04
婚約者か、もしや初恋の君からかとアルテイアに期待をさせた手紙は、残念ながら親友のカタリナからのものだった。
数年前に駆け落ち寸前で結婚したカタリナとクリストフの二人は、今は少し離れた隣の領地の町の岡の上に小さな屋敷を構えている。
木造建築の小ぢんまりとしたマナーハウスは、居心地の良さはアルテイアの生家よりもよほどよいと思われるほどで、アルテイアもカタリナの元へは度々遊びに赴いては予定よりも長く滞在するのが常だった。
手紙には、アルテイアの新たな婚約への祝いの言葉と、旅の間に山賊に襲われたことに対する見舞い、そして近々屋敷へ遊びに来ないかという誘いが記されていた。
ヴィンツェンツからの返事ではないことには落胆したアルテイアだったが、もともと修道院に入りたい旨を相談をするため、カタリナのところへは一度遊びにいこう、とアルテイアは考えていた。すぐさま父親と相談すると、数週間ほど気分転換を兼ねてカタリナのもとに滞在することになった。
もっとも、ヴィンツェンツとの結婚を夢見る現在のアルテイアにとって、修道女となる利点などほとんどない、いやない、と断言してもいいだろう。そもそも、アルテイア自身が「修道院」という単語の綴りすら忘れる勢いである。
おのずとカタリナとの話題も彼女の恋に関するものとなるだろう、ということは、アルテイア本人でなくともおおよその予測がつくことだった。
「久しぶり!まあまあまあ、元気そうでなによりね、私の可愛いアルテイア!」
大袈裟に出迎えたカタリナとクリストフに、アルテイアは随分と古い記憶が思い起こされた。
カタリナはブルネットの艶やかな髪を淑女らしく一纏めにし、大人しいオレンジに近い色あいの臙脂色のドレスを着込んでいる。少女らしい華やかさとは違った落ち着きが、なんともいえない品のある色気を放っていた。
隣に立つクリストフは、アルテイアとは似ても似つかない鈍い光を放ったシルバーブロンドをカールさせ、華美さを感じさせない紳士らしい訪問着に身を包んでいた。ジルヴェスト家との血の繋がりを感じさせる獰猛な顔貌は、まるで狼を思わせる精悍さである。
しかし、どんなに大人びた二人を見ても、アルテイアには昔の面影を見つけることができたのだった。幼少の頃は、三人でこそこそと遊び回っては、大人達を困惑させた。
しばらくの間、遠く昔の記憶を思い起こしていたアルテイアだったが、返事をしないでいることに対してか、カタリナとクリストフの二人が自身を訝しげに見つめていることに気付き、慌てて感謝の言葉を捻り出した。
「お招きいただいたこと、感謝しています。なんだかずいぶんとご無沙汰していたような気がするわ、カタリナ。少しの間だけれど、お世話になるわね」
「ええ、ええ、そうね。あなたもわたしもお互いに忙しくて、しばらく手紙のやりとりすらなかったというものよ。幾度我が家であなたのお世話をすることを夢想したでしょう!今ならわたしも、わたしの可愛いアルテイアのために、女手一つでだって獰猛なイノシシを狩りとってみせる自信があるわ。さて、こんなところで立ち話もなんよね。さあさ、さっさと屋敷へ入って頂戴な、アルテイア」
そうして屋敷へと招き入れられたアルテイアは、一度客室に下がって落ち着きを取り戻すと、居間で待っていた二人と合流した。
そのまま当たり障りのない世間話などをして和やかに過ごしたのだが、事は夕食の時間に起きた。
「おい、アルテイア。お前はいつになったら身を固めるつもりなんだ。もうとっくに売れ残りじゃあないか」
あまりに率直なクリストフに、カタリナがたしなめる。
「まあ、なんてことをおっしゃるのクリストフ。ヴィルヘルム様の件はたしかにとても不幸なことだったけれど、別段アルテイアにもヴィルヘルム様にも、非はなかったでしょう。たとえ幼馴染のあなたが相手だったとしても、不謹慎ですよ。アルテイアも黙っていないでこの人になにかおっしゃいな」
急に話を振られたアルテイアは驚きを隠せずとっさに言葉が出せなかったのだが、口にしていたパンをワインで飲み下すと、意を決して言葉を発した。
「いいえ、カタリナ。クリストフの言うことはたしかな事実ですもの……でも、ヴィルヘルム様が亡くなってしまわれたのは、本当にとても残念なことだったわ……」
「そんなことをいうなら、慣習や外聞など無視してさっさと結婚してしまえば良かっただろうに」
たたみかけるように問いただすクリストフの剣幕に押され、アルテイアは俯いて黙り込むと、手元にナプキンを寄せて口を隠してしまった。
