アルトバアナ・遺跡の国
それじゃあ、賭けをしようじゃないか、次の町のついたとき、
俺たちが、
恋人に見えるか、それとも親子に見えるのか。
リュートの「手記」より抜粋
1
空には西の方に虹がかかる。いつかはあの足にたどり着けるだろうと、駆けたときもあった。あるいは、空を飛べたとしたら、あの虹の橋をくぐることができるのかしらなんて、夢を見たこともあった。
歳でいえば、今とほど変わらないころのことだったかしら。
少し開けた丘に立ち、リュートは両腕を腰に当てて、まっすぐ立つ。お気に入りの黒のワンピースが風に揺れ、背中にあるリボンの端が、斜めに棚引いている。彼女の肩を越えるほどの髪は、まるで、太陽がそこにあるかのように、赤く輝いている。
あの時、リュートを救ってくれた天使は、まだこの世界にあるのだろうか。いくつかの風に噂を聞くことはある。けれど、リュートのように、この地に足を付けている話はまるで聞かない。
耐えられず、自ら命を絶ってしまった者もあるという……もちろん、命はもうとうに尽きているのだけど。氷の大地にその身を沈めただとか、炎あふれる火口に、その身をゆだねたとか、そんな話だ。
何百世代もの間、リュートがこうしてこの世界を旅してこられたのは、イルデンバーク老王によるところが大きい。それなのに、彼と別れてしまった。
必然、
偶然。
神の摂理は分らない。けれど、リュートが今、こうしてまた旅に出たのには何か意味があるのだろうと、リュートは考える。
一陣の風が、リュートの頬に当たる。
風に、小さな歌が乗っていた。あまりにも小さくて、何の歌か分らなかったけれど、はっ、と、胸を締め付けるような歌だった。
「リュート、果肉が採れたけど、食べる?」
「毒見?」
リュートは振り返ると、その丘の下からブドウのような果物を両手に持ったウルフィが立っている。リュートのワンピースに比べ、疲れた服だ。イリスの国から持ってきた鎧を着ていた時期もあったが、旅には不向きということで、いつからか彼はラフな格好を好むようになった。
「そう、毒見。うん、リュートがいてくれて、本当に助かってるよ」
「それってひどくない? いつになったら、様を付けてくれるのかしら」
「はいはい、リュート様」
その果実を一つ、きれいな放物線を描くよう、ウルフィはリュートの手元へと軽く投げた。リュートは受取り、薄い皮ごと口に含む。
紫色の液体が、その瞬間に広がり、リュートの赤い唇を染める。
「うん、大丈夫だね。毒はなさそう。遅行性だったら知らないけど。生きてるって、無駄なことね」
「これでも何度も守ってやってるんだ。もう少し感謝してもいいんじゃないかな」
「だから置いていかないであげてるでしょ」
「そうですね、リュート様」
青年の顔だったウルフィも、すでに若さを失いつつある。リュート自身年を数えることはしないが、おそらくもうウルフィも三十に近いのだろう。イリスに残っていれば、ウルフィの実力があれば、騎士団を束ねる役職についていてもおかしくないというのに。どうして、付いてくるのだろう。
その答えは知っている。
けれど、とても残酷な話にしかならない。
それを利用しているのだから、ひどいのはどちらだろう。
リュートは、ウルフィに気付かれないように再び虹を見ながら、一度だけ首を振る。
2
空の上の空には、真っ白な翼をまるで水面に波紋が広がるように広げた、国主さまでさえもがひれ伏してしまうような、天の御使いが、その慈愛に満ちた瞳で、この広いけれども多くの病巣に食われた地上を、どうにか救い出そうと見つめているに違いないと、カタのウイルスに侵された少女は、固い床にただ一枚敷かれたシーツの上で、一人、思い、涙を流す。
屋根はない。
空は美しく、時折の白い雲は、まるで天の御使いが彼女に語りかけるように、数千の形を作り、あるいは彼女を包み込むように、あるいは彼女に口づけをするように。
アルトバアナに雨はない。
過去からそうであったわけではない。何百年か前から乾季が終わらなくなり、こうして打ち捨てられてしまったのだ。少女に似た境遇の、さまざまな病にその身を虫食われた人々が、こうしてこの地にまた、打ち捨てられる。
