内がざわついた。何故ならそこは日本軍の南方最大の航空拠点であり、多数の戦闘機と腕利きのパイロット待ち構える煉獄のとば口であったのだ。
「何機出るのですか?」
不機嫌そうな表情と声を隠そうともせずにリックが作戦士官にそう問うた。
「爆撃隊が21機、君たち護衛戦闘機隊が12機だ。」
その数字を聞いて先程のざわめきは悲鳴に変わった、誰もが確信したのだ『今夜が俺の最後の日だ』と。
「勘違いされては困るが、今回の作戦の目的は敵基地を叩くことではない。」
作戦士官は予想していたのか、我々の悲鳴にも似た不満の声を気にすることもなく話をす進めた。
「諸君らも知っての通り、現在ガダルカナル島ヘンダーソン基地がジャップの猛攻に遭って危機的状況になっている。」
それは言われまでもなく知っていた、この基地からも多数の戦闘機と爆撃機が引き抜かれて行ったからだ。お陰で此方は今暫く積極的な行動が出来ないでいたのだ。
「そこで、明日黎明に敵基地を小規模戦力で叩く、過度な戦果は期待してはいないから安心してくれ、目的はあくまでもヘンダーソンへ向くジャップの戦力を少しでも削ぐことだ。」
要は、陽動だな。と作戦士官は締めくくった。
リックは不安そうな表情で此方を振り返ったが、私は肩をすくめて『仕方がない。』との意思表示をした、事実これは仕方のないことだった、ヘンダーソンを見捨てるわけにいかないし何、よりこれは決定事項で我々末端の兵に変更する力は無いのだから。
その後、作戦の細部が知らされ明日深夜2時に離陸と成ることが伝えられた。
偵察飛行から帰ったばかりの我々には食事と仮眠を取ることが命じられ他のパイロットたちも可能な限り休むように命令されて解散となった。
定刻前に当番兵に起こされた私達は眠気を押さえながら装備を付け、ジープに飛び乗ると滑走路の脇に留め置かれた愛機に向かった。
何時も通り出撃前の点検を行い以上が無いのを確認するとコックピットへ潜り込みベルトと酸素マスクを付けた。
やがてエンジン始動のコールがされると私も愛機の左右2基のアリソンエンジンに火を入れた。
基地周辺がエンジンの轟音に包まれ、出撃準備が整うと滑走路脇の指揮所辺りから照明弾が打ち上げられた。滑走開始の合図である。
最初に滑走を開始したのはノースアメリカンB-25ミッチェルだった、ミッチェルは滑走を目一杯使ってユックリと飛び立っていった。その後に続く機体も同様だ、途中から爆撃機はダグラスA-20ハボックに変わったがこの機体も同様であった。
これは爆弾を大量に積んでいることもあったが同時にポートモレスビーとラバウルの往復の為に目一杯燃料を積んでいるために機体が重くなっていた為でもあった。
爆撃機隊の離陸が終わると次は護衛戦闘機隊の我々の番だが、その間は約30分ほど開けられる事に成っていた。
これはB-25やA-20とP-38の巡航速度の違いを考慮しての事であった、B-25とP-38では巡航速度が100km/h以上も違うのだ(勿論P-38の方が早い。)、確かにP-38が爆撃機隊に合わせて速度を落として飛ぶという手もあるがそうなると著しく燃費が悪くなり敵基地上空での戦闘に支障が出る可能性すらあった。
そこで出撃時間をずらし飛行経路の途中で合流すると言う手を取るこることになったのである。
私達の順番が来て周囲を見渡し安全が確保されていることを視認するとスロットを開き愛機を離陸速度まで加速させた、しかし、機体が浮かない。相当滑走しているのだが未だ機体は滑走路の上を走るだけだ、これは先の爆撃機と同様に満載した機銃弾と燃料、さらに航続距離を伸ばすために両内翼下に吊るされた2基の増槽タンクの重さが原因であった。
それでも我慢して滑走を続けるとやがて前輪が浮き更に両主輪も地面から離れ機体はユックリと高度を上げ始めた。
私はその様子を確認するとフラップと車輪を収納させ、更に高度を上げて機体を旋回させてパプワ湾へ機体を向かわせた。
照明弾を合図に離陸を開始した各機は一度南下してパプワ湾から珊瑚海へ出てそこで編隊を組むと反転して北上しオーエンスタンレー山脈を目指した。
