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諦念の末の  作者: 田山
10/12

09

 翌朝、別荘の客間で目覚めたアルテイアは、すぐに異端の魔女の元へ行く支度を始めた。動きやすい乗馬服に着替え、長い髪も簡素にまとめると、ヴィンツェンツに護衛を依頼する。

 はじめは反対されるかと思っていたアルテイアは、むしろヴィンツェンツがすでに準備を万全にした状態でアルテイアを待っているのを見て、拍子抜けてしまった。


「ルドルフ様をお守りできなかった責は、わたしにありますわ。同行するなとおっしゃられても、絶対にくっついていきますから覚悟なさってくださいね、アルテイア様」


 アルテイアを守って倒れたルドルフのため、今度はアルテイアが勇気を出す番だ、というアルテイアの主張はジルヴェスト家の人々も正しいと理解していたし、むしろアルテイアの真摯な思いに胸を打たれていた。個人的にルドルフに借りのある弟のディートリヒなど、自分も共に行きたいと言って聞かなかった。

 しかし、貴婦人や若い貴公子を一人で危険な旅程に送り出すわけにはいかない。異端の魔女の住む山奥には、未知の領域も多く、どんな危険が待っているかわからないからだ。

 かといってぞろぞろと護衛を連れて押し掛けては、向こうが警戒して協力をあおぐことすら難しくなってしまうだろう。本来であれば、従者を使いに出してやるべきことである。

 しかしアルテイアはどうしても自分の足で魔女の元へ赴き、彼女を説得したいと考えていた。

 結局、アルテイアは母コルドゥラや侍女のマリアの反対を押しきってヴィンツェンツと二人きりで山を一つ越えた先にある魔女の住む小さな小屋へと旅立つことになってしまった。20歳にもなって、とんだおてんば娘である。


 アルテイアはヴィンツェンツと二人で馬を冬の森を駆け抜けた。黒々とした森を突っ切ると、細い沢のある谷間を抜けて一つ山を越えた先にある異端の魔女の住む山奥の小屋へたどり着いた。

 早朝に出発し、馬を急かして到着したのが正午前のことである。上手くいけば薬草をもらうか薬を調合してもらっても間に合うかもしれない。アルテイアはそう希望を持つことができた。


 異端の魔女の住む小屋は、無造作に雑草が生え放題となっている大きな薬草園を脇に伴った、とても小さな木造の家だった。

 高床式で板張りがされただけの小屋は、嵐になれば吹き飛んでしまうのではないかとアルテイアを心配にさせたが、少なくとも煙突から煙が上がっているところを見ると、件の魔女は在宅中のようである。

 アルテイアが戸を叩くと、しわがれた声がそのまま家へ入るようにと言ったのが聞こえた。意を決してアルテイア戸を開き中に踏み入れると、そこは薬草の青臭さが充満し、なにか煮込んでいるのかおどろおどろしい形をした歪な釜がグツグツと煮たっているのが見えた。

 小さな小屋の中央には大きなテーブルが置かれ、その上にはところ狭しと作業しかけのドライハーブや野菜の類いが並んでいる。壁の棚には薬草の入った瓶が立ち並び、端には不気味な仮面もたてかけられている。棚と鍋の煮えている釜戸のない、玄関側の壁の、扉から反対側の隅には、毛布の何重にもかかった小さな寝具が置かれていた。おそらくそこで寝泊まりしているのだろう。

 鍋の中の液体は、アルテイアからは見ることは出来なかったが、赤黒くふつふつと沸騰し、なにやら黒い木の実のようなものがいっしょくたになって煮込まれている。それを煮る老婆の後ろ姿は、おとぎ話ででてくる悪い魔女そのままだ。