それでもカタのウイルスに侵された少女がこの地でまだその命をわずかであれ留めているのは、多くの聖女と呼ばれる人々の献身的な看護の力に負っている。聖女らは、自らの命を犠牲にして、この地へやってきて、その最後の時までこの地を離れることはない。それだけではない。実際この地へ送った人からの援助も多い。その家族とて、この地へ送ることになるとは、そのつい前の時まで考えもしなかったのだから。教会、あるいは国の機関から、突然の宣告を受け、そして逆らうことができない。だからせめてもと、あるものは自らの財産のほとんどを、この地へと捧げる。
「代われるものなら、代わってやるのに」
多くのものは知らない。
アルトバアナは、地獄のような世界だと、多くの人は考えている。確かに、病人がこの地へ来て、生きて帰るものはいない。すべてがこの地で最後の灯を滅し、死んでゆくのだから。けれど、この地は地獄ではない。恐怖と、死への不安から、数日と泣き過ごしたものであれ、アルトバアナに広がる美しさと、聖女らに、この世の天国を見るであろう。
カタのウイルスに侵された少女もそうであった。
「ねぇ、あたしが、怖くないの?」
少女は震える声で、震える腕を伸ばしながら、自らの腕にいくつもできている斑点を見つめ聞く。
「あなたを恐れる理由なんて、わたくしにはありません。偉大なる神さまが、あなたを包み込んでいます」
聖女の瞳は、少女が空想した天の御使いのように、慈愛に満ちている。
「不安にならない? 怖くならない? あなたもあたしみたいになっちゃうかもしれないのよ?」
「怖いなら、わたくしはここにいません。あなた方に仕えることがわたくしの勤めでありますし、それを偉大なる神さまも望んでいるのです。ですから、わたくしはわたくしのためにも、あなたのそばを離れることはありません」
そんなの、馬鹿だよ、という少女の思いは口には出さなかった。けれど、その代わりに少女は声をあげて、歌を歌う。
どうか自分を責めないで、
わたしはここで幸せよ。
どうか自分を生きて、
わたしはここで生きているから。
空にはやさしい天の使いが、
地にはやさしい神の使いが、
わたしにやさしく語りかけるの、
やさしく、やさしく。
だから、自分を責めないで、
わたしはここで幸せよ。
ここで生きているのよ、
だから、自分を捨てないで。
3
薄汚れた木製の看板が、西を指し、すでに半ば読み取れないほどにかすれてしまった文字でアルトバアナと書かれている。道は違えていない。けれど、人々が恐れているのもその通りだろう。
リュートは、東のルスダンの町で会った中年夫婦を思い出す。
リュートとウルフィがルスダンを出たのは5日ほど前だったか。その前日、町の西の小高い丘に二人はいた。まるで彫刻のように、二人は動くことなく膝をつき、祈りをささげていた。それが懺悔だと分かったのは、話しかけてからのことだ。
「どうか神よ、愚かなる私たちをお許しください」
「どうか神よ」
「どうか神よ」
繰り返されるその文句を耳にし、リュートは丘を上り、二人に話しかけた。二人が返事を返してくれたのは、日が落ちてからのことだ。それまでリュートは数時間をただ待っていた。酔狂なことだと、知らないものであれば思うであろう。少なくともウルフィにはそう思えた。けれど、リュートからしてみれば、それはわずかな時でしかない。
夫婦は、夫をエディタ、妻をカウェイと名乗った。リュートとウルフィを二人の小さな家に招き、夕食をごちそうしてくれた。
「ごめんなさいね、勝手に招いてしまって。どうぞ、遠慮することなく食べてくださいな」
カウェイが料理をテーブルに運びながら言う。
「いいえ。わたしが勝手に待っていただけですから。二人の祈る姿がとても神秘的に思えまして」
「わたしたちにもね、あなたくらいの歳になるかしら、娘がいたのよ」
「とてもかわいくて素直な娘だった」
アルコールを飲みながら、エディタが相槌を打つ。
「亡くなったんですか?」
リュートは、隠すことなく思ったことを口にした。けれど、二人は同時にその首を振り、いいえと答える。
「カタのウイルスをご存じ?」
「カタだって?」
ウルフィが驚いた声を出す。
「そのウイルスはもう存在しないはずだ」
「ええ、そのはずでした。でも、うちの娘はそのウイルスに侵されてしまった」
「発見が遅れていれば、わたしたちにもうつったでしょうよ。教会に診断されまして……」
ウルフィがリュートの耳に、おい、と声をかける。リュートにも分かっているが、リュートはウルフィを抑える。
