失格
初投稿です。よろしくお願いします。
洋琴、崩れるような美しい音色。その音が大好きだ。
俺は羽鳥新一。名誉に金、いろんなものを欲しいままにする小説家だ。芥川賞だって受賞した。新作は飛ぶように売れた、自分で言うのもなんだが今、一番売れている小説家だ。
「お父さん、お疲れさま」
「フジヱ、ありがとう」
ことしで十二になる娘もいる。綺麗な奥さんだっている。仕事も家庭も順風満帆といった感じだ、すべてうまくいく、うまくいくはずだった…
新作を執筆しているとふと、ある思いが浮かんだ。この絶頂期はいつまでも続くのか、と…突然、異様な寒気が襲いかかった。ばっと机から遠ざける。もしかして、もしかしなくてもこの想像力は永遠ではない?
そんなはずはないと、頭を振り原稿に向かった。また、あの考えが浮かんだ、もう一度頭を振っても忘れることができない。脳にべったりとこびりついて、離れない。衰え誰の記憶にも残らず消えてしまうのか?いやだ、そんなのはいやだ。またあの寒気がし布団にくるまった、ガタガタと奥歯が鳴る、ぶるぶると体が震えた。衰え、そんなものは今まで怖いともなんとも感じたことがない。衰えるわけがない、そんなものに縁などあるわけないと思っていたくらいだ。
「新一さん、ご飯ですよ」
奥さんの呼ぶ声、俺は重たい体を動かし食卓へ向かった。食事中もその考えは離れない、まるで呪いがかかったみたいだった。
次の日、その日も考えは、離れないどころか、執筆中もその考えが頭の中を占領した。締め切りも近づいているのに話が思いつかない。いつもなら締め切りが、いらないくらいぽんぽんと思いつくはずなのに…
気分転換にフジヱと遊んでやるか、この頃、寂しがっているらしいからな。下に降りるとフジヱが洋琴、ピアノを弾いていた。俺も昔、母さんに弾かされていたなと懐古の情に浸っていると、突然、子供の頃の嫌な思い出がフラッシュバックした。ちょっとだけ顔をしかめた。
フジヱは俺に気付き、可愛い笑顔で話しかけてきた。
「お父さん、私、ピアノ上手になったよ!」
「どれ、お父さんに聞かせてくれるかな?」
本当は聞きたくない。でも可愛いフジヱのためだ、娘の成長を見てやらないなんて、親失格だ。フジヱは嬉しそうにピアノを弾き始めた。ああ、よく覚えている嫌な曲だ。発表会で何度も失敗して、父さんに頭ごなしに怒られた記憶、もうすぐ間違えたところだ。
フジヱは失敗しなかった。父親なら褒めるところだ、でも俺はいら立った。なんで娘にはできて、俺にはできないんだ。置いていかれるような感覚がして気持ち悪い。
「子供相手に大人げない」
母さんのひどく冷たい声、振り向いても誰もいない。それを皮切りに父さんのあの怒鳴り声、妻の呆れたような声。責める声が脳内に流れる。弾き終わったのかフジヱはくるりとこちらを向いた。
「大嫌い」
そんな事一言も言っていないはずなのに、頭の中で勝手に変換された。何がなんだか分からない。居たたまれない気持ちになり自分の部屋へ駆け戻った。もう俺は使いものにならなくなったのか?そんなはずがない。小説だってほら…手に取った原稿を読む。面白くない、ちっとも面白くないじゃあないか。担当や読者に、面白くもない小説を読ませていたのか?ああ!忌々しい!自分が忌々しい。もうダメなんだ、もう終わり。誰かに忘れ去られるくらいなら自分から消えてやる。
梁に縄を括り付ける、大切な机を踏み台にして縄を首にかける、ぼんっと机を蹴り、宙吊りになり首が締まっていく。もし、周りが俺のことを衰えていないなんて言ったら、鼻をへし折ってやりたい。自分の変化には、自分が一番に分かることだからだ。
俺の人生は洋琴のように美しくも儚いものだった。洋琴の崩れるような音色のように俺の人生は自ら崩しに行った。