 アルテイアは彼女が人食い魔女でないことを神に祈り、思わず首からかけたロザリオを握り締めた。


 玄関とははす向かいの釜戸の前に立つ老婆は、入ってきた二人を振り返ることすらせず、釜の前でぐるぐると中身をかき混ぜている。

 あの老婆が、例の異端の魔女なのだろう。彼女は白髪を隠すようにショールを巻き付け、茶褐色のスカートの上には着古して木成り色となったエプロンを身に付けていた。高い鷲鼻にどんよりとした深い青い瞳、どっしりとした見た目とは裏腹に、震える細く皺だらけの指でアルテイアとヴィンツェンツの方を指差した。


「見ない顔だね。こんな季節に一体なにしに来たんだい。ここはあんたらみたいなのがくるとこじゃあないよ」


 億劫そうにアルテイアの方を向いた老婆は、そう言うとまた釜の方へ向き直ってしまった。


「突然の訪問をお許しくださいませ。わたくし、ジルヴェスト伯爵家、アーダルベルトの一人娘、アルテイアと申しますわ。婚約者のオーエンドルフ公爵家のご子息であらせられるルドルフ様が、賊の凶刃と毒で倒れてしまったのです……医師にはもう無理だとおっしゃられてしまったけれど、わたくし、なんとしてでもルドルフ様を助けて差し上げたいの」


 アルテイアはそう言うと、腕に抱えていた謝礼代わりに持参した金貨数枚と、アルテイアの施した刺繍のある毛布、珍しい模様の鹿の毛皮の3つを机の上に差し出した。この三品の代わりに、薬草が欲しいと交渉しようというのである。


「こんな山奥でそんなものが価値があるもんかね。そもそも、なんでわしがあんたのためにそんなことをせにゃならんのさ。毛皮だって、この辺りには鹿も狼もたくさんいる。間に合ってるよ」


 そうつれなく返されたアルテイアだったが、この程度で引き下がることは出来ない。ルドルフの命がかかっているのだ。

 このまま夕方まで居座って説得しようと考えていたアルテイアを見た老婆は、彼女が帰ろうとしないのをみて根負けしたようだ。蔵の鍵と思われる棒をアルテイアに投げつけると、なげやりに薬草を煎じるための条件をアルテイアに言い付けた。


「……まったく、あんたらは人の家をなんだと思っているんだい? いつまでもそこにいつかれちゃあ邪魔でしょうがないね。おい、そうだよそこの若いの。椅子にでも座ってじっとしてな。大男がいつまでも玄関を塞いでちゃ、こっちまで気が滅入っちまいそうだ。で? 嬢ちゃんはその婚約者とかいうやつの容態を早く教えな。もしあんたが一人で蔵と薬草園にある薬草のうち、必要な分だけ全部取ってこれたら、薬草を煎じてやらんこともない」


「本当ですの!?」


 これでなんとかなるかもしれない。アルテイアの瞳には老婆の後ろに光が差しているようにしか見えなかった。

 老婆は、名をウルリッツと名乗った。ルドルフはやはり難しい症状であるらしい。症状を聞いてひとしきり唸ったウルリッツは、椅子に座って丸めていた背中をゆったりと起こし、嫌々といった様子で床に置かれた箱をがさごそと漁り、羊皮紙に書かれた薬草の百科事典の束のようなものを取り出した。


「まあ、このような素晴らしいものがこんな山奥に?」


「そんなのどうだっていいだろう。ほれ、コレが一束分と、コレと、コレを一房。あとコレの実が一握りくらいあれば足りるだろうさ。どこかに置いた記憶はあるが、それが蔵なのか薬草園なのかなんざ、わしも把握なんてしちゃいないがね。さあて、やるのか? やらないのか? はあ、金を払ってでもやらせてほしい? ま、せいぜい頑張りな」


 ウルリッツによって引きちぎられた羊皮紙の切れ端を押し付けられたアルテイアは、どれも同じようにしか見えない草の羅列を見て目眩がしたが、これをこなさなければルドルフを助けることは出来ない。