「ああもう!クリス!あなたというひとは……もう余計なことは言わないで頂戴な」
気まずい空気は払しょくされることなく、その日はそれ以後はあまり会話もなく過ぎた。幼馴染三人の久々の再会の日だというのに、どんよりと沈んだ空気のなかを堪えることを強いられたのだった。
その夜のこと、カタリナが突然アルテイアの部屋として当てられていた客間へと訪ねてきた。
「まあカタリナ、こんな夜更けにわたしのところへ来るなんて、旦那様との時間は大丈夫なの?」
「あら、随分と不躾で率直な質問ね、アルテイア。久しぶりの女友達が遊びにきたんだから、昔のような乙女に戻って夜通したいと思うのは若い淑女なら誰にでもあることではないかしら」
アルテイアは客室に備え付けられていたホットワインをカタリナに勧めたが、カタリナは辞退してアルテイアを寝具へと押し込めた。
そのまま半ば押し入るように、カタリナもアルテイアのベッドにもぐりこむと、二人の少女時代良くそうしたように、寝具の上でうつぶせに横並びになってアルテイアに語りかけた。
「ねぇ、アルテイア。わたし、あなたに報告しなくてはいけないことがあるの」
「あら、それは一体なんなのかしら?」
アルテイアが片眉をあげてカタリナの返事を質す。
「……あのね、わたし、クリストフと……その、赤ちゃんを授かったの」
「まあ、まあまあまあ!なんと素晴らしいことでしょう!おめでとう!あなたはついに母親となるのね、カタリナ!……なるほど、それで女友達のもとに夜更けに遊びにこれるってわけね」
アルテイアにほのめかされた事に感ずいたのか、恥ずかしげに頬を染めるカタリナは、誰がどうみても非常に幸せそうな表情をしていたので、アルテイアは彼女を肘でつついてからかわずにはいられなかった。
「じゃあ、クリストフとはしばらくご無沙汰なの?」
「わ、わたしたちのことはいいのよ。そんなことよりも、まさかあなたがルドルフ様と婚約するだなんて、夢にも思わなかったわ!一体いつの間にそれほどまでご親密になったの?ヴィルヘルム様が亡くなってから、全然社交界にも顔を出していなかったじゃあないの」
無理やり話題を変えられ気分を害されたアルテイアだったが、幼なじみの心中を察して抗議は控え、振られた話に乗ることにした。
「そうね、カタリナ。それはそんな単純な話ではないのよ。実は……」
「まあ、なんてこと!」
ことの次第を一通り聞いたカタリナは、驚きのあまり深夜にも関わらず行儀悪く大声を出してしまい、ハッとアルテイアをみると、気まずそうに縮こまった。
「じゃあ、あなたの恋のお相手はルドルフ様ではないのね?なんということでしょう……」
今度こそ小声で囁いたカタリナの言葉に、アルテイアはうなずいた。
「ええ。そうね、そう。そこが問題なの……」
自分の恋の相手について話しているにも関わらず、沈んだ顔をするアルテイアに、カタリナは不安になってアルテイアの手を取って声をかけた。
「でも、素敵な騎士様だと聞いているわ。いいじゃあないの。もしかしたら相談すれば、ルドルフさまも納得してくださるかもしれないわ。そんなに暗い顔をすることはないわよ、アルテイア」
「いいえ、いいえ、カタリナ。そうじゃないの。……わたしね、自分の魅力ってものに自信がないの。結局、家柄でしか見られていないんじゃないかって」
小さく呟かれたアルテイアの言葉に、カタリナはハッとさせられ、大げさに首を横に振って答えた。
「何をいっているのよ、そんなことない。あなたは魅力に満ちているわ。アルテイア」
「……でも、クリストフとも、ギルバート様とも、ヴィルヘルム様とだって、神様は結婚を認めてくださらなかった。三回あったことに四度目がないと信じることなんて、そう簡単には出来ないわ」
拗ねたように俯いてぼそぼそと話すアルテイアを前に、カタリナは悲しげな表情で見つめるほかなかったが、一つ思い付いたように口を開いた。
「……ねえアルテイア、もしかして、なんだけれど、クリストフとわたしを結婚させたことを後悔してはいないのかしら?ねぇ、本人には言い難いかもしれないけれど、我慢はよくないわ」
「そんなこと。二人が幸せになってわたしも幸せよ」
「そうかしら。それでも、昔の話をするといつも少し暗い顔になるじゃない?」
「そんなことは……」
俯いて否定するアルテイアの態度に説得力はなかった。
カタリナは努めて冷静にアルテイアに語りかける。
「わたしに言いにくいならマリアでもいいのよ。でもちゃんと言葉にしてみたって神様は許してくださると思うの。神父様に懺悔するのだって構わないことだと思うわ」