向かう先はニューブリテン島東端、日本軍の南方に於ける最大の航空拠点であるラバウルであった。ポートモレスビーからラバウルまでは直線距離で806km,実際には敵拠点を迂回する関係で1000km近い行程となる、そしてその距離を平均350km/hで飛行するために目的地に付くのはAM5時と推測され、現地の夜明け30分前の黎明攻撃が予定されていた。
投入された戦力は、双発爆撃機21機と戦闘機のP-38ライトニング12機が護衛に付いた。投入戦力としては小規模で尚且つ護衛戦闘機の数が少なかったが、これはガダルカナル島での航空機の損耗を補うために戦闘機の多くを引き抜かれた結果であった。
それは主力である爆撃隊も同様であった、中心はノースアメリカンB-25ミッチェルであったが無理矢理数を揃えるために航続距離的にはギリギリのダグラスA-20(ハボック)も6機参加していた。こちらも損耗したガダルカナル島への救援戦力として引き抜かれた為で本来の主力である4発のB-17やB-24の姿は無かった。
そもそも、敵の本拠地であるラバウルを攻撃する戦力としては過少であったが、これは攻撃の目的が本格的なものではなく陽動もしくは牽制であった為である。
当時、日本軍はテ号作戦を発動中でガダルカナル島ヘンダーソン飛行場基地には連日激しい攻撃が加えられており、この圧力を少しでも逸らさせるのが今回の爆撃作戦の目的であった。
3時間余りの夜間飛行はパイロットにとって想像以上の負担であった、それは一人乗りの戦闘機の場合は特に顕著となる。
不幸中の幸いは今回の作戦は爆撃機が同行(正確には爆撃機を援護しているのだが。)していることだった。何しろあちら(爆撃機)には専任の航法士が載っているのだ、余程のことが無い限りは道に迷うことは無いと言えた。
先導のA-20先頭にオーエンスタンレー山脈を超えた我々戦闘機隊はそこで爆撃機隊へ追いつき合流するとそこから先は共に東進して目的地であるニューブリテン島東部のラバウルの南海上へ到達することが出来た(先導のA-20は合流ごに反転帰還している)。
時刻はAM5時少し前、当地の日の出がAM5時29分であったから余裕は然程もない。
爆撃隊は小隊ごとに分かれて、そのまま西側よりラバウル基地上空へ低空で侵入し日本軍が北飛行場と呼ぶ爆撃機用の飛行場を五月雨的に襲撃する算段に成っていた。
本来攻撃の際は太陽を背に行うのが常識であった、今回ならば東から攻撃を行うべきなのだが未だ太陽は水平線彼方であり、大きく迂回することにより燃料がひっ迫する事態も考慮の上そのまま西側からの攻撃と成った訳である。
正に日が昇るまでの僅かな時間帯が唯一のチャンスと言えた。
それでも空は時間とともに少しずつ微かにだが明るく成ってゆき、ニューブリテン島の南海岸が微かに見え始めた。
チャートでラバウル基地の北飛行場を確認するが地面は漆黒に覆われていて動きは全く見えなかった。
そこでは此方を探すサーチライトも対空火器の発射炎も見当たらず平穏な時間が流れているように見えた。
『良かった、作戦は成功だ。』と喜びの表情を浮かべた私の顔は、視線を上げそれを水平線に向けた途端、凍りついたものになった。
「神よ。」
誰が呟いたか判らなかったがその様な言葉が隊内無線を通じて飛行帽のレシーバーに響いた。
目を凝らして進行方向の空を凝視する、僅かに明るくなりつつある東の空、敵の基地があるその彼方の空に芥子粒の様な黒点が幾つも見えはじめた。
昇りつつある太陽の日を受けて時よりキラキラときらめく、その数は5や10ではない、20から30と言う数が視認できたのだ。
「クソ、やつら待ち伏せしていたんだ!」
「誰だ、ジャップの戦闘機は居ないって言った奴は!」
「駄目だ、爆弾を捨てて逃げないと皆殺しだぞ!」
攻撃隊各機の共通周波数に合わせたあった無線機は、突然パニックに陥ったパイロット達の叫び声に満たされ用を成さなくなった。
私は既に空となった増槽タンクを切り離し機銃の試射も済ませていたので操縦桿の発射トリガーの安全装置を解除して戦闘準備を完了させた。
「諸君、落ち着きたまえ。
浮き足立てば敵の思うツボだぞ。」
攻撃隊指揮官のエリック・マクロード中佐の落ち着いた声が無線機を通じて届けられ束の間、無線機の向こう側が静かに成った。