 ヴィンツェンツが心配そうにアルテイアを見つめるのを見て、アルテイアは彼を励まそうと声をかけた。


「大丈夫よヴィンツェンツ、わたしが絶対になんとかしてみせるわ」


 その言葉を聞いて納得したようにただ頷いたヴィンツェンツを見て、アルテイアは気合いを入れるために頬をぱしりと叩いた。そして気を取り直すと極寒の外界へと飛び出していった。

 数時間後、泥だらけのアルテイアが差し出した草木を確認して、ああでもない、こうでもないとぶつぶつと選別したウルリッツは、差し出されたもの全てを分け終えるとアルテイアの方を見て言った。


「ふん。やれば出来るじゃないか。ただの馬鹿な温室育ちのお嬢様かと思ったが、わしの目も歳であてにならなくなっちまったかね。仕方ない。約束だからね、ちょっと待ってな。数時間もあれば煎じてやれるだろう」


「ほ、本当に!? ありがとう! ああ、こんな嬉しいことってないわ!」


 くずだらけでボロボロになったアルテイアだったが、ウルリッツのその言葉を聞くと飛んで跳ねて喜んだ。あまりにどすどすと遠慮のないありさまだったので、ウルリッツは「あんたらはわしの大事なこの家を壊すつもりかい! 迷惑だから出ていきな! 薪でも集めておいで!」とアルテイアとヴィンツェンツの二人を追い出した。

 はじめは彼女が怒ったのではないかと冷や汗をかいた二人だったが、あれはウルリッツなりの照れの紛らわせ方だったのかもしれない、とアルテイアはかじかむ手でヴィンツェンツに教わりながら薪となる木々を集めつつ思った。

 アルテイアはどうにも、ヴァルター家のブルーノのようにはウルリッツを嫌うことは出来なかったのだ。


 薪を集め終えた二人は、暖炉と釜戸の火で暖かいウルリッツの小屋に戻り、凍えた体をあたためていた。

 黙々と作業をするウルリッツを見て、邪魔をするのは悪いと思ったアルテイアだったが、手持ち無沙汰でやることもなく、好奇心を抑えきれずに話しかけてしまった。


「ウルリッツ様、どうしてこのような美しくて高価な彩色写本なんてもの、お持ちなんですか?」


 手元に押し付けられた写本の切れ端を弄びながら、アルテイアが尋ねると、予想に反してウルリッツは素直に答えた。


「なに、酔狂な馬鹿にもらったのさ。わしゃ文字は読めないがね。しかし、暇ならそこにある繕い物でも代わりにしちゃくれないのかね? 全く今時の若いのは気がきかないねぇ」


 暗に邪魔するなと言われたことに気付いたアルテイアは、急いで言われた通り目の前にあったウルリッツの古着と思われる穴だらけの衣類を手に、繕い物を始めたのだった。



 数時間後、ついに煎じ薬は完成した。

 ルドルフの容態は一刻を争うため、早急に帰路に立つ必要がある。アルテイアとヴィンツェンツの二人は、室内から窓の外を伺うが、二人の期待を他所に辺りはすっかり真っ暗となってしまっていた。

 慣れない土地で夜道を歩くことは難しい。さらに悪いことに、不安定な山の天気によって、それまで晴れていた空はどんよりと陰ったかと思うと、急に吹雪いてきた。


「うちの客人から死人が出るなんてまっぴらごめんだよ。人肉を覚えた熊や狼ほどやっかいなもんはないからね。なに、騙されたって夜中凍えて狼に怯えて歩き回って死ぬか、ここでわしに殺されるかの違いだけさね。悪いことは言わないから泊まって行きな。ま、ベッドは一つしかないんで床で我慢してもらうがね」


 アルテイアとヴィンツェンツは仕方なくこのウルリッツの言葉に甘えて一泊することになった。


「薬は、どれほど効き目があるものなのですか」


 簡素だが、素朴で温かい味のシチューを夕餉として食し、食後の団欒の時間に、アルテイアは持ち込んでいた刺繍をしながらそうウルリッツへと尋ねた。

 ウルリッツに言い付けられた古着の繕いはすでに済んでしまっていたので、ルドルフにねだられて完成していなかった鷹の刺繍を持ってきていたのを思い出したのだ。出来ることならば、ルドルフが目を覚ますまでに完成させたいとアルテイアは考えていた。