カタのウイルスは存在しない。少なくとも、イリスの国ではそのウイルスはすでに解明されている。まさに教会の腐敗した側面だ。リュートもその長い旅の中で、カタに侵された多くの人にあっている。その多くが、ウイルスではなく、精神性の疾患であり、決して伝染することはない。ただ教会にとって邪魔なだけだ。
「西には、アルトバアナがありますね」
リュートは続ける。
「アルトバアナ、地獄の町とも呼ばれています。そこに、娘を捧げてしまったのですね。いえ、責めているわけではありません。教会に逆らうことはできないことをわたしは知っています」
「ええ、ええ、逆らうことなんてできない。できれば、わたしたちもその町に行けたら、と思いますよ」
リュートは指を三本立てる。その様子に、エディタとカウェイは同時に首をひねる。
「アルコールを3本いただけましたら、わたしがその町に行きます。といっても、わたしにできるのは、その娘さんに言葉を伝えるくらいです。連れ出すこともできませんし、二人を連れていくこともできません」
「いえ、そんなことさせられない」
「大丈夫です。カタにせよ、他の病魔にせよ、わたしには影響がありません。その町に聖女が仕えている話を聞いたことがあります。神の加護があれば、問題ないのでしょう?」
「だめです。それは、やはり許されないことです。あなたのような若いお人を……」
「少し語弊があったみたいですね。その町に行くことは、もう決まっています。ただ、伝言を持っていくか、それとも、何も知らずに行くか、それだけのことです。わたしの旅の目的も、今は西にあるのですから」
ガタと音を立ててエディタは立ち上がる。彼はそれからほとんどしゃべることなく手紙をしたためると、奥にしまってあったボトルを三本持って戻ってきた。
その瞳は、本気の、懺悔だったと、リュートは思う。手紙には、ほとんど読めないような文字の羅列が続いていて、すぐには何と書いてあるのか分からなかった。けれど、そこにやさしい文句も、謝罪もない。
ただ、俺を恨め、と。
似たような文句の繰り返しだ。
それが残酷な切り捨てとなるのか、いたわりの優しさと伝わるのか分からない。リュートは西を見る。道は荒れてしまい、たどり着くにはもう少しの時間が必要だろう。
「怖い?」
「誰が、何を?」
「カタのウイルスが、あなたを」
「はん、まさか。今更俺が恐れるものなんてないね」
「だからアルコールをもらってあげたのよ。飲みたくなったら言ってね」
「アルコールは苦手だ」
次の言葉をリュートは合わせて言う。
「記憶がなくなるから」
4
「さて、野郎ども、準備はいいか?」
十人ほどの人影。その先頭に立っている男が、低い声を出す。それに応えるように、野次が飛ぶ。
「繰り返し言うが、病人には手を出すな。手を出したやつは俺が斬る。これは、注意じゃなく、警告だ」
「分かってやすよ、ボス。誰だって病を欲しいとは思わねぇ」
「貯蔵庫にはカギがかかっているだろうが、俺なら1分で開けられる。それまでに、お前らは聖女らを好きにしろ。集合は今からきっかり3時間後、この場所だ。遅れたものは置いていく」
「へぇ、へぇ。早く行きましょうぜ、楽しむ時間が減っちまう」
「それじゃあ、開始だ。行け、野郎ども」
その言葉と同時に、男の周りにいた十人ほどの影が一斉に丘を駆け下りていく。その先には、アルトバアナの、半ば遺跡となってしまった町が広がっている。打ち捨てられた地獄と、そこに仕える聖女。多くの噂から、ここにたんまりとお宝が隠されていることは分かっている。それに、あいつらには女を与えておけばそれで満足するだろう。
グリド=オンディーノ、かつてはシスの国で騎士を束ねていたことがある男だ。だが、任務に失敗し、その職を失った。だけでなく、その国から追放され、今では野党の頭だ。思ったほど悪くない環境ではあるが、物足りない。だが、そのためには金が必要だ。
「さてと」
口に出しながら、グリドも丘を下っていく。
すでに、アルトバアナは混乱していた。それまで同様の盗賊の襲撃を受けたことがなかったのだろうか、と疑いたくなるほど脆弱で、あまりにも骨がない。グリドは、その混乱の中、ほとんど迷うことなく町の中枢へと向かっていく。聖女ばかりと聞いていたが、男も混ざっている。元気に走り回っているものもいるし、死にそうな病人の姿は見えない。重症の患者はおそらく別の所に隔離されているのだろうが。部下たちすべてが無事ということはないだろう。そえでも十分な時間を稼いでくれる。
