プロローグ
二度あることは三度あると言う。
三度目の正直が訪れなかった不幸者に、この期に及んで己の未来の幸せを信じろという方が、酷なのではないだろうか。
遠縁に高貴なる血筋をひくジルヴェスト伯爵家の、二番目に産まれた息女であるアルテイア・クォーツ・ジルヴェストにとって、すでに自分と結婚は縁遠い間柄なのだという意識は深く根付いていた。
というのも、彼女の婚約歴ほど帝国内の吟遊詩人に歌われ、娯楽として楽しまれるものはないのではないか、と思われるほど、波瀾に満ちた半生なのである。
彼女の一度目の婚約者は、ジルヴェスト家の遠縁にあたる従兄弟のクリストフ・ヴァレンチノで、アルテイアにとっては一つ年上の、兄のような男だった。
アルテイア自身は彼をどうとも思ってはいなかったが、漠然とこの人と一緒になるのだな、と、幸せを想像出来る程度には情はあった。
しかし、こともあろうに従兄弟のクリストフはアルテイアの親友であった少女カタリナを選び、二人は突然駆け落ちを画策した。
当然のごとく若い二人は両家から勘当の命が下されたが、このときアルテイアは驚きはしたものの、二人を愛していたアルテイアは二人の幸せを祈って両家に勘当の撤回を懇願した。
はじめは驚き反対していた両家だったが、アルテイアの二人を思う気持ちを汲んで、最終的に和解した。アルテイアとクリストフの婚約は解消され、駆け落ちした二人は世間からの目はともあれ、両家からは祝福されることとなった。
アルテイアがクリストフに恋をしていたわけではなかったが、心の奥底にはわたしは二人に裏切られたのだ、という思いを抱えていた。深い苦しみではないものの、負った傷口に気付かぬふりをして微笑む姿は、いっそ滑稽とも思われる痛々しさを伴っていた。
二度目の婚約は、クリストフとカタリナの駆け落ちが和解してからほどなくして、ジルヴェスト家に持ちかけられた。
この時アルテイアはまだ15才という若さであったし、彼女の小動物のようなくりくりとした紫の瞳と、艶やかなシルバーブロンドはまだ輝きを失ってはいなかった。
二人目の婚約者は新興貴族の家の一人息子であるギルバート・ヴェンツェという名の男だった。細長く狐のような顔をした見た目を裏切らぬ、狡猾な男であった。
はじめは誠実そうな態度を示していたが、婚約の話が進むにつれジルヴェスト家の内情に口を出すようになり、こともあろうに財産目録を盗みとろうとした。
新興貴族のボンクラ息子はアルテイアの両親の逆鱗に触れ、婚約解消どころではない苦痛に一生苛まれることになった。
三度目の婚約は、新興貴族への信頼をなくした両親の主導で結ばれ、有力で、高貴なる方々とも縁深い辺境伯の次男、ヴィルヘルム・エクバートに白羽の矢がたてられた。
アルテイアとは8つほど歳が離れており、しばしば歳の差が問題視された。しかし有力かつ優秀な貴族男性ほど晩婚であること、そもそも彼が結婚をしていなかったのは婚約者が流行り病で病死したためであったことから、この婚約は社交界でも概ね好意的に受け止められた。
ヴィルヘルムは穏やかな気質の男性で、アルテイアを自分の妹のように優しく慈しんでいた。
アルテイアもヴィルヘルムとの文通のやりとりで心が癒され、このまま上手くいけば良いとほのかな愛情を芽生えさせていた。
穏やかな月日が流れ、このまま結婚が成立するであろうと思われた矢先、辺境から都にほど近いアルテイアの屋敷に赴いていた道中に、ヴィルヘルムは山賊に襲われて死んだ。
三度目の婚約が不幸によって流れたあと、喪があけたアルテイアは自分の結婚を諦めた。
すでに20才という、貴族の女性としては若くはない歳となってしまっていたし、周囲の有望な若い男性はほとんど婚約や結婚という名の予約で埋まりきってしまっている。