「なんだい、文句言ったってもう薬は作っちまった後だよ。今さらそんなことを聞いて、なんになるってんだい。呆れた娘だね……なに、わしの作る薬は効き目はたしかだが、飲んだって全員が治るもんじゃない。助かるかどうかは時の運と、あとはそいつの生きたいと願う力の差でしかないさ」


 それを聞いてアルテイアは落胆した。そう奇跡のような薬が手に入るわけではないと分かっていたが、やはりアルテイアにはあと1日しか猶予はないのだ。雪道に変わった山道は、大変危険である。しかし、アルテイアとヴィンツェンツはなんとしてでも明日の夜までにたどり着かなくてはならなかった。


 その日、毛布に包まって床に直接横たわって夜を明けたアルテイアは、朝の日が出る少し前に起き出した。まさか他の二人もすでに起きているとは思っていなかったが、そこにはすでに外出の支度をした魔女のウルリッツと、馬の調子を見に行って帰ってきたヴィンツェンツがいた。


「娘っ子、アルテイアとか言ったか。わしも一緒にいってやる」


「まあ、小屋を空けてよろしいのですか?」


「どうせこの時期に訪ねてくるやつなんて、あんたらみたいな厄介なのか、ろくでもないのしかいないさ。まともな頭があれば冬の山奥なんて行こうだなんて考えないからね」


 それでも、と食い下がろうとするアルテイアを、ヴィンツェンツが止めた。


「アルテイア様、雪道は慣れた地元の人間でも迷うので、どんなに対策をしたところで遭難者が絶えませんわ。幸いなことに夜のうちに吹雪は晴れていますが、ここは彼女に任せるべきです。ね? 大丈夫、ウルリッツは信頼のおける女性ですわ」


 しかし、ここで問題が起きた。雪には慣れていても、雪山には慣れていない馬にとって、雪山で人間を二人も乗せた状態で歩いて山を降りることは、困難だったのである。重量的には二人乗りに適していたアルテイアも、二人乗りの馬の操縦に慣れているわけではなかったことも災いした。

 必然的に、三人のうちの誰か、いや、足腰の弱いウルリッツの歩調に合わせることは出来ないため、アルテイアとヴィンツェンツが、雪道を交代で歩いて進まなければならなくなった。

 これでは今晩に屋敷へ戻ることは出来ないかもしれない。そんな不安が一同によぎるなか、追い討ちをかけるようにしんしんと雪が降ってきた。

 結果的に、行きは半日で事足りた旅程は、帰りでは半日がたったにも関わらずやっと下山出来たほど、ゆったりとした歩みとなってしまった。


「さあさ、下山したぞ、お嬢さん。さっさとお行き」


 舗装され、雪も疎らになった街道へ差し掛かった頃、馬上のウルリッツがそうアルテイアに声をかけた。

 ヴィンツェンツとの交代のため、まさに馬に乗り上げようとしていたアルテイアは、困惑してすぐには話を飲み込むことが出来なかった。


「わたしたちは後からゆっくりと追いかけますので、急いで馬を使ってルドルフ様の元へ向かえば良い、ということですわアルテイア様。ここの街道は比較的安全で人通りも多く、街へ向かう唯一の一本道です。夕刻までに街までたどり着くのに一人で向かわれても、そう危険はないでしょうからご安心ください」


 そうヴィンツェンツに励まされたアルテイアは、何度か頷くと急いで馬にと飛び乗った。


「ヴィンツェンツ! ウルリッツ様をよろしくね! 大丈夫。絶対、なんとしてでも間に合わせてみせるわ!」


 そうしてアルテイアは馬で街道を駆け抜けた。


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