ひときわ大きな家を見つける。遺跡の中にあってよく手入れがされていて、おそらく今なおきちんと使われている場所であろう。グリドがその家の扉に手をかけようとしたとき、背後に殺気を感じ振り返る。
だが、誰もいない。
気のせいだったか、と思えるほどグリドの感覚は鈍っていない。今なお、まっすぐ彼に殺意を向けている。ほぼ、真正面から、グリドの視界に入っていないというのに、肌がひりひりするほどの殺気だ。恨まれて当然の稼業ではあるが、これほどの意思は、そう発せられるものではない。
グリドは腰から剣を抜いた。
「誰だ?」
自分の耳にしか聞こえないほどの声だ。いったい、誰だというのだ。
その相手の姿が、ようやく視界に入る。
それほど大きくない、黒のワンピースを着た、少女。
その少女を見たとき、グリドの体に雷が走る。けれど、そんなはずはない。あのとき、グリドの持っていた剣が、確実にその少女の胸を貫いたのだから。それに、その姿はまるで、その時の少女そのものだ。
聖女リュート。
すべての部下を犠牲にして、抜け出した後に、その少女の葬儀も開かれていたはずだ。娘がいたとは思えない。
リュートの踊るような動きが、グリドの手首に当たる。それと同時に、グリドの持っていた剣が宙を舞う。
「お久しぶりね」
下から、リュートが睨みあげる。
5
アルコールで意識朦朧としているウルフィの相手をした後で、リュートは彼をおいて西のアルトバアナへ急いだ。妙な胸騒ぎは、アルトバアナに近づいたとき核心へと変わる。あって許される喧騒をこえた、むしろ悲鳴に近い声があちこちであがっている。リュートは高台からアルトバアナを見下ろし、その中枢にほど近い場所にある一際立派な家の前に向かう男の姿を見つけた。おそらく、この騒ぎの首謀者であろう。
そして、リュートはその男に見覚えがあった。
リュートがこれまで生きてきた中で唯一といっていいほど、不覚を取った相手だ。あの、イリス三百年祭で、勇者ハルザートの鎧と剣とを奪うために、襲ってきた男。そして、あのとき、その男の剣でリュートは胸を貫かれた。
「くっ」
唇を噛み、そこから一気に駆け下りる。まだかなりの距離があるというのに、男は振り返った。そしてその腰から剣を抜く。殺気を読み取られたのだろう、だがリュートは止まらない。
相手がリュートを捉える、が、その眼は一瞬の驚きに捉われている。リュートはそのまま止まることなく男の元まで駆け寄ると姿勢を低くし、下方から剣を持っている手首を打ち上げた。同時に剣が宙を舞う。
「お久しぶりね」
「バカな」
「本人よ、今度は負けない」
リュートは再び、今度は両手で男の腹を突くと、宙に舞ったままの剣を手に取った。男は腹を押さえたまま一歩引くと、バカな、と繰り返す。
「本人のはずがない」
「落ちぶれたわね。殺した相手のことくらい覚えているでしょ。それも、あんな大舞台で殺ったんだから」
「ああ、忘れちゃいないね。あんときお前がいなけりゃ、俺は英雄だったんだからな」
「私があのときあの国にいたのは偶然だったけど、まさかこんな所でまた会えるなんて思ってもいなかった」
「……本当に本人なのか?」
リュートは答える代わりに間合いを詰める。
ウルフィは、気がつくと一人だった。昨晩のことを思い出そうとするが、アルコールを飲んだせいだろう、何も覚えていない。ただ、リュートがやたらとアルコールを飲むように進めてきたのだけは覚えているが。そのリュートがいないことに、不安を感じ、ウルフィは急いで立ち上がると、西の、アルトバアナへ急ぐ。
すぐに、その理由の一端が判明する。
悲鳴に溢れている。
舌打ちしながら、ウルフィは長年使っている剣を抜く。アルトバアナに入ってすぐに、その原因となっているのであろう相手にあった。相手はほぼ丸腰だ。ウルフィは躊躇することなく相手を斬り捨てる。全身に血を浴びた、その相手の下にいた女が、一層の悲鳴を上げる。だが、それをなだめている暇はない。
意識を集中し、悲鳴の場所を特定していく。
一人、
また一人と、
ウルフィは男どもを斬り捨てていく。
