クレメンス、帰宅する(前話の他視点)
クレメンスが館に戻ると、ルーカスが待ちわびていたかのようにやってきた。
「師匠、お帰りなさいませ」
「うむ。アリアの様子はどうだ?」
「先ほど食事をなさっていました」
「食欲があるのなら大丈夫そうだな」
「はい」
クレメンスはひとまずホッと息を吐く。
アリアは思ったよりも立ち直りが早いようだ。
あとは、今回のことがトラウマになっていないことを祈るばかりだ。
「師匠、何が起きたのですか?」
ルーカスの問いにクレメンスはくびを傾げた。
「ロジーナから何も聞いていないのか?」
「はい。お疲れのようでしたので……」
クレメンスはルーカスの顔をまじまじと見つめた。
「ロジーナは?」
「少しお休みになるとおっしゃられて……」
なにか様子がおかしい。
クレメンスはそう感じたが、とりあえずルーカスに今回の出来事を話して聞かることにした。
**********
クレメンスは部屋のドアをノックした。
返事はなかった。
ドアを開けるとロジーナの姿があった。
声をかけたが、ロジーナは気がつかないようだった。
「ロジーナ」
そばに行き、再度声をかけると、ロジーナが驚いたように振り向いた。
「あの魔物は協会のリストには載っていなかった」
「そう……」
ロジーナは視線を落とした。
クレメンスは「おや?」と思った。
ロジーナが魔物の正体に興味を示さないことに違和感をおぼえたからだ。
「先の内乱と震災の時にだいぶ記録が紛失したからな……」
クレメンスが話を続けるあいだ、ロジーナは心ここにあらずという様子で床をみつめている。
クレメンスはジャックの話を思い出していた。
今回の件では1名犠牲者が出た。
ロジーナはそのことで落ち込んでいるのかもしれない。
「あの魔物の存在は誰も知らなかった。この件に関してはお前に落ち度はなかった」
クレメンスはロジーナを安心させるために、そう言った。
「協会の方で周辺地域も含めて調査するようだ。よく分からんが、ニコが乗り気なので心配はないだろう」
「そう……」
相変わらずロジーナは顔をあげず、相槌をうつだけだった。
クレメンスは話をやめ、ロジーナの様子をうかがった。
ロジーナは何も言わず、下を向いたまま身じろぎもしなかった。
その様子をみてクレメンスは確信した。
あの現場で何かあったに違いない。
そしてそれはロジーナが気に病むほどの何かだ。
何があったのだろうか?
ジャックの話からはロジーナの対応に問題があったとは思えなかったし、アリアにも問題があった様子はなかった。
ジャックは何かを隠していたのだろか?
いや、おそらくそれはない。
あの状況で嘘をつくことは考えにくい。
ジャックとロジーナやアリアは今日が初対面だ。
隠し事をするほどの親しい間柄ではないはずだし、ましてやジャックは依頼主だ。
ロジーナやアリアの失態をあげつらうことはあるとしても隠す理由はない。
一体何があったのだろうか?
何に対して落ち込んでいるのかをロジーナに訊くべきなのだろうか。
いや、ロジーナは一人前どころか、弟子をかかえるほどの立派な師範魔術師だ。
自力で解決できるはずだ。
できなかったとしても、手助けが必要かどうかの判断はつくはずだ。
クレメンスはロジーナが口を開くのを待った。
しかし、ロジーナは黙って俯いているだけだった。
しばらく沈黙の後、クレメンスはロジーナに気づかれないようにゆっくりと息を吐くと、目を閉じた。
どうやらロジーナは話すつもりはないらしい。
何があったのかをききだすことは容易い。
だが、それではロジーナの成長の妨げになってしまう。
どように手をさしのべるのが最善なのだろうか。
「ロジーナ。あえて訊くことはしないが、既に起きてしまったことは、どうすることもできない」
クレメンスは意図的に感情を消した声で静かに言った。
ロジーナは下を向いたまま身を固くする。
その様子に、クレメンスは胸が締めつけらるような気分におそわれた。
ロジーナが取り返しのつかない何かをしてしまったと悟ったからだ。
おそらく、その何かが原因で犠牲者が出てしまった、とロジーナは考えているのだろう。
可哀想ではあるが、クレメンスにはどうしてやることもできない。
過去を変えることは不可能なのだ。
「たが、これから起こることは変えることが可能だ」
クレメンスの言葉にロジーナは顔をあげた。
ロジーナの瞳の奥が揺れていた。
「大事なことは、経験を無駄にしないことだ」
クレメンスはロジーナをじっと見つめながら言った。
ロジーナはゆっくりとうなづく。
クレメンスはそんなロジーナをみて居たたまれない気分になり、思わずロジーナを抱きしめた。
「辛いな」
クレメンスはどうしてやることもできない自分が歯がゆかった。
「だが、受け止めるしかない」
ロジーナが嗚咽をもらした。
クレメンスは、ロジーナが苦しんでいる時にも突き放す言葉をかけてしまう自分が恨めしかった。
しかし、気休めの言葉をかけたとしても、ロジーナを救ってやることは出来ないし、ロジーナはそれを受け付けないだろう。
どんなに辛く苦しくても、自分で撒いた種は自分自身で受け止め、乗り越えていくしかない。
己が罪を背負って生きていくしかないのだ。
できればロジーナにこういった経験をさせたくはなかった。
しかし、人は過ちを犯さなければ気がつかないことも多い。
これから辛く苦しい日々が続くだろう。
クレメンスは泣きじゃくるロジーナの頭を優しく撫でてやった。
クレメンスに出来ることはそれだけだった。