ここで売れ残る男性といえば、よほど問題のある男か、放蕩さで社交界中で噂されるような色男か、妻に先立たれたお世辞にも若いとは言えないご老輩ばかりであった。
ヴィルヘルムのような若者は競争率が高く、年増となってしまったアルテイアをわざわざめとろうなどという強者は、ほとんどいないだろうと思われた。
二度の裏切りと三度目の不幸、度重なる求婚者の酷い有り様を目の当たりにし、少々その性格を歪ませてしまったアルテイアは、少女時代の初々しさとは程遠い、男性不信ともいえる事態に陥ってしまっていた。
少しでも優しい声をかけられればまず相手を疑いその裏を読もうとし、贈り物などは絶対に受け取らず、屋敷へ贈られてきたモノは全て開封する前に処分された。
すでに社交界では年増となり、売れ残ったアルテイアに求婚する者など、片手で足る人数である。本来であればその中から自分の結婚相手を選ぶべきだということは、アルテイアも理解していた。
しかし、アルテイアはこうでもしないと、傷付いて消耗した自身を保つことが出来なかったのだ。
「アルテイア様、本日の舞踏会は参加なさらなくて本当によろしかったのですか?」
侍女のマリアに話かけられたアルテイアは、ロックチェアを揺らし、手元の刺繍からは目を離さずに答えた。
「逆に、なぜわたしが舞踏会に参加しなければならないと思っているとあなたが考えたのかが知りたいわ、マリア」
重厚感のある黒々とした調度品が並んだ薄暗い室内に、一本だけろうそくが灯る。暖炉近くのロックチェアに腰掛けたアルテイアは、そう言い切ってからゆっくりと顔をあげた。
手元のハンカチには小さな刺繍が施されているが、その柄というのが乙女にあるまじき雄々しさの鷹であることは、ここでは言及するだけにとどめよう。
「 そこそこの爵位とそこそこの容姿、おまけに大した頭脳も器量もない貴族の娘に、身の丈以上の良縁を求めることなど不可能なのよ。運悪く結婚も出来ず婚約者に逃げられた年増の女に、これ以下の生活を保証する婚姻はあれど、もうまともな席なんて残っていないわ。きっと、修道院にでも入って神に祈る方がよほど生産的ね」
「そんなこと、旦那様がお許しになるでしょうか……」
「そうよ、そこが目下検討すべき重要な課題なのよ、マリア。ちょっとこちらにおいでなさい」
呼ばれた栗色の髪をきっちりとまとめ、漆黒のメイド服に身を包んだ侍女のマリアは、耳打ちしようとするアルテイアに近付いた。
彼女は行儀見習いとしてジルヴェスト家へ幼少の頃から通っており、アルテイアとは乳母姉妹として、何でも相談できる唯一ともいえるほど大事な存在であった。今は住み込みの侍女として、アルテイアに仕えている。
「例の大喧嘩に懲りて、旦那様を説得するのは諦めたのではなかったのですか?」
「一度や二度の失敗で諦めてしまうからこれまでも上手くいかなかったのよ。だから、今度こそ成功するまで諦めないわ。婚約者の死が忘れられずに引きこもった悲劇の令嬢を演じて、そのまま社交界へも全く顔を出さないようになれば、さすがのお父様もきっと諦めるわ」
アルテイアはそういうと、にやりと笑った。
「そんなに簡単に上手くいくのでしょうか」
「大丈夫よ。家督はお兄様とお義姉様がしっかり守ってくださるし、姉であるわたしがずっと売れ残っていては、いつまでたってもディートリヒが結婚できないわ。そんなのザーラが可哀想じゃない」
「アルテイア様が大変ご兄弟思いでいらっしゃるのは非常に素晴らしいことではあると思いますけれども……」
「そんなのはいいから、とにかく手伝ってちょうだいね、マリア」
「………全てはお嬢様の御心のままに」