十人ほど倒したときであろうか、ようやく悲鳴も少なくなってきた。それでもウルフィは気を抜くことなく、返り血もそのままにアルトバアナの遺跡を歩く。その中、場違いとも言えるような、きれいな女の子の声が、まるで天に祈るかのような歌が聞こえる。
息を整えながら、自然とウルフィの足はその声の主のもとへと向かっていた。
アルトバアナでも、奥の屋根すらないせまい部屋の床に彼女はいた。全身に、黒い斑点が浮かびあがり、何かの病に冒されているのは見るからに明らかだというのに、少女の声は生き生きと、そしてその顔には生気が溢れている。
少女はウルフィに気がつくと、歌を止めた。
「私は止めたほうがいいよ。おじさんにもうつっちゃうよ」
「俺は、そんなことはしない。そんな奴らをやっつけたところだ」
「そう。どちらでもいいわ」
まさかと思い、ウルフィは少女の名を呼んだ。エディタとカウェイに聞いた娘の名だ。
「どうして、おじさんが私の名前を知ってるの?」
「ああ、うん、なんだな」
ウルフィは曖昧に答える。手紙を持っているのはリュートだ。リュートが何を思い、二人から手紙を預かったのかウルフィには分らない。今名前を呼んでしまったことさえ、出すぎた真似だと怒られてしまうかもしれない。この事態を恐れて、リュートはウルフィにアルコールを飲ませたのだろうか……とすれば、リュートはまだここに来ていないということになる。
ごまかすように振り返ると、目の前にリュートが立っている。ウルフィよりは少ないが、血を浴びた黒のワンピースは、もし太陽の光の下であれば、あきらかに目立つほどだろう。リュートも誰かを斬ってきたのだろうか。
「私より先に見つけるなんて、すごいじゃない」
「そりゃどうも、リュート様」
いつもならにらみ返してきそうなものだが、リュートはすっとウルフィの脇を抜けると、少女に手紙を手渡す。
「あなたの両親からよ」
少女は、けれど手紙を読もうとしない。
「この場で読まないのなら、破いて頂戴。それだけのために、変なタイミングでここに来ることになったんだから」
「おい、リュート!」
「カタのウイルスは存在しない。あなたは望んでこの地に来た。あなたが両親の重荷になってるなんて、悲劇のヒロインを演じたかったんでしょうけど。一層両親を苦しめてるなんて、想像できなかった?」
「おい!」
「図星ね」
少女は手紙を破り捨てる。
「二人は恋人? 親子には見えないな」
「……どちらでもないわ」
6
アルトバアナを地獄の町と呼ぶ者がいる。なるほど、その通りであろう。けれど、私はそこがかつて栄えていたときからの姿を知っている。あそこを、私なら遺跡の国と呼ぶだろう。そのほうがふさわしい。たとえどれだけすぐれた国であろうとも、その中には醜い部分を孕んでいる。経験からそれは分かっていることだ。ただ雨が降らなくなっただけで捨ててしまうには惜しい国だった。けれど、教会はどこかにそのような場所が必要だった。
どちらでもいいことだ。
「リュート、機嫌が悪いか?」
「最悪よ」
ワンピースの背中にある大きなリボンが、風に揺れているのを感じる。
「でも、ウルフィは嬉しかったんじゃない? まだ私と恋人って見てもらえたわけだし」 「あのなぁ、俺はまだ若い。少なくとも、リュートくらいの娘がいるなんて思われたらそれこそショックだ」
「それが普通の感覚だわ。でも、あなたは生きている。そろそろ私から離れたほうがいい」
「離れない」
「次の町ではどうかしら?」
「たとえ親子って思われても」
ウルフィの両手が私の肩にかかる。力が入りすぎで、痛いくらいだ。
「あなたの気持ちは分かってる。だけど、非生産的じゃない」
「そんな悲しいこと言わないでくれ」
「それに、素のあなたはつまらない」
両手を払いのけると、リュートは人差し指を一度だけ唇に持ってくる。
「アルコールが入らなきゃ、キスさえしてくれないんだもの」
「!」
くるりと体を反転させると、私は声をあげて笑う。
「なんだよ、そういう冗談は好きじゃない」
「冗談じゃないよ。怖かったのは私だし。だから、アルコールをもらったんだし。私だって、ふつうの女の子のような思いもあるんだよ」
「リュート?」
「ウルフィのことは嫌いじゃない。だけど、親子って思われたらお別れだよ」
後ろからウルフィのため息が聞こえる。
アルトバアナは遺跡の国。きっとこれからもあのまま、あそこは変わらないのだろう。醜さと美しさが凝縮された、この世界そのものだ。