「作戦を変更して密集隊形で突入し爆撃を敢行する。
爆撃機各機は、相互援護射撃を徹底して敵機を近づけさせるな。」
作戦としてはかなり無理な話だがこれ以外に手もないのは確かだった、ただ一つあるとすればここで全機爆弾を捨てて反転して逃げることだけだ。
勿論その選択肢は考えられなかった。
「上手く行って無事帰ったらビールを奢るぞ。」
それは指揮官の常套句だったが、ここではそう言うべきであった。
再び無線機の向うが騒がしくなったが、今度は恐慌した言葉ではなく心を前に向けるためのものだった。
「ガダルカナル島で戦う戦友たちに知らせるのだ、彼らが孤独で戦っているのではないと。
我々もいるのだ・・。」
マクロード中佐の演説の最中に上空から二筋の太い火線が降り注ぎ、それが爆撃機編隊の先頭を飛ぶB-25へ突き刺さった。
B-25は瞬く間に炎に包まれて四散させ落下していった。
それは攻撃隊指揮官のマクロード中佐の乗機であった。
その直後、2機の戦闘機が編隊脇をすり抜けるように突っ切って降下していった。Jag(リパブリックP-47サンダーボルトの愛称)を思わせる巨大なエンジンカウルを持つその敵機は降下と言うよりも落下と言う表現の方が正しいのではないか言うほどの速度で一撃離脱で去って行った。
「くそ、Sandy(〈蒼電〉のアメリカ側のコードネーム)。
Wyvernだ!」
レシーバーの中で両機パイロットのリックの毒づく声がした、従来の日本機には無いその厳ついカウルは確かに情報に有った敵の邀撃機のようだが確認している余裕は無い。
指揮官機を失ったことで再びパニック状態に陥た爆撃機隊がその持てる防御火器を一斉に放ち始めたのだ、それも闇雲に。
近づけば、と言うよりも援護位置に居る我々にもその銃口は向けられ味方に撃たれたパイロット達の悲鳴と怒声で再び無線機は使い物にならなくなった。
「リック、行くぞ。」
私はそう一言告げると、エンジンをフルスロットルにして機体を加速させると操縦桿を引いて機体を上昇させた。それは友軍機の誤射から逃げる為と敵機の襲撃に備える為であった。
上空に向かって駆け上る我々と擦れ違う様に、再び火線が降り注いだ。しかし、私を狙った火線は狙いが甘く軽く機体を捻って交わすことが出来た、こんどは此方の番と上空から機首と両翼に発砲炎を纏わせて急降下してくる機体を照準器の中へ収めようとし私は自分のミスに気が付いた、敵機の狙いは私ではなかったのだ、回避して開いた空間を敵機が放った銃弾が通り抜け下方にいたB-25に突き刺さった。
敵機の先の射撃は邪魔な私を射線から退かすための牽制だったのだ。
その意図に気が付き歯ぎしりする直ぐ脇を敵機はすり抜けていった。今度はWyvernではない。今度の機体の機首はWyvernとは対照的に液冷エンジン特有の尖ったカウルで覆われていた。
「今度はTony(三式戦〈飛燕〉の米側コードネーム)かよ!
クソッタレが!!」
「気を付けろ、今度はHamp(零式艦戦32型乙の米側コードネーム)が来るぞ。」
思わず漏れた悪態にリックが注意を喚起してきた。
その言葉通り、前方から丸っこいカウリングと角ばった翼端が特徴のHampが降下してきた、その殆どが長銃身の20mm機関砲を搭載した武装強化型た、そうなると狙いは我々の足元を飛ぶ爆撃機だということだ。
この日、最初の襲撃で米攻撃隊側は8機の爆撃機が撃墜もしくは撃破離脱していた、それでも残存の爆撃機は攻撃を諦めず、ラバウル北飛行場へ向かった。
これに対して、邀撃にあった日本軍側は終戦後に資料が散逸してるために正確な数字は不明だが、当時戦闘に参加した搭乗員達の証言から陸海合わせて30機前後が邀撃に当たったと考えられる。
戦闘初期は邀撃専門の海軍のSandyと陸軍のTojyo(二式戦〈鍾馗〉の米側コードネーム)とTonyが行ったが基地に近づくとZekeとHamp、更に陸軍のOscar(一式戦〈隼〉の米側コードネーム)が戦闘に加わったとされている。
混戦の中、私は2機のHampに火を噴かせたが撃墜は確認できなかった。
私達は残り6機まで減った爆撃機を守りながら戦闘を続けた、当然だが戦闘機の損耗も小さくはない。
「エディ、後方に敵機だ!