カタリナの優しく思いやりのある言葉に、ただ力なく首を横にふることで答えたアルテイアは、そのまま俯いた顔をあげることができなかった。
アルテイアの真下にあるシーツに、ぽたぽたと染みが出来ていくのを、カタリナは眺めることしか出来ない。
「いいえ、そんな、ほんとうに、全く大したことはないの。でも、ただ、わたし………二人に置い、ていかれた気が、して……」
「そう……」
とめどなく溢れる涙をどうすることも出来ず、アルテイアは途方にくれてしまった。
慰めるように背をさすったカタリナは、申し訳なさそうに呟いた。
「わたしたち二人は、そうね、素直に言うならたしかにアルテイアに悪いことをしていると思っていたの。だから、こそこそと逢瀬していたのだけど、あなたが堂々と祝福してくれたから今があるのよ、アルテイア。私たち、二人ともあなたのこと大好きなの。クリストフも、よくあなたのことを咎めるようなことを言っているけど、あれは心配の裏返しなのをわかってあげてね」
諭すように呟かれたその台詞を聞いて、ぐずぐずと泣きながらもアルテイアはようやくカタリナの方を向いた。
「だから、アルテイアには幸せになってもらわなきゃ困るわ。もしあなたがどうしても騎士様と結ばれたいのなら、今度はわたしたちがあなたのために出来る限りの協力をするつもりよ」
カタリナのその言葉に、感極まったようにさらに涙を溢れさせたアルテイアだったが、今度のそれは喜びに満ちていた。
自分だけが負い目を感じていたのではなかった。そして新しい恋をひそかに応援してくれる人がいる。そう考えるだけでもアルテイアは救われた思いがした。
「さあさあ、涙を拭って笑って頂戴、アルテイア。あなたには悲しみよりもずっと笑顔が似合うわ」
「ふふ、ありがとうね、カタリナ。少し、いいえ、随分と心が軽くなったような気がするの。わたし、きっと幸せになれるわ」
そうしてアルテイアは、来たときよりも随分とすがすがしい気持ちでカタリナとクリストフのマナーハウスの門を出たのだった。
実家へと戻ったアルテイアは、帰宅するなり父親の執務室へと呼ばれた。
「ただいま帰りましたわ、お父様。ご用命とはなんでしょうか」
「よく無事で帰った、アルテイア。さっそく本題だがな、しばらく前にルドルフ殿から手紙があったのだ。視察ついでに我らの屋敷に滞在してくださるようだ。右腕たる騎士殿もくるようだから、くれぐれも次期女主人として粗相のないように。わかったな、アルテイア」
「!……まあ、そうなんですの。ええ、ええ。もちろん承知しておりますわ、お父様」
父の前では冷静を保とうとしたアルテイアだったが、クリストフとカタリナの屋敷で感じていた鬱々とした気分などはとうに吹き飛び、現金にも浮かれたその脳内は、祭り囃子さながらの様相を禁じ得なかった。
そのまま二階の私室に駆け込むと、部屋を整えていた侍女のマリアに向かって捲し立てるように話始める。
「マリア、ねぇ、聞いてちょうだい!マリア!今度ルドルフ様が我が家にいらっしゃるのですって、もちろん、騎士様も!ヴィンツェンツ様もよ!おお、マリア!なんて楽しみなことでしょう!冬に入るから、宮廷のお仕事も一段落ついて、雪も出てくるから、視察ついでとはいえ今度は長期滞在なんですって。どうしましょう、今からドレスを仕立てて間に合うかしら!」
しばらくあたふたと部屋のなかをぐるぐると歩きまわっていたアルテイアだったが、刺繍に目を止めるとじっと見つめ、そうしてやっといつものロッキングチェアへ腰かけた。あまりに勢いよく腰かけたため、サイドテーブルに置かれたろうそくの火を意味もなく吹き消してしまったアルテイアは、あわてて他のろうそくから火を移した。
「どうしてからしらね、マリア、わたし、乳離れしたばかりの子供のようにわくわくして眠れそうにないわ!とにかく、ヴィンツェンツさまになにか差し上げたいわ。そうね、ハンカチに刺繍を施せばいいのではないかしら!」
マリアは必死に止めたのだが、結局、アルテイアはその晩夜を徹して刺繍をし、なんとその日のうちにワンポイントだけ刺繍を施したハンカチを仕上げてしまった。
「まあ、生娘であるお嬢様が、細い蝋燭の火のみを頼りに夜なべをしたのですか?そこまでなさらなくとも、騎士様がいらっしゃるのはまだ先のことだと記憶しておりますが……」
「あら! そんなこと関係ないわ! それに、別にこれで完成ってわけではないもの」
そのあまりの浮かれように、マリアにほとほと呆れられるアルテイアであった。