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人助けと、ためいき

「本当に本当に、ありがとうございました…イリーナ様!」

「いや、ほんとその呼び方やめて。鳥肌たつから」


 イリーナはあの後、目の前にいる灰色の髪の男…メリプール・ハーニィを部屋の中に入れ、荷物に詰めていた瓶からはちみつをひとすくい、舐めさせた。するとその僅か数秒後に彼は目覚め、もう一杯…いや三杯!とはちみつをねだった。イリーナは正直言うと、気に入りのはちみつをこれ以上消費したくなかったものの、これでまた倒れられたら困るしな…と思い、メリプールの空腹を満たしてやったのだ。

メリプールはあまりの空腹で倒れていた所を救ってくれたイリーナに、何度も何度も礼を言って、ぺこぺこ頭をさげる。しかも名前に「様」を付けて。しかしイリーナの方と言えば、そろそろ礼を言われることに辟易していた。こう何度も頭を下げられると、ただの鬱陶しさしか感じない。


「もういいから。…仕方ないからその瓶ごと、あなたにあげる。さっさとどっか行ってちょうだい。もう動けるでしょう」


 イリーナはベッドに腰掛けて、鞄から取り出した書類をぱらりとめくる。そこには学園で過ごす上での規則事項等々が記されていた。食堂の利用ルールや公共施設使用許可…なんでも自由という訳ではないらしいと感じて、イリーナは急に肩が凝った感覚になる。窮屈なのは好きじゃない…縛られすぎることも嫌い。今までの自分の生活にはなかった見えない「何か」の中で暮らすことになるのか、とまだ始まって一日も過ぎていない学園の生活に不満そうな面持ちだった。

 そんなイリーナの思考など当然読めていないメリプールは、瓶にふたをしてから四つん這いのままイリーナの足下まで寄ってきた。


「あの、本当に言い尽くせないほどの感謝があるのですが…何かお返しはできないでしょうか?」


 最初に見た時に閉じられていた双眸は今開いていて、琥珀色の美しい瞳が埋められていた。この世の輝きを映したようなふたつの瞳に見つめられ、イリーナは少したじろぎながらも、わざと大きくため息をついた。


「いらないから。そういうの、別に欲しくて助けた訳じゃないわよ。自分の部屋の前で人が死んでたら、さすがに夢見が悪いし、…それだけよ」


 持っていた書類をベッドの脇に置いて、イリーナはごそごそ鞄を漁る。麻布の小物入れから、アンティーク調のロングネックレスを取り出して首にかけた。

国の中でも指折りな職人が丹精込めて造ったというネックレス、これは教師全員が持つ、いわば教員免許のようなものだった。本来は教員試験をパスしてこの首飾りを手にするが、イリーナに関してはマカラムの一声でするっと手に入っていた。イリーナ本人としては、場合によっては一生お目に掛かることもなかった品だった。

 イリーナがその首飾りを掛けたところで、メリプールの目が見開かれる。何事かを口にしようとした時に、扉がノックされる音が響いた。


「はいはい、いま行きますよーっと…」


 そろそろ時間だし、きっとヴァンあたりが来たのかもしれない。そう思ってイリーナはメリプールの横を過ぎようと足を動かして―――靴のつま先を、鞄の紐に引っかけてしまった。


「う、わ…っ!」

「―――!」


 このままでは転ぶ、と覚悟してイリーナは目をつむって衝撃に備えた。

ガタガタン! どさっ…

派手な音が立ったが、いつまで経っても体への痛みは訪れず…


「……?」


 そろり、とイリーナが目を開けたと同時に、部屋の主の返事を待たずして扉は開けられ、イリーナの予想通りに現れたヴァンが目の前の光景を認め、わなわなと震え出す。


「な…っ なにをしているんだ貴様らあああ!!」


 怒り出すヴァンと、自分の下で組み敷かれているメリプールを交互に見て、イリーナは苦い顔で素直に一言「ごめん…」と呟くのだった。




「ねえヴァン~、いい加減機嫌直してよー」

「…別に機嫌は悪くない」

「だったらその眉間のシワなんとかしたらどうなの? さらに老け顔になるわよ」

「ほっとけ! というか、そもそもお前がだな…!」


 躓き転んだイリーナをかばったメリプールは、鼻頭をおさえつつ涙目になっていた。上から退いてメリプールも起こしてから、イリーナは再度謝って扉の方を指さし、とりあえず出て行って欲しいと頼む。メリプールは何か言いたげだったが、ヴァンから溢れているオーラと迫力に言葉を飲み込み、瓶を手にちいさくお辞儀をして出て行った。そして状況の説明を迫られたイリーナは淡々と順に説明するが、ヴァンのつり上がった眉が下がることはなかった。

 そろそろ教室にいかなくちゃとイリーナが言って、ようやく説教が終わると思ったのだが、こうして教室に向かう間にもヴァンはしつこくイリーナに釘を刺す。


「いいか、イリーナ。お前や俺の行動は、そっくりそのままマカラム様の信頼に繋がっているのだ。問題を起こして、師の顔に泥を塗るようなことは」

「しないしない。大丈夫だってばー。わたしってそんなに信用無いの?」

「無いから言っているんだろうが」


 至極当然というように頷かれ、イリーナは重たい息を漏らす。

 昔からヴァンのこの性格はなおった試しがない。この学園にいる限り、身近でこれを聞くはめになるのか…と、初日からこんなテンションで、果たして役目を全うできるのかどうか、心配というよりむしろ面倒だなと思う気持ちがほとんどを占める。

 そんなイリーナの気持ちなど知らぬ顔で、ヴァンは歩く速度はゆるめないまま、イリーナに一冊のノートを手渡した。


「お前のクラス専用の日誌だ。書いた内容はそのまま、マカラム様のデスクで閲覧できる。その日あった出来事や授業内容、翌日の日程…漏らさず書くように」

「……はあい」

「あからさまに面倒そうな顔をするな…」


 ヴァンから日誌を受け取って、イリーナは表紙を眺める。地の色は黒で、学園の紋章が金色で箔押しされている。…分かっていたことだが、こうした報告は都度あげるのか。できるだけ読める字で書かなければいけないなと思うと、シックなデザインのそれは、イリーナのやる気をさらに奪っていった。

 教室まであと僅かの所まできて、ヴァンは立ち止まる。隣を歩いていたイリーナも、小首を傾げつつ同じように歩みを止める。


「…イリーナ」

「うん、なあに? ヴァン」

「…教師となってくれたこと、本当に感謝している」


 目を瞬かせて、イリーナはヴァンを見つめた。先程までのとげとげしい声はそこになく、穏やかなものに変わっている。


「……めずらしい。わたしにお礼なんて」

「自由気ままなひとりの生活を奪ったようなものだからな。…多少、申し訳ないとは思っているさ」

「多少、なんだ? まあいいけど」


 口角をあげ、イリーナはヴァンを置いて歩き出す。首に掛けている飾りが、しゃらりと鳴った。イリーナ、背中にかかった声に、肩越しで振り返る。


「何かあれば、俺を頼れ。ひとりではないからな」

「…りょーかい」


 今度こそ前を見て教室に向かう。左胸に手をあてて、人知れずこっそり、イリーナは苦笑するのだった。


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