あいつはHampだ。」
「行くぞ!。」
敵機を発見したリックにそう告げると私は敵機の針路を遮るコースに機体をのせ、リックは逆に私の援護位置から離れていった。
私は敵機が自機の後方に喰らいつているのを確認して最初は右に大きく旋回し途中で素早く切り替えして左へ旋回、つまり大きくS字を描くコースを飛んだことになる。
途中の切り返しポイントで実は逆の軌道でリックのP-38 が飛行しており、最終的に敵機の左翼から接近し攻撃する手筈に成っていた。
サッチ・ウィーブと呼ばれる相互支援機動はZekeやHampに有効とされる攻撃方法で私達ペアも得意技としていた。
後少しと言うポイントまでHampを追い込んだが、リックが射撃する直前で敵機は左にロールを打って離脱していった。
そしてその刹那、私の進行方向に発火炎が煌めき4線の火線がリックの機体へ向かった。
それは初めて見る機体だった、機体の形態は見慣れたHampと同じであったが、角ばった両主翼の中程には大きく突き出した4本の銃身が見えた。
ただ、その銃身から放たれされた火線は見慣れた20mmのものと比べると小さく見えた、しかしである。その銃弾がリックのP-38を捉えると着弾と同時に機体に大きな弾痕を穿った。
直撃した弾丸は10発は無かったと思うが巨大な出来ればその数は大した問題ではなかった、次の瞬間リックのP-38は左の主翼がエンジンナセルの横で断ち切られて錐揉みしながら落ちていった。
戦友であり友人であり僚機のパイロットを失った私は何か大きな声で叫びながら敵機を追った。
しかし、その動きを予期していた様に先程私の後ろに付いていた敵機が再び私の後方へ付き、4門の機銃から銃弾を浴びせてきた。
この時点で私には追撃を諦め急降下で逃れる他に術は無く、唇から血が出るほどに歯を食いしばりながら機体を急降下していった。
気がつくと友軍の爆撃機の姿はなく、戦果は不明であったが空戦は終了しいた。
1942年(昭和17年)12月24日未明に米軍がラバウルへ行った爆撃作戦は結果的に大きな損害を出して終わった。
その要因に関しては諸説あるが、一つには日本軍がレーダーを装備してる点を無視した点に有ると言われている。
ニューブリテン島の東にあるニューアイルランド島のセント・ジョージ岬に設置されたレーダーサイトはガダルカナル島放棄後の戦闘においてラバウル基地を守る常用な装備となった事で有名だが、それ以外にも日本の陸海軍はニューブリテン島の周囲にレーダーを設置していた、今回はそれに攻撃隊は捉えられ待ち伏せを受ける結果となったの見方が有力である。
また、この戦闘では多くの戦闘機が投入されたが、先の邀撃戦で注目されたSandy以外にもTojyoやTonyなどラバウル方面では初見に近い戦力が投入されている、これはテ号作戦に従いブイン基地へ移動したZekeとHampの戦闘隊の穴を埋めるために陸軍の航空隊がラバウルの守備に付いていたからであった、陸軍機のラバウル配置はこの後も続き同基地が終戦まで持ちこたえれた要因の一つにも成っていた。
またこの戦闘で見慣れない戦闘機が確認されている、ロス少尉のP-38のガンカメラが捉えたその機体は、両主翼に4門の機関砲を装備していた、その効果から機関砲は20mmと見られおそらく対爆撃機用のスペシャル仕様では無いかと当時は考えられたが、後にこれはM4機関銃のコピーで有ることが判った(正確には縮小版のライセンス生産品)、その効果は12,7mm機銃弾に炸薬を装填していた結果でしかも信管を必要としない仕様と成っていた(空気信管)。
12,7mm銃弾とは言え炸薬を装填した銃弾の威力は大きく、この機体は後に小鬼・ゴブリンと呼ばれて特に爆撃機のクルーたちから忌み嫌われることとなる。
創作大会に気がついてほぼ一週間で書き上げましたがどうでしょう?
誤字脱字があったらごめんなさい。